「“新約聖書 福音書” (4)祈りという営み、ゆるしという営み」2024-08-28

2024年8月28日 當山日出夫

100分de名著  “新約聖書 福音書” (4)祈りという営み、ゆるしという営み

當山日出夫

聖書についてこのように語れるというのは、若松英輔ならではのことだと強く思う。ここで、牧師さんとか神父さんが登場して、同じように語っても、はっきり言ってあまり説得力がないだろう。この番組が、そのような性格の場であるということなのではあるけれど。

鈴木大拙について言及するあたりは、かなり考えてのことかなとは思う。が、これも、人間における宗教的営みの奥深いところでは、洋の東西をとわず普遍的なものがありうる、ということでもある。(安易に共通性をもちだすのは、私はあまり好きではないが。)

そうはいっても、今の社会を見ていると、宗教的なゆるしの持つ意味をあらためて考える必要があるとは思う。現在の国際社会において、戦争犯罪とされる行為を、はたして人はゆるしうるのか、という問題をどうしても考えてしまう。といって、宗教と世俗を分離して考えるべきだとも、逆に、政教一致の立場にたつべきだとも、思わない。

今、世界では、宗教の違いによる対立が対立の要因になっている。歴史的にもそうであった。宗教的なゆるしを、普遍的な倫理としてどのように語れるのか、課題であるということは分かるのだが、その具体的な道筋はわからないというしかない。

2024年8月20日記

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