「櫂」(1) ― 2025-02-18
2025年2月18日 當山日出夫
「櫂」(1)
宮尾登美子は好きな作家である。その作品のほとんどは読んだはずだと思っている。最初に読んだのは、『櫂』(中公文庫)だったかと記憶している。この作品は、その続編というべき『春燈』『朱夏』『仁淀川』につらなり、また、岩伍を主人公とした『岩伍覚書』があり、さらには『鬼龍院花子の生涯』などの、高知を舞台とした小説とも、関連することになる。
その映画化、ドラマ化されたものも、かなり見ていると思うが、もっとも印象に残っているのは、『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督)である。
ドラマは、一九九九年である。今から、四半世紀前のことになる。この作品を、現在では、ドラマ化できるだろうか、とも思う。ただ、昔の高知の人びとを描いただけのドラマではない。岩伍は、芸妓娼妓紹介業である。普通のことばでありていにいえば、女衒である。
紹介業という仕事について、宮尾登美子は、かなり屈折した感情を持っていたことはたしかだろう。『櫂』につづく作品は、自分の母親、父親からはじまって、満州での生活と敗戦をむかえての帰国、ということをあつかっている。紹介業は、今日の観点からは、人身売買にかかわる仕事であり、公的には、あるいは、理想的な価値観からは、完全に否定的に見ることしかできない。しかし、小説のなかでも、ドラマのなかでも、岩伍自信が語っているように、これは、警察の許可を得たれっきとした職業であり、そして、貧乏に苦しむ人びとにとっては人助けになる。これを強弁ととるか、そのような価値観があった時代もあると、肯定的に考えるか、これは、人によって判断の分かれるところかと思う。(私としては、現在の理想論で、過去のことを断罪するような視点では見たくないと思っている。)
このような岩伍の論理を、今の人たちはどう思うことになるだろうか。単なる偽善としかうけとらないかもしれない。こういうところも、宮尾登美子の作品を読むと、半分は本気でそう思っていて、半分はこれは偽善であると自覚していた、私の理解としては、こう思っている。このあたりのことをドラマとしてどう描くかは、難しいとこにちがいない。
ドラマを見ると、原作にはない部分がかなりある。原作では、喜和が、岩伍と女義太夫の関係を知るあたりのことから始まる。そのなかでの回想として、それまでの岩伍との生活が語られるということになっている。小説のなかでは、季節のものとして、ヤマモモの実を行商で売りに来ることが、非常に印象深く描かれているのだが、ドラマでは、残念ながら出てきていなかった。
原作では、近所の陋巷、貧民窟、について、喜和は露骨な嫌悪感をいだく、ということを、別に隠そうとしてはいない。岩伍に言われて貧民窟に行くあたりのことは、それまで喜和は、そのようなところに行ったことがないと、嫌がる。しかし、ドラマでは、このような貧民窟に対する嫌悪感のようなものは、示されていない。
紹介業ということで、世間一般からはさげすまれている商売であることを自覚してるのだが、さらに、そのような喜和であっても、さらに自分たちよりも下の暮らしをしている人びとがいて、それを差別的な目で見ている……原作にある、このような複合的な視点は、ドラマでは、かなり整理されている。
また、廃娼運動ということも、たしか原作には無かったかと記憶するが、どうだったろうか。まあ、廃娼運動などあってもなくても、紹介業という仕事、芸妓娼妓という仕事が、卑しい仕事という認識は、この時代の多くの人びとの共有するところではあっただろう。しかし、これは、ある意味での差別意識でもある。
このドラマでも音楽は、深草アキである。『蔵』でも深草アキの音楽が印象深いものだった。
日本が満州まで手を伸ばしていたとき、それは、同時に、芸妓娼妓もその地に赴くということでもあった。これは、あまり、表だった歴史では語られることのない部分かとも思うが、宮尾登美子の作品は、このあたりのこともはっきりと描いている。
どうでもいいことかとも思うが、賭場のシーンに、加賀まりこが登場すると、画面がきりりと引き締まった感じがある。どうしても、『乾いた花』(篠田正浩監督)を思ってしまう。こういう感覚を共有できる人は少ないかとも思うが。
2025年2月15日記
「櫂」(1)
宮尾登美子は好きな作家である。その作品のほとんどは読んだはずだと思っている。最初に読んだのは、『櫂』(中公文庫)だったかと記憶している。この作品は、その続編というべき『春燈』『朱夏』『仁淀川』につらなり、また、岩伍を主人公とした『岩伍覚書』があり、さらには『鬼龍院花子の生涯』などの、高知を舞台とした小説とも、関連することになる。
その映画化、ドラマ化されたものも、かなり見ていると思うが、もっとも印象に残っているのは、『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督)である。
ドラマは、一九九九年である。今から、四半世紀前のことになる。この作品を、現在では、ドラマ化できるだろうか、とも思う。ただ、昔の高知の人びとを描いただけのドラマではない。岩伍は、芸妓娼妓紹介業である。普通のことばでありていにいえば、女衒である。
紹介業という仕事について、宮尾登美子は、かなり屈折した感情を持っていたことはたしかだろう。『櫂』につづく作品は、自分の母親、父親からはじまって、満州での生活と敗戦をむかえての帰国、ということをあつかっている。紹介業は、今日の観点からは、人身売買にかかわる仕事であり、公的には、あるいは、理想的な価値観からは、完全に否定的に見ることしかできない。しかし、小説のなかでも、ドラマのなかでも、岩伍自信が語っているように、これは、警察の許可を得たれっきとした職業であり、そして、貧乏に苦しむ人びとにとっては人助けになる。これを強弁ととるか、そのような価値観があった時代もあると、肯定的に考えるか、これは、人によって判断の分かれるところかと思う。(私としては、現在の理想論で、過去のことを断罪するような視点では見たくないと思っている。)
このような岩伍の論理を、今の人たちはどう思うことになるだろうか。単なる偽善としかうけとらないかもしれない。こういうところも、宮尾登美子の作品を読むと、半分は本気でそう思っていて、半分はこれは偽善であると自覚していた、私の理解としては、こう思っている。このあたりのことをドラマとしてどう描くかは、難しいとこにちがいない。
ドラマを見ると、原作にはない部分がかなりある。原作では、喜和が、岩伍と女義太夫の関係を知るあたりのことから始まる。そのなかでの回想として、それまでの岩伍との生活が語られるということになっている。小説のなかでは、季節のものとして、ヤマモモの実を行商で売りに来ることが、非常に印象深く描かれているのだが、ドラマでは、残念ながら出てきていなかった。
原作では、近所の陋巷、貧民窟、について、喜和は露骨な嫌悪感をいだく、ということを、別に隠そうとしてはいない。岩伍に言われて貧民窟に行くあたりのことは、それまで喜和は、そのようなところに行ったことがないと、嫌がる。しかし、ドラマでは、このような貧民窟に対する嫌悪感のようなものは、示されていない。
紹介業ということで、世間一般からはさげすまれている商売であることを自覚してるのだが、さらに、そのような喜和であっても、さらに自分たちよりも下の暮らしをしている人びとがいて、それを差別的な目で見ている……原作にある、このような複合的な視点は、ドラマでは、かなり整理されている。
また、廃娼運動ということも、たしか原作には無かったかと記憶するが、どうだったろうか。まあ、廃娼運動などあってもなくても、紹介業という仕事、芸妓娼妓という仕事が、卑しい仕事という認識は、この時代の多くの人びとの共有するところではあっただろう。しかし、これは、ある意味での差別意識でもある。
このドラマでも音楽は、深草アキである。『蔵』でも深草アキの音楽が印象深いものだった。
日本が満州まで手を伸ばしていたとき、それは、同時に、芸妓娼妓もその地に赴くということでもあった。これは、あまり、表だった歴史では語られることのない部分かとも思うが、宮尾登美子の作品は、このあたりのこともはっきりと描いている。
どうでもいいことかとも思うが、賭場のシーンに、加賀まりこが登場すると、画面がきりりと引き締まった感じがある。どうしても、『乾いた花』(篠田正浩監督)を思ってしまう。こういう感覚を共有できる人は少ないかとも思うが。
2025年2月15日記
コンテナ全部開けちゃいました「四日市港編」 ― 2025-02-18
2025年2月18日 當山日出夫
コンテナ全部開けちゃいました! 四日市港編
このシリーズは、気がついたら録画しておくことにしている。いろいろと面白い、へえ~、と思うことがたくさんある。それから、日本と世界の国々の物流・貿易が、日常生活とどうかかわるのか、ということの一側面を見せてもくれる。
まずは、マレーシアからきたコンテナ。中身は、糸だった。コンテナの中の段ボール箱には、TOYOBOと書いてあった。羊毛の世界的産地は、中国、オーストラリア、ニュージーランド、ということなのだが、そのうち、オーストラリアで育てて作った羊毛は、中国に送って洗浄して綺麗にして、それを、マレーシアに送って糸に加工する。それを日本が輸入して、織物の生地にしている、ということになる。番組では言っていなかったが、中国で生産された羊毛は、その後、どのように加工され、世界の市場に出ているのだろうか。
タイに輸出するのは、ベビースタラーメン。ラーメンのスナック菓子である。タイでは、インスタントラーメンをそのまま食べるらしい。袋の中のインスタントラーメンを砕いて、そこに粉末スープの粉をいれる。それを食べる。う~ん、そういう食べ方もあるのか、と感心してしまった。食文化もところが変わるといろいろである。(日本でも、チキンラーメンは、昔はそのまま食べていたりしたものである。私の世代なら、こういう経験があるはずである。テレビのコマーシャルでも、そのまま食べているというのがあったと記憶している。)
オランダに輸出しているのは、ミニショベルカー。HITACHIであった。これは、コンテナのサイズがまずあって、そこに収納して運搬できるように設計したということらしい。コンテナに三台を入れる作業は、神業というか、そのように積み込むことを念頭に設計して作ったということになるが、これはとても面白い。
台湾に輸出しているのは、アイス。日本のアイスの輸出先としては、台湾、香港、中国ということだったが、つまりは中国人ということになる。中国人は日本のアイスが大好き、ということでいいだろうか。韓国からも輸入している。
台湾のゲームセンターで、クレーンゲームの景品に使われる。これには、おどろいた。台湾のクレーンゲームでは、いろんな日用品や食料品、生鮮食品までが、景品になっている。
番組のなかで言っていたことだが、台湾では、喫茶店でステーキが食べられるらしいのだが、これも気になる。何か、別の番組で、あつかってくれないものだろうか。
ベトナムから来たのは、ガーデニング用の砂利。白い砂利は、ベトナム産がいいらしい。商品となるとなれば、何でも輸出、輸入するのが、現代の社会であることを感じる。
カナダに輸出しているのは、ビーガンのサーモン。ビーガンになりたいが、お刺身は食べたい、これは、(私の感覚としては)なんともむしのいいというか、わがままな気持ちのように思える。ビーガンであるならば、さっさと諦めればいいだけのことである。ビーガンであっても、豚骨ラーメンを食べたいというのは、人間の欲望とは、不思議なものである。こういう商品は、アラブ諸国のお金持ちに売れそうな気がするが、どうなのだろうか。
世界のビーガン市場は、かなりの規模になるという。これはこれで、一つのビジネスチャンスだとは思う。
ストラドルキャリアは、面白かった。コンテナの四隅の10センチほどの穴に、ピンを入れて運搬するというのは、最高度の技術が必要である。こういう技術があり、働く人がいて、物流の現場が動いているということは、重要なことかと思う。
2025年2月13日記
コンテナ全部開けちゃいました! 四日市港編
このシリーズは、気がついたら録画しておくことにしている。いろいろと面白い、へえ~、と思うことがたくさんある。それから、日本と世界の国々の物流・貿易が、日常生活とどうかかわるのか、ということの一側面を見せてもくれる。
まずは、マレーシアからきたコンテナ。中身は、糸だった。コンテナの中の段ボール箱には、TOYOBOと書いてあった。羊毛の世界的産地は、中国、オーストラリア、ニュージーランド、ということなのだが、そのうち、オーストラリアで育てて作った羊毛は、中国に送って洗浄して綺麗にして、それを、マレーシアに送って糸に加工する。それを日本が輸入して、織物の生地にしている、ということになる。番組では言っていなかったが、中国で生産された羊毛は、その後、どのように加工され、世界の市場に出ているのだろうか。
タイに輸出するのは、ベビースタラーメン。ラーメンのスナック菓子である。タイでは、インスタントラーメンをそのまま食べるらしい。袋の中のインスタントラーメンを砕いて、そこに粉末スープの粉をいれる。それを食べる。う~ん、そういう食べ方もあるのか、と感心してしまった。食文化もところが変わるといろいろである。(日本でも、チキンラーメンは、昔はそのまま食べていたりしたものである。私の世代なら、こういう経験があるはずである。テレビのコマーシャルでも、そのまま食べているというのがあったと記憶している。)
オランダに輸出しているのは、ミニショベルカー。HITACHIであった。これは、コンテナのサイズがまずあって、そこに収納して運搬できるように設計したということらしい。コンテナに三台を入れる作業は、神業というか、そのように積み込むことを念頭に設計して作ったということになるが、これはとても面白い。
台湾に輸出しているのは、アイス。日本のアイスの輸出先としては、台湾、香港、中国ということだったが、つまりは中国人ということになる。中国人は日本のアイスが大好き、ということでいいだろうか。韓国からも輸入している。
台湾のゲームセンターで、クレーンゲームの景品に使われる。これには、おどろいた。台湾のクレーンゲームでは、いろんな日用品や食料品、生鮮食品までが、景品になっている。
番組のなかで言っていたことだが、台湾では、喫茶店でステーキが食べられるらしいのだが、これも気になる。何か、別の番組で、あつかってくれないものだろうか。
ベトナムから来たのは、ガーデニング用の砂利。白い砂利は、ベトナム産がいいらしい。商品となるとなれば、何でも輸出、輸入するのが、現代の社会であることを感じる。
カナダに輸出しているのは、ビーガンのサーモン。ビーガンになりたいが、お刺身は食べたい、これは、(私の感覚としては)なんともむしのいいというか、わがままな気持ちのように思える。ビーガンであるならば、さっさと諦めればいいだけのことである。ビーガンであっても、豚骨ラーメンを食べたいというのは、人間の欲望とは、不思議なものである。こういう商品は、アラブ諸国のお金持ちに売れそうな気がするが、どうなのだろうか。
世界のビーガン市場は、かなりの規模になるという。これはこれで、一つのビジネスチャンスだとは思う。
ストラドルキャリアは、面白かった。コンテナの四隅の10センチほどの穴に、ピンを入れて運搬するというのは、最高度の技術が必要である。こういう技術があり、働く人がいて、物流の現場が動いているということは、重要なことかと思う。
2025年2月13日記
英雄たちの選択「本田宗一郎 イノベーションで世界を目指せ!」 ― 2025-02-18
2025年2月18日 當山日出夫
英雄たちの選択 本田宗一郎 イノベーションで世界を目指せ!
昔のことになるが、鈴鹿サーキットで、ホンダの50CCエンジンの分解・組み立ての体験をしたことがある。(ホンダは、50CCバイクの生産を終了するとしているはずだが、考えてみれば、ホンダの50CCエンジンは、随分と長い間、動き続けてきたことになる。)
本田宗一郎という人物については、日本の工業の技術史上に残る人物であることはたしかである。戦後の日本のものづくりのあり方や、企業経営の理念について、本田宗一郎によるものが、多々あることになる。その多くは、いろんなところで語られてきていることなので、繰り返すまでもないだろう。
面白かったのは、磯田道史が、浜松にいたとき……つまりは、静岡文化芸術大学に在職していたときだろうと思うが……本田宗一郎の事跡について、現地でのヒアリング調査をしていたということ。おそらく、このなかで、NHKの番組では語れないような、いろいろと面白い話しがいっぱいあったにちがいない。
この回を見て共感するところは、ずば抜けている人、頑張っている人、こういう人について、周囲が邪魔をしない……浜松はそういう土地柄のところであった、と言っていたことである。さらりと言っていたが、日本のアカデミズムにおいても、なかなか、このような風土は根づかない。勉強しようとしている学生の邪魔は絶対にしない……まあ、たまたま私が勉強した環境では、こういう考え方の人がいたということもあった。無論、これとは真逆の発想で接してくる人もいたことは確かである。(まあ、磯田道史も、いろいろと苦労したんだろうなあ、と思うところもある。今は、かなり自由に仕事をしているように見えるが。)
この番組が放送になった直前、ホンダと日産の統合が破談になった。さて、ホンダも日産も、これからの時代、単独で自動車業界のなかで生きのこるのは、厳しいだろうと思うが、日産が潰れても、その技術が日本の自動車メーカの中で残ることができるならいいじゃないか、と思う人はいなかった、ということになるのだろうか。
2025年2月16日記
英雄たちの選択 本田宗一郎 イノベーションで世界を目指せ!
昔のことになるが、鈴鹿サーキットで、ホンダの50CCエンジンの分解・組み立ての体験をしたことがある。(ホンダは、50CCバイクの生産を終了するとしているはずだが、考えてみれば、ホンダの50CCエンジンは、随分と長い間、動き続けてきたことになる。)
本田宗一郎という人物については、日本の工業の技術史上に残る人物であることはたしかである。戦後の日本のものづくりのあり方や、企業経営の理念について、本田宗一郎によるものが、多々あることになる。その多くは、いろんなところで語られてきていることなので、繰り返すまでもないだろう。
面白かったのは、磯田道史が、浜松にいたとき……つまりは、静岡文化芸術大学に在職していたときだろうと思うが……本田宗一郎の事跡について、現地でのヒアリング調査をしていたということ。おそらく、このなかで、NHKの番組では語れないような、いろいろと面白い話しがいっぱいあったにちがいない。
この回を見て共感するところは、ずば抜けている人、頑張っている人、こういう人について、周囲が邪魔をしない……浜松はそういう土地柄のところであった、と言っていたことである。さらりと言っていたが、日本のアカデミズムにおいても、なかなか、このような風土は根づかない。勉強しようとしている学生の邪魔は絶対にしない……まあ、たまたま私が勉強した環境では、こういう考え方の人がいたということもあった。無論、これとは真逆の発想で接してくる人もいたことは確かである。(まあ、磯田道史も、いろいろと苦労したんだろうなあ、と思うところもある。今は、かなり自由に仕事をしているように見えるが。)
この番組が放送になった直前、ホンダと日産の統合が破談になった。さて、ホンダも日産も、これからの時代、単独で自動車業界のなかで生きのこるのは、厳しいだろうと思うが、日産が潰れても、その技術が日本の自動車メーカの中で残ることができるならいいじゃないか、と思う人はいなかった、ということになるのだろうか。
2025年2月16日記
最近のコメント