カラーでよみがえる映像の世紀「(4)ヒトラーの野望 〜人々はナチスに未来を託した〜」 ― 2025-02-26
2025年2月26日 當山日出夫
カラーでよみがえる映像の世紀 (4)ヒトラーの野望 〜人々はナチスに未来を託した〜
この回であつかっていたのは、ヒトラーのことだった。最初の放送が、1995年であるが、今から30年前としては、基本的にはこういう描き方というか、歴史観だったのだろうと思う。ヒトラーについては、そう大きく評価が変わるということはない。いや、変えてはならないと、多くの人びとが思っていることになるはずである。どんな視点から描くにしても、ヒトラーは悪でなければならない。
この回で描いていたヒトラーは、そう悪人というわけではない。むしろ、卓越した政治家という側面を見ている。第一次世界大戦後の疲弊したドイツを、統合することができたのは、ヒトラーの手腕、という見方もあっていいだろう。(その結果がどうなったかは、別においておくとしても。)
なかで印象的なのは、ヒトラーの演説のシーン。ラジオ演説の前に、会場の人びとが静かになり、自分の声をもとめている、そのときまで辛抱強くヒトラーは、待っていた。時々、演説のメモに手をやり、目で確認しているようだった。
「映像の世紀」シリーズで、ヒトラーは何度も登場している。(言い方は悪いかもしれないが、歴史の大スターである。どんなに英雄史観を否定する人であっても、ヒトラーだけは、その固有名詞を抜きに歴史を語ることはできないだろう。)
ヒトラーの演説のシーンは、何度も見ているのだが、そのたびに思うことは、絶叫するようなヒトラーの演説に、多くの人びとが熱狂する理由が分からない、というのが正直なところである。ワイマール体制でのいろんな問題点とかは理解できるとしても、ヒトラーの演説に興奮して、ハイルと叫ぶにいたる心理状態が、共感できない。
だが、これも、その時代のなかにあっては、ごく自然な人間の気持ちだったのだろうと思うことになる。また、ヒトラーの演説は、そのような人びとの心のあり方、ドイツ国民としての集団の心理、というものを緻密に計算しつくしたものであった、ということになるのだろう。(ヒトラーの演説や、ナチスのプロパガンダについては、多くの研究のあるところである。)
その他、興味深く見たのが、あじあ号の映像。満州国を走っていたあじあ号は、その後の戦後日本に引き継がれ、技術立国の象徴といってもいいかもしれない。
個人的に思っていることとしては、満州事変の後のリットン調査団。これを日本は拒否した。マスコミも国民も拒否した。松岡洋右は、国際連盟を脱退する演説を行った。しかし、視点を変えれば、リットン調査団は、日本の満州における権益を全面的に否定した、ということではなかったはずである。帝国主義の時代である。国際連盟の主な国が、自分で自分の首を絞めて、行動を制約するようなことは、なかったと考える。理解の仕方によるだろうが、満州における利権をめぐっては、妥協の余地があったと見てもいいかもしれない。それを、欧米列強側から見れば、満州の利権を日本が独り占めするのはよくない、自分たちにもよこせ、ということになる。そして、このようなことのなかには、当の満州に住む人びとのことは、まったく考慮されないことにはなるだろうが。
実利的なことなら、言い方を変えれば、金銭で考えることができることなら、妥協の余地がある。しかし、理念的観念的な対立は、妥協できない。(日露戦争以来、この地に流した日本人の血を無駄にするのか、といった考え方では、現実的な妥協を受け入れることができない。)
それから、ヒトラーを映した映像のなかに、カラーフィルムのものがあった。ナレーション(山根基世)が、そう言っていなければ分からないところである。これはこれとして、すでにカラーフィルムが実用化され、記録映像としても残っている、これは重要なことである。このカラーフィルムの部分は、どの程度、現在の技術で手をいれてあったのだろうか。こういうことは、できれば、きちんと説明があった方がいい。
2025年2月24日記
カラーでよみがえる映像の世紀 (4)ヒトラーの野望 〜人々はナチスに未来を託した〜
この回であつかっていたのは、ヒトラーのことだった。最初の放送が、1995年であるが、今から30年前としては、基本的にはこういう描き方というか、歴史観だったのだろうと思う。ヒトラーについては、そう大きく評価が変わるということはない。いや、変えてはならないと、多くの人びとが思っていることになるはずである。どんな視点から描くにしても、ヒトラーは悪でなければならない。
この回で描いていたヒトラーは、そう悪人というわけではない。むしろ、卓越した政治家という側面を見ている。第一次世界大戦後の疲弊したドイツを、統合することができたのは、ヒトラーの手腕、という見方もあっていいだろう。(その結果がどうなったかは、別においておくとしても。)
なかで印象的なのは、ヒトラーの演説のシーン。ラジオ演説の前に、会場の人びとが静かになり、自分の声をもとめている、そのときまで辛抱強くヒトラーは、待っていた。時々、演説のメモに手をやり、目で確認しているようだった。
「映像の世紀」シリーズで、ヒトラーは何度も登場している。(言い方は悪いかもしれないが、歴史の大スターである。どんなに英雄史観を否定する人であっても、ヒトラーだけは、その固有名詞を抜きに歴史を語ることはできないだろう。)
ヒトラーの演説のシーンは、何度も見ているのだが、そのたびに思うことは、絶叫するようなヒトラーの演説に、多くの人びとが熱狂する理由が分からない、というのが正直なところである。ワイマール体制でのいろんな問題点とかは理解できるとしても、ヒトラーの演説に興奮して、ハイルと叫ぶにいたる心理状態が、共感できない。
だが、これも、その時代のなかにあっては、ごく自然な人間の気持ちだったのだろうと思うことになる。また、ヒトラーの演説は、そのような人びとの心のあり方、ドイツ国民としての集団の心理、というものを緻密に計算しつくしたものであった、ということになるのだろう。(ヒトラーの演説や、ナチスのプロパガンダについては、多くの研究のあるところである。)
その他、興味深く見たのが、あじあ号の映像。満州国を走っていたあじあ号は、その後の戦後日本に引き継がれ、技術立国の象徴といってもいいかもしれない。
個人的に思っていることとしては、満州事変の後のリットン調査団。これを日本は拒否した。マスコミも国民も拒否した。松岡洋右は、国際連盟を脱退する演説を行った。しかし、視点を変えれば、リットン調査団は、日本の満州における権益を全面的に否定した、ということではなかったはずである。帝国主義の時代である。国際連盟の主な国が、自分で自分の首を絞めて、行動を制約するようなことは、なかったと考える。理解の仕方によるだろうが、満州における利権をめぐっては、妥協の余地があったと見てもいいかもしれない。それを、欧米列強側から見れば、満州の利権を日本が独り占めするのはよくない、自分たちにもよこせ、ということになる。そして、このようなことのなかには、当の満州に住む人びとのことは、まったく考慮されないことにはなるだろうが。
実利的なことなら、言い方を変えれば、金銭で考えることができることなら、妥協の余地がある。しかし、理念的観念的な対立は、妥協できない。(日露戦争以来、この地に流した日本人の血を無駄にするのか、といった考え方では、現実的な妥協を受け入れることができない。)
それから、ヒトラーを映した映像のなかに、カラーフィルムのものがあった。ナレーション(山根基世)が、そう言っていなければ分からないところである。これはこれとして、すでにカラーフィルムが実用化され、記録映像としても残っている、これは重要なことである。このカラーフィルムの部分は、どの程度、現在の技術で手をいれてあったのだろうか。こういうことは、できれば、きちんと説明があった方がいい。
2025年2月24日記
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