やっとHPをつくった:JADS20周年2009-08-01

2009-08-01 當山日出夫

なんだかんだとあって、今日になってようやく、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の20周年記念フォーラムのHPを作った。とっくに、紙のチラシとかは配付していたのだが、学会の『通信』の刊行にあわせてと思って(私が勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれないが)、ようやく作った。

といっても、単に、チラシのPDFから、文字データを抜き出して、レイアウトしなおしただけなのであるが、それでも、学会のオフィシャルの広報HPであるので、結構、気をつかう。(URLを見てもらうとわかるが、0801版と分かるようにファイル名をつけてある)。

2009年12月4・5日 東京国立博物館
アート・ドキュメンテーション学会20周年記念フォーラム

http://www.jads.org/news/2009/20/20091204-0801.html

いろいろと、行政にかかわる人事もあって、プログラムも当初から見ると変更になっている。特に、高山正也さんの、国立公文書館長の就任が大きい。ということで、長尾真(国会図書館長)と、高山正也(国立公文書館長)の、対談、じゃあなくて、もう一人はいって(佐々木丞平・京都国立博物館長)、鼎談となる。

これは、画期的なことかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

大阪での福沢諭吉展2009-08-02

2009-08-02 當山日出夫

大阪での福沢諭吉展の案内が来ている。まあ、塾員だし、来てあたりまえなのかもしれないが。

福沢諭吉というと、どうしても、東京のイメージが強いが、生まれたのは大阪。そして、適塾で学んだことはあまりにも有名。

ということはさておき、行ってくる時間があるかどうか。一日、空ければどうにかなるが、なかなか難しい。8月の終わりならなんとなかなるか。

この展覧会、東京での時も見ている。東京国立博物館。このとき、親子連れの観客が多かったように記憶する。おとうさん、おかあさんが、自分の出た学校について子供をつれてということかもしれない。

大阪の場合、ちょうど夏休み。うちの子は、上の方は、もう大学生だし(慶應ではない、残念ながら)、連れて行くというわけにもいかない。

さて、次の採点にとりかかろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

採点はつらい2009-08-03

2009-08-03 當山日出夫

一年のいろんな仕事のうちで一番つらいのが試験の採点。気分的につらい。

ただ単にものを知らない、不勉強、かんちがい、というのは理解の範囲。このごろ、この範囲をこえる答案とかレポートが多くなった。

「~~について、どのような証拠があるか記しなさい」、このような設問に対して、「テキストの**ページに書いてあります」。確かに、ページはあっているとしても、これが、「答案」だろうかと、おもわずペンをとりおとしてしまった。

レポートとなると、ビジネスには、きちんとした文書作成能力が必要なんだよ、と教えるところから必要かと思ってしまう。特に、アカデミックなスタイルを要求するということはしないけれどもねえ。

8月になって、このブログを作っているアサヒネットで新しいデザインが出来たので、またまた変更。とりあえず、Firefox(3.5)、IE(8)、GoogleChrome、で確認。少し、文字のレイアウトが違って見えるが、まあいいか。

アサヒネットのブログのデザイン、メイリオを基調とするものが増えた。これも時代の流れか。ただ、個人的には、もうひとまわり字が大きい設定の方がいいのだけれど。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』386号の感想2009-08-03

2009-08-03 當山日出夫

『ARG』386号についてすこし。今回の号は、二つにわかれているが、まず、最初の、

羅針盤「法学教員と図書館員がもっと仲良くなるために」(齊藤正彰)

について。

率直に言って、こういう企画ができるのは、実務的な法学の世界だからこそかな、という気がしないでもない。これが、(とりあえず私の専門ということになるが)日本語学、文字論、のような分野では、たぶん、「無理」。

確かに、論文検索や、先行研究の調査は、必要である。そして、こういうことがらについて、図書館の人と一緒になって、ということも必要だと思う。これは、ある意味でうらやましい。

判例の蓄積、ということは、やはり法律の分野だからできるリサーチであるといってよいのではなかろうか。ここでは、リーガル・マインドと、図書館とが、結びつく要素がある。

これを、人文学研究一般にとなると、かなりハードルが高いように思えてならない。私の感じるところ、理由は、次の二つ。

第一に、従来の「知」の枠組みが、あまりに狭く、強固であること。
第二に、そして、それを超えようとしたときには、逆に、とめどもなく広範囲に拡散してしまうこと。

こう思うのは、法律の場合、ある一定の安定性が確保されている、ということを感じるからでもある。安定性がなければ、法律は機能しない。また、完全にガチガチに固まってしまっても、時代に合わなくなる。時代の流れにそって、新しい解釈がうまれ、また、新しく法律も変わっていく。この流れの速度と、教育とがうまく合致すると、図書館と教育は仲良くなれる。

たまたまであるが、今、私がとりくんでいることのひとつ。新常用漢字表。これについて、図書館で調べようとおもったら、どんな情報が得られるか。せいぜい新聞のいくつかの記事ぐらいだろう。今は、図書館は、カラッポである。

だが、これが、10年後にはどうなっているだろうか、予想できない。

ともあれ、

http://web.mac.com/inlawlr/2009/Welcome.html

http://d.hatena.ne.jp/arg/20090803/1249290099

には、非常に興味がある。こういうのが、人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ)で実現できないものかと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

教師を教師と称する学生2009-08-03

2009-08-03 當山日出夫

このごろ気になる学生のことばづかい。

学生に課題をあたえる。それを、見る。問題点があれば、指摘する。これは、ごくあたり前のことだろうと、まず、私は思う。

「なぜ、このように書いたの?」
「教師にそう指示されたからです」

これを、不自然に思わないのだろうか。その「教師」は、まさにその学生の目の前にいるのである(=私)。私の感覚であれば、

「先生がそのように指示したからです」

と「先生」ということばをつかう。この場合の「先生」は、第二人称としての用法。

ここで私が感じるのは、その学生が、教師・先生という人に対して持っている絶望的な不信感の溝である。基本的な信頼関係の無いところに、教育はなりたたない。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』386号の感想(2)2009-08-04

2009-08-04 當山日出夫

後半の方で、是非読むべきは、岡本真さんの、Yahooでのこと。このことについては、

http://searchblog.yahoo.co.jp/2009/06/yahoo_japan_2.html

に、自ら述べたと記してある。

ここで個人的感想をのべるならば、いわゆるアカデミズムにせよ、公共的機関にせよ、商業利用、ということには、きわめて否定的なものの考え方をする人が多い。

あえていうならば、大学の教員でホームページを作ってコンテンツを公開している。これはいい。だが、このとき、忘れられがちなことが一つある。そのホームページの管理、サーバの運用のコストは、誰が負担しているのですか。それは、税金ではないのですか。

自分の研究で金儲けしようとは思わない。これは、ある意味で理想的な考え方かもしれない。しかし、金儲けせずに済んでいるのは、その分を、税金でまかなっているからではないのか。自分の研究業績のデータを無償で提供するのはすばらしかもしれない。しかし、このとき、無償ということと、社会的にコストがゼロということは同じではない。

大学に行けば、タダ(=税金+授業料)でインターネットがつかえる。そのような大学教員がいる一方で、1分の接続でいくらでお金を払って使っている人もいる(まあ、いまは、一般家庭にも普及し、定額制になっているから、あまり問題にならないことかもしれないが。)

自分は無償の行為としてやっていることでも、実は、この世の中、誰かがどこかでそのコストを負担している。

ARGがこれまで、無償で活動してこれたのは、そのコストを、かげでささえる多くの人々の目に見えない姿があったからだと思う。

いまの自分があるための社会的・歴史的背景、そんなことを思ったりもするのである。私自身についても、そう思うのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

恋文横町ここにありき2009-08-04

2009-08-04 當山日出夫

単なる雑談。

恋文横町、という名前を知っている人はもう少ないかもしれない。私の学生の時、すでになかった。あったのは、「恋文横町ここにありき」の看板だけ。

ところで、この「恋文横町」の由来を、「政治的手に正しいことばだけで表現するには」と苦労する。「恋文横町」、名前はロマンチックであるが、その背後にあるのは、悲惨な歴史である。世の中、知っておかなければならないことがある。

當山日出夫(とうやまひでお)

文字研究会とホームページ2009-08-04

2009-08-04 當山日出夫

文字研究会のホームページをつくらないといけない。いまのところ、その規約の素案は考えている。だが、まだ、正式にホームページをオープンにしたわけではない。

明窓浄机
文字研究会の案らしきもの
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/20090717/1247835161

ただ、このようなものを作ろうとしたとき、(先のメッセージとも関連するが)大学関係の人脈があると助かる。文字関係の研究のホームページとなると、かなり大量の画像をあつかう。場合によると、100メガぐらいはかるく越えてしまう可能性がある。

どこにどう作るかはこれからの、みんなで、関係者で相談してのこと。

あるいは、単純にわりきって、リンク集のリンク集、のような方向でいいのかもしれない。今は、各自の研究者が、自分でホームページやブログを簡単につくれる。個人のレベルであれば、そう大量のデータにはならない(だろう)。

この夏の間、せめて、京都国立博物館のシルクロードの文字の展覧会ぐらいは見にいきたいのだが、まだ、採点が終わらない。

當山日出夫(とうやまひでお)

アーキテクチャがこれからのキーワードになるか2009-08-05

2009-08-05 當山日出夫

橋本大也さんのブログ、情報考学 Passion For The Future、で取り上げられている。

濱野智史.『アーキテクチャの生態系』.NTT出版.2008

http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1040.html

情報考学では指摘はないが、この続きがある。このブログでも指摘したが、

『思想地図 vol.2 特集:ジェネレーション』.東浩紀・北田暁大(編).日本放送出版協会.2008

に所収の

濱野智史.「ニコニコ動画の生成力-メタデータが可能にする新たな創造性」

である。そして、これを、さらに受けてのことと思うが、『思想地図』のvol.3は、「アーキテクチャ」の特集になっている。

また、これ以前にさかのぼれば、当然ながら、ローレンス・レッシングを考えることになる。

アーキテクチャという用語・概念、これが、これからのネット社会を読み解くキーワードになっていくかどうか。この語をふくむ新書本で出れば、と思う。(そろそろ、来年度の授業のテキストを考えないといけないように思うので。)

當山日出夫(とうやまひでお)

カメラと電池のこと2009-08-05

2009-08-05 當山日出夫

こんなこと書いている暇があったら、すべきことがあるだろうに、と思いながら。

私は、デジタル一眼レフは、オリンパス。(ただし、フィルムカメラであれば、ふるいNikonF2をまだ持っている。作動する。)

その他、コンパクトカメラもあるが、買うときの基準の一つは、乾電池でうごくこと。これが、意外と、探すと無いのである。バッテリーのきれた、デジタルカメラは、ゴミより始末に悪い。いや、このようなデジタル器機は、有害ゴミでしかない。

充電した予備のバッテリーを常に持ち歩く必要がある。

今の時代、単三(あるいは単四)のニッケル水素電池が、簡単につかえる。他の機種にもつかいまわしができる。そして、万が一のときでも、コンビニでもあれば、乾電池ぐらいはどうにかなる。

さて、ここで迷うのが、新しいリコーのGR3。描写力には定評のあるカメラである。仕様を見ると、このカメラ、単四電池で作動する。

でも、買っても、本格的に使っている時間もなさそうだし。それよりも、オリンパスE-3、最近、つかっていない。どのボタンが、どの意味か、忘れてしまう。まったく最近のデジタルカメラは困ったものなのである。

當山日出夫(とうやまひでお)