情報処理学会PDF化について2009-08-13

2009-08-13 當山日出夫

情報処理学会の研究報告などすべてペーパーレスになった。この件について、いろいろ考えることなど書き出すときりがないが、とりあえずひとつ。

抜き刷り(別刷り)が、無くなったこと。

紙の論文集のときには、自分の論文だけを特別に、抜き出して印刷して製本した「抜き刷り」(私は、このようにならいおぼえているのだが、情報処理学会の用語では、「別刷り」)が、なくなってしまった。

このことは、人に、自分の論文を贈与できなくなったことを意味する。

通常、研究者どうしであれば、論文を書いて、その抜き刷りを知り合いに送る、ということは儀礼的であるかもしれないが、お互いのコミュニケーションとして必要。論集や紀要で見るよりも、抜き刷りをもらってその論文を知る、ということが多いだろう。

これができなくなる。いや、無理をすれば、自分でPDFをプリントアウトしてそれを綴じて、ということになる。まあ、ここまでは、かりに許容するとしよう。

しかし、問題はPDFのフォーマットである。とてもではないが、プリントアウトして、ホッチキスで綴じて、ほかのひとにあげる、ということのできるものではない。学会指定のテンプレートにしたがって書くかぎりは、ほとんど不可能に近い。

つづきはのちほど。

當山日出夫(とうやまひでお)

品格2009-08-13

2009-08-13 當山日出夫

まあ、小言幸兵衛と思って。

最近、気になること。何でも「品格」と書名につければいいってもんじゃない。

最近では、

別宮貞徳.『裏返し文章講座-翻訳から考える日本語の品格-』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2009(この本は、ちくま学芸文庫のための書き下ろし)

この本の内容には、いまはふれないでおく(まだ、読んでいないので)。

ところで、「品格」ということばが、はやりだしたのは、私の知見の範囲では、『国家の品格』(藤原正彦)からだと認識する。ただ、既に、言われていることであるが、この本の背景には、その母親である、藤原てい『流れる星は生きている』がある。このことは、忘れてはならない。

そういえば、そうこうしているうちに、8月9日が、過ぎてしまった。日本は、この日を忘れてしまったかたのごとくである。いや、忘れることにした、ということか。内田樹ふうに言えば(『知に働けば蔵が建つ』文春文庫)。

當山日出夫(とうやまひでお)