『自殺で家族を亡くして』2009-09-10

2009-09-10 當山日出夫

図書館には、それぞれに分類の規準・ルールがある。これは、尊重しなければならない。だが、状況に応じて、既存の分類の枠を越えて、「知る」ことがもとめられる場合もある。

こころのカフェきょうと、については、すでに紹介した。この組織は、主な活動を自死遺族のメンタルサポートにおいている。
http://www.geocities.jp/kokorono_cafe/top.html

たとえば、次の本。
全国自死遺族総合支援センター(編著).『自殺で家族を亡くして-私たち遺族の物語-』.三省堂.2008
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/jisatusde_nakusite.html

この本が、図書館にはいったとき、どこに置かれるだろうか。そして、そのとなりには、どんな本があるだろうか。

今の日本の自殺者について書いた本があるだろうか(ちなみに、3万人というのは、かなり虚偽をまじえた数字。実際は、もっと多い。このことはまた別に)。アルコール依存症、精神的な病気(鬱病など)、その背後にある現在の日本の諸問題(失業、過重労働、多重債務、など)。さらには、精神的な病気をもったひとへの社会的な支援の問題。社会福祉全般の問題。障碍者権利条約(日本はまだ批准していない)のこと。過重な介護から殺人にいたるケース(これは、最近、裁判員制度のことで話題になった)。医学、法律、社会福祉、教育、様々な分野にわたるに違いない。

これらのことがらは、みんなどこかでつながっている。そして、そのつながり全体のなかでしか、問題解決の道は見いだせない。

では、そのことを知ろうとしたとき、既存の図書館の分類は、「知る」ことを分断してはいないだろうか。図書館が、現代社会の諸問題について、まず「知る」ことから、また、ひとはそれらのことを「知る」権利がある、と考えるならば、状況に応じて柔軟な対応があっていいだろう。

関連する本をあつめたコーナーをつくる。そなえつけのコンピュータで検索すれば、関連する本が同時に出てくる(Amazonのように)。この意味では、図書館の貸し出し履歴というのは、貴重な「社会の資源」だと思う。同じような悩みをかかえている人は大勢いるにちがいない。そのようなひとに対して、「知る」ことをサポートする、これは図書館の仕事であると、私は思う。

おまけ
自殺者の遺族は、自殺という表現を忌避します。自死、という用語をつかいます。たとえば、このようなことでも、まず知らなければ、さきにすすみません。図書館にも、このような用語の配慮をお願いしたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

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