『野分』夏目漱石2019-10-28

2019-10-28 當山日出夫(とうやまひでお)

二百十日・野分

夏目漱石.『二百十日・野分』(新潮文庫).新潮社.1976(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/101016/

続きである。
やまもも書斎記 2019年10月25日
『二百十日』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/25/9168738

『二百十日』につづけて読んだ。これも若いときに読んだように憶えているのだが、近年は手にとることのなくなってしまった作品である。

この作品を読んで思うことは、次の二点。

第一に、この作品で漱石が書きたかったのは、当時の知識人……まあ、大学を出たような人びとといってもいいかもしれない……の生き方であろうか。「大学は出たけれど」ということばが登場してきたのは、もっと時代がたってから(昭和の不況の時代)であるが、明治の四〇年のころにおいても、「大学は出たけれど」とでもいうべき状況があったようである。経済的な不況というのではないが、なまじ学校で勉強したばかりに、その後の人生に煩悶をいだくようになってしまう知識人の生態を見ることができる。あるいは閉塞した時代とでもいうことができようか。

第二に、これは読んでいた感じたことであるが……この作品のおわりの方にある、演説の部分、これはあるいはかなり漱石の本音が出たところなのかもしれない。鬱屈した教師生活、経済的にもそう恵まれているということもないような(それでも、当時の社会全体からすれば、決して下層に属するというわけではないが)、そのような生活のなかで感じていることの思いを、演説に託して語っているように読める。

以上の二点が、この作品を読んでみて(再読になるだろうが、以前に読んだときのことは忘れてしまっている)、感じることなどである。この作品、漱石の作品のなかでは、あまり取り上げて論じられることの少ない作品であるかと思う。しかし、これを書いたころの漱石がどのような思いを抱いていたか、読み取れる作品として貴重かもしれない。

次は、『虞美人草』である。(これも読むのは、久しぶりになる)。

追記 2019-11-01
この続きは、
やまもも書斎記 2019年11月1日
『虞美人草』夏目漱石
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/01/9171497