『虹いくたび』川端康成/新潮文庫2022-03-11

2022年3月11日 當山日出夫(とうやまひで)

虹いくたび

川端康成.『虹いくたび』(新潮文庫).新潮社.1963
https://www.shinchosha.co.jp/book/100117/

読んだのは2016年の本だが、これまで読んだ新潮文庫の川端康成と同様に、あきらかに改版したものである。だが、その改版の年が奥付には記していない。改版の年が明記していないのは、新潮文庫ではめずらしいかもしれない。

なんとも退廃的であり、エロティシズムに満ちた小説家と思うが、しかし、全体として品位の良さがある。川端康成ならではの小説である。

建築家の水原。その三人の娘。それぞれに母親である女性が異なっている。複雑な家庭環境。そのなかで生きていくことになる、長女の百子、次女の麻子。それから、京都の芸妓の娘の若子。主に、麻子と、百子を軸にこの小説は展開する。

複雑な家庭、人間関係なのだが、この小説の登場人物は、それを受け入れている。特に自分の境遇に不満などを抱くことはないようだ。このあたり、戦後まもなくに書かれた小説であると同時に、時代を超えて、現代の複雑化した家庭環境の社会においても、読まれることになる要因の一つかとも思う。

いや、それよりも、この小説の魅力は、全編にみなぎる美意識にあるのかもしれない。舞台として出てくるのは、箱根の他、京都の名所の数々……大徳寺、祇園、桂離宮、東山、嵐山、など。あるいは、川端康成は、京都を舞台にして背徳的な美意識に満ちた小説を書きたかったのかもしれない。この小説に描かれる京都の風物は、『古都』のそれよりも、魅力的にうつる。

この小説もまた、生と死、そして、性を描いている。それもきわめて美しく清潔感のあるものとしてである。だからこそというべきか、百子の少年への愛情の場面などは、読んでいて清らかな印象がある。

何よりも印象的なのは、女性の乳房を型にとって盃をつくるシーン。おそらく、近代の日本文学のなかで、特筆すべきエロティシズムにみちた場面といってよいのではないか。この小説は、ただ京都を舞台にした、美意識に満ちた作品にとどまっていない。人間の性の意識を美的にみつめた深みがある。

2022年2月12日記

『愛する人達』川端康成/新潮文庫2022-03-12

2022年3月12日 當山日出夫(とうやまひでお)

愛する人達

川端康成.『愛する人達』(新潮文庫).新潮社.1951(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100104/

川端康成の作品を、新潮文庫で読んでいっている。これは、短篇集である。一九五一(昭和二六)年に文庫本で出ているから、かなり以前の作品集ということになる。解説を書いているのは高見順である。

収録するのは、次の作品。

母の初恋
女の夢
黒子の手紙
夜のさいころ
燕の童女
夫唱婦和
子供一人
ゆくひと
年の暮

読んで感じるところは、川場康成はたくみな短編作家であるということである。どの作品もいい。戦後の川場康成の作品として、女の哀愁とでもいうようなものを感じさせる。

なかで気に入ったのは、「夜のさいころ」。旅芸人の物語である。読むと、「伊豆の踊子」とか「温泉宿」とかを書いた作家の目を感じるところがある。さいころの音が、たくみに描写されている。

この本を読むと、川場康成は、やはり巧みな短編小説作家なのであるということについて、認識を新たにする。

2022年3月6日記

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第19週」2022-03-13

2022年3月13日 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第19週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_19.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年3月6日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第18週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/06/9469758

この週は、失恋を描いた週だった。

第一に、ひなた。

五十嵐は、大部屋から抜け出せないでいる。その鬱憤を、酒を飲んだときにぶちまけてしまう。結果、事件となって、ドラマの撮影からはずされることになる。五十嵐は、俳優として挫折する。

その五十嵐に対して、ひなたは、一緒にいたいと願うのであるが、しかし、その思いが、逆に五十嵐を追い詰めることになっていた。五十嵐は、ひなたのもとを去って行く。

ひなたと別れることになった五十嵐に、ジョーはやさしい。自分の道を歩んでいけばよいと送り出す。

五十嵐と別れることになったひなたは、どうにか踏ん切りがついたようだ。五十嵐への思いを断ち切って、前に進もうとする。

第二に、桃太郎。

小さいころから、小夜子に思いを寄せていたようだが、その気持ちは砕けてしまう。小夜子は、吉之丞と結婚することになる。これには、ひなたも一恵もあっけにとられた。

『サラダ記念日』は、刊行になった時のことは記憶にある。その後、文庫本で買って全部に目を通した。(ただ、「サラダ記念日」も、もはや過去のことかもしれない。数年前、たまたまその日が受業日だったので、受業の始めに「今日はサラダ記念日ですね」と言ってみたが、学生はまったく無反応だった。日本文学科の学生なのだが。)

そして、桃太郎とひなたが喧嘩になったとき、ジョーがトランペットもって現れる。ジョーは、トランペットを再び吹くことができるだろうか。

以上、ひなたと桃太郎の失恋を描いていた。それと、もうひとつは、ひなたの英語学習。るいは、長年にわたりラジオの英語会話を聞き続けていた。店に外国人の客がきても、英語で対応できる。

ひなたは英語教室に通うのだが、どうやらあまり成果はなかったようである。

さて、次週、安子のことが再び出てくるようだ。ドラマに岡山も登場するらしい。このドラマも、残りが少しになってきた。無事に、ひなたは英語を身につけることができるだろうか。そして、安子はその後どうなっているのであろうか。楽しみに見ることにしよう。

2022年3月12日記

追記 2022年3月20日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年3月20日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第20週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/20/9474059

『舞姫』川端康成/新潮文庫2022-03-14

2022年3月14日 當山日出夫(とうやまひでお)

舞姫

川端康成.『舞姫』(新潮文庫).新潮社.1954(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100107/

川端康成を読んでいっている。『舞姫』を読むのは、初めてになるかと思う。若い時に手にしたかもしれないのだが、すっかり忘れてしまっている。

読んでみての印象は、はっきり言ってよくわからないというのが正直なところ。特に文章が難解であるわけでもないし、筋立てが分かりにくいということでもない。全体のストーリーは、比較的シンプルなのであるが、今一つ、この作品の世界に入っていけないと感じてしまった。

その一つの理由としては、やはり川端康成が描く家庭というものにあるのかもしれない。円満な、どこにでもあるような普通の家庭というものではない。

だが、これも、二一世紀の今日になって見るならば、ごく普通の家庭というのが、おおきく価値観が変わってきていることはある。漫画のような……たとえば、「サザエさん」のような家庭というものは、今では、ドラマや小説においては、過去のものであると言っていいのだろう。(だからこそ今でも「サザエさん」は人気が続いているともいえるのだろうが。)

そう思ってみるならば、川端康成の描いた夫婦とか家庭というものは、今の世の中にあっても古びることはないのかとも思えてくる。この意味において、川端康成は、現代においても新鮮に読みうる小説ということになろうか。

ところで、この小説の舞台になっているのは、戦後まもなくの日本である。まだ、進駐軍がいた時代のことになる。これはこれで非常に面白い。今では過去のことになってしまったこと……戦後の占領下の日本で、人びとがどのように暮らしていたのか、今では分からなくなってしまっていることが多くある。この小説を読んでいて、なるほど過去のある時代の日本とはこんなものであったのかと、認識を新たにするところが、いくつかあった。

川端康成が描いた夫婦とか家庭などは、独特の美意識に沿っている。それが、今の時代にまで読み継がれている所以なのかと思った次第である。

2022年3月13日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「根拠なき自信」2022-03-15

2022年3月15日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第10回「根拠なき自信」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/10.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年3月8日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「決戦前夜」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/08/9470372

この回で印象に残っていることとしては、次の二点ぐらいがあるだろうか。

第一に、義時の周囲の女性たち。

このドラマにおいて、女性が重要な位置をしめている。源平の合戦、鎌倉幕府ということに直接はかかわらないのだろうが、しかし、義時や頼朝の周囲の女性たちが、面白い。まあ、これはドラマだからそのように描いているということもあるのだろう。政子や八重などをはじめとして、どの女性も個性豊かで見ていて楽しい。ドラマとしても、どこかコミカルである。

たぶん、歴史ドラマとしては、これから政子が鎌倉幕府の中枢に位置するところまで描くことになるのだろう。どのような政子のこれからを描くことになるのか、楽しみでもある。

第二に、義経。

源平の合戦においては、軍事の天才であり、そして、最終的には頼朝との不仲による非業の死ということになっている。この回でも、軍事の才能を見せると同時に、いずれ頼朝との仲もうまくいかなくなるのだろうと予見させるところがあった。

その頼朝であるが、板東の武士たちからの忠誠心があるというのでもない。また、源氏の血をひく兄弟たちと一致団結しているという感じもしない。ただ、源氏の棟梁として、平家打倒をこころみる。その胸のうちは、孤独なのかと感じさせるところがある。

以上の二点が、この回を見て印象に残っていることなどである。

このドラマも、ようやく源平の合戦というあたりにきている。これから、鎌倉幕府、そして、最後には承久の乱ということになるのだろうと思う。これにいたる、「源氏と北条の人びと」……その中には、武士だけではなく、女性をふくむ……の群像劇として、このドラマは展開していくのかと思って見ている。

それから、ちょっと気になったこととしては、鎌倉に「御所」をつくると言っていた。歴史考証をふまえてのことなのだろうと思うが、どうやら頼朝は、鎌倉に独自の政権を樹立するという方向で展開することになるようだ。これは、権門のシステムを、逸脱しているようにも思える。このあたり、どのような鎌倉幕府政権を描くことになるのか、これからを楽しみに見ることにしよう。

2022年3月14日記

追記 2022年3月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年3月22日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「許されざる嘘」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/22/9474590

梅のつぼみ2022-03-16

2022年3月16日 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は写真の日。今日は梅のつぼみである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年3月9日
桜の冬芽
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/09/9470771

我が家の梅の木である。陽当たりの良い、木の枝の上の方で咲いている花が見える。これは望遠レンズでなんとか撮れるかどうかというところである。目の高さ、接写できるところのものは、まだつぼみである。このあたりはここ数日のうちには花が咲くかと思う。

木瓜の花もそろそろ咲きそうになっている。山茱萸の黄色い花ももうじきだろう。三月も中旬になって、春の花の季節になろうとしている。

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2022年3月14日記

追記 2022年3月23日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年3月23日
梅の花
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/23/9474902

『浅草紅団 浅草祭』川端康成/講談社文芸文庫2022-03-17

2022年3月17日 當山日出夫(とうやまひでお)

浅草紅団

川端康成.『浅草紅団 浅草祭』(講談社文芸文庫).講談社.1996
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000167800

川場康成を新潮文庫版で読んでいっている。記憶では、確か「浅草紅団」も昔新潮文庫で読めたかと思うのだが、今はない。講談社文芸文庫に入っている。といって人気の無い作品ではないようだ。出たのは、一九九六年であるが、買った本は、二〇二一年の第一七刷である。

川端康成自身は、「浅草紅団」をあまり気に入ってはいなかったらしい。だが、今の目で読んでみて面白い。その面白さは、次の二点にあるだろうか。

第一には、風俗史的な興味。

昭和初期の浅草の風俗が描かれる。特に大きなストーリーがあるというのではなく、幾人かの登場人物の群像劇的なつくりになっている。浅草の人びと、それもどちらかというと下層といっていいのだろう、社会の一般の秩序から下の方にはみ出したような、いわば不良少年、少女たちの生態が生き生きと描かれる。まず、このような人びとの生活がどんなであったか、昭和の始めのころの浅草がいかなる地域であったのか、その興味で読むことになる。

昭和初期の浅草といえば、東京の中心的存在といっていいだろう。関東大震災で壊滅的な打撃をうけた街であるが、それが「復興」する。関東大震災の前から、また、その「復興」の後まで、浅草の街に生きた、人びとが活写されている。

ただ、これもどちらかというならばであるが……東京の下層生活ルポというべき作品の系譜に位置づけられるものかもしれないとも思ってみる。例えば、『最暗黒の東京』などである。

第二には、新感覚派の小説として。

川端康成の作品としては、初期のものになる。文学史的にいえば、いわゆる新感覚派として登場したころの作品といっていいのだろう。そう思って読むせいもあろうが、文章が独特の感覚に研ぎ澄まされている。こういう切り口で、描写するのか……と、ふと驚いて読むようなところが随所にある。川端康成ならではの文章であると強く感じるところがある。

以上の二点が、この本を読んで思うところなどである。

この作品、タイトルだけは若い時から知っていた。が、まとまって読むのは、今回が初めてということになるはずである。なるほど川端康成とはこういう小説を書いた作家なのかと思い、また、昭和初期の東京の浅草の風俗に興味を持ったというのが、読んで思うところである。

ところで、この「浅草紅団」では、「一九三〇年」といういい方がしてある。昭和五年のことである。この当時、西暦で年を表すことは、かなりのハイカラ趣味であったような気もするのだが、はたしてどうだろうか。

2022年3月16日記

『昭和の名短篇』荒川洋治(編)/中公文庫2022-03-18

2022年3月18日 當山日出夫(とうやまひでお)

昭和の名短篇

荒川洋次(編).『昭和の名短篇』(中公文庫).中央公論新社.2021
https://www.chuko.co.jp/bunko/2021/11/207133.html

収録するのは、次の作品。

灰色の月 志賀直哉
草のいのち 高見順
萩のもんかきや 中野重治
橋づくし 三島由紀夫
軍用露語教程 小林勝
水 佐多稲子
おくま賛歌 深沢七郎
一条の光 耕治人
明治四十二年夏 阿部昭
神馬 竹西寛子
ポロポロ 田中小実昌
泥海 野間宏
葛飾 吉行淳之介
百 色川武大

出た時に買ってあったが、しばらく積んであった本である。谷崎潤一郎、川端康成と、清朝文庫本を中心に読んできて、積んであった本を読んでおきたくなって、手にした。

昭和の戦後に発表された短篇を、年代順に編集してある。馴染みのある作家もいれば、ほとんど知らなかった作家もいる。あるいは、他の本ですでに読んだことのある作品も収録されていたりもする。

順番に読んでいって……なるほど、このアンソロジーは、時代を映しているなと感じるところがある。戦後まもなくの時代から、昭和という時代のおわりごろまでを背景にした作品がならんでいる。

また、この本を読んで感じるのは、短編小説の妙である。文学を読む楽しみは様々にあることはたしかであるが、この本に収められたような短編小説には、独特の面白さがあることがわかる。さて、今の日本の文学で、このような短編小説はどうなっているのだろうか。近年の文壇界隈の事情に疎い私としては知らないでいる。これは昭和の短篇集であるが、平成から令和にかけての短篇集も、編集できるものなら読んでみたいという気がする。短編小説というのは、近代の日本文学のなかで、一つのスタイルとして確立してきたということは言えるであろう。

おそらく、今ではこの本でしか読むことのできない作品もいくつかあるようだ。たくみに編集された文庫本の短篇集であると言っていいだろう。

2022年3月6日記

『天使が見たもの』阿部昭/中公文庫2022-03-19

2022年3月19日 當山日出夫(とうやまひでお)

天使が見たもの

阿部昭.『天使が見たもの-少年小景集-』(中公文庫).中央公論新社.2019
https://www.chuko.co.jp/bunko/2019/04/206721.html

収録してあるのは、次の作品。

子供部屋
幼年時代
 Ⅰ馬糞ひろい
 Ⅱ父の考え
 Ⅲあこがれ
子供の墓
自転車
言葉
天使が見たもの
海の子
家族の一員
三月の風
みぞれふる空
水にうつる雲
あの夏あの海

阿部昭という小説家を、それと意識して読むことはありまりなかった。これは、中公文庫のオリジナル編集の短篇集。これによると、多くの作品が学校の教科書に採用されているとのことである。が、残念ながら、私の経験では、阿部昭の作品を、学校の教科書で読むことはなかった。(あるいは、採録されていたのかもしれないが、受業で読むということはなかったように記憶する。)

この文庫本は、タイトルのとおり、少年の登場する作品をあつめてある。ほぼ時代順に編集してあるようだ。読んでいくと、戦後まもなくの時代のころから、その後の日本へと続く歴史をたどるような気もしてくる。

さまざまな歴史的背景を感じる作品であるが、基本的に子ども、それも少年が登場する。といって、子どもの作品集という感じでもない。少年とその家族、特に親の視点が、複雑に交錯するところがある。

読んで特に印象にのこるのは、この作品集のタイトルにもなっている、「天使が見たもの」であろうか。母子家庭の少年と母親の話。読み始めて、おもわずにそのストーリーのなかに入って読みふけっていることに気づく。破局的な結末をむかえる作品なのであるが、後味は悪くない。これは、登場人物を見る作者の目のあたたかさ、というのだろうか。ただ、事実を叙述するのではなく、距離をおきながらも、その心のうちによりそっていく、作者の視点を感じる。

戦後の日本における、家族というものを考えるところがいくつかある。小説に描かれている家族は、どれも円満な家庭ばかりということではない。どこかひずみがあるような、しかし、それは時代を映してもいると感じるところがある。

この文庫本を読み終わって、戦後日本……昭和の戦後……という一つの時代の流れを、強く感じる。これは、すぐれた短篇集になっていると感じる。

2022年3月6日記

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第20週」2022-03-20

2022年3月20日 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第20週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_20.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年3月13日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第19週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/13/9472035

いろんなことがぎっしりと詰まった印象的な週であった。なかで印象に残ることを二つばかり書いておきたい。

第一に、ジョー。

家族の前に、トランペットを手に現れたジョーであったが、やはりトランペットを吹くことはできなかった。ひなたと桃に、自分の過去について語る。その時に言っていた……それでも人生は続いていく。何気ない台詞であるが、このドラマをこれまで見てきて、強く印象に残ることばであった。

第二に、稔。

故郷の岡山に帰って神社の境内で、るいは稔と出会う。おそらくは幻覚ということなのであろうが、しかし、話しの流れとしては自然であった。どこの国に行くことができ、どこの国の音楽でも自由に聞くことができる。この当たり前すぎる自由ということの価値は、二一世紀になった今日ほど重要に思えるときもまたないのかもしれない。

以上の二点が強く印象に残っていることである。

その他、算太のこと。岡山の勇のこと、雪衣のこと、また、平川唯一のことなど、これまでのこのドラマを見てきたことからすると、どのエピソードも、実に印象深い。このドラマの本筋とはあまり関係ないことかもしれないが、英語の玉音放送というのを始めて聞いたように思う。(おそらく、玉音放送のとき、いったい何がどのように放送され、あるいは、報道されていたのか、このあたりは、きちんとした歴史学からの歴史考証が必要なのかと思う。)

次週、るいはアメリカに行くことになるのだろうか。また、ひなたも英語の勉強をまた始めるようだ。どうなるか、楽しみに見ることにしよう。

2022年3月19日記

追記 2022年3月27日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年3月27日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第20週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/20/9474059