木瓜の冬芽2023-02-22

2023年2月22日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日は木瓜の冬芽である。

かなりの老木だと思うのだが、毎年、春になってあたたかくなるころ、赤い花を咲かせる。その冬芽の様子である。まだ二月で寒い時期であると思うのだが、そろそろ花を咲かせようとするのを感じる。写真を撮っているとき、日差しはあったのだが、風は冷たかった。

梅の木を見ていると、だんだんふくらんできているのが分かる。桜の木を見ても、徐々に色が変わってきている。そろそろ春が近づいてきている。

木瓜の冬芽

木瓜の冬芽

木瓜の冬芽

木瓜の冬芽

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年2月21日記

『完本 チャンバラ時代劇講座 1』橋本治/河出文庫2023-02-23

2023年2月23日 當山日出夫

完本チャンバラ時代劇講座1

橋本治.『完本 チャンバラ時代劇講座 1』(河出文庫).河出書房新社.2023(徳間書店.1986)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309419404/

橋本治という人については、若くからその名前は知っていて、折に触れて書いたものを読むことはあったが、そう熱心な読者ということでなくきしてしまった、ということになる。

その橋本治も亡くなってしばらくたつ。その死をうけて、復刊になった書物がいくつかあるが、これもそのうちの一つということになる。(はっきり言って、この本の存在は知らなかった。)

もとの本は、一九八六年に徳間書房。それを、二分冊にして、河出文庫で出したもの。第一冊目を読んだところで、思うことを言うならば、これは名著である。おそらく、日本の近代の大衆文化、通俗文化というものについては、傑出した評論であると言っていい。

一冊目には、

第一講 チャンバラ映画とはなにか
第二講 これが通俗だ!
第三講 格調の高さの研究

一と二は、この本のタイトルどおりの、日本近代におけるチャンバラ映画の歴史と解説、論評である。これが面白い。扱っているのが、主に東映時代劇映画であるということもあるせいか、残念ながら、ここで扱われている映画を、私はほとんど見ていない。そして、一九八六年の本ではあるが、テレビのことはほとんど出てこない。はっきり言って、知識として知っている映画の話しになるのだが、読んで、大衆のための時代劇とは、近代においてなんであったかの考察は、なるほどと思うところがある。近代においても、映画の技術的発達とともに、社会の変化、大衆の好み、等々によって、チャンバラ時代劇も変化していく。時代とともに、チャンバラ時代劇も変わっていくことになる。

三は、忠臣蔵論になっている。まず、事件があり、仮名手本忠臣蔵が江戸時代に書かれ、それが、近代になって明治以降、人びとに、史実としての忠臣蔵がどのように受容されてきたのか、説かれる。忠臣蔵については、一通りは知っているつもりではいるのだが、読んでとても興味深い指摘が多くある。歴史とフィクションとしての物語、これをふまえて、近代になって、忠臣蔵に何をもとめていったのか。その一つとして、大佛次郎の作品などが取り上げられている。また、NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」は、なぜ、そのドラマを一年間かけて放映する必要があったのか、その文化史的背景とはなんであったのか、解説が試みられる。

時代劇映画論という枠組みを基本として書かれてはいるが、近代日本の大衆娯楽、映画、演劇、小説といったジャンルを総合して、通俗とはなんであるか、その価値観を逆転的に述べている評論と言っていいだろう。ここであえて触れられることがないのが、文学であり、歴史であり、芸術であるとも言える。だが、そうであるが故に、すぐれた、文学論であり、歴史論であり、芸術論としても読むことができる。

ただ気づいたこととしては、江戸時代における身分というのを階層的な上下の秩序としてとらえているあたりは、今の歴史からは、批判的に読むところになるかもしれないとは思う。また大衆というものを、一括して平板に考えすぎているかとも思う。大衆と呼ばれる人びとの中における多様性、地域性、階層性というものも重要だろう。(時代による嗜好の違いというようなことへの言及はあるのだが。)

つづけて二冊目を読むことにしようと思う。

2023年1月14日記

『完本 チャンバラ時代劇講座 2』橋本治/河出文庫2023-02-24

2023年2月24日 當山日出夫

完本チャンバラ時代劇講座2

橋本治.『完本 チャンバラ時代劇講座 2』(河出文庫).河出書房新社.2023(徳間書店.1986)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309419411/

文庫本で二分冊になった二冊目である。一冊目に続けて読んだ。

なぜ、この本がもっと早くに文庫本などで出なかったのだろうか。ひょっとすると著者が、一九八六年に書いたこの本は、もう古いと思っていたのかもしれない。しかし、今の時点で読んでみると、その内容は基本的に古びていない。

無論、かつてのような映画の時代は無くなっている。いや、この本は、かつての映画の全盛期を過ぎた時代になってから、過去を回顧して書いたという趣もある。古い内容をあつかってあるということは、別にマイナスではない。一方、その後の大衆的な娯楽の世界は大きく変わった。何よりもテレビの時代になった。そのテレビも、もはや廃れつつあると言っていいかもしれない。ネット動画配信などが、今の若い人にとっては娯楽の主流と言える時代になっている。

だからこそというべきか、大衆娯楽史、通俗娯楽論、とでもいうべき独自の視点の置き方は、今の時代になってしまっているからこそ、貴重であるかもしれない。

いったい日本の多くの人びと……大衆と言っていいだろう……は、娯楽として何を見てきたのか、また、何を読んできたのか、この重要なところが、近年では分からなくなってしまっている。(あるいは、この方面の研究があるのかもしれないが、一般に知られることはあまり無いようである。)

二冊目になって、『大菩薩峠』(中里介山)について、分析がある。この小説、若い時、その当時刊行になっていた文庫本で読みかけたことがある。しかし、これも、途中で中断してしまった。まあ、もとの小説自体が未完で終わった作品であるから、途中で終わってもいいかもしれないと思い、そのままである。今、『大菩薩峠』を読もうと思えば、比較的安くで手に入るようだ。だが、今から、『大菩薩峠』を読みなおしてみようという気にはなかなかなれないでいる。

チャンバラ映画について論じているのが、この本のメインなのであるが、これを敷衍して、テレビドラマや、時代小説について考えることもできるだろう。ただ、この本で論じられているチャンバラ映画は、かつて存在した過去のものとしてである。テレビドラマについても、NHKの『赤穂浪士』までを論じるにとどまっている。

言うまでもなく著者(橋本治)は亡くなってしまっている。できれば、この本の続きとして、現代大衆娯楽論、通俗文化論を読みたいと思っているのは、私だけではないはずである。ここは、橋本治の他の書いたものなど探して読んでみようかと思っている。

ただ、この本の中には、貸本屋、それから、漫画のことが出てこない。戦前から戦後にかけての、通俗娯楽文化論というのは、まだまだ未開拓な分野として残されているように思える。

2023年1月21日記

100カメ「アニメ 進撃の巨人」2023-02-25

2023年2月25日 當山日出夫

100カメ「アニメ 進撃の巨人」

私は、漫画は基本的に読まないことにしているし、アニメも見ない。だから、『進撃の巨人』については、何の知識もない。せいぜい名前を知っているぐらいである。

この「100カメ」は、NHKで『進撃の巨人』のアニメを放送するのに合わせてということのようだ。

アニメの制作の現場についても、まったく知識がない。せいぜい、少し前の朝ドラで『なつぞら』をやっていたのを見たのと、東京で高畑勲展(東京国立近代美術館)を見に行ったことがあるぐらいである。

だから、もうすこしアニメはどのような手順で作るのか、解説したところがあった方がよかったと感じる。仕事の各部分についてのことは、かなり厳しく描き出されていたのだが、それがアニメを作る全体の作業のなかでどういう位置にある仕事なのか、今一つよく分からないところがあった。

だが、絵コンテを描くところから、正式には何というのか知らないが上の方にいくつか穴の空いた紙に絵を描いていくあたりの手順は、昔のアニメの制作を踏襲しているらしいということは分かる。そうはいっても、今の時代である。コンピュータを使えるところは使って、デジタル処理出来るところは、デジタルでという流れはある。また、そのデジタル化の流れのなかにあっても、手作業でCGに手を加えるという作業は、どうしても残るようである。

全体の作業工程が今一つよく分からないという恨みは感じるのだが、しかし、何かものを作っていくということへの熱意は感じ取ることができた。

漫画も読まないし、アニメも見ない生活ではあるが、何かものを作っていくということの楽しさ、そして、苦労が伝わる番組であった。「100カメ」ならでのは番組作りだったと思う。

2023年2月24日記

『舞いあがれ!』あれこれ「新たな出発」2023-02-26

2023年2月26日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第21週「新たな出発」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week21/

舞は、貴司と結婚する。番組のオープニングでは、岩倉舞から梅津舞に名前が変わった。しかし、ドラマのなかで、IWAKURAで仕事をするときは、以前のままで岩倉舞の名前を使っている。このあたりは、今の時代の流れに合わせたということなのだろう。

貴司は、歌集の売れ行きはよい。もう、短歌を作りに放浪の旅に出ようとはしない。古本屋をやりながら、子供たちに短歌を教えるの気に入っている。子供たち相手に短歌教室をはじめることになる。

デラシネにきていた女の子。朝起きたら、母親が仕事から帰って来たと語っていた。何か複雑な家庭の事情があるようだが、貴司は特にそのことは詮索せずに受け入れて、短歌を作らせていた。このあたりの脚本には、好感が持てる。

一方、舞の方は、オープンファクトリーを試みることになる。行政からの支援も取り付けることができた。なにわバードマンの人脈が、ここで生きてきたことになる。東大阪の町工場として、物作りの楽しさを、多くの参加者に知ってもらおうとする。

たしかに、町工場の経営というのは難しいところがあるだろう。経営環境も厳しくなってきているだろうし、ドラマで描かれていたように近隣の住民の理解がなくては、町工場はやっていけない。が、少なくとも、このドラマの中では、IWAKURAは、どうにかやっていくことができているようだ。

さて、次週、舞は新たな事業に乗り出すことになるようだ。どうなるか、続きを楽しみに見ることにしよう。

2023年2月25日記

ブラタモリ「世界の絶景」2023-02-27

2023年2月27日 當山日出夫

ブラタモリ 世界の絶景

これも録画しておいて、後日ゆっくりと見た。いつもの回とは違った趣向であったが、これは面白かった。

インカメラVFXということばは最近よく目にする。この技術をつかっての撮影。合成とはちがって、確かに自然な感じに見える。

見どころはいくつかあったと思うが、やはり興味深いのはプレートの話しだろう。プレートの移動、沈み込み、そして火山の発生。世界の絶景という言われる多くの場所も、基本的には自然の現象である。たまたま、現在の我々の生きている時代が、その痕跡を多くとどめている時間に一致していただけということなのかもしれない。

世界の絶景を旅しながら、同時に、地球環境の大切さ、あるいは、人類がいまここに生きていることの奇跡のような意味ということを考えるところがあった。

残念ながら、登場してきていた世界の絶景のどこにも行ったことはない。たぶん、これからも行く機会はないだろうと思う。ただ、自分の家にいてテレビで見てるだけである。これもまた一つの楽しみということになるだろうか。

2023年2月20日記

『どうする家康』あれこれ「三河一揆でどうする!」2023-02-28

2023年2月28日 當山日出夫

『どうする家康』第8回「三河一揆でどうする!」

一向一揆を戦国ドラマで大きくとりあげるということ自体が、珍しいことかもしれないと思って見ている。この回を見て思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておきたい。

第一に忠誠心と信仰。

家康の臣下からも、一向一揆に参加するものが多く出てくる。当時の武士にあって、一向宗と、武家の家臣としての生き方とは、どのような関係があったのだろうか。この場合は、家康は一向一揆を討伐するという立場になったので、どうしても敵対することになる。このとき、家臣たちの気持ちはどうであったのか。

まあ、ドラマとしては、最終的に家康が天下を統一するというところに持っていくことになると思うので、一向一揆に加担する家臣は、裏切り者といういう扱いにならざるをえない。

このあたり、現在の歴史学の方で、一向一揆がどう研究されているのか、興味のあるところである。

第二に、忍者。

服部半蔵は、自身は忍びではないと言っているのだが、それを統括する立場にある。これまで見てきたところでは、服部半蔵、それから、女大鼠たちの忍びの活躍する回は面白い。歴史ドラマの裏面を見るということになるからなのかもしれない。

視点人物がどうしても家康に偏りすぎるということになる。それを補うものとしての忍者の活躍ということがあるのは、ドラマの作り方として、一つのアイデアだと思う。

以上の二点のことを思ってみる。

ところで、この回でも、今川義元が出てきていた。天下の万民に慕われてこその天下人である……このようなことを言っただろうか。このあたりは、最終的に、家康が天下を取ることになることが分かっている(歴史の結果を知っている)からこそのシーンではあろう。が、このような場面に、今川義元を登場させるというのが、このドラマの面白さであろうか。

次回、一向一揆の話しはつづくようである。楽しみに見ることにしよう。

2023年2月27日記