BS世界のドキュメンタリー「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」 ― 2025-02-04
2025年2月4日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」
二〇二四年、イギリス、アメリカの制作。
この番組自体は、どちらかといえばリベラルより、あるいは、反右翼、という立場で作ってある。これは、今の時代のジャーナリズムのあり方としては、普通かと思う。
そうはいっても、ドイツの右翼政党(あるいは、立場によっては、極右政党と見ることになる)のAfDの主張も、取材している。
このような番組について、私が考えることとしては、何故、多くの人びとがAfDを支持することになっているのか、ということの背景について語っているかどうか、ということである。AfDは、ドイツへの移民のこれ以上の増加を歓迎しない。あるいは、排斥しようとしている。これは、主張としてはたしかにそのとおりなのだが、では、何故、ドイツにすむ人びとが、そのような気持ちになるのか、現実を見ることが重要だと思っている。
ドイツ国内で、イスラム系の人びとが、どこにどれぐらい生活していて、そこでの暮らしぶりはどんななのか、地元にもとからいる人たちはとはどうなっているのか、このあたりのことをきちんとふまえないで、ただ、双方の主張だけを並べても意味はない、と思うのである。
人間は同じような文化や宗教や価値観を持ったものどうしで、仲間をつくりたがるものである。これは、右派も左派も同じである。現実に、リベラルという人たちも、その主張を共有する人間同士で、仲間をつくっている。問題なのは、それと異なる価値観をいだく人に対して、どう接するかということになる。
自分たちの価値観を共有しないというだけで、犯罪者あつかいするのは、どうだろうかと思うこともある。
興味深かったのは、リベラル側のデモの映像。ここで、多様性をかかげてレインボーフラッグを持っている人がいた。移民に対して寛容であれ、という主張なのだろうと思う。だが、イスラムの教義はで同性愛は認められない罪である、ということを分かっているのだろうか。多様な価値観を認めるべきだといいながら、その結果として、不寛容な価値観を持つことを肯定することになる。多様性を主張するときに、性的多様性に不寛容な人たちも許容せよ、というのは矛盾している。(だからといって、私は、イスラムの教えを否定するつもりはまったくない。その教義のなかで普通に生活する人びとのことは、尊重されなければならない。)
番組の中でも指摘されていることだが、右翼政党の活動を取材するのに、隠れてしのびこんでこっそりと、そこにいる人間の姿を写したり、手紙の宛名を記録したり、これはどう考えてみても、正統な取材方法とはいえないだろう。(完全に違法とはいえないかもしれないが。)目的が正しければ、どんな手段をとってもかまわないという発想は、きわめて危険である。
番組の意図としては、AfDの脅威ということを伝えたかったのかと思うが、結果的には、いわゆるリベラル側の問題点を露呈することになったかと思うことになる。
2025年1月23日記
BS世界のドキュメンタリー 「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」
二〇二四年、イギリス、アメリカの制作。
この番組自体は、どちらかといえばリベラルより、あるいは、反右翼、という立場で作ってある。これは、今の時代のジャーナリズムのあり方としては、普通かと思う。
そうはいっても、ドイツの右翼政党(あるいは、立場によっては、極右政党と見ることになる)のAfDの主張も、取材している。
このような番組について、私が考えることとしては、何故、多くの人びとがAfDを支持することになっているのか、ということの背景について語っているかどうか、ということである。AfDは、ドイツへの移民のこれ以上の増加を歓迎しない。あるいは、排斥しようとしている。これは、主張としてはたしかにそのとおりなのだが、では、何故、ドイツにすむ人びとが、そのような気持ちになるのか、現実を見ることが重要だと思っている。
ドイツ国内で、イスラム系の人びとが、どこにどれぐらい生活していて、そこでの暮らしぶりはどんななのか、地元にもとからいる人たちはとはどうなっているのか、このあたりのことをきちんとふまえないで、ただ、双方の主張だけを並べても意味はない、と思うのである。
人間は同じような文化や宗教や価値観を持ったものどうしで、仲間をつくりたがるものである。これは、右派も左派も同じである。現実に、リベラルという人たちも、その主張を共有する人間同士で、仲間をつくっている。問題なのは、それと異なる価値観をいだく人に対して、どう接するかということになる。
自分たちの価値観を共有しないというだけで、犯罪者あつかいするのは、どうだろうかと思うこともある。
興味深かったのは、リベラル側のデモの映像。ここで、多様性をかかげてレインボーフラッグを持っている人がいた。移民に対して寛容であれ、という主張なのだろうと思う。だが、イスラムの教義はで同性愛は認められない罪である、ということを分かっているのだろうか。多様な価値観を認めるべきだといいながら、その結果として、不寛容な価値観を持つことを肯定することになる。多様性を主張するときに、性的多様性に不寛容な人たちも許容せよ、というのは矛盾している。(だからといって、私は、イスラムの教えを否定するつもりはまったくない。その教義のなかで普通に生活する人びとのことは、尊重されなければならない。)
番組の中でも指摘されていることだが、右翼政党の活動を取材するのに、隠れてしのびこんでこっそりと、そこにいる人間の姿を写したり、手紙の宛名を記録したり、これはどう考えてみても、正統な取材方法とはいえないだろう。(完全に違法とはいえないかもしれないが。)目的が正しければ、どんな手段をとってもかまわないという発想は、きわめて危険である。
番組の意図としては、AfDの脅威ということを伝えたかったのかと思うが、結果的には、いわゆるリベラル側の問題点を露呈することになったかと思うことになる。
2025年1月23日記
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