ブラタモリ「魅力度No.1函館の町▼なぜハイカラに?人気観光都市のヒミツ」 ― 2025-07-31
2025年7月31日 當山日出夫
ブラタモリ 魅力度No.1函館の町▼なぜハイカラに?人気観光都市のヒミツ
函館には行ったことはあるのだが、街の印象はほとんど記憶にない。今から何十年も前のことであり、函館山の夜景こそ観光地だったが、それ以外あまり有名な(?)ものはなかったように覚えている。
街の中に、洋風の建物が残っている。海から見て、洋館が建ち並んでいるような街にしたかったということなのだが、これは、行政が指導してということなのだろうか。北海道の街の多くは、かなり計画的に作られたかと思っているのだが、函館の都市計画というのは、どのような変遷をたどってきたものなのかと思う。
外観は洋風だが、内部は和風というのは、外から見ればおよそ分かる。二階の窓の位置が低い。一階部分の屋根のひさしの位置で、だいたい二階の床の高さは分かるかと思うが、二階の窓が低い位置にある。これは、二階が和風の造りになっていて、床に座るように作ってあるからだろう。そのため、窓の位置が、床に近い高さになる……私は、このように思って見ていたのだが、建築史の観点からはどうなのだろうか。
火事が多かったということなのだが、昔の、日本の都市というのは、どれぐらいの火事があったのだろうか。江戸の街など、なんども燃えている。江戸城も燃えている。日本の火災史というような研究はあるのだろうが、どんなことが分かっているのだろうか。
坂の上に建てられた公会堂が立派である。こういう立派な建物を建てることができたということは、この時代の函館は、お金持ちの街であった、ということになるのだろう。その財産は、どうやってかせいだものだったのだろうか。
コンクリートで作った電柱が残っているのは、とても面白い。四角に作ってあるのだが、この内部はどうなっているのだろうか。そして、なぜ、丸くではなく、四角く作ってあるのだろうか。(そういえば、今の日本では、電柱はみんなコンクリート製になってしまった。木の電柱があった時代のことを、私は記憶しているが、これは、いったいいつごろまでのことだったのだろうか。)
昔のコンクリート造りの建物が残っているのは、貴重といえば貴重である。しかし、見方によっては、都市の再開発の流れに取りのこされて、残ってしまっただけのことであり、それが、逆に幸いして、今では観光資源になっている、ということになるのかもしれない。
一番面白かったのは、地下の貯水池とダムである。人が生活するには、水が必要である。その水を、どのように供給するかは、都市計画の基本であろう。また、(番組の中では言っていなかったが)幕末から貿易港として開かれたということは、船に飲料水を供給できる港である、ということも必要なことであったにちがいない。
バットレスダムというのは、初めて見たかと思う。コンクリートを少なく使い、しかも、工期が短いというのは、いいことづくめのようだが、普及しなかったのは何故なのだろうか。
函館の市内から見える場所に、ヒグマが出るというのは、これも今の時代のことである。
エマニエル夫人といって覚えている人も、少なくなったのではないかと思うが、どうだろうか。
2025年7月27日記
ブラタモリ 魅力度No.1函館の町▼なぜハイカラに?人気観光都市のヒミツ
函館には行ったことはあるのだが、街の印象はほとんど記憶にない。今から何十年も前のことであり、函館山の夜景こそ観光地だったが、それ以外あまり有名な(?)ものはなかったように覚えている。
街の中に、洋風の建物が残っている。海から見て、洋館が建ち並んでいるような街にしたかったということなのだが、これは、行政が指導してということなのだろうか。北海道の街の多くは、かなり計画的に作られたかと思っているのだが、函館の都市計画というのは、どのような変遷をたどってきたものなのかと思う。
外観は洋風だが、内部は和風というのは、外から見ればおよそ分かる。二階の窓の位置が低い。一階部分の屋根のひさしの位置で、だいたい二階の床の高さは分かるかと思うが、二階の窓が低い位置にある。これは、二階が和風の造りになっていて、床に座るように作ってあるからだろう。そのため、窓の位置が、床に近い高さになる……私は、このように思って見ていたのだが、建築史の観点からはどうなのだろうか。
火事が多かったということなのだが、昔の、日本の都市というのは、どれぐらいの火事があったのだろうか。江戸の街など、なんども燃えている。江戸城も燃えている。日本の火災史というような研究はあるのだろうが、どんなことが分かっているのだろうか。
坂の上に建てられた公会堂が立派である。こういう立派な建物を建てることができたということは、この時代の函館は、お金持ちの街であった、ということになるのだろう。その財産は、どうやってかせいだものだったのだろうか。
コンクリートで作った電柱が残っているのは、とても面白い。四角に作ってあるのだが、この内部はどうなっているのだろうか。そして、なぜ、丸くではなく、四角く作ってあるのだろうか。(そういえば、今の日本では、電柱はみんなコンクリート製になってしまった。木の電柱があった時代のことを、私は記憶しているが、これは、いったいいつごろまでのことだったのだろうか。)
昔のコンクリート造りの建物が残っているのは、貴重といえば貴重である。しかし、見方によっては、都市の再開発の流れに取りのこされて、残ってしまっただけのことであり、それが、逆に幸いして、今では観光資源になっている、ということになるのかもしれない。
一番面白かったのは、地下の貯水池とダムである。人が生活するには、水が必要である。その水を、どのように供給するかは、都市計画の基本であろう。また、(番組の中では言っていなかったが)幕末から貿易港として開かれたということは、船に飲料水を供給できる港である、ということも必要なことであったにちがいない。
バットレスダムというのは、初めて見たかと思う。コンクリートを少なく使い、しかも、工期が短いというのは、いいことづくめのようだが、普及しなかったのは何故なのだろうか。
函館の市内から見える場所に、ヒグマが出るというのは、これも今の時代のことである。
エマニエル夫人といって覚えている人も、少なくなったのではないかと思うが、どうだろうか。
2025年7月27日記
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