電子図書館の可能性(2)図書館は何を残すのか ― 2010-07-17
2010-07-17 當山日出夫
電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。
電子書籍は、デバイスに依存する。紙の本であれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。
この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。
これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。
紙の本でも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写本の時代から、版本の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存する二十巻本の成立がどのようなものであったかは事情が不明であるにしても、少なくともいえることは、仮名(平仮名・片仮名)は無い時代。いわゆる万葉仮名の時代である。しかも写本。それが、仮名つきの表記に変わる時期がくる。それは写本の時代。その後、いろいろ変遷があって、近世になって版本がつくられ、近代になって、活字本になる。また、万葉仮名表記もなくなる。読み下し文での表記に変わる。
しかし、現在でも、古写本もいくつか現存しているし、版本も残っている。また、活字本でも、読み下し文のものもあれば、万葉仮名表記を保つテキストもある。これも、何種類かある。
そして、これら多様な、『万葉集』は、基本的に図書館で見ることができる。書物として。
写本・版本が、活字本になっても同じ本(同じ『万葉集』)である、という側面が確かにある。その一方で、万葉仮名表記を読み下し文に変えてしまったら消えてなくなってしまうものもある。それを残すテキストも必要。
さて、では、電子図書館は、何をどのようにのこすべきなのか。ただ、電子図書館は、現在流通している本の閲覧にだけ利用されるというものではないだろう。一つの役割として、本を残すということもある。このとき、のこすべき本とは、いったい何だろう。
本のコンテンツであるのか、本そのものであるのか。
国会図書館は、近世以前の貴重な写本・版本も所蔵している。これら、コンテンツが同じであるからかといって、新しい活字本があれば、不要になる、ということはない。これらは、モノとして残すべきものである。
近代の活字本についてもいえるだろう。やはり、モノそのものとしての本を残すことに価値がある。(そのための保存の一手段として、書籍のデジタル化という側面もある。近代デジタルライブラリーはそのためにある。)
何十年か後、21世紀の初頭の、電子書籍はどんなものであったのか、それ自体を、モノとして残す必要性は、「図書館」として、どのように考えるべきであるか。ここを単純に、コンテンツだけが残ればいい、と言えるだろうか。
さらにいえば、MLA連携ということがある。図書館においても、アーカイブズの機能が、なにがしか求められるとするならば、原型保存の原則は必須になる。つまり、オリジナルのもとの形のものを残さなければならないということである。
電子書籍になったとき、図書館は、本にとってどのような機能をはたすべきか。閲覧の機能もあるが、その一方で、本を保存しておくという機能もある。それが作成されたときの状態で、そのコンテンツを閲覧したいという要求にこたえることも、図書館にとっては必要なことではないであろうか。
電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。
電子書籍は、デバイスに依存する。紙の本であれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。
この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。
これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。
紙の本でも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写本の時代から、版本の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存する二十巻本の成立がどのようなものであったかは事情が不明であるにしても、少なくともいえることは、仮名(平仮名・片仮名)は無い時代。いわゆる万葉仮名の時代である。しかも写本。それが、仮名つきの表記に変わる時期がくる。それは写本の時代。その後、いろいろ変遷があって、近世になって版本がつくられ、近代になって、活字本になる。また、万葉仮名表記もなくなる。読み下し文での表記に変わる。
しかし、現在でも、古写本もいくつか現存しているし、版本も残っている。また、活字本でも、読み下し文のものもあれば、万葉仮名表記を保つテキストもある。これも、何種類かある。
そして、これら多様な、『万葉集』は、基本的に図書館で見ることができる。書物として。
写本・版本が、活字本になっても同じ本(同じ『万葉集』)である、という側面が確かにある。その一方で、万葉仮名表記を読み下し文に変えてしまったら消えてなくなってしまうものもある。それを残すテキストも必要。
さて、では、電子図書館は、何をどのようにのこすべきなのか。ただ、電子図書館は、現在流通している本の閲覧にだけ利用されるというものではないだろう。一つの役割として、本を残すということもある。このとき、のこすべき本とは、いったい何だろう。
本のコンテンツであるのか、本そのものであるのか。
国会図書館は、近世以前の貴重な写本・版本も所蔵している。これら、コンテンツが同じであるからかといって、新しい活字本があれば、不要になる、ということはない。これらは、モノとして残すべきものである。
近代の活字本についてもいえるだろう。やはり、モノそのものとしての本を残すことに価値がある。(そのための保存の一手段として、書籍のデジタル化という側面もある。近代デジタルライブラリーはそのためにある。)
何十年か後、21世紀の初頭の、電子書籍はどんなものであったのか、それ自体を、モノとして残す必要性は、「図書館」として、どのように考えるべきであるか。ここを単純に、コンテンツだけが残ればいい、と言えるだろうか。
さらにいえば、MLA連携ということがある。図書館においても、アーカイブズの機能が、なにがしか求められるとするならば、原型保存の原則は必須になる。つまり、オリジナルのもとの形のものを残さなければならないということである。
電子書籍になったとき、図書館は、本にとってどのような機能をはたすべきか。閲覧の機能もあるが、その一方で、本を保存しておくという機能もある。それが作成されたときの状態で、そのコンテンツを閲覧したいという要求にこたえることも、図書館にとっては必要なことではないであろうか。
當山日出夫(とうやまひでお)
付記 2010-07-19
中俣→仲俣、人名表期を間違えていました。失礼しました。訂正。
付記 2010-07-19
中俣→仲俣、人名表期を間違えていました。失礼しました。訂正。
電子図書館の可能性 ― 2010-07-17
2010-07-17 當山日出夫
昨日は、国立国会図書館(関西館)に行って、「電子図書館の可能性」の講演会。その様子は、次のURLにまとめられている。(他にもあるかもしれないが。今の時点で気づいたところで。)
http://togetter.com/li/35818
当初、どれほど人があつまるか危惧されていたようであるが、実際に行ってみると、非常な盛会であった。関西館のような場所で開催したとしても、(言っては悪いが、非常に不便な場所にある)、これほど人があつまるというのは、やはり関心の高さを示すものだろう。
全体的な印象を記すならば、だいたい次のようになるだろうか。
第一に、長尾真館長の考え方は、基本的に一環していている。
第二に、だが、それをとりまく周囲の電子図書館についての考え方の方が、その時々の状況によって非常にゆれうごいている。昨年からのグーグルブックス、それに、最近の、Kindle、iPadの登場によって、そのたびごとに、大騒ぎする。
第三に、それでは、問題の解決の方向にむけて進展しているかというと、どうもそうではなさそうである。これは私の観察。さして進展しているというわけではないが、論点の整理だけはできるようになってきたか、というところ。
このように考えたうえで、私見として、最大の問題点をひとつあげるならば……過去の書籍コンテンツの電子化は、画像ですむもの(あるいは、画像でなければならないもの)と、テキスト化する必要のあるものにわかれる。これらの区分・判断をどのようにしていくのだろうか。
そして、テキスト化するときのコストと、技術的課題をどのように克服するのか。著作権などは、制度的な問題であるので、ある意味でどうにでもなる。しかし、過去の著作のテキスト化は、単純にコスト、それも膨大なコストがかかる。それだけに、問題ははっきりしている。そのコストを、誰が、どのように負担するのか。
一つの解決策としては、個別のプロジェクト、たとえば、DVD版内村鑑三全集のような形で、テキスト化していく。これに類する形で、「~~全集」「~~資料集」のようなものを、すこしづつ蓄積していく。この蓄積が、ある程度以上たまった時に、電子図書館の新たな形が見えてくるのかもしれない。
もちろん、これから刊行される本、すでに、組版データがコンピュータにあるものについては、それを利用することになるだろう。ここでは、著作権や利害関係の調整などの問題が、主な課題になるにちがいない。
だが、過去の本はそうはいかない。単に、画像データだけで見えたのでは、あまり意味がない。(無いより、あった方がいいにきまっているが。)テキスト化されて、検索の対象になって、絶大な力になる。
電子書籍とひとくくりにされてしまう中で、画像であるもの(画像でなければならないもの)と、逆に、テキスト化される必要のあるもの、このあたりを巡っては、まだ、議論の余地が残っているようにおもえる。
當山日出夫(とうやまひでお)
昨日は、国立国会図書館(関西館)に行って、「電子図書館の可能性」の講演会。その様子は、次のURLにまとめられている。(他にもあるかもしれないが。今の時点で気づいたところで。)
http://togetter.com/li/35818
当初、どれほど人があつまるか危惧されていたようであるが、実際に行ってみると、非常な盛会であった。関西館のような場所で開催したとしても、(言っては悪いが、非常に不便な場所にある)、これほど人があつまるというのは、やはり関心の高さを示すものだろう。
全体的な印象を記すならば、だいたい次のようになるだろうか。
第一に、長尾真館長の考え方は、基本的に一環していている。
第二に、だが、それをとりまく周囲の電子図書館についての考え方の方が、その時々の状況によって非常にゆれうごいている。昨年からのグーグルブックス、それに、最近の、Kindle、iPadの登場によって、そのたびごとに、大騒ぎする。
第三に、それでは、問題の解決の方向にむけて進展しているかというと、どうもそうではなさそうである。これは私の観察。さして進展しているというわけではないが、論点の整理だけはできるようになってきたか、というところ。
このように考えたうえで、私見として、最大の問題点をひとつあげるならば……過去の書籍コンテンツの電子化は、画像ですむもの(あるいは、画像でなければならないもの)と、テキスト化する必要のあるものにわかれる。これらの区分・判断をどのようにしていくのだろうか。
そして、テキスト化するときのコストと、技術的課題をどのように克服するのか。著作権などは、制度的な問題であるので、ある意味でどうにでもなる。しかし、過去の著作のテキスト化は、単純にコスト、それも膨大なコストがかかる。それだけに、問題ははっきりしている。そのコストを、誰が、どのように負担するのか。
一つの解決策としては、個別のプロジェクト、たとえば、DVD版内村鑑三全集のような形で、テキスト化していく。これに類する形で、「~~全集」「~~資料集」のようなものを、すこしづつ蓄積していく。この蓄積が、ある程度以上たまった時に、電子図書館の新たな形が見えてくるのかもしれない。
もちろん、これから刊行される本、すでに、組版データがコンピュータにあるものについては、それを利用することになるだろう。ここでは、著作権や利害関係の調整などの問題が、主な課題になるにちがいない。
だが、過去の本はそうはいかない。単に、画像データだけで見えたのでは、あまり意味がない。(無いより、あった方がいいにきまっているが。)テキスト化されて、検索の対象になって、絶大な力になる。
電子書籍とひとくくりにされてしまう中で、画像であるもの(画像でなければならないもの)と、逆に、テキスト化される必要のあるもの、このあたりを巡っては、まだ、議論の余地が残っているようにおもえる。
當山日出夫(とうやまひでお)
ジャパンナレッジ フレンドシップセミナー ― 2010-07-16
2010-07-16 當山日出夫
去年、Wikimediaのカンファレンスで、名刺を交換した縁である。ネットアドバンスから連絡があって、ジャパンナレッジ フレンドシップセミナー というものに行ってきた。
会の趣旨としては、主に、大学図書館などの契約者にあつまってもらって、ジャパンナレッジのより効果的な利用法を考えようというもの。年に、何度か、各地で開催しているらしい。今回は、京都であったので、たまたま、よんでもらったという関係。
実際に行ってみると、個人で契約して利用しているというのは、私だけだったようだ。ジャパンナレッジの今後を考えると、法人契約をたくさんとることも大事であるが、より将来的には、個人契約者を増やす戦略的なとりくみが必要だろう。
これから、国史大辞典(吉川弘文館)、それに、日本古典文学全集(小学館)が入る。古典文学全集は、まだ、『源氏物語』だけだが、順次、コンテンツが増えて行く予定。それに、東洋文庫(平凡社)もある。
これは、「電子書籍」と言ってもいいだろう。いま、Kindle、iPadで、もりあがっている電子書籍ブームとは別のところで、日本の人文学の学地の基礎をなす部分のデータが、すこしづつではあるが、ジャパンナレッジというところに蓄積されつつある。
ベストセラーの小説もいい、雑誌のデジタル書籍化もいい。だが、それだけに目をうばわれていてはいけないと思う。もう少しひろい視野にたって、書籍のデジタル化とその利活用について考えてみたい。
昨日は、津野海太郎さんの講演もあった。そして、今日(16日)は、国立国会図書館(関西館)で、「電子図書館の可能性」の講演会である。長尾真館長の講演もあれば、一方で、中俣暁生さんの話しもある。
ブックビジネスと、電子図書館と、どこでどのようにつながっていくのか。そして、ジャパンナレッジのようなサービスの今後の展開はどうなっていくのか。より広い視野から考えなければならないと思う次第である。
當山日出夫(とうやまひでお)
去年、Wikimediaのカンファレンスで、名刺を交換した縁である。ネットアドバンスから連絡があって、ジャパンナレッジ フレンドシップセミナー というものに行ってきた。
会の趣旨としては、主に、大学図書館などの契約者にあつまってもらって、ジャパンナレッジのより効果的な利用法を考えようというもの。年に、何度か、各地で開催しているらしい。今回は、京都であったので、たまたま、よんでもらったという関係。
実際に行ってみると、個人で契約して利用しているというのは、私だけだったようだ。ジャパンナレッジの今後を考えると、法人契約をたくさんとることも大事であるが、より将来的には、個人契約者を増やす戦略的なとりくみが必要だろう。
これから、国史大辞典(吉川弘文館)、それに、日本古典文学全集(小学館)が入る。古典文学全集は、まだ、『源氏物語』だけだが、順次、コンテンツが増えて行く予定。それに、東洋文庫(平凡社)もある。
これは、「電子書籍」と言ってもいいだろう。いま、Kindle、iPadで、もりあがっている電子書籍ブームとは別のところで、日本の人文学の学地の基礎をなす部分のデータが、すこしづつではあるが、ジャパンナレッジというところに蓄積されつつある。
ベストセラーの小説もいい、雑誌のデジタル書籍化もいい。だが、それだけに目をうばわれていてはいけないと思う。もう少しひろい視野にたって、書籍のデジタル化とその利活用について考えてみたい。
昨日は、津野海太郎さんの講演もあった。そして、今日(16日)は、国立国会図書館(関西館)で、「電子図書館の可能性」の講演会である。長尾真館長の講演もあれば、一方で、中俣暁生さんの話しもある。
ブックビジネスと、電子図書館と、どこでどのようにつながっていくのか。そして、ジャパンナレッジのようなサービスの今後の展開はどうなっていくのか。より広い視野から考えなければならないと思う次第である。
當山日出夫(とうやまひでお)
漢情研の電子書籍シンポジウム、電子書籍と電子図書館 ― 2010-07-12
2010-07-12 當山日出夫
漢字文献情報処理研究会での、シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」
2010年7月10日
慶應大阪リバーサイドキャンパス
代表挨拶
報告1 田代真人氏((株)メディア・ナレッジ代表、(株)アゴラブックス取締役)
報告2 守岡知彦氏(京都大学人文科学研究所助教)
報告3 石岡克俊氏(慶応義塾大学産業研究所准教授)
ディスカッション
http://togetter.com/li/34725
上記に、まとめられている。
ここにも書いてあるが、私が質問したこと……電子書籍のすぐ隣接する問題としては、電子図書館の問題があるのではないか。
この質問については、「とりあえず、そのことは考えていない」ということで、かわされてしまった。(田代真人さん)。
しかし、電子図書館の問題を無視して、いくら、電子書籍のビジネスモデルを考えたとしても、空論にしかならない危惧を感じる、と言えば言い過ぎであろうか。まあ、既存の紙の出版との比較で、電子書籍の出版ビジネスモデルを考えるのは理解できる。しかし、それが、電子図書館と並行した議論になるのは、時間の問題であろう。少なくとも、電子図書館のことを考えないでは、電子書籍の問題の総体は見えない。
ただ、それはあまりに議論が複雑になるので、電子図書館の問題は、とりあえず、おいておいて議論してみるけれど……という留保付きであるならば、なんとか理解できる。だが、無視したところで、議論をしても無意味かもしれないと思える。
やはりこここは、再度、考え直して、電子図書館まで議論のなかにひきこまえるような、枠組みでの電子書籍論、電子図書館論が、必要であるように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
漢字文献情報処理研究会での、シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」
2010年7月10日
慶應大阪リバーサイドキャンパス
代表挨拶
報告1 田代真人氏((株)メディア・ナレッジ代表、(株)アゴラブックス取締役)
報告2 守岡知彦氏(京都大学人文科学研究所助教)
報告3 石岡克俊氏(慶応義塾大学産業研究所准教授)
ディスカッション
http://togetter.com/li/34725
上記に、まとめられている。
ここにも書いてあるが、私が質問したこと……電子書籍のすぐ隣接する問題としては、電子図書館の問題があるのではないか。
この質問については、「とりあえず、そのことは考えていない」ということで、かわされてしまった。(田代真人さん)。
しかし、電子図書館の問題を無視して、いくら、電子書籍のビジネスモデルを考えたとしても、空論にしかならない危惧を感じる、と言えば言い過ぎであろうか。まあ、既存の紙の出版との比較で、電子書籍の出版ビジネスモデルを考えるのは理解できる。しかし、それが、電子図書館と並行した議論になるのは、時間の問題であろう。少なくとも、電子図書館のことを考えないでは、電子書籍の問題の総体は見えない。
ただ、それはあまりに議論が複雑になるので、電子図書館の問題は、とりあえず、おいておいて議論してみるけれど……という留保付きであるならば、なんとか理解できる。だが、無視したところで、議論をしても無意味かもしれないと思える。
やはりこここは、再度、考え直して、電子図書館まで議論のなかにひきこまえるような、枠組みでの電子書籍論、電子図書館論が、必要であるように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子書籍の質と将来について ― 2010-07-03
2010-07-03 當山日出夫
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子図書館の電子書籍 ― 2010-07-02
2010-07-02 當山日出夫
国立国会図書館は、納本制度がある。できた本は、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。
ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容の本がでてくれば、うけれざるをえない。
まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。
次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙の本のようにはいかないにちがいない。
さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的として、電子図書の保存も重要な役目である。あるいは、電子図書専門の、それこそ、電子図書館をつくることになるのか。
実は、これらのことの先行きがまだ見えない、暗中模索、これから考えようというのが、意外と実情であるのかもしれない。このうちの「保存」ということ、このことにかんしていいえば、DVD版内村鑑三全集が、意外と、長持ちする可能性があるかと思っている。
第一に、コピープロテクトがかけていない。オリジナルのDVDがダメになっても、HDにコピーしてあるデータだけで、完全に機能する。コピーを複数つくっておけば、残すのは容易である。
第二に、基本のフォーマットを、PDFにしてあること。いろんな電子書籍の規格が乱立する情勢であるが、ひょっとすると、もっともシンプルであるPDFの規格が、一番のこる可能性がある。(これは、一般にデジタル文書の保存、ということとも関連するが。)
DVD版で、PDFで、パソコンで、……今の流れからすると、やや取り残されたに見えるDVD版内村鑑三全集であるが、視点を変えると、実は、もっとも堅実で、将来に残る方式であるのかもしれない。
それがどのような方向のものであるか。明日、みんなの意見をきいて考えてみたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
国立国会図書館は、納本制度がある。できた本は、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。
ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容の本がでてくれば、うけれざるをえない。
まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。
次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙の本のようにはいかないにちがいない。
さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的として、電子図書の保存も重要な役目である。あるいは、電子図書専門の、それこそ、電子図書館をつくることになるのか。
実は、これらのことの先行きがまだ見えない、暗中模索、これから考えようというのが、意外と実情であるのかもしれない。このうちの「保存」ということ、このことにかんしていいえば、DVD版内村鑑三全集が、意外と、長持ちする可能性があるかと思っている。
第一に、コピープロテクトがかけていない。オリジナルのDVDがダメになっても、HDにコピーしてあるデータだけで、完全に機能する。コピーを複数つくっておけば、残すのは容易である。
第二に、基本のフォーマットを、PDFにしてあること。いろんな電子書籍の規格が乱立する情勢であるが、ひょっとすると、もっともシンプルであるPDFの規格が、一番のこる可能性がある。(これは、一般にデジタル文書の保存、ということとも関連するが。)
DVD版で、PDFで、パソコンで、……今の流れからすると、やや取り残されたに見えるDVD版内村鑑三全集であるが、視点を変えると、実は、もっとも堅実で、将来に残る方式であるのかもしれない。
それがどのような方向のものであるか。明日、みんなの意見をきいて考えてみたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子書籍を残すという発想 ― 2010-07-01
2010-07-01 當山日出夫
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
電書 ― 2010-05-16
2010-05-16 當山日出夫
ものが普及するということは、その名前がひろまることでもある。この観点から、書籍の電子化は、どのような用語がつかわれるだろうか。
・電子書籍
・デジタルブック
・電子ブック
・デジタル書籍
などが思い浮かぶところである。図書館になれば、
・デジタルライブラリ
・電子図書館
といったところか。
では、これを略称するとどうなるだろうか。電子書籍→電書、これは、定着するだろうか。TwitterのTLを見ていると、どうやら一部では、すでにつかわれ始めているらしい。「電書」。
ところで、デジタル・カメラ→デジカメ、という方式にならうならば、
・デジタル・コミック→デジコミ
・デジタル・マガジン→デジマガ
これぐらいは定着しそうな気がする。この延長で、
・デジタル本→デジ本
は、どうだろうか。
こんなことは杞憂であって、まず本があり、その書籍版とデジタル版(電子版)に分かれるという方向もあるだろう。
電子書籍それ自体がどうなるか、まったく予断をゆるさない状況であるが、その呼称がどうなるかにも注目していきたいと思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
ものが普及するということは、その名前がひろまることでもある。この観点から、書籍の電子化は、どのような用語がつかわれるだろうか。
・電子書籍
・デジタルブック
・電子ブック
・デジタル書籍
などが思い浮かぶところである。図書館になれば、
・デジタルライブラリ
・電子図書館
といったところか。
では、これを略称するとどうなるだろうか。電子書籍→電書、これは、定着するだろうか。TwitterのTLを見ていると、どうやら一部では、すでにつかわれ始めているらしい。「電書」。
ところで、デジタル・カメラ→デジカメ、という方式にならうならば、
・デジタル・コミック→デジコミ
・デジタル・マガジン→デジマガ
これぐらいは定着しそうな気がする。この延長で、
・デジタル本→デジ本
は、どうだろうか。
こんなことは杞憂であって、まず本があり、その書籍版とデジタル版(電子版)に分かれるという方向もあるだろう。
電子書籍それ自体がどうなるか、まったく予断をゆるさない状況であるが、その呼称がどうなるかにも注目していきたいと思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
『文化財アーカイブの現場』 ― 2010-05-04
2010-05-04 當山日出夫
この本を読んで、考え方が変わった。そう断言できる。文化財のデジタル・アーカイブ、これもなかなか捨てたものではない。いや、この方向に新しい未来がある、そう実感させてくれる。
『文化財アーカイブの現場-前夜と現在、そのゆくえ』.福森大二郎.勉誠出版.2010
http://www.bensey.co.jp/book/2225.html
そう大部な本ではないのだが、読むのに時間がかかってしまった。それは、読みながら考え込んでしまったから、である。本当に、この考え方でいいのであろうか、しかし、こう考えざるを得ない……このような思いにとらわれながら、考え考えしながら、ようやく読み終えた。
これまでの私の考えを端的にいえば、たかがデジタル複製ではないか、実物の方がいいにきまっている、まあ、このように考えていた。しかし、この考え方が、この本を読んで変わってしまった。デジタル技術を駆使した高精度複製物の製作にこそ、今後の、文化財の継承・保存がかかっているのである、と。
引用し出すとキリがないので、一箇所だけ、
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文化財アーカイブの意義を問われると、「存在を忘れないようにするために」と答える。(p.132)
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文化財は、人々に知られる存在であってこそ文化財たり得る。その可能性をひきだすのは、高精度のデジタル複製であったり、デジタルミュージアム高精細画像(VR)であったり。
このように著者がいう背景には、ベンヤミンのいうところの複製芸術への深い理解が根底にある、と言えば、だいたいわかる人にはわかってもらえるだろうか。また、複製を作成するにあたっての、データ、メタデータの保存にも、いや、むしろ、これの方に価値を見いだしている。高精度のデジタル複製技術が、従来の文化財(リアル)に、さらなる付加価値をつけて、将来にのこす原動力となる。
アーカイブズ、デジタルミュージアムに少しでも関心のある人には、是非とも読んでもらいたい本である。絶対におすすめ。
當山日出夫(とうやまひでお)
この本を読んで、考え方が変わった。そう断言できる。文化財のデジタル・アーカイブ、これもなかなか捨てたものではない。いや、この方向に新しい未来がある、そう実感させてくれる。
『文化財アーカイブの現場-前夜と現在、そのゆくえ』.福森大二郎.勉誠出版.2010
http://www.bensey.co.jp/book/2225.html
そう大部な本ではないのだが、読むのに時間がかかってしまった。それは、読みながら考え込んでしまったから、である。本当に、この考え方でいいのであろうか、しかし、こう考えざるを得ない……このような思いにとらわれながら、考え考えしながら、ようやく読み終えた。
これまでの私の考えを端的にいえば、たかがデジタル複製ではないか、実物の方がいいにきまっている、まあ、このように考えていた。しかし、この考え方が、この本を読んで変わってしまった。デジタル技術を駆使した高精度複製物の製作にこそ、今後の、文化財の継承・保存がかかっているのである、と。
引用し出すとキリがないので、一箇所だけ、
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文化財アーカイブの意義を問われると、「存在を忘れないようにするために」と答える。(p.132)
<<<<<
文化財は、人々に知られる存在であってこそ文化財たり得る。その可能性をひきだすのは、高精度のデジタル複製であったり、デジタルミュージアム高精細画像(VR)であったり。
このように著者がいう背景には、ベンヤミンのいうところの複製芸術への深い理解が根底にある、と言えば、だいたいわかる人にはわかってもらえるだろうか。また、複製を作成するにあたっての、データ、メタデータの保存にも、いや、むしろ、これの方に価値を見いだしている。高精度のデジタル複製技術が、従来の文化財(リアル)に、さらなる付加価値をつけて、将来にのこす原動力となる。
アーカイブズ、デジタルミュージアムに少しでも関心のある人には、是非とも読んでもらいたい本である。絶対におすすめ。
當山日出夫(とうやまひでお)
Ustream+Twitterの拓く世界 ― 2010-03-10
2010-03-10 當山日出夫
いま、これを書いている、ちょうど同じ時間帯になるが、東京大学(本郷)で、情報処理学会の大会をやっている。そのなかの一つのセッション、
CGMの現在と未来:初音ミク、ニコニコ動画、ピアプロの切り拓いた世界
まず、情報処理学会に、初音ミクに、ニコニコ動画が堂々と登場するのに、ちょっとおどろく。ま、これも、CGMの観点からみれば、取り上げられて当然のながれか。
そして、もうひとつは、このセッションは、Ustreamで実況中継されている。同時に、Twitterでのコメントも同時に見られる。
このようなこと、他の「学会」であるだろうか。私の経験の範囲内で、
Ustream+Twitter
というのが、表だって出てきたのは、半年もさかのぼらない。あっというまにひろがってしまった。今では、何かイベント(研究会・シンポジウム)があれば、そのTwitterのハッシュタグがなんであるか、Ustream中継はあるのか、探してしまうようになっている。
これに、さほどの技術も機材も(もちろんお金も)必要ない。必要なのは、ちょっとした発想の転換と、やる気だけである。
今年(2010)もいろんな学会、研究会など出るかと思うが、そのうちどれほどが、この新しい潮流にのってくるだろうか。ある意味で、楽しみでもある。
しかし、この「Ustream+Twitter」というのを、知らない人に言葉だけで説明するのは、とても難しいなと思う。これこそ、百聞は一見に如かず、である。自分で、体験してみるしかない。その気になって、Twitterのつぶやきを探していけば、(私のフォローしている範囲ではであるが)すぐに見つかる。
このような時代になっているからこそ、リアルに人と人とがあつまる、学会、研究会のあり方というものを、考え直したいものである。さて、今年は、どうなるか……である。
當山日出夫(とうやまひでお)
追記 2010-03-10
Twitterのハッシュタグは、
#cgmgenzaimirai
いま、これを書いている、ちょうど同じ時間帯になるが、東京大学(本郷)で、情報処理学会の大会をやっている。そのなかの一つのセッション、
CGMの現在と未来:初音ミク、ニコニコ動画、ピアプロの切り拓いた世界
まず、情報処理学会に、初音ミクに、ニコニコ動画が堂々と登場するのに、ちょっとおどろく。ま、これも、CGMの観点からみれば、取り上げられて当然のながれか。
そして、もうひとつは、このセッションは、Ustreamで実況中継されている。同時に、Twitterでのコメントも同時に見られる。
このようなこと、他の「学会」であるだろうか。私の経験の範囲内で、
Ustream+Twitter
というのが、表だって出てきたのは、半年もさかのぼらない。あっというまにひろがってしまった。今では、何かイベント(研究会・シンポジウム)があれば、そのTwitterのハッシュタグがなんであるか、Ustream中継はあるのか、探してしまうようになっている。
これに、さほどの技術も機材も(もちろんお金も)必要ない。必要なのは、ちょっとした発想の転換と、やる気だけである。
今年(2010)もいろんな学会、研究会など出るかと思うが、そのうちどれほどが、この新しい潮流にのってくるだろうか。ある意味で、楽しみでもある。
しかし、この「Ustream+Twitter」というのを、知らない人に言葉だけで説明するのは、とても難しいなと思う。これこそ、百聞は一見に如かず、である。自分で、体験してみるしかない。その気になって、Twitterのつぶやきを探していけば、(私のフォローしている範囲ではであるが)すぐに見つかる。
このような時代になっているからこそ、リアルに人と人とがあつまる、学会、研究会のあり方というものを、考え直したいものである。さて、今年は、どうなるか……である。
當山日出夫(とうやまひでお)
追記 2010-03-10
Twitterのハッシュタグは、
#cgmgenzaimirai
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