米窪明美『明治宮殿のさんざめき』2016-06-13

2016-06-13 當山日出夫

米窪明美.『明治宮殿のさんざめき』(文春文庫).文藝春秋.2013(原著は、2011.文藝春秋)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167838782

これは、同じ著者(米窪明美)による『明治天皇の一日』のときもあげておいた。

米窪明美.『明治天皇の一日-皇室システムの伝統と現在-』(新潮新書).新潮社.2006
http://www.shinchosha.co.jp/book/610170/

やまもも書斎記(2016-05-29):米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

この二冊、読んでみると、かなり重複する内容である。それはそうだろう、明治宮殿(明治になってから、江戸が東京になって、旧江戸城が皇居となった)の「日常」を描くのに、その「一日」を軸にするか、「一年」を軸にするか、その時計のとりかたの違いなのであるから。

しかし、そうはいっても、『明治宮殿のさんざめき』には、特別のことが記される。それは、明治天皇の崩御のときの様子である。

明治45年7月19日、天皇がたおれた。そして、7月30日午前0時43分、崩御。しかし、これには裏があるという。実際には、その2時間前の、7月29日午後10時43分であったらしい。公式発表と実際の時間との違いは、次の天皇(大正天皇)の践祚の準備のために時間を要したためとのこと。

ところで、天皇の崩御というと、私の世代にとっては、昭和天皇のときのことが思い出される。だからということもあるが、天皇の崩御という事件を、昭和天皇のときのことだけで考えてはいけないだろう。では、当時、人々はどんなだったろうか。

「これ(宮中)とは対照的に、皇居の外は賑やかだった。/天皇の危篤を知った国民の中から、自然発生的に皇居に集まり快癒を祈る動きが出てくる。各新聞がこぞって土下座して祈る市民の写真を掲載するとさらに人が集まり……、膨れ上がった人垣に秩父宮は息をのむ。」(p.210)

むしろマスコミが、それを事件としてあおり立てる、これは昭和天皇のときもそうであったように思う。

それから、昭和天皇のとき気になっていたことの一つが、その遺体をどのようにあつかったかということ。これについては、

「その後(遺骸を棺に収めた後)棺は八月十三日に宮中正殿に設置された殯宮(中略)へ移され、日々皇族や文武百官による礼拝が行われた。これらのことが暑さの盛りに行われていたことを考えると、遺体の保存は大丈夫だったのかとついつい心配になるが、その点について触れた史料は見当たらない。」(p.216)

と、きわめて冷静にしるしている。

なお、米窪明美の本を読んで、注目しておきたいのは、いわゆる「皇室敬語」をつかっていないことである。あくまでも史料に即して、淡々と記述していく。

明治天皇については、

松本健一.『明治天皇という人』(新潮文庫).新潮社.(原著は、2010.毎日新聞社)
http://www.shinchosha.co.jp/book/128733/

笠原英彦.『明治天皇―苦悩する「理想的君主」-』(中公新書).中央公論新社 .2006
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2006/06/101849.html

ドナルド・キーン(角地幸男訳).『明治天皇』(新潮文庫)全四巻.新潮社.2007
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

などがあるが、追って読後感など書いていきたい。

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