加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』憲法とE・H・カーのこと ― 2016-07-09
2016-07-09 當山日出夫
2016-07-11 追記
この続きは、
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』松岡洋右のこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/10/8128707
加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016(原著は、朝日出版社.2009)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/
この本、最初に出たときに買って通読はしてあったのだが、こんど文庫版で出たので、新しく買って再読してみることにした。
日本の近現代史、特に戦争については、また、改めて書いておきたいと思うので、とりあえず読み始めて気のついた箇所についてふれておきたい。二つのことをまずのべてみたい。
第一は、憲法についてである。
「戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。」(p.49)
として、
「(ルソーは)相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるものです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。/相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書きかえるのが戦争だ、と。」(p.51)
とある。つまり、この見解にしたがうならば、現在の日本の憲法があるのは、アメリカと戦って敗れたことに起因するのであり、それをどうにかしよう(たとえば改憲)とするならば、まず、アメリカのとの関係が問題になる。これは、歴史的に太平洋戦争(アメリカの呼称として)をどう歴史的に位置づけるか、そして、現在、それから将来にわたって、アメリカとどのような関係であるのかについての考察、再検討を要する、ということになる。
憲法改正というのは、国内問題だけのことではないのである。その制定のみなもとになった、アメリカとの関係を考慮することなしには、すすむことができない。
この意味では、現在の日本の改憲をめぐる議論は、対米独立保守、という立場になるのだろう。しかし、それにしても、私の目には、歴史的経緯をふまえたうえでの対米独立ということへの自覚に乏しいようにおもえてならない。
第二に、『歴史とは何か』(E・H・カー、岩波新書)についての言及である。
この本については、このブログですでにふれたことがある。
やまもも書斎記 2016年6月4日
E・H・カー『歴史とは何か』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/04/8102011
「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(p.59)
と引用したあとで、つぎのようにある。カーは、「歴史は科学だ」としたうえで、つぎのようにいったとある。
「歴史家が本当に関心を持つのは特殊なものではなく、特殊的なものの内部にある一般的なものだ。」(p.72)
「歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしらの影響を与えていると。」(p.74)
そして、カーは、第二次大戦についてつぎのようにのべている。
「イギリスは、(国際)連盟の権威をバックにして、単なる言葉や理論によってドイツ、イタリア、日本を抑止できると考えるべきではなかった」(p.68)
「軍事力の裏づけなし現状維持国が現状打破国を抑えることなどできなかったのだと。」(p.68)
そして、カーはイギリスにおいては、あまり受けが悪い歴史家であるとも、筆者は書いている。このような事情……カーが歴史家としてどのような立場をとり、どのような研究を発表していたのか……を、ふまえておくことは、『歴史とは何か』を、理解するうえで重要なことだろう。
以上の二点が、この本を読み始めて、気のついた箇所である。昔、出て読んだときには、読み過ごしていた箇所であるが、今の時点で読み返すと、なかなか含蓄の深い指摘であると思う。特に、カーへの言及は、この本において非常に重要な意味をもっている。そのことに再読して気づいた次第である。
この本『それでも……』における日本近現代史の描き方については、また改めて述べてみたい。
2016-07-11 追記
この続きは、
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』松岡洋右のこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/10/8128707
加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016(原著は、朝日出版社.2009)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/
この本、最初に出たときに買って通読はしてあったのだが、こんど文庫版で出たので、新しく買って再読してみることにした。
日本の近現代史、特に戦争については、また、改めて書いておきたいと思うので、とりあえず読み始めて気のついた箇所についてふれておきたい。二つのことをまずのべてみたい。
第一は、憲法についてである。
「戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。」(p.49)
として、
「(ルソーは)相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるものです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。/相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書きかえるのが戦争だ、と。」(p.51)
とある。つまり、この見解にしたがうならば、現在の日本の憲法があるのは、アメリカと戦って敗れたことに起因するのであり、それをどうにかしよう(たとえば改憲)とするならば、まず、アメリカのとの関係が問題になる。これは、歴史的に太平洋戦争(アメリカの呼称として)をどう歴史的に位置づけるか、そして、現在、それから将来にわたって、アメリカとどのような関係であるのかについての考察、再検討を要する、ということになる。
憲法改正というのは、国内問題だけのことではないのである。その制定のみなもとになった、アメリカとの関係を考慮することなしには、すすむことができない。
この意味では、現在の日本の改憲をめぐる議論は、対米独立保守、という立場になるのだろう。しかし、それにしても、私の目には、歴史的経緯をふまえたうえでの対米独立ということへの自覚に乏しいようにおもえてならない。
第二に、『歴史とは何か』(E・H・カー、岩波新書)についての言及である。
この本については、このブログですでにふれたことがある。
やまもも書斎記 2016年6月4日
E・H・カー『歴史とは何か』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/04/8102011
「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(p.59)
と引用したあとで、つぎのようにある。カーは、「歴史は科学だ」としたうえで、つぎのようにいったとある。
「歴史家が本当に関心を持つのは特殊なものではなく、特殊的なものの内部にある一般的なものだ。」(p.72)
「歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしらの影響を与えていると。」(p.74)
そして、カーは、第二次大戦についてつぎのようにのべている。
「イギリスは、(国際)連盟の権威をバックにして、単なる言葉や理論によってドイツ、イタリア、日本を抑止できると考えるべきではなかった」(p.68)
「軍事力の裏づけなし現状維持国が現状打破国を抑えることなどできなかったのだと。」(p.68)
そして、カーはイギリスにおいては、あまり受けが悪い歴史家であるとも、筆者は書いている。このような事情……カーが歴史家としてどのような立場をとり、どのような研究を発表していたのか……を、ふまえておくことは、『歴史とは何か』を、理解するうえで重要なことだろう。
以上の二点が、この本を読み始めて、気のついた箇所である。昔、出て読んだときには、読み過ごしていた箇所であるが、今の時点で読み返すと、なかなか含蓄の深い指摘であると思う。特に、カーへの言及は、この本において非常に重要な意味をもっている。そのことに再読して気づいた次第である。
この本『それでも……』における日本近現代史の描き方については、また改めて述べてみたい。
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