『源氏物語』岩波文庫2017-07-20

2017-07-20 當山日出夫(とうやまひでお)

岩波文庫版の『源氏物語』が、新しくなって出たので買ってみた。

柳井滋ほか校注.『源氏物語(一)桐壺-末摘花』(岩波文庫).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b297933.html

これは、以前にも書いたことなのだが、『源氏物語』を読むとき、まったくゼロの状態から読むということは一般にはない。その全体のストーリー、そして、その巻の概要、さらには、今読んでいるところがどんな場面であるのか、あらかじめ知ってから、「原文」に接してみる、ということが多い。

この新しい岩波文庫版でも、基本的にそのようなつくりになっている。各巻ごとに概要、あらすじがあり、系図もついている。

この時期に、第一巻(全部で六巻になる)を出したということは、たぶん、大学の教科書につかわれることを考えてのことかなと思う。たいていの日本文学科、国文科のある大学なら、平安朝の専門にしている先生が、『源氏物語』を順番に読んでいくような、講読、演習のようなものを担当しているだろうと思う。(今は、どうか、あまりよく知らないが、私の学生のころは、たいていそんなもんだったように記憶している。)

見開きで、右ページに本文、左ページに注釈、というスタイル。これは、同じ岩波文庫の『平家物語』と同じである。ともに、もとになったのは、「新日本古典文学大系」である。

『源氏物語』の本文、凡例を見ると……歴史的仮名遣いに統一してある。これは、その方が読みやすい。少なくとも、現代人にとって古典を読むとき、すくなくとも平安朝のものについては、歴史的仮名遣いの方が慣れ親しんでいる。また、歴史的仮名遣いで書いてないと、古語辞典がひけない。原文(底本)にしたがうと、いわゆる定家仮名遣いになってしまう傾向になるだろう。これは、そのことをちゃんと知っていないと、辞書がひけないということになる。

一般に読む、あるいは、大学での教科書に使用するということであるならば、歴史的仮名遣いの本文にしたというのは、適切な判断であったと思う。

この文庫本、ある程度、日本古典文学についての素養のある人にとっては、これで十分に読めるものになっていると思う。下手な現代語訳はかえってわずらわしいというむきもあるだろう。

おそらく、『源氏物語』の標準的なテキストとして、これから使われていくことになるのだろうと思っている。

『源氏物語』にとって重要なことは、何よりも、それが「文学」として読まれることにあると思う。この意味では、それぞれの時代にあった『源氏物語』のテキストがあってよい。むろん、現代語訳で読むのもいいだろう。かならずしも「原文」によらなければならないというわけではない。なにがしかの日本古典文学に素養のある人なら、「原文」(現代の校注本)で読める。多様な、『源氏物語』の読み方があってよい。だが、「文学」としての『源氏物語』を読むという姿勢を失ってはいけないと考える。

「あはれ」を感じながら読んでみたい。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/20/8623970/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。