『源氏物語』(11)横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻2020-07-31

2020-07-31 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(11)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(11)横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362091

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月26日
『源氏物語』(10)若菜 下・柏木
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/26/9271853

第一一冊目である。「横笛」から「幻」までをおさめる。

この冊を読んで思うことは、次の二点ぐらいになるだろうか。

第一には、特に「夕霧」の巻における心理描写。

『源氏物語』も、「若菜」(上・下)をすぎると、その筆致が変わってくるのを感じる。特に、「夕霧」の巻になると、これはもう、近代の心理小説のおもむきがあるといってもよい。勝手に妄想してみるならば、『源氏物語』を書いてきた作者……おそらくは紫式部……は、「若菜」(上・下)の巻を書き切って、次のレベルに達していると感じることになる。

「夕霧」の巻における、色恋は、もはや光源氏の物語における色好みではない。夕霧、一条の御息所、落葉の宮、それから、雲井の雁などの登場人物の、おりなす心理劇のドラマである。それぞれに、思うことが、微妙にすれ違っている。その心理の綾を、この物語の作者は、見事に描ききっている。このような心理劇のドラマが、平安の時代に書かれていたということは、これは驚きと言っていいことだろう。

第二には、紫の上の死。

「御法」で紫の上は亡くなり、「幻」でそれを追慕する光源氏の一年が描かれる。ここを読むと、この『源氏物語』という物語が、まさに紫の上の物語であったことを、しみじみと感じることになる。これをうけてのことだろうが、その後の光源氏のこと、特にその死のことは、物語では書かれずに終わっている。

これは、そのように意図したことだろうと感じる。それほどまでに、紫の上の死の描写は印象的である。

これから、この物語は、光源氏の死の後のことを描き、次の「宇治十帖」がはじまる。紫の上の死で、この物語は、いったんのとじめとなると感じるところである。

2020年6月29日記

追記 2020-08-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月3日
『源氏物語』(12)匂兵部卿・紅梅・竹河・橋姫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/03/9274836

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