『ウィタ・セクスアリス』森鷗外/岩波文庫 ― 2022-04-16
2022年4月16日 當山日出夫(とうやまひでお)

森鷗外.『ウィタ・セクスアリス』(岩波文庫).岩波書店.2022
https://www.iwanami.co.jp/book/b600969.html
作品名は、現代仮名遣いに改めずにもとのままでよかったのではないだろうか。この作品、新潮文庫でも出ているが、これは、『ヰタ・セクスアリス』となっている。
今年は、鷗外の没後一〇〇年ということを知った。岩波文庫ではいくつかの作品を刊行するようだし、岩波新書でも一冊出るはずである。
そういえば、数年前、漱石の生誕一五〇年、没後一〇〇年のときには、「全集」が新しく刊行になったのだが、鷗外の場合、そこまでのことはないらしい。まあ、今から新しく「全集」が出ても、買おうかどうしようか迷うところではある。以前、若いときに買った「全集」もまだ持っている。しまいこんだままである。これも、取り出してきて読んでおきたい本である。
『ヰタ・セクスアリス』(やはり、こう書かないと落ち着かない)を読んで思うことは、次の二点であろうか。
第一に、その文章の端正さ。性にかんする記述が多い作品なのであるが、それを述べる文章は、まことに格調高い。端正な文章である。鷗外の文章として、非常に優れたものだとして読める。
第二に、風俗史的興味。この作品、おそらくは鷗外の自伝的要素をたぶんに含んだものであろうことは感じとれる。そして、読んでいくと、鷗外の生まれ育った時代、環境における、様々な風俗的、歴史的な興味がある。子供のころ、このような生活をしていたのか、若いころこんな勉強をしていたのか、その当時の人びとは、こんな暮らしをしていたのか……無論、このような興味で読むことは、この作品の本筋から外れた理解であることは分かる。しかし、鷗外も没後一〇〇年になり、歴史的に明らかに過去の人間になっている。その残した文章が、その時代を反映したものとして読まれるいことがあっても、それは一つの読み方であるにちがいない。
以上の二点のことを思ってみる。
読んで、文学的感銘を受けるという作品ではない(私の場合はであるが)。しかし、手にして非常に興味深い。何よりも、鷗外によってこのような作品が書かれていたこと、そして、この作品が発禁処分になったこと。そのような時代背景、歴史的背景を考えて読むと、やはり時代の流れというものを感じる。そして、鷗外がこのような作品を書いていたこと、このこと自体、日本の近代文学史において、特筆すべきことであると感じる。
2022年4月15日記
https://www.iwanami.co.jp/book/b600969.html
作品名は、現代仮名遣いに改めずにもとのままでよかったのではないだろうか。この作品、新潮文庫でも出ているが、これは、『ヰタ・セクスアリス』となっている。
今年は、鷗外の没後一〇〇年ということを知った。岩波文庫ではいくつかの作品を刊行するようだし、岩波新書でも一冊出るはずである。
そういえば、数年前、漱石の生誕一五〇年、没後一〇〇年のときには、「全集」が新しく刊行になったのだが、鷗外の場合、そこまでのことはないらしい。まあ、今から新しく「全集」が出ても、買おうかどうしようか迷うところではある。以前、若いときに買った「全集」もまだ持っている。しまいこんだままである。これも、取り出してきて読んでおきたい本である。
『ヰタ・セクスアリス』(やはり、こう書かないと落ち着かない)を読んで思うことは、次の二点であろうか。
第一に、その文章の端正さ。性にかんする記述が多い作品なのであるが、それを述べる文章は、まことに格調高い。端正な文章である。鷗外の文章として、非常に優れたものだとして読める。
第二に、風俗史的興味。この作品、おそらくは鷗外の自伝的要素をたぶんに含んだものであろうことは感じとれる。そして、読んでいくと、鷗外の生まれ育った時代、環境における、様々な風俗的、歴史的な興味がある。子供のころ、このような生活をしていたのか、若いころこんな勉強をしていたのか、その当時の人びとは、こんな暮らしをしていたのか……無論、このような興味で読むことは、この作品の本筋から外れた理解であることは分かる。しかし、鷗外も没後一〇〇年になり、歴史的に明らかに過去の人間になっている。その残した文章が、その時代を反映したものとして読まれるいことがあっても、それは一つの読み方であるにちがいない。
以上の二点のことを思ってみる。
読んで、文学的感銘を受けるという作品ではない(私の場合はであるが)。しかし、手にして非常に興味深い。何よりも、鷗外によってこのような作品が書かれていたこと、そして、この作品が発禁処分になったこと。そのような時代背景、歴史的背景を考えて読むと、やはり時代の流れというものを感じる。そして、鷗外がこのような作品を書いていたこと、このこと自体、日本の近代文学史において、特筆すべきことであると感じる。
2022年4月15日記
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