英雄たちの選択「大江戸エンタメ革命 〜実録・蔦屋重三郎〜」2025-01-03

2025年1月3日 當山日出夫

英雄たちの選択 大江戸エンタメ革命 〜実録・蔦屋重三郎〜

このところ、『べらぼう』の蔦屋重三郎関係の番組が目白押しである。これもそのひとつ。いつものように録画してあったのを見た。

見ながら思ったことを、書いておく。

蔦屋重三郎の仕事は、今でいうサブカルチャー、ポップカルチャー、の分野ということになる。このとき重要なのは、その時代のメインカルチャー、ハイカルチャーが何であったかをきちんとふまえておかないと、その意味が分からないということである。これまで、『べらぼう』関係の番組を見た印象だと、ここのところを指摘している番組は少ないという印象をもつ。

私の知識では、江戸時代の出版を考えるとき、漢籍、仏書、それから、日本の古典文学などの出版を考えておく必要がある。その一方で、近世初期の古活字本も見ておかなければならない。そして、仮名草子、浮世草子、といった読み物が刊行されるようになる。また、各種の実用的な書物も数多くある。これらを総合した江戸時代の出版文化ということの全体像のイメージがないと、蔦屋重三郎のやったことの意味がわからないだろうと思うことになる。

極端なたとえになるかもしれないが、今の日本で、大きな書店や公共図書館に行って、マンガとアイドル写真集だけを見て、それで、今の日本の出版文化を考えることは、どう考えても無理だろう。コンビニで売っている本だけで、今の日本の出版文化を語ることは無理である。同じように、蔦屋重三郎の手がけた、吉原細見とか、黄表紙とか、浮世絵とかで、その時代の(江戸という街に限るとしても)出版文化を語ることは無理である。また、出版文化を考えるときには、文字が読めない人が少なくなかった時代であることも考慮しなければならない。

さて、番組で言っていたことである。

自由ということを言っていた。田沼意次の時代の自由、次の松平定信の時代の不自由、ということであったが、江戸時代に武士や庶民(といって、どのような人びとを考えることになるか、これも大きな問題であるが)が、どういう自由の意識や感覚を持っていたか、ということは改めて考えるべきことのように思える。あまりに、近代的な概念としての自由ということを、持ち込みすぎるのはどうかなと思う。

そうはいっても、寛政の改革によって、社会のいろんな分野で不自由を感じたことは確かだったろう。(番組のなかでは言及がなかったが、寛政異学の禁、ということの実態はどうだったのだろうか。)

時代背景として、番組のなかで言っていたことでは、次のことが重要だろう。一つには、まだロシアやイギリスなどの侵略が東アジアまで及んできていない、比較的安定した東アジアの情勢だったこと。それから、日本国内で、天明の飢饉が起きていたこと。(その他には、近世になってから、この時代になって江戸がどのような位置を、政治や文化においてしめることになったかという、概略の流れがあることになろうが。)

この番組では、蔦屋重三郎の活躍を、松平定信の時代における出版統制とのかかわりで見ていたというところが、特徴的であるといえる。(番組で言っていなかったが)出版統制には、二つの方式がある。一つには、権力側で厳しく取り締まること。もう一つは、出版、作者の側の自主規制、ということ。これは、近代になってからの出版や言論の歴史を語るときに、今までつづく大きな論点である。)

鹿島茂が言っていたことだが、ヨーロッパでは宮廷があり、サロンがあった、だが、日本ではそれがないかわりに、武士と町人とか交わる場面があった。たとえば、狂歌などの会がそれにあたる。

これもたしかにそのとおりだが、江戸時代の身分を超えた文化サークルというべものは、他にもいろいろとあるはずである。たとえば園芸……この場合、朝顔のことを思っているのだが。国学における本居宣長の仕事なども、地域と身分を超えた全国的な共通の研究者意識とでもいうようなものを基盤に考える必要があるだろう。

狂歌については、大田南畝(蜀山人)のことが、出てくることになる。だが、これも、狂歌のことだけを取り出してみても、この時代の文化的背景が分かるとは思えない。狂歌がなりたつには、その前提として、古代以来の日本の和歌の伝統があってのことである。だからこそ、パロディとしてなりたつ。その大きな前提となる、和漢の古典籍の出版と普及という江戸時代の学問や教育(この場合、かなり広く一般的な意味のであるが)をふまえないと、その意味がわからないはずである。パロディが分かるためには、見えないところに、ものすごい教養の蓄積が必要であるというのは、むしろこんなことについて説明するのが野暮というべきだろう。

このような観点から見てなのだが、田中優子が言っていたことは、賛成である。伝統文化の尊重がなければ、サブカルチャーは生まれない、ということを言っていた。(私は、田中優子が政治や時事問題について語ることは、ほとんど反権力のステレオタイプでしかないと思っているのだが、この番組で言ったこのことについては、むしろ、本来の意味での保守主義の発想であると評価することになる。)

同じ趣旨のことを、磯田道史も言っていた。本歌取り、ということばで表現していたが、本歌取りができるためには、何よりもまずもとの歌を知っていなければならない。それが、作り手を受け手で共有されていなければならない。

江戸時代は、こういう意味で、和漢の古典文学や思想の素養が、かなりの多くの人びとにゆきわたっていた時代ということであり、そこを土台として(これは表面には見えていないが)、花開いたのが蔦屋重三郎に代表される江戸の出版文化(その一部)ということになるだろう。

水面下の教養の蓄積ということがあって、この時代の歌舞伎も理解できることになるはずである。

『べらぼう』を見ること、また、蔦屋重三郎について考えることは、その背景にある江戸時代の文化と教養の蓄積について、どれだけ想像力でおぎなえるか、ということがポイントになるかと思う。表面だけ見て、革新的文化プロデューサーと言っても、あまり意味がないと、私は思っている。

それから面白かったのは、歌麿の書いた美人画について。モデルとなった女性の名前を出すか、出さないか、ということ。これは、今でも、アイドル……それがリアルに存在する人であっても、バーチャルな存在であるとしても……アイドルには、名前が必要である、ということにつながる興味深い問題である。(どうせなら、こういうところまで指摘しておいてほしかった。)

また、写楽は何者であったのか。そして、なぜ、写楽の絵は急速に人びとの間から消えていったのか。その評価が高まったのは、海外に流出した浮世絵の研究によってである。これは、これとして、その時代の日本の美意識として、興味深いことになる。あるいは、これは、出版プロデューサーとしては、蔦屋重三郎の失敗として見ることもできる。大衆の求めるものを、見誤っていたことになるからである。

松平定信については、その時代において教養人であったことはたしかだろう。強いていえば、文学の分かる人間であったといってもいいかもしれない。その政策とは別に考えることになる。えてして、政治家については、その政策から人間性を考えがちであるが、これはどうだろうか。(これは近現代の政治家についても同様である。)

反権力ということと、権力をかわしての表現ということは、違う。これは重要なことである。(今の時代、これを混同しがちであるが。)

磯田道史が、無償の遊戯性ということを言っていたが、これは重要なことだろう。端的に言いかえれば、あそび、ということである。そして、権力とあそびの関係を考えることは、人間の歴史と文化を考えることの根本につながるはずである。

『べらぼう』をきっかけに江戸時代の出版文化を考えるという路線では、どうしてもはずれてしまうこと、見えなくなってしまうこととして、書物の輸入ということがある。日本は、多くの書物を中国から輸入している。そして、それをもとに日本で本を作っている。これも、非常に大事な論点である。

最後に余計なことかと思うが、江戸の戯作ということでは、『手鎖心中』(井上ひさし)のことを誰かが言及しているかと思って、いろいろと見ているのだが、今のところ無視されているようだ。もうこの作品を憶えているのは、私ぐらいの世代ぐらいのことになってしまっているのだろうか。この作品の最後の科白は、やはり印象に残る。

さらに追加で書くならば、現代では、頼山陽の出てこない近世文学史は無理だと思うが、どうなのだろうか。歴史家としての磯田道史が、文学として頼山陽をどう考えるか、興味あるところなのだが。

その他、思うことはいろいろあるが、これぐらいにしておきたい。

2025年1月2日記

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