『少年寅次郎』(1)2025-04-22

2025年4月22日  當山日出夫

『少年寅次郎』(1)

録画しておいて、その第一回をようやく見た。

車寅次郎の物語である。別に説明の必要もないだろう。

私は、寅さんの映画とか、そこで描いた世界があまり好きではない。たしかに、ある時代の日本人の心情をたくみに描写した作品になっている。だが、そうであるがゆえに、嫌いでもある。人びとの非常に善良な面を描いているのだが、しかし、こういう人びとが、世の中の流れにもっとも流されていく人びとであることも、たしかだろう。戦前、戦中であれば、奉祝提灯行列に加わる。それが、戦後になれば、皇太子御成婚に祝賀の意を表し、また、時としては、反戦のデモを支持したりもする。あえて否定的な言い方をすれば、歴史のなかにあって批判的精神を持ちえない。

このような一般の人びとが、世論(あるいは、輿論)の大勢を形成していくものではある。であるからこそ、このような人びとの心性を、どうとらえて、どう描くか、ということに関心もある。

脚本は、岡田惠和である。原作は、山田洋次。だから、見ておきたいと思ったこともある。

戦前のこの時代のことは、いろんなドラマで描いている。経済的には昭和恐慌の時代である。だが、ずっと不況であったわけではなく、少なくとも都市部の生活においては、昭和戦前のモダンな楽しい一時期があったことにもなる。しかし、農村部では、人びとの生活はみじめであった。娘の身売りなど、おこなわれた時代でもある。

ドラマは、昭和11年2月25日の夜からはじまる。二・二六事件が起こるのだが、事件のことは、柴又でくらす人びとの頭のうえをかすめるだけである。この事件が、後々の日本に、どのような影響をあたえることになるのか、誰も予見できないし、そのように時代の流れを見ようとしている人もいない。

これはこれでいいのだと、私は思う。この時代、このような感覚で生きてきたのが普通の人びとの生活感覚であったのであり、ことさらに反戦をとなえなかった、軍部の暴走を批判しなかったことを、後の価値観でとがめても意味はないだろうと思う。

今の時代を生きる普通の人びとの感性が、後の時代にどのように評価されるか、それは分からないとすべきだろう。また、今の時点で、時代の最先端である(と、それを主張する人たちが思っている)ような思想が、将来において、歴史の批判にたえるものであるかどうか、それは分からない。

2025年4月14日記

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