ETV特集「フェイクとリアル 川口 クルド人 真相」 ― 2025-04-12
2025年4月12日 當山日出夫
ETV特集 フェイクとリアル 川口 クルド人 真相
今年になってぐらいからだろうか、ようやくマスコミで、クルド人、ということばが使われるようになったのは。それまでは、クルド人、ということばを使っただけで、それは差別発言である、として糾弾されることがあった。新聞などでも、せいぜい、トルコ国籍の、という表現であった。
SNS(主にXということになるが)では、極論しか出てこない。川口にいるクルド人は、テロリストで犯罪者集団である、偽装難民である、という。その一方で、クルド人は善良な人ばかりで悪い人など一人もいない、という。
まったくの悪い人ばかりということも信じがたいが、しかし、悪いことをする人が一人もいないということも、信じることはできない。(人間が一定数以上いれば、そのなかには、悪いことをする人間がふくまれているのが、普通の人間のあり方である。)
分かっていることは……川口に多くのクルド人が住んでいるということ、地元の人びと必ずしも良好な関係だけではないだろうということ(外国人がまとまって居住すればなんらかのトラブルがあるのが通常である)、その対応が地元自治体にまかせられていること、政府レベルでどうこうしようということはなさそうであるということ……まあ、これぐらいだろうか。
私の考えることとしては、いわゆる川口クルド人問題というのは、マスコミにも責任がある。Xで問題が広まっているのに、見て見ぬふりをしている。Xでの騒ぎなど、報道するに価しないとでも思っているのだろうか。こういうときに、最も必要なのは、事実はどうであるかということを、冷静に報道することである。そうでなければ、マスコミは都合の悪いことは報道しない自由があると見なされて、その虚偽の情報が、さも本当のことであるかのように拡散するだけである。
番組のなかで伝えていたこととしては、川口に多くのクルド人が住んでいることは確かであるが、そう大きな問題が地元であるということではない。だが、まったく何のトラブルもないということではない。生活習慣の違う外国人がまとまって住むことになれば、なんらかのトラブルはあるものである。これは、クルド人にかぎらず、ブラジルからやってきた日系の労働者の人びとについても、いえることである。
日本で生活するならば、日本の生活のルール(法律は無論のこと、人びとの生活の習慣などをふくめて)を守ってくれ、ということは、基本的にあっていいことである。多文化共生ということは、その上になりたつものだと思っている。これが、理不尽な要求であるとは、私は思わない。逆に、日本の人が外国に行って生活するなら、その国や地域の、生活のルールにしたがうというのは、当然のことだろう。
ただ、二〇〇〇人ほどのクルド人が住んでいて、そのうち七〇〇人ぐらいが難民申請をしている、というのは、かなり特殊な事情があるだろうとは思う。この数字が異常でないとするならば、他の国からやってきて日本に住んでいる人たちとの比較が必要である。
なかには、犯罪にかかわる人もいれば、偽装難民、出稼ぎ目的、という人もいる。これはこれで、事実として認めることでいいはずである。だが、だから、クルド人はすべてどうのこうのという議論になることではない。
ところで、気になったことがいくつかある。
番組のなかでは、「日本人は川口市から出ていけ」と書いたプラカードを掲げた画像については、これは生成AIを使ったフェイク画像であると思われると言っていた。私の見るかぎりでは、そうと断定してはいなかった。この写真、背景に建物もあるし、人間の顔も何人もはっきりと分かる。これらの場所や人物が特定できなかった、ということなのだろうか。そういう調査をしたのなら、その経緯について触れておくべきであり、フェイクであることの証拠を示さなければならない。場所も人物も特定できなかった、人物については架空のものである可能性が高い、あるいは、実在の人物の顔の画像を利用したものであるが、その本人はかかわっていない、このようなことは調査したと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。
これは禍根を残すことになりかねない。ソーシャルメディア上には、いろんな画像、映像がある。中には、フェイク画像もあるはずである。このとき、自分の主張したいことに反するものについては、それはAIによるフェイクである、と言ってしまうことを、安易に許すことになる。すべてがフェイク画像であるというわけではなく、中にはリアルであるものもあるにちがいない。本当に伝えるべきリアルの映像を、きちんと伝えるためには、フェイク画像については、なぜそう判断できるのか、ということの専門家による判断の根拠をしめすことが、必須になってくる。
自分の主張に反するものは、それはフェイク画像である、偽情報である、と言い合うだけでは、あまりいい将来を考えられない。そう判断した根拠をしめす、それができるのが、マスコミであり、調査報道というべきものであるはずである。(このような仕事は際限のないことかもしれないが、マスコミは、いやマスコミだけが、それが出来る。)
この画像以外で、虚偽の書き込みや映像については、その証拠を示し、裏をとる取材を行っていたのに、この画像だけは、それが出来ていないという印象をうける。はたしてどうだったのだろうか。
木下顕伸が登場していたが、戦前の伝統的な右翼思想としての大アジア主義がどんなものであるのか、ということは、説明があってもよかったかもしれない。そのインタビューの背景に写っていたのは、頭山満の書であり、肖像であった、と判断できる。このような日本の伝統的右翼思想と、近代的な保守思想(エドマンド・バークにはじまり、日本では福田恆存や西部邁などがとなえたような)と、近年になってSNSで目立つようになったネトウヨなど、これらは、根本的にちがうものである。
2025年4月11日記
ETV特集 フェイクとリアル 川口 クルド人 真相
今年になってぐらいからだろうか、ようやくマスコミで、クルド人、ということばが使われるようになったのは。それまでは、クルド人、ということばを使っただけで、それは差別発言である、として糾弾されることがあった。新聞などでも、せいぜい、トルコ国籍の、という表現であった。
SNS(主にXということになるが)では、極論しか出てこない。川口にいるクルド人は、テロリストで犯罪者集団である、偽装難民である、という。その一方で、クルド人は善良な人ばかりで悪い人など一人もいない、という。
まったくの悪い人ばかりということも信じがたいが、しかし、悪いことをする人が一人もいないということも、信じることはできない。(人間が一定数以上いれば、そのなかには、悪いことをする人間がふくまれているのが、普通の人間のあり方である。)
分かっていることは……川口に多くのクルド人が住んでいるということ、地元の人びと必ずしも良好な関係だけではないだろうということ(外国人がまとまって居住すればなんらかのトラブルがあるのが通常である)、その対応が地元自治体にまかせられていること、政府レベルでどうこうしようということはなさそうであるということ……まあ、これぐらいだろうか。
私の考えることとしては、いわゆる川口クルド人問題というのは、マスコミにも責任がある。Xで問題が広まっているのに、見て見ぬふりをしている。Xでの騒ぎなど、報道するに価しないとでも思っているのだろうか。こういうときに、最も必要なのは、事実はどうであるかということを、冷静に報道することである。そうでなければ、マスコミは都合の悪いことは報道しない自由があると見なされて、その虚偽の情報が、さも本当のことであるかのように拡散するだけである。
番組のなかで伝えていたこととしては、川口に多くのクルド人が住んでいることは確かであるが、そう大きな問題が地元であるということではない。だが、まったく何のトラブルもないということではない。生活習慣の違う外国人がまとまって住むことになれば、なんらかのトラブルはあるものである。これは、クルド人にかぎらず、ブラジルからやってきた日系の労働者の人びとについても、いえることである。
日本で生活するならば、日本の生活のルール(法律は無論のこと、人びとの生活の習慣などをふくめて)を守ってくれ、ということは、基本的にあっていいことである。多文化共生ということは、その上になりたつものだと思っている。これが、理不尽な要求であるとは、私は思わない。逆に、日本の人が外国に行って生活するなら、その国や地域の、生活のルールにしたがうというのは、当然のことだろう。
ただ、二〇〇〇人ほどのクルド人が住んでいて、そのうち七〇〇人ぐらいが難民申請をしている、というのは、かなり特殊な事情があるだろうとは思う。この数字が異常でないとするならば、他の国からやってきて日本に住んでいる人たちとの比較が必要である。
なかには、犯罪にかかわる人もいれば、偽装難民、出稼ぎ目的、という人もいる。これはこれで、事実として認めることでいいはずである。だが、だから、クルド人はすべてどうのこうのという議論になることではない。
ところで、気になったことがいくつかある。
番組のなかでは、「日本人は川口市から出ていけ」と書いたプラカードを掲げた画像については、これは生成AIを使ったフェイク画像であると思われると言っていた。私の見るかぎりでは、そうと断定してはいなかった。この写真、背景に建物もあるし、人間の顔も何人もはっきりと分かる。これらの場所や人物が特定できなかった、ということなのだろうか。そういう調査をしたのなら、その経緯について触れておくべきであり、フェイクであることの証拠を示さなければならない。場所も人物も特定できなかった、人物については架空のものである可能性が高い、あるいは、実在の人物の顔の画像を利用したものであるが、その本人はかかわっていない、このようなことは調査したと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。
これは禍根を残すことになりかねない。ソーシャルメディア上には、いろんな画像、映像がある。中には、フェイク画像もあるはずである。このとき、自分の主張したいことに反するものについては、それはAIによるフェイクである、と言ってしまうことを、安易に許すことになる。すべてがフェイク画像であるというわけではなく、中にはリアルであるものもあるにちがいない。本当に伝えるべきリアルの映像を、きちんと伝えるためには、フェイク画像については、なぜそう判断できるのか、ということの専門家による判断の根拠をしめすことが、必須になってくる。
自分の主張に反するものは、それはフェイク画像である、偽情報である、と言い合うだけでは、あまりいい将来を考えられない。そう判断した根拠をしめす、それができるのが、マスコミであり、調査報道というべきものであるはずである。(このような仕事は際限のないことかもしれないが、マスコミは、いやマスコミだけが、それが出来る。)
この画像以外で、虚偽の書き込みや映像については、その証拠を示し、裏をとる取材を行っていたのに、この画像だけは、それが出来ていないという印象をうける。はたしてどうだったのだろうか。
木下顕伸が登場していたが、戦前の伝統的な右翼思想としての大アジア主義がどんなものであるのか、ということは、説明があってもよかったかもしれない。そのインタビューの背景に写っていたのは、頭山満の書であり、肖像であった、と判断できる。このような日本の伝統的右翼思想と、近代的な保守思想(エドマンド・バークにはじまり、日本では福田恆存や西部邁などがとなえたような)と、近年になってSNSで目立つようになったネトウヨなど、これらは、根本的にちがうものである。
2025年4月11日記
追記 2025年4月17日
この番組の再放送がなくなってしまったようなので、追記で少し書いておく。
いわゆる川口のクルド人の問題を考えるとき、次のことを整理しあつかう必要がある。
SNSの情報が、虚偽、フェイクであるならば、そのことを指摘すればいい。だが、それがフェイクであることと、現地で、事実としてどうであるかは、また別の問題である。
実際に川口に住んでいるクルド人の生活が、どのようなものであるのかは、きちんと調査する必要がある。どこに居住し、どのような職業についているのか、どんな生活をしているの、である。無論、居住の自由、職業選択の自由は、認められなければならない(この場合は制限があるとしても)。しかし、このような問題となっている場合には、実際どのようなのか、ということについて、広く知られることが、問題解決への道である。でなければ、虚偽の情報が、さらに拡散するだけになる。それは、差別を助長するだけである。
実際にどのようであるか、ということとは別に、現在、川口に住んでいる人たちがどのように感じているのか、これも重要である。ここには、偏見もあるのかもしれないが、まずは、どう思って生活しているのか、それは何に起因するのか、その実態の報告と分析が必要である。ただ、それは差別である、というだけでは問題は解決しない。それは、反感の連鎖につながるだけである。
この番組の再放送がなくなってしまったようなので、追記で少し書いておく。
いわゆる川口のクルド人の問題を考えるとき、次のことを整理しあつかう必要がある。
SNSの情報が、虚偽、フェイクであるならば、そのことを指摘すればいい。だが、それがフェイクであることと、現地で、事実としてどうであるかは、また別の問題である。
実際に川口に住んでいるクルド人の生活が、どのようなものであるのかは、きちんと調査する必要がある。どこに居住し、どのような職業についているのか、どんな生活をしているの、である。無論、居住の自由、職業選択の自由は、認められなければならない(この場合は制限があるとしても)。しかし、このような問題となっている場合には、実際どのようなのか、ということについて、広く知られることが、問題解決への道である。でなければ、虚偽の情報が、さらに拡散するだけになる。それは、差別を助長するだけである。
実際にどのようであるか、ということとは別に、現在、川口に住んでいる人たちがどのように感じているのか、これも重要である。ここには、偏見もあるのかもしれないが、まずは、どう思って生活しているのか、それは何に起因するのか、その実態の報告と分析が必要である。ただ、それは差別である、というだけでは問題は解決しない。それは、反感の連鎖につながるだけである。
100分de名著「村上春樹“ねじまき鳥クロニクル” (1)日常のすぐ隣にある闇」 ― 2025-04-12
2025年4月12日 當山日出夫
100分de名著 村上春樹“ねじまき鳥クロニクル” (1)日常のすぐ隣にある闇
月曜日の放送なのだが、たまたま同時に録画する番組が重なっていて、金曜日の再放送を見た。
村上春樹の作品は、そのほとんどは読んでいる。少なくとも、小説、エッセイ、については、普通に手に入る本は、すべて読んだかと思っている。翻訳も全部読もうと思って、手をつけはじめたのだが、これは途中で止まってしまっている、というところだろうか。それでも、村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーは『ロング・グッドバイ』からはじめて全部読んだ。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読んだし、レイモンド・カーヴァーも村上春樹訳で読んだ。おそらく、村上春樹が訳していなかったら、レイモンド・カーヴァーは読まずにいたかもしれない。
私が村上春樹を読んで感じることの第一は、そのわかりやすさ、である。井戸とか、トンネルとか、エレベーターとか、川とか、壁とか、異界との通路である。これは、おそらく、全世界的にほとんどの民族において、共通するようなことかと思う。井戸やトンネルを通って、別の世界に通じる。そこは、この世とは別世界でありながら、どこかでつながってもいる。こういうイメージは、非常に分かりやすいものである、と私の場合は受けとめることになる。
しかし、だからといって、そこで描かれている人間の心理、様々な登場人物、物語、こういうものに、すぐに共感できるかというと、そうでもない。はっきりいってよく分からないものがある。
100分de名著で、とりあげる本を、わざわざ買って読むということはあまりない。すでに読んだ本である場合もあるし、もう新たに買って読んでみたいと思わない本もある。(もう少し年齢が若ければ、違っているかもしれないが。)
『ねじまき鳥クロニクル』については、以前に読んだ文庫本(新潮文庫)があるのだが、あらためてKindle版で買って読んでみている。今、二冊目まで読んだところである。
人によって感じ方はさまざまであるとは思うが、Kindle版で読むと、純粋なテクストということを、やはり感じる。物理的な書物の持つ、活字や紙から解放されているという印象はある。ただ、それでも、Kindleというデバイスの有する物理的な特性には支配されることにはなる。
読んで思うこととしては、こういう文章を芸術の文章というのだろう、という素朴な感じ方である。文章、文体からうける感覚である。この文章を読んでいる時間は、何か特別な時間である、と感じさせる何かがある……ということになる。文学は芸術であるのだが、芸術としての文学を感じる。芸術とは……最高のエンタテイメントであり、同時に、人間のこころの奥深くにあるものにふれる何かでもある。それは、愉悦であるかもしれなし、邪悪な何かかもしれない。
2025年4月11日記
100分de名著 村上春樹“ねじまき鳥クロニクル” (1)日常のすぐ隣にある闇
月曜日の放送なのだが、たまたま同時に録画する番組が重なっていて、金曜日の再放送を見た。
村上春樹の作品は、そのほとんどは読んでいる。少なくとも、小説、エッセイ、については、普通に手に入る本は、すべて読んだかと思っている。翻訳も全部読もうと思って、手をつけはじめたのだが、これは途中で止まってしまっている、というところだろうか。それでも、村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーは『ロング・グッドバイ』からはじめて全部読んだ。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読んだし、レイモンド・カーヴァーも村上春樹訳で読んだ。おそらく、村上春樹が訳していなかったら、レイモンド・カーヴァーは読まずにいたかもしれない。
私が村上春樹を読んで感じることの第一は、そのわかりやすさ、である。井戸とか、トンネルとか、エレベーターとか、川とか、壁とか、異界との通路である。これは、おそらく、全世界的にほとんどの民族において、共通するようなことかと思う。井戸やトンネルを通って、別の世界に通じる。そこは、この世とは別世界でありながら、どこかでつながってもいる。こういうイメージは、非常に分かりやすいものである、と私の場合は受けとめることになる。
しかし、だからといって、そこで描かれている人間の心理、様々な登場人物、物語、こういうものに、すぐに共感できるかというと、そうでもない。はっきりいってよく分からないものがある。
100分de名著で、とりあげる本を、わざわざ買って読むということはあまりない。すでに読んだ本である場合もあるし、もう新たに買って読んでみたいと思わない本もある。(もう少し年齢が若ければ、違っているかもしれないが。)
『ねじまき鳥クロニクル』については、以前に読んだ文庫本(新潮文庫)があるのだが、あらためてKindle版で買って読んでみている。今、二冊目まで読んだところである。
人によって感じ方はさまざまであるとは思うが、Kindle版で読むと、純粋なテクストということを、やはり感じる。物理的な書物の持つ、活字や紙から解放されているという印象はある。ただ、それでも、Kindleというデバイスの有する物理的な特性には支配されることにはなる。
読んで思うこととしては、こういう文章を芸術の文章というのだろう、という素朴な感じ方である。文章、文体からうける感覚である。この文章を読んでいる時間は、何か特別な時間である、と感じさせる何かがある……ということになる。文学は芸術であるのだが、芸術としての文学を感じる。芸術とは……最高のエンタテイメントであり、同時に、人間のこころの奥深くにあるものにふれる何かでもある。それは、愉悦であるかもしれなし、邪悪な何かかもしれない。
2025年4月11日記
BS世界のドキュメンタリー「ザ・ボーンズ 恐竜化石は誰のもの?」 ― 2025-04-11
2025年4月11日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ザ・ボーンズ 恐竜化石は誰のもの?」
2024年、ドイツ、カナダの制作。
ビッグ・ジョンの競売のことは、知っていることなのだが、世界には、恐竜の化石をめぐって、いろいろとある。
そもそも恐竜の化石は誰のものか、という視点はたしかにある。人類の共通の資産であると、いうこともできる。一方で、それをほしい人がいて、マーケットが成立するということもある。これは、今の世の中では、もはやとめることのできないことだろう。
モンゴルで、アメリカの自然史博物館が調査に来て持って帰った化石の返還をもとめているということは、理解できないことではない。しかし、それをいうならば、他にも、問題となることがあるだろうとは思う。この番組のなかで登場していないのが、ソ連とロシアであったが、モンゴルが社会主義国であったとき、どうだったのだろうか。また、中国における恐竜の化石の発掘の状況はどうなっているのだろうか。
モンゴルが社会主義をやめたとき、社会の状況はどうだったのだろうか。これは、ほとんど日本で大きく報道されることはなかったかと憶えている。国営企業に勤めていた人が仕事をなくし、売れるものはかたっぱしから売っていった。その中に恐竜の化石があったとしても、おかしなことではない。
アフリカのモロッコでは、恐竜の化石を売ることしか、収入を得る手段がない人たちが生活している。これは、国家と社会の構造的な問題であるので、それを止めさせることは、むずかしいだろう。
アメリカで、恐竜の化石のマーケットが、コミケみたいに開催されている。ここには、博物館なども、見に来るらしい。
いずれにせよ、恐竜の化石の学問的価値ということとは別に、そのコレクターがいて、とにかくどんなにお金を払ってもいいから手に入れたいと思っていることは、どうしようもないことだろう。いや、長い目で見ると、歴史の中において、美術品など今まで残ってきているのは、コレクターというべき人たちがいたおかげ、という側面もあるにちがいない。
映画『ジュラシック・パーク』が、古生物学に与えた影響は、かなり大きなものがあったということになる。映画では、琥珀の中の蚊から古代の生物のDNAを採取して、それをもとに恐竜を甦らせようというものだったが、これから、生物学やさまざまな技術が進歩していくと、こういうことは、かならずしもまったく空想ということではなくなるのかもしれない。さて、これが、科学の倫理としてどうなのか、ということはあるだろうが、技術的に可能ならやってみたくなるのが人間である。
今ではGPSで、砂漠のまんなかのような場所でも、ピンポイントで位置を特定できるようになったことも、化石の発掘を便利にしたのだが、同時に、盗掘することも容易にしたことになるだろう。
科学的には、どの場所の、どういう地層に、どのような状態で埋まっていたのか、ということが重要な情報になるはずなのだが、盗掘されると、こういう貴重な情報が失われてしまう。
恐竜の化石の闇のマーケットというようなことは、科学番組では、あつかうことのないテーマかもしれない。しかし、世の中でこういうことが行われているということは、古生物学など勉強しようと思っている学生は、知っておくべきことにちがいない。
2025年4月7日記
BS世界のドキュメンタリー 「ザ・ボーンズ 恐竜化石は誰のもの?」
2024年、ドイツ、カナダの制作。
ビッグ・ジョンの競売のことは、知っていることなのだが、世界には、恐竜の化石をめぐって、いろいろとある。
そもそも恐竜の化石は誰のものか、という視点はたしかにある。人類の共通の資産であると、いうこともできる。一方で、それをほしい人がいて、マーケットが成立するということもある。これは、今の世の中では、もはやとめることのできないことだろう。
モンゴルで、アメリカの自然史博物館が調査に来て持って帰った化石の返還をもとめているということは、理解できないことではない。しかし、それをいうならば、他にも、問題となることがあるだろうとは思う。この番組のなかで登場していないのが、ソ連とロシアであったが、モンゴルが社会主義国であったとき、どうだったのだろうか。また、中国における恐竜の化石の発掘の状況はどうなっているのだろうか。
モンゴルが社会主義をやめたとき、社会の状況はどうだったのだろうか。これは、ほとんど日本で大きく報道されることはなかったかと憶えている。国営企業に勤めていた人が仕事をなくし、売れるものはかたっぱしから売っていった。その中に恐竜の化石があったとしても、おかしなことではない。
アフリカのモロッコでは、恐竜の化石を売ることしか、収入を得る手段がない人たちが生活している。これは、国家と社会の構造的な問題であるので、それを止めさせることは、むずかしいだろう。
アメリカで、恐竜の化石のマーケットが、コミケみたいに開催されている。ここには、博物館なども、見に来るらしい。
いずれにせよ、恐竜の化石の学問的価値ということとは別に、そのコレクターがいて、とにかくどんなにお金を払ってもいいから手に入れたいと思っていることは、どうしようもないことだろう。いや、長い目で見ると、歴史の中において、美術品など今まで残ってきているのは、コレクターというべき人たちがいたおかげ、という側面もあるにちがいない。
映画『ジュラシック・パーク』が、古生物学に与えた影響は、かなり大きなものがあったということになる。映画では、琥珀の中の蚊から古代の生物のDNAを採取して、それをもとに恐竜を甦らせようというものだったが、これから、生物学やさまざまな技術が進歩していくと、こういうことは、かならずしもまったく空想ということではなくなるのかもしれない。さて、これが、科学の倫理としてどうなのか、ということはあるだろうが、技術的に可能ならやってみたくなるのが人間である。
今ではGPSで、砂漠のまんなかのような場所でも、ピンポイントで位置を特定できるようになったことも、化石の発掘を便利にしたのだが、同時に、盗掘することも容易にしたことになるだろう。
科学的には、どの場所の、どういう地層に、どのような状態で埋まっていたのか、ということが重要な情報になるはずなのだが、盗掘されると、こういう貴重な情報が失われてしまう。
恐竜の化石の闇のマーケットというようなことは、科学番組では、あつかうことのないテーマかもしれない。しかし、世の中でこういうことが行われているということは、古生物学など勉強しようと思っている学生は、知っておくべきことにちがいない。
2025年4月7日記
ブラタモリ「伊勢神宮への旅・第一夜▼巨大鳥居の謎!名物グルメ!三差路!」 ― 2025-04-11
2025年4月11日 當山日出夫
ブラタモリ 伊勢神宮への旅・第一夜▼巨大鳥居の謎!名物グルメ!三差路!
我が家から伊勢神宮に行くには、自動車では伊勢道をつかうことになるが、西の方から行くことになるので、桑名のあたりは行ったことがない。
江戸時代の伊勢神宮の信仰が、ただお伊勢参りだけではなく、いろんな方面に影響があったことは、すでに多くの研究があるところである。今では、内宮の方に人があつまるようになっているが、明治になってから鉄道の駅を作るときは、外宮の方に作っている。
テレビを見ていて思ったことは、道が狭いこと。センターラインがない。普通乗用車でも、すれ違うのに、困ることがあるような道幅である。これは、昔からの古い街道が、ほとんどそのまま現在の道路になったから、ということなのだろう。だから、東海道と伊勢への道と、三叉路が残っていることになる。
東海道は、桑名~宮宿のあいだが、渡し船になる。また、大井川には橋がなかった。だから、江戸と上方とのメインのルートであったとしても、かなり使い勝手の悪い道だったということになる。
幕末、皇女和宮の行列は、中山道を通っている。これは、『夜明け前』(島崎藤村)に描かれている。この小説を読むと、中山道が、むしろ、メインのルートであったように思える。このあたりのことは、江戸時代の交通の歴史として、研究があることなのだろうと思う。
たしか、日本に輸入してきたハマグリは、桑名の辺りの海辺で養生させてから、出荷していたはずだと、何かで見たことがある。それだけ、ハマグリの生育には適した環境であるということなのだろう。
2025年4月7日記
ブラタモリ 伊勢神宮への旅・第一夜▼巨大鳥居の謎!名物グルメ!三差路!
我が家から伊勢神宮に行くには、自動車では伊勢道をつかうことになるが、西の方から行くことになるので、桑名のあたりは行ったことがない。
江戸時代の伊勢神宮の信仰が、ただお伊勢参りだけではなく、いろんな方面に影響があったことは、すでに多くの研究があるところである。今では、内宮の方に人があつまるようになっているが、明治になってから鉄道の駅を作るときは、外宮の方に作っている。
テレビを見ていて思ったことは、道が狭いこと。センターラインがない。普通乗用車でも、すれ違うのに、困ることがあるような道幅である。これは、昔からの古い街道が、ほとんどそのまま現在の道路になったから、ということなのだろう。だから、東海道と伊勢への道と、三叉路が残っていることになる。
東海道は、桑名~宮宿のあいだが、渡し船になる。また、大井川には橋がなかった。だから、江戸と上方とのメインのルートであったとしても、かなり使い勝手の悪い道だったということになる。
幕末、皇女和宮の行列は、中山道を通っている。これは、『夜明け前』(島崎藤村)に描かれている。この小説を読むと、中山道が、むしろ、メインのルートであったように思える。このあたりのことは、江戸時代の交通の歴史として、研究があることなのだろうと思う。
たしか、日本に輸入してきたハマグリは、桑名の辺りの海辺で養生させてから、出荷していたはずだと、何かで見たことがある。それだけ、ハマグリの生育には適した環境であるということなのだろう。
2025年4月7日記
よみがえる新日本紀行「ムラの女神-愛知県南知多町-」 ― 2025-04-11
2025年4月11日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「ムラの女神-愛知県南知多町-」
再放送である。2022年2月27日。オリジナルの放送は、昭和49年(1974)。番組のHPでは、昭和41年(1971)と表示されていた。たぶん、画面表示の方が正しいのだろうと思う。
夜の暗いうちに漁に出る船を見送った女性たちが、岸壁で無事と大漁を祈るという光景は、いつのころまで続いていたものなのだろうか。「よみがえる」の新しい取材のときには、この風習はなくなっていた。
興味深かったのは、南知多出身で江戸に多くの人が行き、吉原の揚屋をやっていた、とあったこと。江戸が人口が増えて、吉原が形成されたとして、その妓楼の人たちは、どこからやってきた人なのであったろうか。
昔の漁港の仕事の風景が映っていたが、トロ箱が木製で、氷を使っている様子はなかった。水は、バケツでくんだものを上からかけていた。それが、現在の漁港の仕事になると、トロ箱はプラスチック製になり、氷が使われ、ホースで水をかけている。こういう時代の変化にともなう、仕事の様子の移り変わりということは、これはこれで、記録しておく価値のあることだと思う。おそらく、この間に、捕れた魚の販売ルートや市場も変わってきたのかとも思う。
村の神社の社殿をごっそりと建て替えるということが、昔は可能だった。いまだったら、どうだろうか。村の鎮守の神社の維持ということは、どこの地域でも課題となっていることかと思う。
教育によって、長男が都会に出て行く、ということは、この地域ではない……ということを言っていた。これは、この時代、多くの日本の地方で長男を含めて多くの人びとが(特に男性が)都会に出て行った時代であったということになる。高度経済成長の時代、地方から多くの人が、都市に移動した。
2025年4月9日記
よみがえる新日本紀行 「ムラの女神-愛知県南知多町-」
再放送である。2022年2月27日。オリジナルの放送は、昭和49年(1974)。番組のHPでは、昭和41年(1971)と表示されていた。たぶん、画面表示の方が正しいのだろうと思う。
夜の暗いうちに漁に出る船を見送った女性たちが、岸壁で無事と大漁を祈るという光景は、いつのころまで続いていたものなのだろうか。「よみがえる」の新しい取材のときには、この風習はなくなっていた。
興味深かったのは、南知多出身で江戸に多くの人が行き、吉原の揚屋をやっていた、とあったこと。江戸が人口が増えて、吉原が形成されたとして、その妓楼の人たちは、どこからやってきた人なのであったろうか。
昔の漁港の仕事の風景が映っていたが、トロ箱が木製で、氷を使っている様子はなかった。水は、バケツでくんだものを上からかけていた。それが、現在の漁港の仕事になると、トロ箱はプラスチック製になり、氷が使われ、ホースで水をかけている。こういう時代の変化にともなう、仕事の様子の移り変わりということは、これはこれで、記録しておく価値のあることだと思う。おそらく、この間に、捕れた魚の販売ルートや市場も変わってきたのかとも思う。
村の神社の社殿をごっそりと建て替えるということが、昔は可能だった。いまだったら、どうだろうか。村の鎮守の神社の維持ということは、どこの地域でも課題となっていることかと思う。
教育によって、長男が都会に出て行く、ということは、この地域ではない……ということを言っていた。これは、この時代、多くの日本の地方で長男を含めて多くの人びとが(特に男性が)都会に出て行った時代であったということになる。高度経済成長の時代、地方から多くの人が、都市に移動した。
2025年4月9日記
映像の世紀バタフライエフェクト「シークレットサービス 大統領の盾となる者たち」 ― 2025-04-10
2025年4月10日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト シークレットサービス 大統領の盾となる者たち
こういう仕事にたずさわる人たちについては、何よりも栄誉でむくいなければならない、と思う。その仕事の具体的内容については、ことの性質上、機密事項にかんすることが多いだろうから、そう詳しくオープンにすることはできないかもしれない。だが、もし、仕事が失敗すれば、その責任を厳しく問われることになる。
番組としては、シークレットサービスの仕事についてがメインだったので、逆の視点、つまり、大統領を殺してしまいたいと思うのは、どんな人たちだったのか、ということが、あまり深く触れられていない。これも、過去の事件が、それぞれ、どのような背景で起こったことなのか、考えてみれば、また別の歴史として、面白いものになるかもしれない。(それと、銃規制とは、別の問題である。)
日本の場合、要人警護については、かなり甘いかなという印象は、どうしてもある。安倍晋三元首相の暗殺事件があってから、かなり変わってきたとは思うけれども、それまでのことを思ってみれば、事件の時の警護が不十分なものだったとは、かならずしもいえないかもしれない。(今にいたるまで、陰謀説が消えて無くなったわけではない。)
アメリカ大統領の暗殺ということは、(狙うがわからして)成功率が高いというべきか、それとも、(阻止すべく)シークレットサービスが頑張ってきたというべきなのか、さて、どうなのだろうか。
2025年4月8日記
映像の世紀バタフライエフェクト シークレットサービス 大統領の盾となる者たち
こういう仕事にたずさわる人たちについては、何よりも栄誉でむくいなければならない、と思う。その仕事の具体的内容については、ことの性質上、機密事項にかんすることが多いだろうから、そう詳しくオープンにすることはできないかもしれない。だが、もし、仕事が失敗すれば、その責任を厳しく問われることになる。
番組としては、シークレットサービスの仕事についてがメインだったので、逆の視点、つまり、大統領を殺してしまいたいと思うのは、どんな人たちだったのか、ということが、あまり深く触れられていない。これも、過去の事件が、それぞれ、どのような背景で起こったことなのか、考えてみれば、また別の歴史として、面白いものになるかもしれない。(それと、銃規制とは、別の問題である。)
日本の場合、要人警護については、かなり甘いかなという印象は、どうしてもある。安倍晋三元首相の暗殺事件があってから、かなり変わってきたとは思うけれども、それまでのことを思ってみれば、事件の時の警護が不十分なものだったとは、かならずしもいえないかもしれない。(今にいたるまで、陰謀説が消えて無くなったわけではない。)
アメリカ大統領の暗殺ということは、(狙うがわからして)成功率が高いというべきか、それとも、(阻止すべく)シークレットサービスが頑張ってきたというべきなのか、さて、どうなのだろうか。
2025年4月8日記
NHKスペシャル「新ジャポニズム 第4集 DESIGN 世界を魅惑する“和”の魔法」 ― 2025-04-10
2025年4月10日 當山日出夫
NHKスペシャル 新ジャポニズム 第4集 DESIGN 世界を魅惑する“和”の魔法
個々の話題は面白いのだが、全体としては、いやこの回にかぎらず、「新ジャポニズム」の企画自体が、ニッポンすごい、でしかないように思える。ここから先の展望があまり見えないのである。
ランドセルが、アメリカで人気であるとしても、では、これから日本の産業としてランドセル製造が重要な意味を持つものになるかというと、そうとは思えない。
将来性があるのは折り紙の工学的な利用。二次元の紙から、三次元の立体物を作るというのは、数学的にも興味のある分野だろうし、また、工学的にもこれからの応用が期待できるにちがいない。だが、これは、ただ、折り紙が日本の(いつぐらい前からあるのかは知らないが)古くからの伝統と意識されるものである、という域を出ない。日本から、折り紙の理論を構築して、様々な産業分野への応用をこころみるというのは、期待できるかとも思うが、まだまだこれから先のことだろうと思う。
民藝について、柳宗悦をもちだすのは、分からなくはない。しかし、重要なことは、民藝の背景にあったはずの、前近代的な生活のスタイルや意識、価値観、風習、社会のあり方……これらは、現代では、封建的な遺物ということで、これまでに、あらゆる場面で否定され続けてきたことである。それを今さら復活させようとしても、かなりハードルが高い。
強引な言い方になるかと思うが、地方にいる女性がその土地に居着かず、都会をめざす。しかし、だからといって、成績優秀な学生が東京大学をめざすということでもない。このあたりの事情、日本社会のなかの前近代的な宿痾とでもいうものが、指摘されている。このような状態をのこすのか、改善していくのか、このような議論と、民藝の手作業を継承していくということとは、つながる問題であると、私は思う。
岡山のデニム工場で使っていた織機は、TOYODAとあった。豊田佐吉のながれをくむ豊田自動織機の作ったものということだろう。古い機械を使い続けることも大事だろう。と同時に、これを、現在のテクノロジーで、どうやって再現できるのか、というチャレンジがなければ、将来は見えない。機械は、いずれ壊れる。織機が壊れたら、デニム産業が終わってしまう、ということであってはならないはずである。
折り紙の技法で服を作るというのは、とても興味深いことではあるのだが、肝心なのは、その素材となっている生地をどうやって作るのか、ということである。どのような原材料を、どう加工すれば、スチームをあてるだけで変形するのか。(あるいはこれは秘密なのかとも思うが)この素材の研究開発こそが、もっとも重要なことかもしれない。はたして、ここに日本の大学や企業の研究が活かされているということであるのだろうか。私は、ここのところが最も知りたい。
2025年4月1日記
NHKスペシャル 新ジャポニズム 第4集 DESIGN 世界を魅惑する“和”の魔法
個々の話題は面白いのだが、全体としては、いやこの回にかぎらず、「新ジャポニズム」の企画自体が、ニッポンすごい、でしかないように思える。ここから先の展望があまり見えないのである。
ランドセルが、アメリカで人気であるとしても、では、これから日本の産業としてランドセル製造が重要な意味を持つものになるかというと、そうとは思えない。
将来性があるのは折り紙の工学的な利用。二次元の紙から、三次元の立体物を作るというのは、数学的にも興味のある分野だろうし、また、工学的にもこれからの応用が期待できるにちがいない。だが、これは、ただ、折り紙が日本の(いつぐらい前からあるのかは知らないが)古くからの伝統と意識されるものである、という域を出ない。日本から、折り紙の理論を構築して、様々な産業分野への応用をこころみるというのは、期待できるかとも思うが、まだまだこれから先のことだろうと思う。
民藝について、柳宗悦をもちだすのは、分からなくはない。しかし、重要なことは、民藝の背景にあったはずの、前近代的な生活のスタイルや意識、価値観、風習、社会のあり方……これらは、現代では、封建的な遺物ということで、これまでに、あらゆる場面で否定され続けてきたことである。それを今さら復活させようとしても、かなりハードルが高い。
強引な言い方になるかと思うが、地方にいる女性がその土地に居着かず、都会をめざす。しかし、だからといって、成績優秀な学生が東京大学をめざすということでもない。このあたりの事情、日本社会のなかの前近代的な宿痾とでもいうものが、指摘されている。このような状態をのこすのか、改善していくのか、このような議論と、民藝の手作業を継承していくということとは、つながる問題であると、私は思う。
岡山のデニム工場で使っていた織機は、TOYODAとあった。豊田佐吉のながれをくむ豊田自動織機の作ったものということだろう。古い機械を使い続けることも大事だろう。と同時に、これを、現在のテクノロジーで、どうやって再現できるのか、というチャレンジがなければ、将来は見えない。機械は、いずれ壊れる。織機が壊れたら、デニム産業が終わってしまう、ということであってはならないはずである。
折り紙の技法で服を作るというのは、とても興味深いことではあるのだが、肝心なのは、その素材となっている生地をどうやって作るのか、ということである。どのような原材料を、どう加工すれば、スチームをあてるだけで変形するのか。(あるいはこれは秘密なのかとも思うが)この素材の研究開発こそが、もっとも重要なことかもしれない。はたして、ここに日本の大学や企業の研究が活かされているということであるのだろうか。私は、ここのところが最も知りたい。
2025年4月1日記
サイエンスZERO「自然が愛する“六角形”!偶然?必然?」 ― 2025-04-10
2025年4月10日 當山日出夫
サイエンスZERO 自然が愛する“六角形”!偶然?必然?
再放送である。最初は、2024年1月14日。これもHDに残っていたので見た。
平面を敷き詰めることのできる図形は、正三角形、正四角形、正六角形、である。そのなかで、正六角形が、その周囲が最も短く、安定している……これは、理解できることである。正六角形であれば、どちらかから力が加わっても、ずれることがない、ということもあるのかもしれない。
興味深かったのは、ショウジョウバエの目(複眼)の六角形がどうしてできるのか、ということ。生物の体の形は、遺伝子によって決定されている、というのが、一般的な知識かと思うのだが、これは、必ずしも遺伝子によって決定していることではないらしい。複眼が形成されるプロセスのなかで、たくさんできた単眼が、おしあいへしあいしているうちに、もっとも安定した形として、六角形ができあがる、ということのようだ。いわゆる遺伝子決定論的な考え方で、すべて説明できることではないことになる。
蜂の巣の六角形が、大きさが変わるときに、五角形と七角形をはさんで、サイズの大きな正六角形を並べることができる。そして、これは、数学的に理にかなった方式である、というのは面白かった。社会性を持つ昆虫の行動の面白さでもある。
他に出てきていたのは、柱状節理。土星の雲の作る六角形。これらが、できる物理的メカニズムは異なっているが、結果として六角形が、もっとも安定した形としてできあがることになる。
味噌汁でも、六角形が観察できることは、とても面白い。
出てこなかったのは、雪の結晶。これは、これでまた魅力的な科学の世界になるにちがいない。
2025年4月5日記
サイエンスZERO 自然が愛する“六角形”!偶然?必然?
再放送である。最初は、2024年1月14日。これもHDに残っていたので見た。
平面を敷き詰めることのできる図形は、正三角形、正四角形、正六角形、である。そのなかで、正六角形が、その周囲が最も短く、安定している……これは、理解できることである。正六角形であれば、どちらかから力が加わっても、ずれることがない、ということもあるのかもしれない。
興味深かったのは、ショウジョウバエの目(複眼)の六角形がどうしてできるのか、ということ。生物の体の形は、遺伝子によって決定されている、というのが、一般的な知識かと思うのだが、これは、必ずしも遺伝子によって決定していることではないらしい。複眼が形成されるプロセスのなかで、たくさんできた単眼が、おしあいへしあいしているうちに、もっとも安定した形として、六角形ができあがる、ということのようだ。いわゆる遺伝子決定論的な考え方で、すべて説明できることではないことになる。
蜂の巣の六角形が、大きさが変わるときに、五角形と七角形をはさんで、サイズの大きな正六角形を並べることができる。そして、これは、数学的に理にかなった方式である、というのは面白かった。社会性を持つ昆虫の行動の面白さでもある。
他に出てきていたのは、柱状節理。土星の雲の作る六角形。これらが、できる物理的メカニズムは異なっているが、結果として六角形が、もっとも安定した形としてできあがることになる。
味噌汁でも、六角形が観察できることは、とても面白い。
出てこなかったのは、雪の結晶。これは、これでまた魅力的な科学の世界になるにちがいない。
2025年4月5日記
ETV特集「シリーズ 日本人と東大 第2回 壁 と 翼〜“女子学生2割”の問いかけ〜」 ― 2025-04-09
2025年4月9日 當山日出夫
ETV特集 シリーズ 日本人と東大 第2回 壁 と 翼〜“女子学生2割”の問いかけ〜
男女平等ということについては、理念としては反対する人はまずいないだろう。問題なのは、どのような状態なったときに、それが実現したといえるのか、具体的な話しになると、見解の対立が起こることである。
究極的には、自然の状態に根拠をもとめるしかない。世界には、人間がいるだけなのだからそれはすべて平等であるべきだ。世界には、男性と女性が存在しているのだから、そのちがいはみとめるべきだ。おそらく、その正しさの根拠となるところを、つきつめていけば、ここのところにいきつくしかない。
機会の平等は実現が比較的容易であるが、結果の平等は難しい。どういうことをもって、結果の平等といえるのか。そこには、一つの解答があるわけではない。結果的にこうなっているのは、出発点からの問題である(=本質的に機会の平等が実現されていない)、というおそらく堂々巡りの議論になる。
この番組は、東京大学と女子学生ということにポイントを絞っているので、ある意味で、論点が明確であり、問題点も分かりやすい。また、その歴史をたどっていることは評価されるべきである。
戦後になってからの、女子学生亡国論、男女雇用機会均等法がかならずしもすべての女性の賛同があったわけではないこと(反対する女性もいた)、アグネス論争、こういう紆余曲折の歴史があって、その結果、いまだに東京大学の女子学生が二割ということになる。
女子学生の数を増やすには、推薦入試を増やせばいい、という。だが、これも現実の問題としては、東京大学に推薦で入れるような高校は限られている。他の大学の推薦入試に比べれば、多様性があることにはなっているが、実際に多くの学生を推薦で入学ということになると、これはこれで、新たな教育格差問題が生じることになるかもしれない。このあたりの議論は、別にきちんと考える必要がある。
東京大学の入学者が、首都圏、都市圏の、中高一貫私立学校に偏っていることは、周知のことである。女子学生を増やすことと、その出身校、出身地、がどうなるかということは、総合的に考えなければならないことである。
この番組について思うこととしては、日本には多くの大学があるのだから、なにもかも東大の責任、というふうに議論をもっていかなくてもいいかとも思う。大学の方針として、多様な選抜で多様な学生を入学させたいという学校もあれば、学力試験だけの勝負で決まる、という大学もあっていいだろう。多様性にも多様性がある、ぐらいの視点で考えることも必要であると、私は思う。
ここには、東京大学が日本のトップの大学でなければならないという、思い込みがある。東京大学の日本でトップのエリート大学であるならば、男女平等の実現においてもトップでならなければならない。まずは、こういう思い込み、あるいは過剰な自負、を捨ててみることが大事だと思うのだが。
それから、大学の入学者で考えていたが、これが、大学院になると、分野にもよると思うが、かなり事情が異なってくるかもしれない。一部の分野については、男性は大学院に進学しようとしなくなっている。そのメリットを感じられない社会であるともいえる。これも、研究分野ごとに、修士課程、博士課程、博士号の取得、その後のキャリア、さらに細かく見なければならないことではある。
司法試験についてみれば、合格者の女性比率は高まってきている。これは、決してアファーマティブアクションのせいではなく、試験の成績だけで決まることであり、また、法曹の分野が、まさに法律を遵守する世界であるからこそ、女性が特にハンディを感じることが、少ない(ここは少ないと言っておく、まったく無いということではないだろうから)ということに起因するだろう。(司法試験をめざすなら、別に東大でなければならない理由はないけれど。)
さらに考えるべきこととしては、地方出身の若い女性(大学生)が、一人で生活するのに、東京という街がどうなのか、という観点も必要かと思う。東京という街が本当に魅力的で住みやすい街なのか、また、地方に住み続けることが、どうしようもなくいやなことなのか。どうだろうか。
もし、東京大学が、どうしても(数字の上で)男女平等を実現したければ、場合によっては、かなり強引なアファーマティブアクションによるしかないかもしれない。だが、それでは、問題の本質的な解決にはならない。そうなれば、優秀な女性は東京大学をさけるようになるかもしれない。
2025年4月6日記
ETV特集 シリーズ 日本人と東大 第2回 壁 と 翼〜“女子学生2割”の問いかけ〜
男女平等ということについては、理念としては反対する人はまずいないだろう。問題なのは、どのような状態なったときに、それが実現したといえるのか、具体的な話しになると、見解の対立が起こることである。
究極的には、自然の状態に根拠をもとめるしかない。世界には、人間がいるだけなのだからそれはすべて平等であるべきだ。世界には、男性と女性が存在しているのだから、そのちがいはみとめるべきだ。おそらく、その正しさの根拠となるところを、つきつめていけば、ここのところにいきつくしかない。
機会の平等は実現が比較的容易であるが、結果の平等は難しい。どういうことをもって、結果の平等といえるのか。そこには、一つの解答があるわけではない。結果的にこうなっているのは、出発点からの問題である(=本質的に機会の平等が実現されていない)、というおそらく堂々巡りの議論になる。
この番組は、東京大学と女子学生ということにポイントを絞っているので、ある意味で、論点が明確であり、問題点も分かりやすい。また、その歴史をたどっていることは評価されるべきである。
戦後になってからの、女子学生亡国論、男女雇用機会均等法がかならずしもすべての女性の賛同があったわけではないこと(反対する女性もいた)、アグネス論争、こういう紆余曲折の歴史があって、その結果、いまだに東京大学の女子学生が二割ということになる。
女子学生の数を増やすには、推薦入試を増やせばいい、という。だが、これも現実の問題としては、東京大学に推薦で入れるような高校は限られている。他の大学の推薦入試に比べれば、多様性があることにはなっているが、実際に多くの学生を推薦で入学ということになると、これはこれで、新たな教育格差問題が生じることになるかもしれない。このあたりの議論は、別にきちんと考える必要がある。
東京大学の入学者が、首都圏、都市圏の、中高一貫私立学校に偏っていることは、周知のことである。女子学生を増やすことと、その出身校、出身地、がどうなるかということは、総合的に考えなければならないことである。
この番組について思うこととしては、日本には多くの大学があるのだから、なにもかも東大の責任、というふうに議論をもっていかなくてもいいかとも思う。大学の方針として、多様な選抜で多様な学生を入学させたいという学校もあれば、学力試験だけの勝負で決まる、という大学もあっていいだろう。多様性にも多様性がある、ぐらいの視点で考えることも必要であると、私は思う。
ここには、東京大学が日本のトップの大学でなければならないという、思い込みがある。東京大学の日本でトップのエリート大学であるならば、男女平等の実現においてもトップでならなければならない。まずは、こういう思い込み、あるいは過剰な自負、を捨ててみることが大事だと思うのだが。
それから、大学の入学者で考えていたが、これが、大学院になると、分野にもよると思うが、かなり事情が異なってくるかもしれない。一部の分野については、男性は大学院に進学しようとしなくなっている。そのメリットを感じられない社会であるともいえる。これも、研究分野ごとに、修士課程、博士課程、博士号の取得、その後のキャリア、さらに細かく見なければならないことではある。
司法試験についてみれば、合格者の女性比率は高まってきている。これは、決してアファーマティブアクションのせいではなく、試験の成績だけで決まることであり、また、法曹の分野が、まさに法律を遵守する世界であるからこそ、女性が特にハンディを感じることが、少ない(ここは少ないと言っておく、まったく無いということではないだろうから)ということに起因するだろう。(司法試験をめざすなら、別に東大でなければならない理由はないけれど。)
さらに考えるべきこととしては、地方出身の若い女性(大学生)が、一人で生活するのに、東京という街がどうなのか、という観点も必要かと思う。東京という街が本当に魅力的で住みやすい街なのか、また、地方に住み続けることが、どうしようもなくいやなことなのか。どうだろうか。
もし、東京大学が、どうしても(数字の上で)男女平等を実現したければ、場合によっては、かなり強引なアファーマティブアクションによるしかないかもしれない。だが、それでは、問題の本質的な解決にはならない。そうなれば、優秀な女性は東京大学をさけるようになるかもしれない。
2025年4月6日記
よみがえる新日本紀行「ファッション通り〜東京・原宿〜」 ― 2025-04-09
2025年4月9日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「ファッション通り〜東京・原宿〜」
再放送である。2021年10月10日。オリジナルは、昭和48年(1973)9月24日。
昭和48年というと、私がまだ高校生のころである。その後、大学生になって東京に住むのだが、原宿は、名前は知っているが、特に行きたいと思うところではなかった。
見ていて最も興味深かったのは、無尽講。昭和48年のころまで、原宿は昔の東京の郊外の生活が残っていた。町内会があって、無尽講をしていた。無尽講は、名前は知っているし、その仕組みも知っていることなのだが、実際に人があつまってそれをやっているところの映像記録というのは、あるいは始めて見たことになるかもしれない。
原宿が、その昔は隠田と呼ばれた地域であり、明治神宮が作られて、そのために原宿の駅もできて、人びとの生活する郊外の住宅地として成立してきた。ちなみに、『細雪』を読むと、東京に転勤になった長女(鶴子)の一家は、渋谷に住むことになっているが、この時代(昭和一〇年代、太平洋戦争の前)の渋谷は、東京の郊外の住宅地として認識されていたことが分かる。渋谷とくらべれば、原宿はさらに郊外である。
畳屋さんが仕事をする場面が映っていた。昔の畳屋という仕事は、そう広い範囲を相手にする仕事ではないはずだと思うので(重い畳を運ぶの重労働である)、その商売が成りたっていた時代があったということになる。
登場していた若い女性が言っていたが、この時代の原宿は、最深のファッションを身にまとった若者と、かっぽう着(もう、こういう言い方が古めかしいが)を着て買い物カゴをさげたおばさんが、一緒に道を歩いていてもおかしくない、そういう街だった。
古くからの東京の山の手の郊外の住宅地の雰囲気を残す穏やかな原宿の街と、最先端のファッションの流行を追い求める若者たち、これらが、同居できていた、今から思えば、奇跡的とでもいうべき時代を、映像に残していることになる。
若い時の山本寛斎の仕事ぶりなどを記録した、貴重な番組であるかもしれない。
個人的な思い出を語れば、慶應義塾大学での私の恩師である先生が、原宿に住んでいた。その書斎として、マンションの一室を使っておられたので、そこには、かなりの回数、足をはこんだことになる。さらに、先生の晩年、年取って一人住まいになった先生をたずねて、原宿に行って食事などしたものである。もうこのころになると、普通の人が日常生活をおくる街ではなくなってきてしまっていたのだが。(最終的には、老人介護施設にはいられた。)
同潤会アパートが残っていたころのことは、私の記憶にある。
番組の中では、ワシントンハイツと言っていたが、これは、知識としては知っていることだが、実際には知らない。
喫茶店にたむろする若者たちが、みんな煙草をすっている。これは、こういう時代だったのである。
2025年4月3日記
よみがえる新日本紀行 「ファッション通り〜東京・原宿〜」
再放送である。2021年10月10日。オリジナルは、昭和48年(1973)9月24日。
昭和48年というと、私がまだ高校生のころである。その後、大学生になって東京に住むのだが、原宿は、名前は知っているが、特に行きたいと思うところではなかった。
見ていて最も興味深かったのは、無尽講。昭和48年のころまで、原宿は昔の東京の郊外の生活が残っていた。町内会があって、無尽講をしていた。無尽講は、名前は知っているし、その仕組みも知っていることなのだが、実際に人があつまってそれをやっているところの映像記録というのは、あるいは始めて見たことになるかもしれない。
原宿が、その昔は隠田と呼ばれた地域であり、明治神宮が作られて、そのために原宿の駅もできて、人びとの生活する郊外の住宅地として成立してきた。ちなみに、『細雪』を読むと、東京に転勤になった長女(鶴子)の一家は、渋谷に住むことになっているが、この時代(昭和一〇年代、太平洋戦争の前)の渋谷は、東京の郊外の住宅地として認識されていたことが分かる。渋谷とくらべれば、原宿はさらに郊外である。
畳屋さんが仕事をする場面が映っていた。昔の畳屋という仕事は、そう広い範囲を相手にする仕事ではないはずだと思うので(重い畳を運ぶの重労働である)、その商売が成りたっていた時代があったということになる。
登場していた若い女性が言っていたが、この時代の原宿は、最深のファッションを身にまとった若者と、かっぽう着(もう、こういう言い方が古めかしいが)を着て買い物カゴをさげたおばさんが、一緒に道を歩いていてもおかしくない、そういう街だった。
古くからの東京の山の手の郊外の住宅地の雰囲気を残す穏やかな原宿の街と、最先端のファッションの流行を追い求める若者たち、これらが、同居できていた、今から思えば、奇跡的とでもいうべき時代を、映像に残していることになる。
若い時の山本寛斎の仕事ぶりなどを記録した、貴重な番組であるかもしれない。
個人的な思い出を語れば、慶應義塾大学での私の恩師である先生が、原宿に住んでいた。その書斎として、マンションの一室を使っておられたので、そこには、かなりの回数、足をはこんだことになる。さらに、先生の晩年、年取って一人住まいになった先生をたずねて、原宿に行って食事などしたものである。もうこのころになると、普通の人が日常生活をおくる街ではなくなってきてしまっていたのだが。(最終的には、老人介護施設にはいられた。)
同潤会アパートが残っていたころのことは、私の記憶にある。
番組の中では、ワシントンハイツと言っていたが、これは、知識としては知っていることだが、実際には知らない。
喫茶店にたむろする若者たちが、みんな煙草をすっている。これは、こういう時代だったのである。
2025年4月3日記
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