『『こころ』は本当に名作か』2009-05-01

2009/05/01 當山日出夫

小谷野敦.『『こころ』は本当に名作か』(新潮新書).新潮社.2009

面白い。何をもってして「文学」と認定するか、また、それを名作・傑作と見るか、客観的な基準があるわけではない。

私は、文学部国文科の出身である。そのとき、「私は、まだ、不勉強なので、○○の作品のおもしろさがわかりません」という、言説をよく耳にした。まあ、確かに、この本の著者(小谷野敦)も認めるように、作者の境遇、読者の環境や知識のレベルにおいて、ある作品への共感や理解の程度は変わってくる。

私個人としては、ドストエフスキーは面白いと思う。『罪と罰』、次の巻がまだ出ない。別に、キリスト教徒、ロシア正教、ロシア人、でなくとも、メタのレベルでみれば、「ふ~ん、なるほど、そういう問いかけもあるのか」と、思って読めばいいではないか。

それから、日本の近代においては、「文学」が「思想」「哲学」のかわりをになってきた、という考え方は、いまでは、どうなっているのだろうか。現在の、日本近代文化史には疎いので、よくわからない。

だが、この意味では、夏目漱石の作品が、今でも人気があるのは、当然かなと思う。

筆者は、最後で、このように書いている。

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おそらく漱石は人生論的に、ドストは宗教書的に読まれているのだろう。文学は読まなくても、人生論や宗教書は読む、それもまた庶民の昔ながらの姿だ。
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宗教的価値観や、人生論(人間の生き方)を排除してしまった、文学とは何だろうか。純粋な「美」が、文化とともにある言語による「文学」として成立するか。あるいは、「ものがたり」のおもしろさか。このあたり、言い尽くされている議論と思う。

ともあれ、個人的に蛇足をひとつ。現代日本における児童文学の名作。私としては、『ルドルフとイッパイアッテナ』(斎藤洋)を、あげておきたい。ただ、これも、ある意味では人生論である。私の認識するところ、もっともすぐれた「教養小説」である。

さて、『朝日ジャーナル』創刊50年 怒りの復刊 をどう読むか。いや、その前に、『時間発下り列車』(清水義範)を読まないと。

當山日出夫(とうやまひでお)

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