帽子とマナー2009-08-17

2009-08-17 當山日出夫

雑談。

昨夜、NHKの『気骨の判決』を見ていて思ったことのひとつ。帽子、というものは、とても便利である。

人にあったとき、帽子をとる、あるいは軽く手をやる、何もしない、これで十分に相手とのコミュニケーションができる。あるは、いいかえるならば、礼節としての、帽子をかぶる(逆に、脱帽する)ことのマナー、である。

帽子をかぶっていれば、たとえば、教会のなかにはいったとき、お寺の本堂にはいったとき、神社の神殿の前で、帽子をとるという簡単な行為で、礼節を表現できる。しかし、帽子がないと、いったいどうしよう・・・ということになる。

歴史的に遡れば、昔から、「日本人」は帽子をかぶっていたわけではない。しかし、近代以降のある時期から帽子というものが、日常に定着した。そして、それは、あるマナーをともなうものであった。

こういう便利なものをうしなってしまった現代は、ちょっと不便になったと思えなくもない。確か、今でも、国会の議場においては脱帽しなければならない、というルールがあるはずだが、どうなったか。

ところで、『気骨の判決』、新潮社は増刷する気はないのだろうか。たった一年前の本であるが、新潮社のHPを見ても在庫は無いようである。

當山日出夫(とうやまひでお)

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