英雄たちの選択「江戸を駆けたマルチクリエーター 平賀源内」 ― 2025-02-17
2025年2月17日 當山日出夫
英雄たちの選択 江戸を駆けたマルチクリエーター 平賀源内
これも、『べらぼう』関連の番組の一つといっていい。だが、意図的にだろうが、蔦屋重三郎も、田沼意次も、名前が出てこなかった。
私ぐらいの世代だと、平賀源内は、学校の教科書で出てきたのを憶えている。それから、NHKのドラマ『天下御免』(調べてみると、このドラマの脚本は早坂暁である)のことを記憶している人も多いだろう。その後、平賀源内は、いろんな歴史番組などで取りあげられてきている。
高松藩の藩主、松平頼恭の作った『衆鱗図』のことは、以前にこの番組でもとりあげていたことがあった。江戸時代に、博物学に熱中した大名たちのことである。博物大名、本草学大名、という人たちが多く現れた時代であり、その時代の空気のなかに平賀源内もいたという理解でいいだろうか。
平賀源内は多才な人であったので、どこに焦点をあてるかで、いろいろと語り口がある。この番組の場合は、高松藩でのことから、江戸での活躍、そして、その死にいたるまでを、かなり分かりやすくまとめていたという印象がある。基本としては、平賀源内の才能を、どう活かすか……ということになる。
江戸時代に盛んだった学問として本草学がある。今でいう博物学である。現代の科学、厳密にはサイエンスという方法論、ではない、それ以前に、自然界にあるいろんな植物や動物などについて観察し記述していく学問である。本草学は、江戸時代までは、人文学(今でいう)と離れたものではなかった。
この流れなのかもしれないが、江戸時代以前、あるいは、中国に由来する本草学の書物についての文献学的な研究は、国語学、日本語学の研究分野の一つということもある。(私は、この方面については、あまり詳しい知識はないけれど。)
身分や階層を超えた、知の世界。知のエンターテイメントでの、さまざまな人びとの交流ということは、江戸時代を特徴付けることの一つといっていいだろう。
私の場合、自分の専門に近いところで理解できることとしては、本居宣長の仕事がある。『紫文要領』などは、江戸の知の一つの頂点といえるかもしれない。無論、宣長の研究としては、『古事記伝』をあげなければならないが。
平賀源内が、江戸で、薬品会を開催するとき、全国から展示品を集めた、その集め方が興味深い。全国に取次所を作って、そこに持って行く。そして、そこから、(いまでいう料金着払いで)江戸に集める。このようなシステムが可能になった、全国規模の情報通信と物流のネットワークが、形成されていたことになる。(番組ではこのことには言及がなかったが、私は、これこそ重要な歴史のポイントだと思う。)
平賀源内の戯作は、今までのところ、日本文学研究の領域では、名前は知っているが、その作品をまともに論じるということはあまりなかったかと思う。私もその一人である。その作品名は知識としては知っているのだが、それ以上ということはなかった。文学者としての平賀源内についての研究が、これからさかんになっていくことだろうと思う。
NHKの作った番組だから、大阪万博にかこつけて、何か役にたつ……という面をいいたかったという気がするのだが、知的エンタテイメントというのは、それが何の役に立つか、というようなことはあまり考えないものだと、私は思っている。とにかく、それをやって楽しいからやる、これにつきる。そして、これが、今の日本の大学や学問の世界において、急速に失われてきていることである。
讃岐の生まれということで、ため池を管理する農業は、商品作物の栽培を計画的に行うことである、と磯田道史がいっていたが、これはそのとおりだと思う。このような藩だからこそ、平賀源内が生まれたというべきだろうか。
和三盆の製造に平賀源内がかかわっていたということは、正直いって知らなかった。なるほどそういうこともあるのかと、思ったことになる。
平賀源内の西洋画と、歌麿の大首絵、興味深い問題だと思うが、学問的には慎重な議論が必要になるだろう。
江戸時代の「知的財産権」は非常に面白いテーマだとは思うが、いろいろと考えることがある。伝統芸能の伝承とか、同好の士によるサークル(俳諧や狂歌など)とか、家塾における門弟の立場とか、いろいろと今日とは違ったところがあったと思う。
2025年2月12日記
英雄たちの選択 江戸を駆けたマルチクリエーター 平賀源内
これも、『べらぼう』関連の番組の一つといっていい。だが、意図的にだろうが、蔦屋重三郎も、田沼意次も、名前が出てこなかった。
私ぐらいの世代だと、平賀源内は、学校の教科書で出てきたのを憶えている。それから、NHKのドラマ『天下御免』(調べてみると、このドラマの脚本は早坂暁である)のことを記憶している人も多いだろう。その後、平賀源内は、いろんな歴史番組などで取りあげられてきている。
高松藩の藩主、松平頼恭の作った『衆鱗図』のことは、以前にこの番組でもとりあげていたことがあった。江戸時代に、博物学に熱中した大名たちのことである。博物大名、本草学大名、という人たちが多く現れた時代であり、その時代の空気のなかに平賀源内もいたという理解でいいだろうか。
平賀源内は多才な人であったので、どこに焦点をあてるかで、いろいろと語り口がある。この番組の場合は、高松藩でのことから、江戸での活躍、そして、その死にいたるまでを、かなり分かりやすくまとめていたという印象がある。基本としては、平賀源内の才能を、どう活かすか……ということになる。
江戸時代に盛んだった学問として本草学がある。今でいう博物学である。現代の科学、厳密にはサイエンスという方法論、ではない、それ以前に、自然界にあるいろんな植物や動物などについて観察し記述していく学問である。本草学は、江戸時代までは、人文学(今でいう)と離れたものではなかった。
この流れなのかもしれないが、江戸時代以前、あるいは、中国に由来する本草学の書物についての文献学的な研究は、国語学、日本語学の研究分野の一つということもある。(私は、この方面については、あまり詳しい知識はないけれど。)
身分や階層を超えた、知の世界。知のエンターテイメントでの、さまざまな人びとの交流ということは、江戸時代を特徴付けることの一つといっていいだろう。
私の場合、自分の専門に近いところで理解できることとしては、本居宣長の仕事がある。『紫文要領』などは、江戸の知の一つの頂点といえるかもしれない。無論、宣長の研究としては、『古事記伝』をあげなければならないが。
平賀源内が、江戸で、薬品会を開催するとき、全国から展示品を集めた、その集め方が興味深い。全国に取次所を作って、そこに持って行く。そして、そこから、(いまでいう料金着払いで)江戸に集める。このようなシステムが可能になった、全国規模の情報通信と物流のネットワークが、形成されていたことになる。(番組ではこのことには言及がなかったが、私は、これこそ重要な歴史のポイントだと思う。)
平賀源内の戯作は、今までのところ、日本文学研究の領域では、名前は知っているが、その作品をまともに論じるということはあまりなかったかと思う。私もその一人である。その作品名は知識としては知っているのだが、それ以上ということはなかった。文学者としての平賀源内についての研究が、これからさかんになっていくことだろうと思う。
NHKの作った番組だから、大阪万博にかこつけて、何か役にたつ……という面をいいたかったという気がするのだが、知的エンタテイメントというのは、それが何の役に立つか、というようなことはあまり考えないものだと、私は思っている。とにかく、それをやって楽しいからやる、これにつきる。そして、これが、今の日本の大学や学問の世界において、急速に失われてきていることである。
讃岐の生まれということで、ため池を管理する農業は、商品作物の栽培を計画的に行うことである、と磯田道史がいっていたが、これはそのとおりだと思う。このような藩だからこそ、平賀源内が生まれたというべきだろうか。
和三盆の製造に平賀源内がかかわっていたということは、正直いって知らなかった。なるほどそういうこともあるのかと、思ったことになる。
平賀源内の西洋画と、歌麿の大首絵、興味深い問題だと思うが、学問的には慎重な議論が必要になるだろう。
江戸時代の「知的財産権」は非常に面白いテーマだとは思うが、いろいろと考えることがある。伝統芸能の伝承とか、同好の士によるサークル(俳諧や狂歌など)とか、家塾における門弟の立場とか、いろいろと今日とは違ったところがあったと思う。
2025年2月12日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/02/17/9755265/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。