知恵泉「忠臣蔵を書いた男・並木千柳 〜人形浄瑠璃の黄金期」2026-01-02

2026年1月2日 當山日出夫

知恵泉 忠臣蔵を書いた男・並木千柳 〜人形浄瑠璃の黄金期

前回の近松門左衛門に続いて、人形浄瑠璃の話し。この回も、面白かった。学術的に新発見の話題ということではないが、視点の設定がうまい。この回に登場していたのは、ヤマザキマリ、木之下裕一、黒石陽子。(私は、こういう番組を見るとき、ゲストで出ている人を検索してみる。黒石陽子を検索してみると、リサーチマップが出てくる。書いた論文のタイトルなど分かるので、この領域での専門家であることが分かる。)

この回(前回をふくめて)がよく作ってあると感じるのは、浄瑠璃、人形浄瑠璃、文楽、という用語を、きちんと使い分けているところにある。えてして、これらの用語は、混同されがちである。使っていなかったのが、義太夫ということば。ただ、竹本義太夫の固有名詞では使っていたが。

江戸時代のことだから、作者の個人の個性、という近代的な意識は、現代のように強いものではなかったはずである。西鶴についても、西鶴工房説があるぐらいである。これは、立証されたということではなく、そういう説がある、ということにとどまるが。

この意味で、立作者としての価値、今でいえば学術論文の筆頭者ということを、どれぐらい意識することだったか、と思うところもある。並木川柳という作者名も、現代的な意識でいう、作者としての固有名詞ということではない。二代目並木川柳という存在が、後に続く。竹田出雲も、初代がいて、二代目がいた。(こういうところは、もうすこし踏み込んだ解説があってもよかったかとも思う。)

菅原伝授手習鑑、義経千本桜、仮名手本忠臣蔵、これらの演目は、今日でも残っている。あまりにも、有名というべきだろう。

仮名手本忠臣蔵は、文楽で上演すると一日かかる。昔、国立劇場小劇場で、通し公演があったので行ったのを憶えている。

これらの作品が、人形浄瑠璃が、三人づかいになったころのこととなるの。人形浄瑠璃で何が表現できるかということで、複雑で繊細な表現が可能になったということは、確かなことだろう。

演劇史については、ほとんど知識がないのだが、人形浄瑠璃と歌舞伎とで、どう違っているのか、歌舞伎になるとき、どう改変したのか、その後の上演で、変化したところはあるのか、というあたりのことが気になる。

こういうことについて、ヤマザキマリ、木之下裕一という、表現する側、舞台をつくる側の視点から、どう思うのか……これは、面白い視点であったというべきだろう。時代設定としてふっとんだところがあるというのは、確かにそのとおりだが、この時代であれば、「曽我物語」のことに言及があってもよかったかもしれない。(古典芸能というのは、常に現代的なものでなければならない、とはいえるだろう。そうであってこそ、その時代の観客にうったえるものがあることになる。)

現代のマンガは、工房といっていい。マンガ家として名前が出るのは一人であっても、その背後には、いろんなスタッフがいろんな仕事を分担している。でなければ、毎週の連載が続くはずがない。これは、マンガの歴史として、昔からそうだったともいえるのだが、創作=個性、という抜きがたいドグマの前では、作者は一人でなければならない。これは、現代における、芸術・芸能の宿痾というべきかもしれない(あえて否定的に考えればということになるが。)。

観客の視点、創って演じる側の視点、研究者の視点……これらが、うまくかみあわさると、こういう番組は面白いものになる。(ちょっとものたりないところもあるけれど、まあいいとして。)

2025年12月26日記

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