映像の世紀バタフラエフェクト「スクリーンの中の東京百年」2026-01-03

2026年1月3日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト スクリーンの中の東京百年

はっきりいって、この回は、あまり面白くなかった。ポイントがぼやけてしまっている。東京の100年の歴史(関東大震災後のこと)を描きたいのか、あるいは、小津安二郎について語りたいのか、どうもどっちつかずで、結局何がいいたいのか、よく分からないままである。

小津安二郎は、今でこそ、日本映画の中で最高に高く評価されている。特に『東京物語』は、名作である。

私が、小津安二郎について思うことは、次のようなことになる。

私が大学生で東京にいたころ、1970年代の後半からということになるが、ちょうどそのころ、『ぴあ』が刊行された時期でもある。まだ、東京にいろんな名画座があった。京橋には、フィルムセンターがあった(その後、火災があったことになるが。)

名画座で映画を観て回ったりしたのだが、小津安二郎を多く観たという経験がない。あまり上映されなかったかと憶えている。せいぜい、浅草の六区の映画館街が、さびれた状態だったが、そんな中で、しかたなしに昔の古い映画ということで、上映されることがあったぐらい……私の認識としては、このようなことである。

『ぴあ』などに掲載の映画の上映情報を、総合的なデータベースにしてあるなら、このあたりの事情がはっきりするだろう。(こういうことは、もう誰かがやっているかとも思うが。)

新作の封切りとして上映された時期を特定することは簡単かとも思うが、一般の観客の視点からは、その後、どのような映画館(場末の二番館とか、名画座とか)で上映されてきたのか、という情報の方が、メディア史的には価値のあることだろう。

ともあれ、小津安二郎が評価されるようになったのは、私が学生のころよりも、かなり後になってからである。黒澤明とか、木下恵介とか、溝口健二とかの方が、高い評価だったと憶えている。

現在、小津安二郎が名監督として評価されているからといって、その作品の多くが作られた当時から、同じように高評価であったということではない。一時期は、忘れられようとしていた時代もあった。こういうことをふまえて、映画は資料として見る必要があるように思う。

それから、私は、『東京物語』は何度か観ているが(家のテレビで、であるが)、これも、正直にいってよく分からないところがある。映像としてすばらしいものであることは、理解できるつもりでいる。

しかし、昭和の戦後の時代を描くのに、どうも都市部の生活感覚にかたよりすぎているような印象がある。これも、東京の歴史という観点から見れば、まさに、戦後の東京を描いた映画ということになるのだが。これは、小津安二郎が、都会的センスで映画を作っていた、ということになるかと思うのだが、映画史研究方では、どう考えられているのだろうか。

小津安二郎が戦後の東京を描いたとするならば、笠智衆が戦前の人間の感覚を代表することになる。それに対して、吉永小百合は、戦後の高度経済成長の時代を象徴するだろう。

これは、映画というメディアが、この時代に、どのような人びとに、どう受容されていたのか、という視点が必要だろう。今では、映画というものを観る人間が、大きく変わってきている。(ありていにいえば、今の時代では、映画は、都会に住む人のちょっとした贅沢な趣味になってきている。もう、映画館の無い街が全国に多い。)映画というメディアの社会の中での位置づけの変化があって、現代の映画での東京の描き方がある。現代ならば、映画ではなく、テレビを見るべきかもしれない。

2025年12月31日記

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