『櫂』(2)「修羅」 ― 2025-02-26
2025年2月26日 當山日出夫
『櫂』(2) 修羅
最初の放送は、1999年である。この今から26年前のことになる。この時代に作るドラマとしては、こういうふうになるのかなあ、というところもあるし、また一方で、この時代だから作れたのだろう、という気もする。もし、現代だったら、そもそもこの作品のドラマ化という企画自体が難しいかもしれない。
岩伍の芸妓娼妓紹介業というものがもっている二面性。たしかに、(現代の価値観からすれば)人身売買にかかわる仕事であるし、貧しい人びと、その中でも女性の権利を蹂躙していることにはなる。だが、その一方で、この時代に、そうでもしなければ生きていけない人たちの現実ということもある。この相反することを、どう両立させて描くかは、かなり難しいと思う。
この意味では、このドラマは、よく頑張って作ったと感じる。だが、原作の小説のもっている味わいをかなり消し去ってしまっているところもある。原作で描かれた喜和は、その時代の女性の価値観を、良くも悪くも超えることがない人物であったと、読んだ記憶としては憶えている。原作の喜和は、貧民窟に住まう人びとのことを嫌悪するような感覚のもちぬしとして描かれている。現代のことばでいえば、差別意識を持っている。これは、その当時にあっては、街中の普通の人びとの感覚ということになる。むしろ、岩伍の方が、そのような貧民窟の人びとに対しても、その生活をなんとかしてやりたいという、ある意味で心の広さというべきものを持っている。
原作には、矯風会や廃娼運動のことは、出てきていないと憶えている。出てきていたとしても、その時代の雰囲気として、こういうこともあったということだったかと思う。さて、どうだっただろうか。(今からもう一度原作を読み直して確認する気はしないのだが。Kindle版がある。)
一方で、ドラマの方として、うまく描かれているのは、喜和と、大貞楼の女将と、巴吉、この三人のそれぞれの女性の生き方の対比。特に、大貞楼の加賀まりこが、とてもいい。
この回で綾子が生まれる。小説としては、『櫂』に『春燈』と続くのだが、松たか子のイメージとしては、娘の綾子の方がイメージとしてあっている、と私は思う。喜和という女性は、松たか子が演じるには、あまりに古風な生き方をした……そのような生き方しか知らなかった……女性である。あるべき女性の生き方を考えるようになるのは、綾子の世代になってからである。(綾子が、宮尾登美子自身を投影したものであろうとは思う。)
どうでもいいことなのかもしれないが、岩伍が巴吉を楽屋で背後から抱きしめて、着物の八ツ口から手をいれて胸をさわっている……こういう演出は、もう今の時代ではできないだろうと思う。まず、着物の作りを知っていないと、こういう動作ができるということが分からない。前の襟元から手を入れてもいいのかもしれないが、これでは、あまりに露骨すぎる。よくこういう演出ができたものだと思って見ていた。
2025年2月25日記
『櫂』(2) 修羅
最初の放送は、1999年である。この今から26年前のことになる。この時代に作るドラマとしては、こういうふうになるのかなあ、というところもあるし、また一方で、この時代だから作れたのだろう、という気もする。もし、現代だったら、そもそもこの作品のドラマ化という企画自体が難しいかもしれない。
岩伍の芸妓娼妓紹介業というものがもっている二面性。たしかに、(現代の価値観からすれば)人身売買にかかわる仕事であるし、貧しい人びと、その中でも女性の権利を蹂躙していることにはなる。だが、その一方で、この時代に、そうでもしなければ生きていけない人たちの現実ということもある。この相反することを、どう両立させて描くかは、かなり難しいと思う。
この意味では、このドラマは、よく頑張って作ったと感じる。だが、原作の小説のもっている味わいをかなり消し去ってしまっているところもある。原作で描かれた喜和は、その時代の女性の価値観を、良くも悪くも超えることがない人物であったと、読んだ記憶としては憶えている。原作の喜和は、貧民窟に住まう人びとのことを嫌悪するような感覚のもちぬしとして描かれている。現代のことばでいえば、差別意識を持っている。これは、その当時にあっては、街中の普通の人びとの感覚ということになる。むしろ、岩伍の方が、そのような貧民窟の人びとに対しても、その生活をなんとかしてやりたいという、ある意味で心の広さというべきものを持っている。
原作には、矯風会や廃娼運動のことは、出てきていないと憶えている。出てきていたとしても、その時代の雰囲気として、こういうこともあったということだったかと思う。さて、どうだっただろうか。(今からもう一度原作を読み直して確認する気はしないのだが。Kindle版がある。)
一方で、ドラマの方として、うまく描かれているのは、喜和と、大貞楼の女将と、巴吉、この三人のそれぞれの女性の生き方の対比。特に、大貞楼の加賀まりこが、とてもいい。
この回で綾子が生まれる。小説としては、『櫂』に『春燈』と続くのだが、松たか子のイメージとしては、娘の綾子の方がイメージとしてあっている、と私は思う。喜和という女性は、松たか子が演じるには、あまりに古風な生き方をした……そのような生き方しか知らなかった……女性である。あるべき女性の生き方を考えるようになるのは、綾子の世代になってからである。(綾子が、宮尾登美子自身を投影したものであろうとは思う。)
どうでもいいことなのかもしれないが、岩伍が巴吉を楽屋で背後から抱きしめて、着物の八ツ口から手をいれて胸をさわっている……こういう演出は、もう今の時代ではできないだろうと思う。まず、着物の作りを知っていないと、こういう動作ができるということが分からない。前の襟元から手を入れてもいいのかもしれないが、これでは、あまりに露骨すぎる。よくこういう演出ができたものだと思って見ていた。
2025年2月25日記
Asia Insight「中国 仮想恋愛に生きる女性たち」 ― 2025-02-25
2025年2月25日 當山日出夫
Asia Insight 中国 仮想恋愛に生きる女性たち
今の時代、こういう女性たちがいてもおかしくはないと思うのだが、中国では、その市場規模はかなりのものになっているらしい。これも、もうちょっとすると、女性が結婚しない理由として、当局が規制に乗り出しても、これもおかしくはない。女性向けの、乙女ゲームがあるのだから、当然、男性向けの恋愛ゲームがあってもいいだろう。
リアルな社会で、実際の男性では満足できず、バーチャル世界でのことの方に充足感を覚える……ちょっと考えると、(私の感覚としては)病的とも感じるのだが、今の時代において、若い人たちが、このような感覚をいだくようになることは、たしかにあるのだろう。
現実の世界においては、自分は全肯定されない、しかし、バーチャル世界なら、自分を全肯定してくれる相手がいる。しかし、実際のリアルの世界において、人の全肯定も全否定も、そうあることではなく、程度の問題かなと思うところもあるのだが、今の中国社会の若者の感覚では、自分が全肯定される世界でなければ生きていけないということになっているのだろう。
親が自分のことを全肯定してくれない、といいながら、一緒に画面のなかに収まっている光景は、奇妙な印象を与える。少しでも不満があると、自分が全面的に否定されたように感じてしまうということなのかもしれないが、これはこれで、いささか問題があるようにも感じる。世の中、適当に折り合いをつけていきながら、人間は生きていくものだ、という感覚にはなれないのだろうか。
そうはいっても、月に20万の収入がありながら、親と一緒に生活していて、自立できていないと責められるのは、周囲の人びとの問題かもしれないし、本人の気持ちの持ち方の問題かもしれない。
その年齢なら普通なら結婚して子どももいる……ということは、そう親が思うことはあっても、はっきりそう言うことではないようにも思える。日本でも、特に地方に住む女性については、いろいろと言われることではあるが、都市部では、普通はそこまで露骨に言うことはないだろう。
コス委託というのは、まあ、そういう需要があるのだろうとは思う。しかし、これに収入のほとんどをつぎ込んでしまうというのも、ちょっとどうかなと思う。だが、日本で問題になっているように、ホストに入れあげて売春させられるようなことを思えば、この範囲で済んでいるというのは、まともといっていいのだろうか。(番組には出てきていなかっただけで、裏でどんな関係があるのか、こういうことが明るみに出ることは、容易なことではないのかもしれない。)
ともあれ、今の若い人たちが、自分を全肯定してくれる相手でなければ満足できない、というのは、これからの社会にとって、いいことなのかどうか。もし、対策を考えるとするとしても、もう遅いかもしれない。
ところで、乙女ゲームの向こう側にいるのは、人間(プログラマ)なのだろうか、それとも、今ではAIなのだろうか。
2025年2月19日記
Asia Insight 中国 仮想恋愛に生きる女性たち
今の時代、こういう女性たちがいてもおかしくはないと思うのだが、中国では、その市場規模はかなりのものになっているらしい。これも、もうちょっとすると、女性が結婚しない理由として、当局が規制に乗り出しても、これもおかしくはない。女性向けの、乙女ゲームがあるのだから、当然、男性向けの恋愛ゲームがあってもいいだろう。
リアルな社会で、実際の男性では満足できず、バーチャル世界でのことの方に充足感を覚える……ちょっと考えると、(私の感覚としては)病的とも感じるのだが、今の時代において、若い人たちが、このような感覚をいだくようになることは、たしかにあるのだろう。
現実の世界においては、自分は全肯定されない、しかし、バーチャル世界なら、自分を全肯定してくれる相手がいる。しかし、実際のリアルの世界において、人の全肯定も全否定も、そうあることではなく、程度の問題かなと思うところもあるのだが、今の中国社会の若者の感覚では、自分が全肯定される世界でなければ生きていけないということになっているのだろう。
親が自分のことを全肯定してくれない、といいながら、一緒に画面のなかに収まっている光景は、奇妙な印象を与える。少しでも不満があると、自分が全面的に否定されたように感じてしまうということなのかもしれないが、これはこれで、いささか問題があるようにも感じる。世の中、適当に折り合いをつけていきながら、人間は生きていくものだ、という感覚にはなれないのだろうか。
そうはいっても、月に20万の収入がありながら、親と一緒に生活していて、自立できていないと責められるのは、周囲の人びとの問題かもしれないし、本人の気持ちの持ち方の問題かもしれない。
その年齢なら普通なら結婚して子どももいる……ということは、そう親が思うことはあっても、はっきりそう言うことではないようにも思える。日本でも、特に地方に住む女性については、いろいろと言われることではあるが、都市部では、普通はそこまで露骨に言うことはないだろう。
コス委託というのは、まあ、そういう需要があるのだろうとは思う。しかし、これに収入のほとんどをつぎ込んでしまうというのも、ちょっとどうかなと思う。だが、日本で問題になっているように、ホストに入れあげて売春させられるようなことを思えば、この範囲で済んでいるというのは、まともといっていいのだろうか。(番組には出てきていなかっただけで、裏でどんな関係があるのか、こういうことが明るみに出ることは、容易なことではないのかもしれない。)
ともあれ、今の若い人たちが、自分を全肯定してくれる相手でなければ満足できない、というのは、これからの社会にとって、いいことなのかどうか。もし、対策を考えるとするとしても、もう遅いかもしれない。
ところで、乙女ゲームの向こう側にいるのは、人間(プログラマ)なのだろうか、それとも、今ではAIなのだろうか。
2025年2月19日記
アナザーストーリーズ「あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相」 ― 2025-02-25
2025年2月25日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 「あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相」
再放送である。最初は、2021年2月17日。
あさま山荘事件が起こったのは、1972年の2月。このときのことは記憶している。毎日、テレビにかじりついていたということではなかったが、(この時期なら普通は学校に通っていたはずである)、ニュースで大きく取りあげられたことは、はっきりと憶えている。これをふくめて、一連の連合赤軍事件の全貌が明るみに出て、世の中の潮流が大きく変わったのを実感している。
私が、今もって、いわゆる現在のリベラルを信用しきれないのは、連合赤軍のことが体験的に記憶していることだからである。権力への抵抗ということはそれなりに認めながらも、その活動それ自体が自己目的化したときどうなるか、それが暴走したときどうなるか、その危険を忘れることができないからである。たぶん、現在、70才以上の人間の多くはそうだろうと思う。いやこれよりも、思想の教条化ということへの危惧である。この観点では、別にリベラルが嫌いというのではなく、いわゆる保守的な立場についても、そう思う。自分がなぜその考え方をするのか、ということについての自省を含まない思想は、危険なのである。世の中、どちらかといえば、いわゆるリベラルの方が、自省の抑制がきかないことが多い。保守思想は、(本来の意味としては)何を保守するべきなのか自省をともなうものである。
あさま山荘事件については、これまで多くのドキュメンタリー番組であつかわれてきているし、佐々敦行が現場の指揮官だったことも、後に知ったことである。このときの警視総監は、後藤田正晴。
興味深いのは、犯人の視点からの部分。裁判が終わり、刑期をつとめれば、一般の人間として生活できる。そのインタビューが興味深い。あさま山荘にたてこもったのは、逃避行のなりゆきでたまたまの偶然の結果、ということらしい。人質を交渉材料につかって、何かをなしとげよう、ということではなかった。これはそうだったのかもしれないが、無計画というか、無謀というか、もうちょっと考えて行動していればという気になる。(まあ、考える余裕があったのなら、そもそもこのような事件の結末にいたることはなかっただろうが。)
この当時、機動隊の盾では銃弾を防ぐことはできなかった。これは、今では、どう改良されているのだろうか。現実に起こりうる事態として、カラシニコフを連射されても防ぐことはできるのだろうか。あるいは、これは秘密事項なのか。
犯人を生きたまま捕らえる、これが警察の至上命題だったことは、そうだろうと思う。死んでしまえば英雄視されることになる。テレビのカメラが、銃を持っている姿を捕らえることができているのだから、腕利きのスナイパーなら仕留めることは可能だったかもしれないが、それは選択肢から排除されたことになる。(どうでもいいことだが、重信房子が日本に戻ってきたとき、英雄の凱旋のごとく出迎えていたのが、日本のジャーナリズムの一部であることは、確かなことである。)
警察側が二名の殉職者を出したことは、そうなのだが、防ぐことは可能だったかもしれない。あるいは、二名の殉職者で済んだことは僥倖だったのか。おそらく、テロ対策の専門家などにおいては、きちんとした検証がされているのだろうと思う。
この番組では、人質になった女性の名前を出していた。これまでに見た番組では、その女性の名前は伏せていた場合もあったかと思うが、番組の全体の構成を考えると、名前は出さざるを得ないし、だからといって、特に問題が生じるということはないように思える。
番組の最後に、警察において、殉職者への顕彰碑が映っていたが、このことはもっと一般に知られていいことだと思う。
2025年2月19日記
NHKスペシャル「臨界世界 -ON THE EDGE- 女性兵士 絶望の戦場」 ― 2025-02-25
2025年2月25日 當山日出夫
NHKスペシャル 臨界世界 -ON THE EDGE- 女性兵士 絶望の戦場
こういう番組を見ることができるというのは、幸せなことなのか、それとも、不幸なことなのか。少なくとも見ていて幸せな気分になることはないが、しかし、世の中のこういう現実があることを、忘れてはいけない。
見ながら思いうかんだ本の名前をあげてみると、『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳)、『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬)、『俘虜記』(大岡昇平)、などがある。たぶん、同じようなことを思った人は多いのではないかと思う。
戦場、そして、戦争をしている国の人びとの心理……ということから、考えることになる。無論、女性兵士だからということについて考えることもできるが、そういう特殊性よりも、戦場における兵士の心理として、一般的に思うことの方が強い。
いろいろと思うことはある。ただ、戦場においてこのような極限の心理状態におかれた兵士がいて、その一方で、政治的に戦争の終結を画策するというのが、世界の現実である、とは思っておいた方がいいだろう。
日本は、(幸いと言っていいかどうかとは思うが)この戦争の当事者ではない。だからこそ、戦場において、人間はどのような心理状態になるものなのか、冷静に考える余地を持っているといっていいだろう。こういうことをきちんと踏まえなければ、観念的に平和と言ってみても、非常にむなしいものに思えてくる。
戦争を終わらせるために、おそらく一番の障害になるのが、この戦争にこれだけの人びとが戦い犠牲になった、戦死した兵士たちの血を無駄にしてはいけない……という、心情というか、論理、であろう。こういう気持ちになることは理解しなければならないことだとは思うが、同時に、冷静な政治的判断においては排除しなければならない要素であることも確かである。課題は、このような人びとの心情を、ウクライナの多くの国民、そして、敵対するロシアの国民が、双方ともに納得できる形に持って行けるかどうか、だと思っている。これこそが、戦争を終結させることのできる、政治的指導者の力量である。
しかしながら、ウクライナでの戦争の最前線は、昔ながらの(という言い方しかできないのだが)突撃歩兵による銃撃戦であるというのは、戦争とはこういうものなのか、と考えることになる。
いくら無人兵器が発達しても、最後は、その戦場で人間が血を流すということがないと、士気をふるいたたせることができない、あるいは、あきらめることができない、というのが、人間というものなのであろう。
以前、何かのテレビ番組で、小泉悠が、もし台湾有事となった場合、無人兵器だけの戦闘で勝負がつくか、国民が納得するか……という意味のことを言っていて、そういうものなのだろうかと思って聞いていた。はたして、ウクライナやロシアの人びとは、どのような感覚でこの戦争を受けとめているのだろうか。NHKが作る番組だからということもあるが、基本的にウクライナ寄りの視点である。だが、戦争を終わらせるには、ウクライナだけではなくロシアの国民感情のゆくえも、考慮にいれなければならないはずである。それを双方ともに、それぞれのあり方で納得させることができてこその、高度な政治的判断ということになるにちがいない。
日本にできることは、余計な口出しをしない、ということぐらいだろうか。そして、このウクライナの現実が、明日の極東アジアに起こらないという保証はない。
2025年2月24日記
「スイスの象徴になった少女〜“ハイジ”はこうして生まれた〜」 ― 2025-02-24
2025年2月24日 當山日出夫
「スイスの象徴になった少女〜“ハイジ”はこうして生まれた〜」
2022年、ドイツ、フランス、スイスの制作。
この番組、以前、BS世界のドキュメンタリーで放送したものである。探せばテレビのHDに残っているかと思ったのだが、面倒なので、Eテレのドキュランドへようこそ、で放送があったのでそれを改めて録画して見た。
スイスに行ったことはないのだが、行くと、ハイジのキャラクターグッズがたくさん売っているらしい。そのなかには、日本のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターを使ったものも多いようだ。
『アルプスの少女ハイジ』は、だいたいのストーリーや登場人物は知っているが、テレビで全部を見たということはない。(そういえば、たしかこの放送の枠のなかで、「名犬ラッシー」などもやっていたかと憶えている。中に描かれたイギリスの炭坑町の風景が、「わが谷は綠なりき」に出てきた風景と同じだったという印象をもっている。この映画、黒澤明が最も好きな映画だと言ったことでも、知られているかと思う。)
興味深いこととしては、十九世紀の半ばのヨーロッパの中流階級、ブルジョア、という人びとの生活にあって、ハイジという少女の生き方は、非常に斬新であったということ、こういうことは、これまであまり考えてみたことがなかった。だが、言われてみれば、おそらくそうなのだろうと思う。
ちょうど時代としては、アメリカでは南北戦争があり、この時代を背景に『若草物語』が書かれた時代ということになる。この時代の、女性の生き方として、『若草物語』は、人間性と個性を尊重して、人間の善良な部分を非常に肯定的に描いた小説として、今にいたるまで価値のある作品になっている。
ハイジという少女の物語も、また、ヨーロッパにあって、その時代に生きた女性の考え方が、投影されたものであり、この場合には、その小説を書くことにによって、想像と創造のなかで、自由を得たということになるようだ。
番組のなかに登場していた小田部洋一が、スイスに行って、光が違う、空気が輝いている、ということを言っていた。これは、映像作品を作る人間ならではの感想だろう。
現在に伝わる「ハイジ」の作品は、続編としては、作者の了解を得ずに勝手に作ったものがあるという。フランス語版で、今でいう、二次創作のような形で、その後の「ハイジ」の物語が、作られた。今のように厳格に著作権を主張する時代ではなかったろうから、これもいたしかたないことかと思うと同時に、「ハイジ」という少女が、どのように、人びとに受容されていったか、ドイツ語圏とフランス語圏で違いがあるなら、これはこれとして、とても興味深い。
おそらく「ハイジ」という少女の物語をどう受容してきたかという観点からは、西欧の女性の歴史の一端をひもとくことができることになるのだろう。
2025年2月18日記
「スイスの象徴になった少女〜“ハイジ”はこうして生まれた〜」
2022年、ドイツ、フランス、スイスの制作。
この番組、以前、BS世界のドキュメンタリーで放送したものである。探せばテレビのHDに残っているかと思ったのだが、面倒なので、Eテレのドキュランドへようこそ、で放送があったのでそれを改めて録画して見た。
スイスに行ったことはないのだが、行くと、ハイジのキャラクターグッズがたくさん売っているらしい。そのなかには、日本のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターを使ったものも多いようだ。
『アルプスの少女ハイジ』は、だいたいのストーリーや登場人物は知っているが、テレビで全部を見たということはない。(そういえば、たしかこの放送の枠のなかで、「名犬ラッシー」などもやっていたかと憶えている。中に描かれたイギリスの炭坑町の風景が、「わが谷は綠なりき」に出てきた風景と同じだったという印象をもっている。この映画、黒澤明が最も好きな映画だと言ったことでも、知られているかと思う。)
興味深いこととしては、十九世紀の半ばのヨーロッパの中流階級、ブルジョア、という人びとの生活にあって、ハイジという少女の生き方は、非常に斬新であったということ、こういうことは、これまであまり考えてみたことがなかった。だが、言われてみれば、おそらくそうなのだろうと思う。
ちょうど時代としては、アメリカでは南北戦争があり、この時代を背景に『若草物語』が書かれた時代ということになる。この時代の、女性の生き方として、『若草物語』は、人間性と個性を尊重して、人間の善良な部分を非常に肯定的に描いた小説として、今にいたるまで価値のある作品になっている。
ハイジという少女の物語も、また、ヨーロッパにあって、その時代に生きた女性の考え方が、投影されたものであり、この場合には、その小説を書くことにによって、想像と創造のなかで、自由を得たということになるようだ。
番組のなかに登場していた小田部洋一が、スイスに行って、光が違う、空気が輝いている、ということを言っていた。これは、映像作品を作る人間ならではの感想だろう。
現在に伝わる「ハイジ」の作品は、続編としては、作者の了解を得ずに勝手に作ったものがあるという。フランス語版で、今でいう、二次創作のような形で、その後の「ハイジ」の物語が、作られた。今のように厳格に著作権を主張する時代ではなかったろうから、これもいたしかたないことかと思うと同時に、「ハイジ」という少女が、どのように、人びとに受容されていったか、ドイツ語圏とフランス語圏で違いがあるなら、これはこれとして、とても興味深い。
おそらく「ハイジ」という少女の物語をどう受容してきたかという観点からは、西欧の女性の歴史の一端をひもとくことができることになるのだろう。
2025年2月18日記
『べらぼう』「逆襲の『金々先生』」 ― 2025-02-24
2025年2月24日 當山日出夫
『べらぼう』 「逆襲の『金々先生』」
『金々先生栄花夢』は、国文学を勉強した学生なら、少なくとも名前は知っている作品である。ただ、これを本当に読んでみたいと思うか、また、さらに研究してみたいと思うか、となるとまた別の話ではあるが。
ただ、この作品について、作者名が出ないのは意図的なことだったのだろうか。
一般的な文学史の知識としては、江戸時代の「小説」は、人間の内面を描くところがなく、それが、近代になって、『当世書生気質』などが出て、日本の近代文学が始まった……という筋書きである。まあ、これに対しては、今では、いろんな方面から異論があるところにはちがいない。
だが、通俗的な理解としては、こういうものかとも思う。『坂の上の雲』の再放送を見ていて、正岡子規が、坪内逍遙に感激するシーンがあったのだが、これはこれとして、その時代の一般の受け止め方だったのだろう。
現在では、上田秋成とか、あるいは、本居宣長の「もののあはれ」の論など、人間というものの内面を、文学作品は描くものである、という認識が、決して明治以降になってから、西洋の文学の模倣によってもたらされたものばかりとはいえない、このように考えることもできるだろう。さらには、江戸時代の漢詩に近代文学に通じるものを読み解くことも可能である。例えば、中村真一郎の著作などは、そのような方向性を持っている。
ともあれ、江戸時代の戯作と一般に言われる文学作品が、現代でいう文学作品として、社会における人間のあり方や、心のうちのことを、細密に描写するというものでなかったことは確かである。このことは、比較的近年まで、通俗的な文学と、いわゆる純文学、という対立構図として、生きのびてきた考え方でもある。
後に、蔦重は浮世絵の分野で、歌麿や写楽とかかわる。これらの浮世絵は、現代の評価としては、描かれた人物の内面を描いている、というところがポイントになるかと思う。だが、この同時代の人びとにとって、人間のこころのうちを表現するということが、文学や美術……芸術……として、どう意識されていたのか、となると、また別かもしれない。
蔦重が、出版に乗り出すことになり、地本問屋たちが、それをこばむ、というのが、この回の大きなすじである。江戸時代、そう簡単に、既存の商売の仲間に入れてもらうことはできなかっただろうということは、考えられることであるが、実際はどのようだたのだろうか。このあたりの経緯については、江戸時代の出版史の専門家の考証があってのことだろうと思う。
気になることとしては、吉原細見という類の本が、いくら売れたとしても、そんなに大規模な出版の動きとして考えていいのだろうか、ということがある。この時代の、江戸における出版の全体像のなかで、どう描くかというところでは、これは、蔦重の仕事を大きく描きすぎではないかな、という気がする。
それよりも、さりげないが、須原屋が、出版が上方中心から、江戸に移ってきたということを言っていたことの方が、重要だろう。江戸時代の書物の出版や流通ということを考えるとき、いったいどんなふうにして流通したのかということがある。本は、軽いがかさばる。(これが、現代の紙の本だと、とにかく重いということになるが。)場合によっては、本を持って行って、それをばらして被せ彫りで作る方が、より現実的だったかもしれない。(現代なら、出来上がった本を船やトラックで運ぶよりも、組版データを送信して、現地で印刷製本した方が手軽でコストがかからない、ということになるかもしれない。)
吉原の描写については、できる限り、画面の映像美で見せようとしている。特に、瀬川の花魁道中などが、そうである。
吉原の恋、ということは、どうなのだろうか。遊里にあっては、現代のような恋愛感覚はなかったろう。そもそも、近代的な恋愛という観念が、新しいもの、と考えることもできる。(ただ、これに対しては、昨年の『光る君へ』で描いたような『源氏物語』などの王朝文学の「恋」はどうなのだろうか、という気もするが。)
ここで、お稲荷さんが身請けについて解説していたが、これは、これからの展開のための伏線ということになるかと思う。
蔦重が、蕎麦を食べるシーンがあったが、これは粋と言っていい。しかし、私のこのみとしては、野暮と言われてもいいから、たっぷりと汁をつけて食べる方が好きである。死ぬときに、思い残すことのないように……(と言って分かる人は、少なくなってしまったかもしれないが。)
『女重宝記』が出てきていた。この時代、これに類する本は、多数、刊行されている。これらの本(女性向けの教養書)をコレクションしている大学などもある。こういう種類の出版をふくめて、江戸時代の出版文化ということを、考えなければならない。これらの本は、蔦重が目指している地本問屋のあつかいになるのだろうか。(こういうところは、できればきちんと描いておいてほしいところである。)
お稲荷さんが蔦重に「バーカ」と言っていた。たしかに、蔦重は、バカである。少なくとも、瀬川花魁の気持ちを分かってはいない。しかし、これも、吉原に育った人間なら、こんなものかと思うところもある。
男の寝ている横で、起き上がった女郎(瀬川)が、「むちゃくちゃしやがって」と言って、枕紙を手に取って横にやるようなシーンなど、おそらくこれまでのNHKのドラマのなかでは、出てこなかったところかもしれない。(何のために使った紙なのか……あるいは、これは想像をたくましゅうしすぎかもしれないが。)
検校が出てきた。盲(めしい)というあたりが、今の時代のドラマとしては、使えることばの限界かなとは思う。ここはお稲荷さんの説明があって、江戸時代、視覚障害者は、(これを現代からどう評価するかは難しいが)ある種の特権が与えられていて、金貸しの仕事をして、大金持ちになる人もいた……これは、一つの事実としては、そのとおりということになるだろう。(すべての視覚障害者がそのように裕福であったということではない。)
吉原が悪所である、という認識がようやくこの回になって表面に出てきた。だが、これは、公認の悪所である、という微妙な位置づけになる。それ以外に、江戸市中の岡場所などのことも考えると、江戸時代、吉原という場所は、どのようなところだと、普通の江戸の市井の人たちは見ていたのだろうか。
だからこそ、吉原の親父たちは、自らを忘八と言って、ひらきなおることもできる。
田沼意次は日光社参の準備をしているが、それを見て、平賀源内は、社参を見世物にして、金を稼ぐことにしてはどうか……という意味のことを言っていたが、これは、実際にはどうだったのだろうか。江戸幕府主催の一大イベントとして、道中の宿場町を巻きこんだ経済効果ということになるのだろうが、なんとなく、今の時代の万博の経済効果と言っているようで……私は、これは、絶対に失敗すると確信しているが……ちょっと不安ではある。
2025年2月23日記
『べらぼう』 「逆襲の『金々先生』」
『金々先生栄花夢』は、国文学を勉強した学生なら、少なくとも名前は知っている作品である。ただ、これを本当に読んでみたいと思うか、また、さらに研究してみたいと思うか、となるとまた別の話ではあるが。
ただ、この作品について、作者名が出ないのは意図的なことだったのだろうか。
一般的な文学史の知識としては、江戸時代の「小説」は、人間の内面を描くところがなく、それが、近代になって、『当世書生気質』などが出て、日本の近代文学が始まった……という筋書きである。まあ、これに対しては、今では、いろんな方面から異論があるところにはちがいない。
だが、通俗的な理解としては、こういうものかとも思う。『坂の上の雲』の再放送を見ていて、正岡子規が、坪内逍遙に感激するシーンがあったのだが、これはこれとして、その時代の一般の受け止め方だったのだろう。
現在では、上田秋成とか、あるいは、本居宣長の「もののあはれ」の論など、人間というものの内面を、文学作品は描くものである、という認識が、決して明治以降になってから、西洋の文学の模倣によってもたらされたものばかりとはいえない、このように考えることもできるだろう。さらには、江戸時代の漢詩に近代文学に通じるものを読み解くことも可能である。例えば、中村真一郎の著作などは、そのような方向性を持っている。
ともあれ、江戸時代の戯作と一般に言われる文学作品が、現代でいう文学作品として、社会における人間のあり方や、心のうちのことを、細密に描写するというものでなかったことは確かである。このことは、比較的近年まで、通俗的な文学と、いわゆる純文学、という対立構図として、生きのびてきた考え方でもある。
後に、蔦重は浮世絵の分野で、歌麿や写楽とかかわる。これらの浮世絵は、現代の評価としては、描かれた人物の内面を描いている、というところがポイントになるかと思う。だが、この同時代の人びとにとって、人間のこころのうちを表現するということが、文学や美術……芸術……として、どう意識されていたのか、となると、また別かもしれない。
蔦重が、出版に乗り出すことになり、地本問屋たちが、それをこばむ、というのが、この回の大きなすじである。江戸時代、そう簡単に、既存の商売の仲間に入れてもらうことはできなかっただろうということは、考えられることであるが、実際はどのようだたのだろうか。このあたりの経緯については、江戸時代の出版史の専門家の考証があってのことだろうと思う。
気になることとしては、吉原細見という類の本が、いくら売れたとしても、そんなに大規模な出版の動きとして考えていいのだろうか、ということがある。この時代の、江戸における出版の全体像のなかで、どう描くかというところでは、これは、蔦重の仕事を大きく描きすぎではないかな、という気がする。
それよりも、さりげないが、須原屋が、出版が上方中心から、江戸に移ってきたということを言っていたことの方が、重要だろう。江戸時代の書物の出版や流通ということを考えるとき、いったいどんなふうにして流通したのかということがある。本は、軽いがかさばる。(これが、現代の紙の本だと、とにかく重いということになるが。)場合によっては、本を持って行って、それをばらして被せ彫りで作る方が、より現実的だったかもしれない。(現代なら、出来上がった本を船やトラックで運ぶよりも、組版データを送信して、現地で印刷製本した方が手軽でコストがかからない、ということになるかもしれない。)
吉原の描写については、できる限り、画面の映像美で見せようとしている。特に、瀬川の花魁道中などが、そうである。
吉原の恋、ということは、どうなのだろうか。遊里にあっては、現代のような恋愛感覚はなかったろう。そもそも、近代的な恋愛という観念が、新しいもの、と考えることもできる。(ただ、これに対しては、昨年の『光る君へ』で描いたような『源氏物語』などの王朝文学の「恋」はどうなのだろうか、という気もするが。)
ここで、お稲荷さんが身請けについて解説していたが、これは、これからの展開のための伏線ということになるかと思う。
蔦重が、蕎麦を食べるシーンがあったが、これは粋と言っていい。しかし、私のこのみとしては、野暮と言われてもいいから、たっぷりと汁をつけて食べる方が好きである。死ぬときに、思い残すことのないように……(と言って分かる人は、少なくなってしまったかもしれないが。)
『女重宝記』が出てきていた。この時代、これに類する本は、多数、刊行されている。これらの本(女性向けの教養書)をコレクションしている大学などもある。こういう種類の出版をふくめて、江戸時代の出版文化ということを、考えなければならない。これらの本は、蔦重が目指している地本問屋のあつかいになるのだろうか。(こういうところは、できればきちんと描いておいてほしいところである。)
お稲荷さんが蔦重に「バーカ」と言っていた。たしかに、蔦重は、バカである。少なくとも、瀬川花魁の気持ちを分かってはいない。しかし、これも、吉原に育った人間なら、こんなものかと思うところもある。
男の寝ている横で、起き上がった女郎(瀬川)が、「むちゃくちゃしやがって」と言って、枕紙を手に取って横にやるようなシーンなど、おそらくこれまでのNHKのドラマのなかでは、出てこなかったところかもしれない。(何のために使った紙なのか……あるいは、これは想像をたくましゅうしすぎかもしれないが。)
検校が出てきた。盲(めしい)というあたりが、今の時代のドラマとしては、使えることばの限界かなとは思う。ここはお稲荷さんの説明があって、江戸時代、視覚障害者は、(これを現代からどう評価するかは難しいが)ある種の特権が与えられていて、金貸しの仕事をして、大金持ちになる人もいた……これは、一つの事実としては、そのとおりということになるだろう。(すべての視覚障害者がそのように裕福であったということではない。)
吉原が悪所である、という認識がようやくこの回になって表面に出てきた。だが、これは、公認の悪所である、という微妙な位置づけになる。それ以外に、江戸市中の岡場所などのことも考えると、江戸時代、吉原という場所は、どのようなところだと、普通の江戸の市井の人たちは見ていたのだろうか。
だからこそ、吉原の親父たちは、自らを忘八と言って、ひらきなおることもできる。
田沼意次は日光社参の準備をしているが、それを見て、平賀源内は、社参を見世物にして、金を稼ぐことにしてはどうか……という意味のことを言っていたが、これは、実際にはどうだったのだろうか。江戸幕府主催の一大イベントとして、道中の宿場町を巻きこんだ経済効果ということになるのだろうが、なんとなく、今の時代の万博の経済効果と言っているようで……私は、これは、絶対に失敗すると確信しているが……ちょっと不安ではある。
2025年2月23日記
『カムカムエヴリバディ』「1964-1965」「1965ー1976」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1964ー1965」「1965ー1976」
この週で描いている時代は、1964年、つまり、昭和39年の東京オリンピックの後の昭和の日本ということになる。たまたま、そうなのだろうが、再放送の『カーネーション』が、ほぼ同時代のことをあつかっている。ほとんど同じ時代の岸和田と京都である。両方とも東京オリンピックのことは、ドラマのなかで時代的背景としてはあつかっていない。だが、まだ、戦後の高度経済成長の名残の時代という雰囲気の昭和の時代である。
るいの子どもは、ひなたと名付けられる。「On the Sunny Side of the Street」にちなんでいる。その小学生時代のことがメインだった。
このころの京都の街中の小学生は、こんなだったかなあ、と思い出しながら見ていたことになる。ひなたはあまり学校の勉強が好きではない。しかし、時代劇が好きで特にモモケンにあこがれている。(これはこれからのドラマのストーリーの展開の重要な部分になる。)
京都には、地蔵盆がある。京都の小学生としては、地蔵盆が過ぎてから夏休みの宿題にとりかかる……というのが定番といえるだろうが、ひなたの場合、夏休みの最後の日まで、先延ばしにしてきている。結局のところ、友達の小夜ちゃんに手伝ってもらうことになる。お父さんのジョーは、あてにならない。
ジョーは、ひなたの学校の宿題を見て、自分は勉強しなかったからという意味のことを言っていたのだが、実際は、ジョーはほとんど学校に通ったことは無かっただろう。岡山で戦災孤児になり、定一に拾われて世話してもらうことになる。進駐軍あいてのジャズの演奏について回っていたようなのだが、おそらく、学校にきちんと通ったことは無かっただろう。戦後、定一にあったころが、たぶん十才ぐらいの少年だったろうか。一通りの読み書きは出来る、また、音楽の手ほどきはうけたようだが、それ以外の学校の勉強はしたことがなかったと想像できる。だから、ひなたの小学校の宿題を見てあげることができない。
さりげないシーンだが、ジョーの生いたちと、それから、この時代に同じような境遇にあった多くの人びとのことを思い浮かべることになった場面だった。
時代としては、ちょうど太秦に映画村が出来たころ、ということになる。この時代、映画は衰退の方向に向かっていて、テレビ時代劇が生きのびていたころ、ということになるだろうか。定番の「銭形平次」「水戸黄門」などの他に、「必殺」シリーズや「木枯し紋次郎」も、このころのことになる。ちょうど、しばらく前に再放送していた『オードリー』が描いていた時代と重なる。
この『カムカムエヴリバディ』の京都編(ひなた編)は、随所に『オードリー』を意識しているかな、という部分がある。私としては、これは成功していると感じるところである。
京都の商店街で、回転焼き屋をやっていくというのは、大変だろうなあ、と思うとこではある。特に、ジョーが、何もしない。まあ、世の中には、このような人がいてもいいのであるし、この時代、商店街の人たちも、なんとなく、ジョーのことを気にかけているようだし、働かないで家にいることを、そうとがめるというふうでもない。この時代の商店街の雰囲気としては、こういうこともあっただろうと感じさせることになる。
どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマのなかで、るいは回転焼きを焼く仕事をしている。ジョーと店で話しをするときも、手を動かしている。こういう演出を見ると、そこに住んで働いている人がいる、という実感が伝わってくる。ドラマのなかで、実際に手を動かして仕事をしている部分をきちんと描いてあるというのは、非常に重要なことだと私は見ながら思っている。
2025年2月22日記
『カムカムエヴリバディ』「1964ー1965」「1965ー1976」
この週で描いている時代は、1964年、つまり、昭和39年の東京オリンピックの後の昭和の日本ということになる。たまたま、そうなのだろうが、再放送の『カーネーション』が、ほぼ同時代のことをあつかっている。ほとんど同じ時代の岸和田と京都である。両方とも東京オリンピックのことは、ドラマのなかで時代的背景としてはあつかっていない。だが、まだ、戦後の高度経済成長の名残の時代という雰囲気の昭和の時代である。
るいの子どもは、ひなたと名付けられる。「On the Sunny Side of the Street」にちなんでいる。その小学生時代のことがメインだった。
このころの京都の街中の小学生は、こんなだったかなあ、と思い出しながら見ていたことになる。ひなたはあまり学校の勉強が好きではない。しかし、時代劇が好きで特にモモケンにあこがれている。(これはこれからのドラマのストーリーの展開の重要な部分になる。)
京都には、地蔵盆がある。京都の小学生としては、地蔵盆が過ぎてから夏休みの宿題にとりかかる……というのが定番といえるだろうが、ひなたの場合、夏休みの最後の日まで、先延ばしにしてきている。結局のところ、友達の小夜ちゃんに手伝ってもらうことになる。お父さんのジョーは、あてにならない。
ジョーは、ひなたの学校の宿題を見て、自分は勉強しなかったからという意味のことを言っていたのだが、実際は、ジョーはほとんど学校に通ったことは無かっただろう。岡山で戦災孤児になり、定一に拾われて世話してもらうことになる。進駐軍あいてのジャズの演奏について回っていたようなのだが、おそらく、学校にきちんと通ったことは無かっただろう。戦後、定一にあったころが、たぶん十才ぐらいの少年だったろうか。一通りの読み書きは出来る、また、音楽の手ほどきはうけたようだが、それ以外の学校の勉強はしたことがなかったと想像できる。だから、ひなたの小学校の宿題を見てあげることができない。
さりげないシーンだが、ジョーの生いたちと、それから、この時代に同じような境遇にあった多くの人びとのことを思い浮かべることになった場面だった。
時代としては、ちょうど太秦に映画村が出来たころ、ということになる。この時代、映画は衰退の方向に向かっていて、テレビ時代劇が生きのびていたころ、ということになるだろうか。定番の「銭形平次」「水戸黄門」などの他に、「必殺」シリーズや「木枯し紋次郎」も、このころのことになる。ちょうど、しばらく前に再放送していた『オードリー』が描いていた時代と重なる。
この『カムカムエヴリバディ』の京都編(ひなた編)は、随所に『オードリー』を意識しているかな、という部分がある。私としては、これは成功していると感じるところである。
京都の商店街で、回転焼き屋をやっていくというのは、大変だろうなあ、と思うとこではある。特に、ジョーが、何もしない。まあ、世の中には、このような人がいてもいいのであるし、この時代、商店街の人たちも、なんとなく、ジョーのことを気にかけているようだし、働かないで家にいることを、そうとがめるというふうでもない。この時代の商店街の雰囲気としては、こういうこともあっただろうと感じさせることになる。
どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマのなかで、るいは回転焼きを焼く仕事をしている。ジョーと店で話しをするときも、手を動かしている。こういう演出を見ると、そこに住んで働いている人がいる、という実感が伝わってくる。ドラマのなかで、実際に手を動かして仕事をしている部分をきちんと描いてあるというのは、非常に重要なことだと私は見ながら思っている。
2025年2月22日記
『カーネーション』「悔いなき青春」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『カーネーション』 「悔いなき青春」
歴代の朝ドラのなかでも最も印象に残る台詞である。安岡のおばちゃんの言った「あの子はやったんやな、あの子がやったんや」のことばは、見るものの心の奥深くに訴えかけるものがある。勘助が戦争(日中戦争から太平洋戦争)において、戦地でどんな体験をしてきたのか、このドラマのなかでは具体的にはまったく語られていない。ただ、戦争から帰還した勘助が、(今でいう)PTSDの症状であったことは、現代の人間なら理解はできることである。また、戦争において、日本軍がどのようなことをしてきたか、兵士たちがどんな体験をしたか、このドラマの放送されたころには、かなり具体的なことが多くの人びとに知られているようになっていた。
ここでは、安岡のおばちゃんの台詞から、勘助の身の上に起こったことを、このドラマを見るものが、ただ想像するしかない。ただ、想像にまかされている。説明的な台詞やナレーションは、一切なかった。だからこそ、余計に、ここから何を読みとるかは、見るものの責任ということになる。そして、このドラマの脚本、演出は、見るものの想像力を信頼している。見るものの想像力を信頼しているからこそ、すぐれたドラマになる。
『カーネーション』が朝ドラのなかで最高傑作であるといわれるゆえんである。
この週で、尾野真千子の糸子が終わる。その娘たちの世代に移り変わっていく様が描かれていた。糸子は、店(オハラ洋装店)の看板を、娘にゆずる気でいる。自分が父親の善作かゆずられた看板である。小原呉服店であったものが、オハラ洋装店として、糸子がうけついできた。その看板の重みというものを、誰よりも糸子は理解している。これまで頑張ってきたのは、この看板をまもることでもあった。
しかし、娘たちは、看板の重みということを意識していない。それぞれに独立して、自分の才覚でやっていこうとしている。
この世代の違い……父親の善作、糸子、娘たち(優子、直子、聡子)……それぞれに、店の看板というものに対する意識が違っている。これは、善し悪しということではなく、時代の価値観の変化、社会のなかでの人間の生き方の違いである。古い世代だから間違っているという見方では、このドラマは人間を描いていない。それぞれの時代において、人間はそれぞれそのようにして生きてきたものである、ということを、時代や世相の変化とともに、きわめて情感を込めて肯定的な視点で描いている。
善作はたしかに、旧弊な封建的暴君という面もあったが、律儀な街の商売人であった。糸子は、看板をゆずりうけて、女性の洋装店をまもってきた。その子供たちは、岸和田の街を離れて、外の世界で活躍しようとしている。
このドラマは、岸和田の街、そして、そこの商店街の人びと、小原の家(建物)とそこに住んできた人たちの物語である。糸子は、あくまでも岸和田の街にとどまる。
それから、母親の千代は、歳をとってきて認知症ということになるのだが、この過程を、自然に描いている。人が生きて長生きすればいずれこうなる(こともある)。それを悲観するでもなく、人間とはそういうものだとして描いている。
ここまで見てきて、このドラマの作り方としては、窓から外の景色が見えるようにセットが作ってあること、外からの光を効果的につかって、季節や一日の時間の変化を表していること、その結果、奥行きのある画面になっていることが上げられる。ほとんどが岸和田の糸子の家のなかの場面なのだが、照明の変化によって多彩な映像となっている。このあたりは、ドラマの演出として、非常に凝った作り方をしていると感じるところである。
2025年2月22日記
『カーネーション』 「悔いなき青春」
歴代の朝ドラのなかでも最も印象に残る台詞である。安岡のおばちゃんの言った「あの子はやったんやな、あの子がやったんや」のことばは、見るものの心の奥深くに訴えかけるものがある。勘助が戦争(日中戦争から太平洋戦争)において、戦地でどんな体験をしてきたのか、このドラマのなかでは具体的にはまったく語られていない。ただ、戦争から帰還した勘助が、(今でいう)PTSDの症状であったことは、現代の人間なら理解はできることである。また、戦争において、日本軍がどのようなことをしてきたか、兵士たちがどんな体験をしたか、このドラマの放送されたころには、かなり具体的なことが多くの人びとに知られているようになっていた。
ここでは、安岡のおばちゃんの台詞から、勘助の身の上に起こったことを、このドラマを見るものが、ただ想像するしかない。ただ、想像にまかされている。説明的な台詞やナレーションは、一切なかった。だからこそ、余計に、ここから何を読みとるかは、見るものの責任ということになる。そして、このドラマの脚本、演出は、見るものの想像力を信頼している。見るものの想像力を信頼しているからこそ、すぐれたドラマになる。
『カーネーション』が朝ドラのなかで最高傑作であるといわれるゆえんである。
この週で、尾野真千子の糸子が終わる。その娘たちの世代に移り変わっていく様が描かれていた。糸子は、店(オハラ洋装店)の看板を、娘にゆずる気でいる。自分が父親の善作かゆずられた看板である。小原呉服店であったものが、オハラ洋装店として、糸子がうけついできた。その看板の重みというものを、誰よりも糸子は理解している。これまで頑張ってきたのは、この看板をまもることでもあった。
しかし、娘たちは、看板の重みということを意識していない。それぞれに独立して、自分の才覚でやっていこうとしている。
この世代の違い……父親の善作、糸子、娘たち(優子、直子、聡子)……それぞれに、店の看板というものに対する意識が違っている。これは、善し悪しということではなく、時代の価値観の変化、社会のなかでの人間の生き方の違いである。古い世代だから間違っているという見方では、このドラマは人間を描いていない。それぞれの時代において、人間はそれぞれそのようにして生きてきたものである、ということを、時代や世相の変化とともに、きわめて情感を込めて肯定的な視点で描いている。
善作はたしかに、旧弊な封建的暴君という面もあったが、律儀な街の商売人であった。糸子は、看板をゆずりうけて、女性の洋装店をまもってきた。その子供たちは、岸和田の街を離れて、外の世界で活躍しようとしている。
このドラマは、岸和田の街、そして、そこの商店街の人びと、小原の家(建物)とそこに住んできた人たちの物語である。糸子は、あくまでも岸和田の街にとどまる。
それから、母親の千代は、歳をとってきて認知症ということになるのだが、この過程を、自然に描いている。人が生きて長生きすればいずれこうなる(こともある)。それを悲観するでもなく、人間とはそういうものだとして描いている。
ここまで見てきて、このドラマの作り方としては、窓から外の景色が見えるようにセットが作ってあること、外からの光を効果的につかって、季節や一日の時間の変化を表していること、その結果、奥行きのある画面になっていることが上げられる。ほとんどが岸和田の糸子の家のなかの場面なのだが、照明の変化によって多彩な映像となっている。このあたりは、ドラマの演出として、非常に凝った作り方をしていると感じるところである。
2025年2月22日記
『おむすび』「生きるって何なん?」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『おむすび』「生きるって何なん?」
このドラマを始まりから見てきて、そう劇的に面白くなる、明日の展開が気になってしかたがない、というほどではないが、見るのがいいかげんに嫌になるというほどでもない。その週を見るかぎりでは、まあまあの出来映えかな、と思って見ている。
褒める、というか、工夫してあったなと感じるところもある。
朝ドラのなかで病気をあつかうことは、難しい。かなり高齢になって、もう十分に生きてきたので、ここいらへんで大往生してもらってもいいだろう、という例はある。例えば、最近の例では『らんまん』の土佐の祖母(松阪慶子)とか、『カーネーション』の安岡のおばちゃん(濱田マリ)とか。しかし、まだ壮年で、病気が見つかって治療して助かるという事例は、朝ドラでは描きにくいかもしれない。実際に病気である人、そうかもしれないと思っている人、あるいは、入院して病室のテレビで見ている人、こういう人たちがどう感じるかということを十分に考慮にいれた作り方をしなければならなくなる。
こういう意味では、今回の『おむすび』の聖人の胃がんの手術の件は、標準的な治療のあり方を示したということはいえるだろう。比較的早くに見つかって、胃カメラの検査があって、生検の結果は悪性であって、手術して、それが成功する。まあ、胃がんの場合、明かな自覚症状が出てきた段階では、ちょっと遅いかなということもないではないかもしれない。理想的には、定期的な検診で発見ということが望ましいのだろう。そうはいっても、体に不調を感じたらすぐに病院に行って検査してもらう、ということを実践しているということでは、これが番組としてはおすすめということになる。
一方で、不満に感じるところがいくつかある。
そもそも、病院の管理栄養士という仕事は、基本は裏方の業務のはずで、そんなに個々の患者と対面で話をすることはないだろう。もしあったとしても、食事のときに側に付き添っているということは、ちょっと考えにくい。実際のところはどうなのだろうと思う。まあ、ドラマとしては、結が父親の聖人の側にいるのは、自然と言えば自然なのであるが、病院の業務としては、家族だから特別というわけにはいかないはずである。
病院での管理栄養士の仕事を描くには、手っ取り早く、家族か知り合いの誰かが病気になって、手術、入院ということになり、そこで結の活躍を描くということかなと思う。初期の胃がんの手術ということとしては、父親の聖人がよかったということになるのだろう。そうすれば、退院して自分の家庭での食事のことまで、管理栄養士の視点で描くことができる。
だが、これは、いかにもドラマ制作上から都合の良すぎる話ではないかなとも思える。ここのところを、どう判断するかは、見る人によって別れるところだろう。
ここまできて、やはり、結が最初から管理栄養士を目指してこなかったことが、どうしてもひっかかる。神戸の栄養士の専門学校での授業はいったい何だったのだろうか。それよりも、四年制大学のその専門の学科で勉強したということの方が、展開として自然である。結が勉強した時代設定なら、大阪府立大学とか、大阪市立大学で、管理栄養士を目指すことができた。大阪市立大学だったら、医学部の附属病院で実習ということもあったはずである。(現在は、一緒になって大阪公立大学になってしまっている。)管理栄養士のコースは、女子大にあることが多いが、これらの大学ならば、男女共学の総合大学である。ドラマの展開としても、面白い展開があったかもしれない。
結が管理栄養士で病院に勤務しているということになったせいか、かつての栄養士の学校で、栄養士の資格をとって、東京の病院に就職したという友達のことが、まったく出てこなくなってしまっている。栄養士で病院に勤務する場合と、管理栄養士である場合とで、違いを描く、描かないの問題が生じることになる。
ここは、管理栄養士の資格の意味と出来る仕事の範囲について、きちんとした説明があるべきだったと思う。
姉の歩の店が、独自ブランドで服を作るという。今の時代であるから、縫製は海外の工場に委託することになる。これを、結が、全部一人で現地の会社との交渉までやっているということだったが、これはどうなのだろうか。サンプルを見て、縫製が雑だから、現地に行って確認してこい、というのも、どうかなと思う。国としては、バングラデシュなどになるかもしれないのだが、そのようなところまで、日本の立ち上げたばかりの個人経営のブランドのオーナーが、出かけて行くだろうか。そもそも、海外の工場で生産するのは、(国内ではもうそのような業者がいなくなっているということもあるかもしれないが)、人件費が安い国だからである。コストカットのために海外で作っている。現地まで行って確認するようなことをしていたら、もともこもない。せめては、その現地の工場で、奴隷的な労働で従業員が働かされていないかということを気にするぐらいだろう。(あるいは、これからの展開で、現代版の女工哀史の救済というようなことになってもいいかもしれないが。)
また、なんでもかんでもギャルに関係させれば無事解決というのも、どうだかなあと思う。(このあたりは、このドラマの基本方針ということなのかもしれないが。)
それから、強いて言えばということになるが、胃がんになった聖人が自分の病気のことについて調べるなら、国立がん研究センターのHPを見る、という設定にしてあった方がよかった。今の日本で、最も信頼のおけるがんについての情報源である。下手に検索すれば、怪しげなHPがいっぱい出てくる、これは避けた方いいということで、あえて啓蒙的にドラマを作ってもよかったところではないかと思っている。国立がん研究センターの名前を出しても、別にNHKのドラマとして問題はないだろう。
2025年2月21日記
『おむすび』「生きるって何なん?」
このドラマを始まりから見てきて、そう劇的に面白くなる、明日の展開が気になってしかたがない、というほどではないが、見るのがいいかげんに嫌になるというほどでもない。その週を見るかぎりでは、まあまあの出来映えかな、と思って見ている。
褒める、というか、工夫してあったなと感じるところもある。
朝ドラのなかで病気をあつかうことは、難しい。かなり高齢になって、もう十分に生きてきたので、ここいらへんで大往生してもらってもいいだろう、という例はある。例えば、最近の例では『らんまん』の土佐の祖母(松阪慶子)とか、『カーネーション』の安岡のおばちゃん(濱田マリ)とか。しかし、まだ壮年で、病気が見つかって治療して助かるという事例は、朝ドラでは描きにくいかもしれない。実際に病気である人、そうかもしれないと思っている人、あるいは、入院して病室のテレビで見ている人、こういう人たちがどう感じるかということを十分に考慮にいれた作り方をしなければならなくなる。
こういう意味では、今回の『おむすび』の聖人の胃がんの手術の件は、標準的な治療のあり方を示したということはいえるだろう。比較的早くに見つかって、胃カメラの検査があって、生検の結果は悪性であって、手術して、それが成功する。まあ、胃がんの場合、明かな自覚症状が出てきた段階では、ちょっと遅いかなということもないではないかもしれない。理想的には、定期的な検診で発見ということが望ましいのだろう。そうはいっても、体に不調を感じたらすぐに病院に行って検査してもらう、ということを実践しているということでは、これが番組としてはおすすめということになる。
一方で、不満に感じるところがいくつかある。
そもそも、病院の管理栄養士という仕事は、基本は裏方の業務のはずで、そんなに個々の患者と対面で話をすることはないだろう。もしあったとしても、食事のときに側に付き添っているということは、ちょっと考えにくい。実際のところはどうなのだろうと思う。まあ、ドラマとしては、結が父親の聖人の側にいるのは、自然と言えば自然なのであるが、病院の業務としては、家族だから特別というわけにはいかないはずである。
病院での管理栄養士の仕事を描くには、手っ取り早く、家族か知り合いの誰かが病気になって、手術、入院ということになり、そこで結の活躍を描くということかなと思う。初期の胃がんの手術ということとしては、父親の聖人がよかったということになるのだろう。そうすれば、退院して自分の家庭での食事のことまで、管理栄養士の視点で描くことができる。
だが、これは、いかにもドラマ制作上から都合の良すぎる話ではないかなとも思える。ここのところを、どう判断するかは、見る人によって別れるところだろう。
ここまできて、やはり、結が最初から管理栄養士を目指してこなかったことが、どうしてもひっかかる。神戸の栄養士の専門学校での授業はいったい何だったのだろうか。それよりも、四年制大学のその専門の学科で勉強したということの方が、展開として自然である。結が勉強した時代設定なら、大阪府立大学とか、大阪市立大学で、管理栄養士を目指すことができた。大阪市立大学だったら、医学部の附属病院で実習ということもあったはずである。(現在は、一緒になって大阪公立大学になってしまっている。)管理栄養士のコースは、女子大にあることが多いが、これらの大学ならば、男女共学の総合大学である。ドラマの展開としても、面白い展開があったかもしれない。
結が管理栄養士で病院に勤務しているということになったせいか、かつての栄養士の学校で、栄養士の資格をとって、東京の病院に就職したという友達のことが、まったく出てこなくなってしまっている。栄養士で病院に勤務する場合と、管理栄養士である場合とで、違いを描く、描かないの問題が生じることになる。
ここは、管理栄養士の資格の意味と出来る仕事の範囲について、きちんとした説明があるべきだったと思う。
姉の歩の店が、独自ブランドで服を作るという。今の時代であるから、縫製は海外の工場に委託することになる。これを、結が、全部一人で現地の会社との交渉までやっているということだったが、これはどうなのだろうか。サンプルを見て、縫製が雑だから、現地に行って確認してこい、というのも、どうかなと思う。国としては、バングラデシュなどになるかもしれないのだが、そのようなところまで、日本の立ち上げたばかりの個人経営のブランドのオーナーが、出かけて行くだろうか。そもそも、海外の工場で生産するのは、(国内ではもうそのような業者がいなくなっているということもあるかもしれないが)、人件費が安い国だからである。コストカットのために海外で作っている。現地まで行って確認するようなことをしていたら、もともこもない。せめては、その現地の工場で、奴隷的な労働で従業員が働かされていないかということを気にするぐらいだろう。(あるいは、これからの展開で、現代版の女工哀史の救済というようなことになってもいいかもしれないが。)
また、なんでもかんでもギャルに関係させれば無事解決というのも、どうだかなあと思う。(このあたりは、このドラマの基本方針ということなのかもしれないが。)
それから、強いて言えばということになるが、胃がんになった聖人が自分の病気のことについて調べるなら、国立がん研究センターのHPを見る、という設定にしてあった方がよかった。今の日本で、最も信頼のおけるがんについての情報源である。下手に検索すれば、怪しげなHPがいっぱい出てくる、これは避けた方いいということで、あえて啓蒙的にドラマを作ってもよかったところではないかと思っている。国立がん研究センターの名前を出しても、別にNHKのドラマとして問題はないだろう。
2025年2月21日記
よみがえる新日本紀行「森と匠の村〜北海道・音威子府村〜」 ― 2025-02-22
2025年2月22日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 森と匠の村〜北海道・音威子府村〜
最初の放送は、昭和57年。
見て驚いたことがあるというのが正直なところである。(失礼な言い方かとも思うのだが)今も音威子府村という自治体が残り、高校も残り、鉄道も残っている。廃村にならないまでも、その後の合併で無くなっていたかと思っていたのだが、そうではなかった。(しかし、市町村合併せずに単独で生きのこることにしたということなのかもしれないが、それはそれでいろいろと苦労があることだろう。だが、このような村だからこそ、「よみがえる新日本紀行」で再び取りあげることになったのだろう。今でも元気な地方の村、ということで。)
昔の放送の部分を見ると、今から40年ほど前の北海道の暮らしというのは、そういうものだったのか、という気がする。砂澤ビッキのことは、名前を憶えている人なのだが、どういう作品を残した人であるかまで、はっきり記憶していたということではない。
木工に特化した高校であり、全国から興味のある学生を集めている。これは、北海道のこの地方ならではの取り組みであり、現在では成功していると言っていいだろう。このような自然環境のなかで木工を学べるというのは、なかなか出来ることではない。出来れば、周囲の山林の維持管理や植林ということについても、現在ではどうなっているのか、気になるところである。この地域の森が手つかずで残ってきたというのは、北海道大学の演習林であったから、というのは、確かにそのとおりなおだろう。(これが、民間の所有だったら、乱開発されるか、さもなくば、捨て置かれるかということになったかもしれない。)
2025年2月19日記
よみがえる新日本紀行 森と匠の村〜北海道・音威子府村〜
最初の放送は、昭和57年。
見て驚いたことがあるというのが正直なところである。(失礼な言い方かとも思うのだが)今も音威子府村という自治体が残り、高校も残り、鉄道も残っている。廃村にならないまでも、その後の合併で無くなっていたかと思っていたのだが、そうではなかった。(しかし、市町村合併せずに単独で生きのこることにしたということなのかもしれないが、それはそれでいろいろと苦労があることだろう。だが、このような村だからこそ、「よみがえる新日本紀行」で再び取りあげることになったのだろう。今でも元気な地方の村、ということで。)
昔の放送の部分を見ると、今から40年ほど前の北海道の暮らしというのは、そういうものだったのか、という気がする。砂澤ビッキのことは、名前を憶えている人なのだが、どういう作品を残した人であるかまで、はっきり記憶していたということではない。
木工に特化した高校であり、全国から興味のある学生を集めている。これは、北海道のこの地方ならではの取り組みであり、現在では成功していると言っていいだろう。このような自然環境のなかで木工を学べるというのは、なかなか出来ることではない。出来れば、周囲の山林の維持管理や植林ということについても、現在ではどうなっているのか、気になるところである。この地域の森が手つかずで残ってきたというのは、北海道大学の演習林であったから、というのは、確かにそのとおりなおだろう。(これが、民間の所有だったら、乱開発されるか、さもなくば、捨て置かれるかということになったかもしれない。)
2025年2月19日記
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