『論文の教室』をよむ(2)2007-12-25

デジタル・ヒューマニティーズにばかりつきあってもいられないので、今日は、『論文の教室』のこと。本日(25日)で、今年の最終回。来年、2回の授業があるが、最終日はレポートの提出と受理のみ。実質的に、今日でほぼおわり、ということになる。

アカデミック・ライティングで、教科書として『論文の教室』(戸田山和久)を指定しておいた。しかし、実際には、あまり使ってはいない。というよりも、この本は、そもそも、「教科書」的な使い方には向いていない(と、私は判断している。)

とりあえず教科書に指定しておいてあるから各自で読んでおきなさい、授業では、君たちがこの本を読んであることを前提にすすめるから・・・とはしてある。(だが、はたして、どれほどの学生が実際にすべてのページをめくったことか?)

ときどき、授業のレジュメで、「鉄則」を引用したりするぐらいの使い方しかしていない。

ところで、最終の課題レポートを考えるのに、この本を使う。

54ページ

報告型の課題

(イ)読んで報告するタイプ

(ロ)調べて報告するタイプ

論証型の課題

(ハ)問題が与えられた上で論じるタイプ

(ニ)問題を自分でたてて論実タイプ

このうちの(イ)(ロ)(ハ)を使うことにする。このように、ことがらをきちんと整理して書いてあるのが、この本のいいところ。

(イ)(ロ)については、こちらから、本(新書本)を指定して、要約することを求めるものとする。ただ、要約といってしまうと、漠然としてしまうので、論ずるテーマや方向性については指示する。

今年度の前期・後期で、選んだ本は、

『ウェブ社会をどう生きるか』、西垣通、岩波新書(岩波書店)

これは、「集合知」を軸に要約する。

『論文捏造』、村松秀、中公新書ラクレ(中央公論新社)

これは、「科学の倫理と方法」を軸に要約する。

このように設定した。