グーグルへの対抗意識2010-03-05

2010-03-05 當山日出夫

国会図書館でのシンポジウムとか、あるいは、京大での「文化とコンピューティング」などで、感じたこと。日本では、グーグルに対する対抗意識が希薄なのではないか。

いや逆だろう。ヨーロッパの方であると、はっきりと、対グーグル(アメリカ)という意識を明確に持っている。自分の国の文化遺産、文化資源は、自らの責任でデジタル化して発信するのだ、という強固な意志を感じる。

これにくらべると日本はどうだろう。国会図書館の大規模デジタルライブラリ構想とはいっても、グーグルブックサーチに対抗して、自国の文化遺産(書籍)を、自国の手でデジタル化するのだ、という意識があるか、どうか。どうも、これまでの、グーグルブックサーチをめぐる日本での議論は、そういう方向ではないように思えてならない。

それから、この観点から重要なこと。ヨーロッパが、対グーグルということで、自らの文化資源をデジタル化するという方向を選んでいるということは、つまり、ヨーロッパのものから優先的にデジタル化され発信されるということである。

欧米には、多数の日本の(あるいは、東洋・東アジアのと言ってもよいか)美術品などがある。これらの、調査・研究、そして、デジタル化と発信が、後回しにされる、ということを意味する。これでいいのだろうか、と思うが。さて、どうだろうか。

グローバルなデジタルの社会になっての、ナショナリズムというものを無視はできない。これは、東アジアにあっても、中国・韓国についても言えるだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

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