電子書籍を残すという発想 ― 2010-07-01
2010-07-01 當山日出夫
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子図書館の電子書籍 ― 2010-07-02
2010-07-02 當山日出夫
国立国会図書館は、納本制度がある。できた本は、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。
ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容の本がでてくれば、うけれざるをえない。
まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。
次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙の本のようにはいかないにちがいない。
さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的として、電子図書の保存も重要な役目である。あるいは、電子図書専門の、それこそ、電子図書館をつくることになるのか。
実は、これらのことの先行きがまだ見えない、暗中模索、これから考えようというのが、意外と実情であるのかもしれない。このうちの「保存」ということ、このことにかんしていいえば、DVD版内村鑑三全集が、意外と、長持ちする可能性があるかと思っている。
第一に、コピープロテクトがかけていない。オリジナルのDVDがダメになっても、HDにコピーしてあるデータだけで、完全に機能する。コピーを複数つくっておけば、残すのは容易である。
第二に、基本のフォーマットを、PDFにしてあること。いろんな電子書籍の規格が乱立する情勢であるが、ひょっとすると、もっともシンプルであるPDFの規格が、一番のこる可能性がある。(これは、一般にデジタル文書の保存、ということとも関連するが。)
DVD版で、PDFで、パソコンで、……今の流れからすると、やや取り残されたに見えるDVD版内村鑑三全集であるが、視点を変えると、実は、もっとも堅実で、将来に残る方式であるのかもしれない。
それがどのような方向のものであるか。明日、みんなの意見をきいて考えてみたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
国立国会図書館は、納本制度がある。できた本は、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。
ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容の本がでてくれば、うけれざるをえない。
まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。
次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙の本のようにはいかないにちがいない。
さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的として、電子図書の保存も重要な役目である。あるいは、電子図書専門の、それこそ、電子図書館をつくることになるのか。
実は、これらのことの先行きがまだ見えない、暗中模索、これから考えようというのが、意外と実情であるのかもしれない。このうちの「保存」ということ、このことにかんしていいえば、DVD版内村鑑三全集が、意外と、長持ちする可能性があるかと思っている。
第一に、コピープロテクトがかけていない。オリジナルのDVDがダメになっても、HDにコピーしてあるデータだけで、完全に機能する。コピーを複数つくっておけば、残すのは容易である。
第二に、基本のフォーマットを、PDFにしてあること。いろんな電子書籍の規格が乱立する情勢であるが、ひょっとすると、もっともシンプルであるPDFの規格が、一番のこる可能性がある。(これは、一般にデジタル文書の保存、ということとも関連するが。)
DVD版で、PDFで、パソコンで、……今の流れからすると、やや取り残されたに見えるDVD版内村鑑三全集であるが、視点を変えると、実は、もっとも堅実で、将来に残る方式であるのかもしれない。
それがどのような方向のものであるか。明日、みんなの意見をきいて考えてみたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子書籍の質と将来について ― 2010-07-03
2010-07-03 當山日出夫
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
シンポジウム終了 ― 2010-07-04
2010-07-04 當山日出夫
ともあれ、昨日の「DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウム」は、無事に終了した。会場で用意してもらった部屋が、ほぼいっぱいになった状態。50名以上はあつまったろうか。
純然たる内村鑑三研究から、印刷業の話し(精興社)、電子図書の話し(岡本真さん・ARG)、普段なら、絶対に出会わないようなメンバーが集まることができた。この意味は大きいと思う。
そして、DVD版全集ができたことが、終わりなのではなくて、これから、このDVD版をつかって何をやっていくか、そのスタートにしたい。これで、終わりにするのではなく、次につながるべき何かを、参加者の人々に感じていただけたのではないかと思う。
いまは、無事に終わってほっとしたとき。家に帰ってから、いろいろ反省点など整理することにしないと、と思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
ともあれ、昨日の「DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウム」は、無事に終了した。会場で用意してもらった部屋が、ほぼいっぱいになった状態。50名以上はあつまったろうか。
純然たる内村鑑三研究から、印刷業の話し(精興社)、電子図書の話し(岡本真さん・ARG)、普段なら、絶対に出会わないようなメンバーが集まることができた。この意味は大きいと思う。
そして、DVD版全集ができたことが、終わりなのではなくて、これから、このDVD版をつかって何をやっていくか、そのスタートにしたい。これで、終わりにするのではなく、次につながるべき何かを、参加者の人々に感じていただけたのではないかと思う。
いまは、無事に終わってほっとしたとき。家に帰ってから、いろいろ反省点など整理することにしないと、と思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
これからの人文学研究とソーシャルメディア ― 2010-07-04
2010-07-04 當山日出夫
昨日の、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムの感想をすこし。
何度も書いているように、これは、旧来からの内村鑑三研究の立場のひと、DVD版の製作にあたったひと、それを使っている新しい研究者、実際にそれを作った印刷業、さらには、将来の電子書籍論……このようなひろい範囲を包括するこころみとして企画した。
そのなかで印象に残ったことを述べれば、これからの人文学研究の方向性であある。
第一には、資料のデジタル化。これはいうまでもないだろう。
第二には、ソーシャルメディアの活用の環境。その研究対象の資料の専門家が、それだけで閉じこもって「ムラ」を作ってしまってはいけない。社会にむかって開かれていなければならない。そのような方向に、いやおうなしに、向かっている。いわゆる、ソーシャルメディアがどんどん、研究者のコミュニティにも浸透していくだろう。
ここでは、自分たちだけで、資料をかかえこむ、ということが意味をなさなくなる。逆に、オープンであることが、相互のすみやかなコミュニケーションをささえるし、より、安定した、安全な、研究環境を作り出していくだろう。
DVD版内村全集は、DVDというパッケージである。だがそれは、社会に開かれたパッケージであるべきである。
ISBNをつけて、書籍として流通するようにした。取り扱ってくれる書店と交渉して、図書館などの納入するときに書類が整えられるようにした。また、このような一般の書籍流通ルートにのせることによって、誰でも、自由に、購入することができる。
確かに、すこしお金はかかる。しかし、それだけである。利用目的を書面に書いて申請書類を出して……などということもない。利用が、学術利用に限っているわけでもない。誰でも、自由に購入して、自由な使い方ができる。
これを、次のステップでは、WEBの時代のソーシャルメディアのなかで、どのように、利用者相互のコミュニケーションが形成できるか、これが、新たな課題であろう。
内村鑑三には、いまだに、読者が多い。多様な読者が、多様に存在している。それを、さらに、多様なメディアでむすびつけることができれば、それは、次の時代の内村鑑三の受容・読書のあり方につながるにちがいない。
DVD版ができたことは「おわり」ではない。これを「はじまり」として、次のステップのことを考えなければならない。このようなことを思った。特に、最後に話しをしていただいた、岡本真さん(ARG)の話題の方向を、私なりにまとめると、ざっと上記のようになるであろうか。
これから、である。
當山日出夫(とうやまひでお)
昨日の、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムの感想をすこし。
何度も書いているように、これは、旧来からの内村鑑三研究の立場のひと、DVD版の製作にあたったひと、それを使っている新しい研究者、実際にそれを作った印刷業、さらには、将来の電子書籍論……このようなひろい範囲を包括するこころみとして企画した。
そのなかで印象に残ったことを述べれば、これからの人文学研究の方向性であある。
第一には、資料のデジタル化。これはいうまでもないだろう。
第二には、ソーシャルメディアの活用の環境。その研究対象の資料の専門家が、それだけで閉じこもって「ムラ」を作ってしまってはいけない。社会にむかって開かれていなければならない。そのような方向に、いやおうなしに、向かっている。いわゆる、ソーシャルメディアがどんどん、研究者のコミュニティにも浸透していくだろう。
ここでは、自分たちだけで、資料をかかえこむ、ということが意味をなさなくなる。逆に、オープンであることが、相互のすみやかなコミュニケーションをささえるし、より、安定した、安全な、研究環境を作り出していくだろう。
DVD版内村全集は、DVDというパッケージである。だがそれは、社会に開かれたパッケージであるべきである。
ISBNをつけて、書籍として流通するようにした。取り扱ってくれる書店と交渉して、図書館などの納入するときに書類が整えられるようにした。また、このような一般の書籍流通ルートにのせることによって、誰でも、自由に、購入することができる。
確かに、すこしお金はかかる。しかし、それだけである。利用目的を書面に書いて申請書類を出して……などということもない。利用が、学術利用に限っているわけでもない。誰でも、自由に購入して、自由な使い方ができる。
これを、次のステップでは、WEBの時代のソーシャルメディアのなかで、どのように、利用者相互のコミュニケーションが形成できるか、これが、新たな課題であろう。
内村鑑三には、いまだに、読者が多い。多様な読者が、多様に存在している。それを、さらに、多様なメディアでむすびつけることができれば、それは、次の時代の内村鑑三の受容・読書のあり方につながるにちがいない。
DVD版ができたことは「おわり」ではない。これを「はじまり」として、次のステップのことを考えなければならない。このようなことを思った。特に、最後に話しをしていただいた、岡本真さん(ARG)の話題の方向を、私なりにまとめると、ざっと上記のようになるであろうか。
これから、である。
當山日出夫(とうやまひでお)
DVD版全集を売るということ ― 2010-07-05
2010-07-05 當山日出夫
話しを聞くところによると、DVD版の価格は、かなり低いと、書店などは感じているらしい。(ちなみに価格は、6万円である。)
そうであろう。まだ、第2刷の在庫がある。これは、10万円をはるかに超える(あまり古本市場にはまだ出ていない。)初刷の方は、おおむね、DVD版の価格。この意味では、まあまあ妥当なところかと思う。(買う側からしてみれば。)
しかし、とりあつかう書店にしてみれば、もうちょっと高くてもいいらしい。そうかもしれない。6万であっても、10万であっても、買うところはほとんど決まっているだろう。図書館や研究室が、6万だから買う、10万だから買わないということもないだろう。
とはいいながら、値段をつけて売るということは、非常にフェアな、社会への流通のさせ方であるとも思う。なにがしかのお金を出せば、それで、後は自由につかえるのであるから。しかも、それが、今回の場合、法外に高い値段というわけでない。
今後、いろんな展開が考えられる。検索機能までつけた現在のDVD版の他に、本文データ(PDF)だけを、なんらの形でより安価に提供ということも不可能ではないであろう。
内村鑑三の著作権はきれている。問題になるのは、岩波書店の「全集」を編集したときの権利であるが、これも、DVD版を出すときに、クリアしてある。(なにせ、会社の顧問弁護士がメンバーにいる会なのであるから。)
言語処理用のデータとしては、余計な検索機能などはいらない。プレーンなテキストデータがあればよい。(ただ、このプレーンなテキストデータを取り出すのがなかなか大変なのであるが。)今後の展開によっては、アカデミック版をつくるという方向もあるかもしれない。
とにかくより多くの人につかってもらいたい。これが、第一に目標とするところである。データがどのように共有されるか、社会に流通するか、というところまでふくめて、人文情報学は考えなければならないであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
話しを聞くところによると、DVD版の価格は、かなり低いと、書店などは感じているらしい。(ちなみに価格は、6万円である。)
そうであろう。まだ、第2刷の在庫がある。これは、10万円をはるかに超える(あまり古本市場にはまだ出ていない。)初刷の方は、おおむね、DVD版の価格。この意味では、まあまあ妥当なところかと思う。(買う側からしてみれば。)
しかし、とりあつかう書店にしてみれば、もうちょっと高くてもいいらしい。そうかもしれない。6万であっても、10万であっても、買うところはほとんど決まっているだろう。図書館や研究室が、6万だから買う、10万だから買わないということもないだろう。
とはいいながら、値段をつけて売るということは、非常にフェアな、社会への流通のさせ方であるとも思う。なにがしかのお金を出せば、それで、後は自由につかえるのであるから。しかも、それが、今回の場合、法外に高い値段というわけでない。
今後、いろんな展開が考えられる。検索機能までつけた現在のDVD版の他に、本文データ(PDF)だけを、なんらの形でより安価に提供ということも不可能ではないであろう。
内村鑑三の著作権はきれている。問題になるのは、岩波書店の「全集」を編集したときの権利であるが、これも、DVD版を出すときに、クリアしてある。(なにせ、会社の顧問弁護士がメンバーにいる会なのであるから。)
言語処理用のデータとしては、余計な検索機能などはいらない。プレーンなテキストデータがあればよい。(ただ、このプレーンなテキストデータを取り出すのがなかなか大変なのであるが。)今後の展開によっては、アカデミック版をつくるという方向もあるかもしれない。
とにかくより多くの人につかってもらいたい。これが、第一に目標とするところである。データがどのように共有されるか、社会に流通するか、というところまでふくめて、人文情報学は考えなければならないであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
雨にぬれてしまった ― 2010-07-07
2010-07-07 當山日出夫
なんで、こんな時間に雨になるのか……ちょうど、3時間目の授業が終わって、4時間目に移動しようというとき、土砂降りの雨だった。おかげで、クツのなかまで水浸しである。
そういえば、3時間目のコンピュータ教室での授業のとき。終わって、教室の電源を落として出ようとしたとき、いつもより暗かった。廊下から外に出てみると、暴風雨のごとく雨がふっている。雨だけではない風もつよかった。
しかし、次の授業がある。とにかく移動しなければならない。それが、よりによって、離れた場所にある校舎からの移動。歩き始めてすぐにもうびしょ濡れである。
次の授業に行ってみると、いつもよりも学生の数が少ない。ま、しかたないか、という感じである。それぐらいのすごい雨が急に降ってきた。そして、授業の途中で雨がやんで、鳥の鳴く声がきこえてきたりして。おわるときには、きれさっぱりと雨はあがっていた。晴れるというほどではないが、傘は必要なかった。
というわけで、いつになく、調子が変わったので、帰りに本屋さんにもよらずにまっすぐ家に帰る。帰ってすぐに仔猫たちのトイレ掃除。いろいろメールを見ていると、またまた用事が増えそうな……とりあえず、授業のレジュメ作成の方からはしばらく解放される。書かなければならない原稿を書こう。
明日からは、国立国語研究所。それが終わってかえったら、漢字文献情報処理研究会の電子書籍のシンポジウム。日曜日も仕事。で、月曜から次の週の授業になる。もうすこしで夏休み。なんとかなるだろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
なんで、こんな時間に雨になるのか……ちょうど、3時間目の授業が終わって、4時間目に移動しようというとき、土砂降りの雨だった。おかげで、クツのなかまで水浸しである。
そういえば、3時間目のコンピュータ教室での授業のとき。終わって、教室の電源を落として出ようとしたとき、いつもより暗かった。廊下から外に出てみると、暴風雨のごとく雨がふっている。雨だけではない風もつよかった。
しかし、次の授業がある。とにかく移動しなければならない。それが、よりによって、離れた場所にある校舎からの移動。歩き始めてすぐにもうびしょ濡れである。
次の授業に行ってみると、いつもよりも学生の数が少ない。ま、しかたないか、という感じである。それぐらいのすごい雨が急に降ってきた。そして、授業の途中で雨がやんで、鳥の鳴く声がきこえてきたりして。おわるときには、きれさっぱりと雨はあがっていた。晴れるというほどではないが、傘は必要なかった。
というわけで、いつになく、調子が変わったので、帰りに本屋さんにもよらずにまっすぐ家に帰る。帰ってすぐに仔猫たちのトイレ掃除。いろいろメールを見ていると、またまた用事が増えそうな……とりあえず、授業のレジュメ作成の方からはしばらく解放される。書かなければならない原稿を書こう。
明日からは、国立国語研究所。それが終わってかえったら、漢字文献情報処理研究会の電子書籍のシンポジウム。日曜日も仕事。で、月曜から次の週の授業になる。もうすこしで夏休み。なんとかなるだろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
授業で見るYouTube ― 2010-07-07
2010-07-07 當山日出夫
『ブログ論壇の誕生』を学生と一緒に読んでいる。佐々木俊尚、文春新書。
今日は、その中でとりあげられている、YouTubeの映像を見ることに。第6章「志井和夫の国会質問」。
派遣法改正し"労働者保護法"に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)
http://www.youtube.com/watch?v=6I_NTfz3RNs
2008年2月のものだが、10万回ちかく視聴されている。まず本を読む前に、「実物」を見てからと思ってであるが、これを見るだけで、授業一時間を使ってしまう。
まあ、たまにはこのようなこともいいだろう。そして、自分が使っている、工業製品の多くが、どのような労働環境の中で作られているのか、知っておくことも必要だろう。
これを、今の学生自身がどのように思って見たか……それは、あえてきかないでおくことにする。
當山日出夫(とうやまひでお)
『ブログ論壇の誕生』を学生と一緒に読んでいる。佐々木俊尚、文春新書。
今日は、その中でとりあげられている、YouTubeの映像を見ることに。第6章「志井和夫の国会質問」。
派遣法改正し"労働者保護法"に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)
http://www.youtube.com/watch?v=6I_NTfz3RNs
2008年2月のものだが、10万回ちかく視聴されている。まず本を読む前に、「実物」を見てからと思ってであるが、これを見るだけで、授業一時間を使ってしまう。
まあ、たまにはこのようなこともいいだろう。そして、自分が使っている、工業製品の多くが、どのような労働環境の中で作られているのか、知っておくことも必要だろう。
これを、今の学生自身がどのように思って見たか……それは、あえてきかないでおくことにする。
當山日出夫(とうやまひでお)
国語研コロキウムに行ってきた、すである人文情報学 ― 2010-07-10
2010-07-10 當山日出夫
国立国語研究所のコロキウムに行ってきた。
2010年7月8日(木)
朴鎭浩(ソウル大学校)
韓国口訣資料の電子的構造化
http://www.ninjal.ac.jp/event/colloquium/
日本でいえば、訓点資料。韓国では、口訣資料という。
※「口訣」、訓点後研究者の間では、「くけつ」「クギョル」が普通の読み方かなと思う。「こうけつ」と読んでもまちがちではないのであるが。
ソウル大学の先生であるが、日本語で発表してくださったので、私でも、聞くことができた。(学生の時に、朝鮮語を勉強してから、もうさっぱり忘れてしまっている……)。
印象に残ったこととしては、何よりも、デジタルの画像データの公開・共有を前提に、現在の韓国での口訣資料研究がすすんでいること。また、その。翻刻・解読の結果も、デジタルテキスト化されている。
これは、日本とおおきくちがう。
日本には日本の事情がある。資料をもっているのが、寺院であったりする場合、そう容易に、公開というわけにはいかない。だが、大学などの研究機関所蔵の資料でも、なかなか、デジタル画像として公開・共有にはいたっていない。
そして、さらにその研究に、いかにデジタル技術をつかうかとなると、まだ、だれも本格的にとりくんでいる、という状況にはない。(最近になって、ようやく、その方向の萌芽的な発表はあるが。)
幸いというべきであろう、韓国で、大量の口訣資料が発見されるのと、コンピュータが、普及するのが並行していた。主に、1990年代以降のことになる。そのため、研究に、コンピュータを利用することに、抵抗なく入っていけた、ということがあるのだろう。
だが、日本は、そのはるか以前の段階からの研究の蓄積があるので、そう簡単に、デジタルに移行するということができないまま、現状となっている。
資料をデジタル化して、公開して、多くの人々が共有すること、そして、それを前提に研究が構築されていくこと……これは、しいて、人文情報学というまでもない、ごくあたりまのことである。このあたりまえのことを、現実に目すると、何かしら新鮮なものに触れたかのごとく感じるのは……日本が、やっぱり、どこな変なのかもしれない。
特に、人文情報学ということを言わないでいい時代が、(隣の国では)すでに来ている。このことも、はっきりと認識しておくべきであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
国立国語研究所のコロキウムに行ってきた。
2010年7月8日(木)
朴鎭浩(ソウル大学校)
韓国口訣資料の電子的構造化
http://www.ninjal.ac.jp/event/colloquium/
日本でいえば、訓点資料。韓国では、口訣資料という。
※「口訣」、訓点後研究者の間では、「くけつ」「クギョル」が普通の読み方かなと思う。「こうけつ」と読んでもまちがちではないのであるが。
ソウル大学の先生であるが、日本語で発表してくださったので、私でも、聞くことができた。(学生の時に、朝鮮語を勉強してから、もうさっぱり忘れてしまっている……)。
印象に残ったこととしては、何よりも、デジタルの画像データの公開・共有を前提に、現在の韓国での口訣資料研究がすすんでいること。また、その。翻刻・解読の結果も、デジタルテキスト化されている。
これは、日本とおおきくちがう。
日本には日本の事情がある。資料をもっているのが、寺院であったりする場合、そう容易に、公開というわけにはいかない。だが、大学などの研究機関所蔵の資料でも、なかなか、デジタル画像として公開・共有にはいたっていない。
そして、さらにその研究に、いかにデジタル技術をつかうかとなると、まだ、だれも本格的にとりくんでいる、という状況にはない。(最近になって、ようやく、その方向の萌芽的な発表はあるが。)
幸いというべきであろう、韓国で、大量の口訣資料が発見されるのと、コンピュータが、普及するのが並行していた。主に、1990年代以降のことになる。そのため、研究に、コンピュータを利用することに、抵抗なく入っていけた、ということがあるのだろう。
だが、日本は、そのはるか以前の段階からの研究の蓄積があるので、そう簡単に、デジタルに移行するということができないまま、現状となっている。
資料をデジタル化して、公開して、多くの人々が共有すること、そして、それを前提に研究が構築されていくこと……これは、しいて、人文情報学というまでもない、ごくあたりまのことである。このあたりまえのことを、現実に目すると、何かしら新鮮なものに触れたかのごとく感じるのは……日本が、やっぱり、どこな変なのかもしれない。
特に、人文情報学ということを言わないでいい時代が、(隣の国では)すでに来ている。このことも、はっきりと認識しておくべきであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
漢情研の電子書籍シンポジウム、電子書籍と電子図書館 ― 2010-07-12
2010-07-12 當山日出夫
漢字文献情報処理研究会での、シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」
2010年7月10日
慶應大阪リバーサイドキャンパス
代表挨拶
報告1 田代真人氏((株)メディア・ナレッジ代表、(株)アゴラブックス取締役)
報告2 守岡知彦氏(京都大学人文科学研究所助教)
報告3 石岡克俊氏(慶応義塾大学産業研究所准教授)
ディスカッション
http://togetter.com/li/34725
上記に、まとめられている。
ここにも書いてあるが、私が質問したこと……電子書籍のすぐ隣接する問題としては、電子図書館の問題があるのではないか。
この質問については、「とりあえず、そのことは考えていない」ということで、かわされてしまった。(田代真人さん)。
しかし、電子図書館の問題を無視して、いくら、電子書籍のビジネスモデルを考えたとしても、空論にしかならない危惧を感じる、と言えば言い過ぎであろうか。まあ、既存の紙の出版との比較で、電子書籍の出版ビジネスモデルを考えるのは理解できる。しかし、それが、電子図書館と並行した議論になるのは、時間の問題であろう。少なくとも、電子図書館のことを考えないでは、電子書籍の問題の総体は見えない。
ただ、それはあまりに議論が複雑になるので、電子図書館の問題は、とりあえず、おいておいて議論してみるけれど……という留保付きであるならば、なんとか理解できる。だが、無視したところで、議論をしても無意味かもしれないと思える。
やはりこここは、再度、考え直して、電子図書館まで議論のなかにひきこまえるような、枠組みでの電子書籍論、電子図書館論が、必要であるように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
漢字文献情報処理研究会での、シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」
2010年7月10日
慶應大阪リバーサイドキャンパス
代表挨拶
報告1 田代真人氏((株)メディア・ナレッジ代表、(株)アゴラブックス取締役)
報告2 守岡知彦氏(京都大学人文科学研究所助教)
報告3 石岡克俊氏(慶応義塾大学産業研究所准教授)
ディスカッション
http://togetter.com/li/34725
上記に、まとめられている。
ここにも書いてあるが、私が質問したこと……電子書籍のすぐ隣接する問題としては、電子図書館の問題があるのではないか。
この質問については、「とりあえず、そのことは考えていない」ということで、かわされてしまった。(田代真人さん)。
しかし、電子図書館の問題を無視して、いくら、電子書籍のビジネスモデルを考えたとしても、空論にしかならない危惧を感じる、と言えば言い過ぎであろうか。まあ、既存の紙の出版との比較で、電子書籍の出版ビジネスモデルを考えるのは理解できる。しかし、それが、電子図書館と並行した議論になるのは、時間の問題であろう。少なくとも、電子図書館のことを考えないでは、電子書籍の問題の総体は見えない。
ただ、それはあまりに議論が複雑になるので、電子図書館の問題は、とりあえず、おいておいて議論してみるけれど……という留保付きであるならば、なんとか理解できる。だが、無視したところで、議論をしても無意味かもしれないと思える。
やはりこここは、再度、考え直して、電子図書館まで議論のなかにひきこまえるような、枠組みでの電子書籍論、電子図書館論が、必要であるように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
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