電子書籍を残すという発想 ― 2010-07-01
2010-07-01 當山日出夫
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。
iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。
ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、
1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。
2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。
3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。
だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。)
このうち、「残す」ということ。
いま、iPadが人気をよんでいる。では、今の、iPadが、10年後、20年後、さらには、100年後、200年後に、どうなっているだろうか。そこまで、みすえて、電子書籍の、あるいは、電子図書館の議論がされているだろうか。
議論を電子図書館にしぼって考えてみるならば、より、保存・残す、ということの重要性がある。電子書籍はどうやったら残せるのか。そのデジタルのデータだけを残すことが可能か。あるいは、それを見る機械(具体的には、iPadなど)を、稼働可能な状態で残さなければならない、ということになるだろうか。
せめて一世代、20~30年の間、現在の規格で確実に残せる電子書籍というものがあるとすれば、それはどんなものか。このような視点も、電子書籍を考えるうえで重要な点であると、私は、認識している。
當山日出夫(とうやまひでお)
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2010/07/01/5194811/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。