『幽霊』北杜夫 ― 2019-08-22
2019-08-22 當山日出夫(とうやまひでお)
北杜夫.『幽霊-或る幼年と青春の物語-』(新潮文庫).新潮社.1965(2014.改版) (文芸首都社.1954)
https://www.shinchosha.co.jp/book/113102/
北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』『どくとるマンボウ航海記』と読んで、次に手にしたのが『幽霊』である。
やまもも書斎記 2019年8月17日
『どくとるマンボウ青春記』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/17/9141939
やまもも書斎記 2019年8月19日
『どくとるマンボウ航海記』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/19/9142779
『幽霊』は、若いときに読んだような記憶があるのだが、どうもあやしい。さっぱりと忘れてしまっている。ともあれ、北杜夫の初期の作品として読んでみた。
読んで見ての印象は、『青春記』を書いた作者の別の顔、とでもいえばいいだろうか。それは、また、『楡家の人びと』の作者のそれともちがっている。北杜夫とは、このような文章を書くひとであったのかと、感じいるところがあった。
実に抒情的であり、内省的であり、繊細である。
「どくとるマンボウ」シリーズの裏には、この作品にみられるような、豊かな、そして、繊細な、感受性があってのことだと理解される。おそらくは、自伝的に、自らの幼いとき、それから、若い学生のときを、語っているのだろう。幼年期の思い出として書かれた文学作品はいくつかある。このブログで書いたことのあるものとしては、最近では、堀辰雄の「幼年時代」などがある。これは、あきらかにプルーストを意識して書いたと思われる。だが、『幽霊』で描かれている幼いときの思い出というべきものは、ちょっと変わっている。
それは、非常に屈折した視点で描かれていることを感じる。成人になった著者が、若い時……学生時代……のことを思い出し、そして、その若いときのさらなる思い出として、自身の幼いときのことを語っている。ストレートに、幼少期の思い出について書いているのではない。この屈折した、複合的な描写が、この作品に、奥行きを与えていると言っていいだろう。
ともあれ、『青春記』『昆虫記』などに描かれたことが、同時に、著者にとって、この作品のような印象的な叙述として作品となっていることに、ある意味で、おどろきもするところである。『楡家の人びと』や『青春記』にふとみられる、抒情的な部分、それがどのような感性のもとに描かれているのか、作者の文学的感性を、この作品に感じとることができるような気がする。
北杜夫で、さらに読んでおきたいのは、『夜と霧の隅で』、それから、『輝ける空の下で』である。
https://www.shinchosha.co.jp/book/113102/
北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』『どくとるマンボウ航海記』と読んで、次に手にしたのが『幽霊』である。
やまもも書斎記 2019年8月17日
『どくとるマンボウ青春記』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/17/9141939
やまもも書斎記 2019年8月19日
『どくとるマンボウ航海記』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/19/9142779
『幽霊』は、若いときに読んだような記憶があるのだが、どうもあやしい。さっぱりと忘れてしまっている。ともあれ、北杜夫の初期の作品として読んでみた。
読んで見ての印象は、『青春記』を書いた作者の別の顔、とでもいえばいいだろうか。それは、また、『楡家の人びと』の作者のそれともちがっている。北杜夫とは、このような文章を書くひとであったのかと、感じいるところがあった。
実に抒情的であり、内省的であり、繊細である。
「どくとるマンボウ」シリーズの裏には、この作品にみられるような、豊かな、そして、繊細な、感受性があってのことだと理解される。おそらくは、自伝的に、自らの幼いとき、それから、若い学生のときを、語っているのだろう。幼年期の思い出として書かれた文学作品はいくつかある。このブログで書いたことのあるものとしては、最近では、堀辰雄の「幼年時代」などがある。これは、あきらかにプルーストを意識して書いたと思われる。だが、『幽霊』で描かれている幼いときの思い出というべきものは、ちょっと変わっている。
それは、非常に屈折した視点で描かれていることを感じる。成人になった著者が、若い時……学生時代……のことを思い出し、そして、その若いときのさらなる思い出として、自身の幼いときのことを語っている。ストレートに、幼少期の思い出について書いているのではない。この屈折した、複合的な描写が、この作品に、奥行きを与えていると言っていいだろう。
ともあれ、『青春記』『昆虫記』などに描かれたことが、同時に、著者にとって、この作品のような印象的な叙述として作品となっていることに、ある意味で、おどろきもするところである。『楡家の人びと』や『青春記』にふとみられる、抒情的な部分、それがどのような感性のもとに描かれているのか、作者の文学的感性を、この作品に感じとることができるような気がする。
北杜夫で、さらに読んでおきたいのは、『夜と霧の隅で』、それから、『輝ける空の下で』である。
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