梅の花が咲いた2018-03-21

2018-03-21 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は花の写真。今日は梅である。

ようやく我が家の梅の木が咲いた。薄紅の八重咲きである。この梅の木、花の咲くのが遅い。テレビのニュースなどで、梅の開花が伝えられるころになっても、つぼみのままである。

だが、その花もようやく咲いた。写真を撮ったのは、19日(月曜日)。天気予報だと、雨になるとのことだったので、降らないうちにと思って撮影しておいた。

他には、椿の花が咲いている。木瓜の花ももうじき咲きそうである。山茱萸の花も咲いている。が、桜はまだのようだ。毎年、この時期、三月中旬以降になるといっきにいろんな花が咲き出す。

これまで漫然と花の咲くのを眺めてきたが、写真に撮っておくようになって、その開花時期、あるいは、その花の終わりを強く意識するようになった。また、花だけでなく、その冬芽、つぼみ、春になっての新芽の様子を観察するようになってきている。

本を読む合間に、庭に出て写真をとる。基本的に歩いていける範囲に限定している。自動車に乗って出かければ、いろいろ撮影できるのだろうが、ここは、あえて、歩いて行ける範囲に限定している。晴耕雨読ではないが、晴れていれば外にでて写真を撮る、雨の降っている日は写真を撮らずに、家にいて本を読む。このような生活が、続けられればと思っている。

梅

梅

梅

梅

Nikon D7500
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『やちまた』足立巻一(その二)2018-03-22

2018-03-22 當山日出夫(とうやまひでお)

やちまた上

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月19日
『やちまた』足立巻一
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/19/8806507

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

この作品の冒頭ちかくにある次の箇所が、全体の通奏低音のようにひびいている。

「ふしぎですねえ……語学者には春庭のような不幸な人や、世間から偏屈といわれる人が多いようですねえ……」(上巻 p.11)

神宮皇學館での授業の一場面の回想。ある教授の話である。ここから、著者(足立巻一)は、『詞八衢』という書物、本居春庭という人物に興味をもち、その研究にのめりこむことになる。

この著者は、語学者という言い方をしている。ひろく、ことばの研究者としておいていいだろう。その研究のいとなみがいかなるものかは、下巻の次の箇所に示されていると私は読む。『詞の通路』に言及して、

「さて今の人は詞の意をとかくいふめれど、其のつかひざまをいかにもといへる事なし。詞の意をしらむよりは、そのつかひざまをよくわきまふべきことなり……」
 ことばは意味よりもむしろ語法を理解しなければならないという。これにつづけて「意をしらむはやすく、つかひざまをこころえむはかたく」と述べる。
(下巻 p.8)

ここで言われていることは、語釈は簡単にできるかもしれないが、文法的、語学的説明は難しい、と言い換えることができるかもしれない。

国学という学問が、江戸時代になってからおこってきて、国学者は古典(主に上代から中古の作品)の解釈につとめてきた。ざっくりと言い換えてみるならば……そこで、古代のテキストを読解することは比較的容易である。だが、そこにある、ことばの規則、文法的解明、言語的研究は、難しい……このようにいえるだろうか。現代風にいえば、ことばの法則(文法、音韻、語彙など)、そして、その歴史的変化がどんなものであったかについての研究である。

これは現代においてもいえることである。古典のテキストを何とか解釈することは、難しいとはいえ、決して不可能ということではない。それよりも困難なのは、そのことばの背景についての言語学的な説明である。

現代のように、辞書もなければ文法書もない時代である。文法理論など言語学な方法論的裏付けがあるというわけではない。古典の研究は、ひたすらそのテキストを読み込んでいくしかないといってもよいであろう。(無論、現代のように、コーパスがあるという時代ではないのである。)

現代の我々からするならば、辞書も文法もない時代に古典テキストを読むとは、いかなる行為であったのか、そして、そこから文法や音韻の法則を帰納的実証的に解明するとはいかなる行為であったのか、そのこと……学問の歴史……への想像力が必要であることになる。国学という学問の延長に現代の、国語学、日本語学、それから、日本文学研究があるとして、その学問の歴史をかえりみるとき、まず、もとめられるのは、その近世の人びとの古典テキストを読むという営みがどんなものであったのかに対する想像力である。これは、単なる、学問史として学説を記述すればよいというものではない(無論、学問的に整理する時には、学説史という形をとらざるをえなくなるにはちがいないのだが。)

私は、これから、日本語学、日本文学を勉強する若い人には、この本(『やちまた』足立巻一)は、読んでおいてもらいたい本だと思っている。日本の古典テキストを、どんなふうにして読んできたのか、そのかつての研究の世界がどんなであったか、学問的な想像力を喚起するという意味においてである。

『やちまた』足立巻一(その三)2018-03-23

2018-03-23 當山日出夫(とうやまひでお)

やちまた下

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月22日
『やちまた』足立巻一(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/22/8808475

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

現代という時代において、国語学、日本語学、日本文学などを勉強するとき、考えておくべきこととして、その歴史がある。学問史というほど大げさなものではないが、大まかな流れはつかんでおく必要があるだろう。

これには、二つの側面がある。

第一には、江戸時代に起こった国学という学問の系譜をひくものとしての、国語学、国文学である。契沖や本居宣長などの国学者の古典研究の延長に、現代の日本語の研究、日本文学の研究があるとする考え方である。今でも、源氏物語を読むには、本居宣長ぐらいまでは遡って考える必要があるし、万葉集では契沖の解釈が重要な意味をもっている。古事記を読むとき、古事記伝をかかすことはできない。

第二に、明治になって、近代的な国民国家としての日本が作られていくなかで、主に西欧からの文献学をもとにして、日本の古典籍、歴史史料を研究するという学問がおこってきた、ということがある。近代的な、国語学、国文学の成立である。この過程のなかで、各種の古典文学作品……万葉集、古今集、源氏物語、平家物語など……の、文学史的位置づけがなされることになった。また、言語研究では、西欧の言語学の方法論による日本語研究が行われるということがある。

主に、この二つの側面がある。そして、近年では、特に後者の面をとりあげて論じられることが多くなっているようである。いわく……近代になってからの国文学の発明、とでもいうことができようか。また、このとき、どちらかといえば、このような学問のもつ否定的な側面をとりあげることも多い。近代になって日本が、もともと日本語をつかっていなかった地域を日本の「領土」としていって、そのような「外地」「植民地」を背景としての、「国語学」「国文学」という性格を、批判的なまなざしでとりあげることになる。

『やちまた』(足立巻一)が出たのは、1974年である。ちょうど私が大学生になって国文学を学び始めたころである。この時期、上述したような、近代の学知としての国語学、国文学批判とでいうような動きはなかった。それが顕著になるのは、さらに10~20年ほどの時間が必要である。つまり、国語学、国文学という学問の存在が、自明のものであるとして、今日のように批判的な視点で見られるようになる前のことである。

『やちまた』(足立巻一)の描いている学生生活は、戦前、支那事変当時の伊勢の神宮皇學館である。現在の価値基準からするならば、国粋主義の権化のような学習環境といってもいいのかもしれない。

そのせいであろう、『やちまた』(足立巻一)を読むと、少なくとも、日本語の古典、日本語の文法の研究ということへの、学問的関心はあっても、「日本語」が「国語」であることへの、批判的な視点は感じられない。

だが、一方で、著者(足立巻一)は、修学旅行に行っている。行き先は、大陸……朝鮮半島から満洲……である。神宮皇學館に学ぶ学生である著者も、「外地」に出てみて、次のような歌に感慨を託している。(上巻 p.316)

屋根低き鮮人部落に日の丸がひるがへりゐるはただにうべなはれず

このような感覚が、おそらくその当時にあって、国語学、国文学を学ぶ学生の一般的な感覚であったのではなかろうか。特に、自分が学んでいる学問への批判的視点をもっているというわけではないが、しかし、実際に日本をはなれて「外地」に行ってみると、なにがしかの違和感を感じることになる。その率直に感じたところを、歌に詠んでいる。

『やちまた』(足立巻一)が出てから後、国語学という学問は、厳しく批判にさらされた。その動きも、ここしばらくは、おさまってきたかと感じられる。それを経過した目で、再度、『やちまた』を読み返してみることになった。

ここで感じることは、この本は、今こそ再度読まれるべき本である、ということである。江戸時代の国学からの連続上にある国語学、国文学という学問がどのように勉強されてきたか、それを学ぶ学生が、どのように時代の中で生きてきたのか、きわめて素直な感性のもとに記されていると感じるからである。

近代になってからの国語学、国文学という学問の成立について、その持っている負の側面についても十分に承知したうえで、なお、かつての国学の伝統からくみ取るべきものがあると感じられる。現代の日本の古典研究が、国学の流れの中にあること、少なくとも、そのような一面を保ち続けていることは、忘れてはならないことであると思うのである。

また、これは、先に書いた、『本居宣長』(小林秀雄)が、今にあっても、現代の古典として読まれていることに通じるところでもある。近年の近代学知批判の目を経ても、それでもなおかつ魅力のある作品・評論・評伝として、読むことができる。

やまもも書斎記 2018年3月15日
『本居宣長』小林秀雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/15/8803701

やまもも書斎記 2018年3月16日
『本居宣長』小林秀雄(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/16/8804393

「古典」に向き合う、あるいは、「ことば」に向き合う、人間としての普遍性を、そこに見いだすことができるからであると考える次第である。

『やちまた』足立巻一(その四)2018-03-24

2018-03-24 當山日出夫(とうやまひでお)

やちまた下

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月23日
『やちまた』足立巻一(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/23/8809321

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

この本を読みながら付箋をつけた箇所。それは、著者が学生のころに『夜明け前』(島崎藤村)を読んでいるところである。例えば、次のような箇所。

「だが、内心では『夜明け前』によってはじめて明治維新を映像として知ったと思った。」(上巻 p.408)

著者(足立巻一)にとって、『夜明け前』は、同時代の文学であった。そして、それによって、明治維新ということを、文学的なイメージでとらえることができたと語っている。また、自らが学ぶ国文学、国語学という学問の源流として、平田篤胤から本居宣長にいたる系譜を、『夜明け前』を読むことによって確認している。

私の場合、たまたま今年が明治150年ということで、「明治」にかかわる本を読んでおきたいと思って、『夜明け前』を読んだのであった。そして、それにひかれるかたちで、『本居宣長』(小林秀雄)を読み、その次の本として、『やちまた』(足立巻一)を読んだことになる。いずれも再読。そして、『やちまた』のなかで、再び『夜明け前』にめぐりあうことになったのである。(このことは、再読するまで忘れていた。)

昭和の初め頃、明治維新は、過去のできごとであっても、まだ人びとの記憶の延長にあったことになる。例えば、『明治百話』(篠田鉱造)が出たのは、昭和6年(1931)である。現在は、岩波文庫版で読むことができる。

これもたまたまであるが、今読んでいる本は、『雪の階』(奥泉光)。二二六事件が舞台の小説である。昭和11年のこの事件は、戦後70年以上を経た現代にとっては、歴史のできごとであると同時に、記憶の延長にあるギリギリのところの出来事でもある。

ともあれ、今、明治150年ということで遠い過去の出来事として、かなり客観的な歴史的出来事として、明治のことを語る位置にいる。それを、70年ほどスライドして考えるとき、ちょうど昭和初期の時期……まさに二二六事件の起こったころであるが……明治維新という出来事は、まだ人びとの記憶の延長のうちにあるできごとであったことになる。そして、『夜明け前』のような小説、文学を通じて、より確かなものとしてイメージできるようになった。現代、『雪の階』で、二二六事件の時代を文学的にイメージするのと同じことかもしれない。

『雪の階』(奥泉光)については、読み終えたら思うことなど書いてみたいと思っている。

『夜明け前』については、
やまもも書斎記 2018年2月23日
『夜明け前』(第一部)(上)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/23/8792791

やまもも書斎記 2018年3月1日
『夜明け前』(第一部)(下)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796037

やまもも書斎記 2018年3月5日
『夜明け前』(第二部)(上)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/05/8798048

やまもも書斎記 2018年3月9日
『夜明け前』(第二部)(下)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/09/8800299

追記 2018-03-26
この続きは、
やまもも書斎記 2018年3月26日
『やちまた』足立巻一(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/26/8811852

『わろてんか』あれこれ「さらば北村笑店」2018-03-25

2018-03-25 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第25週、「さらば北村笑店」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/25.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年3月18日
『わろてんか』あれこれ「見果てぬ夢」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/18/8805806

今週の見どころは、隼也の出征、それから、北村笑店の終わりだろう。

いや、北村笑店は終わったわけではなく、戦争のために一時的に解散ということのようだが、しかし、再開のめどがあるというわけではない。これから、戦争は、どんどん厳しくなっていく。これからどうなるのだろうか。

大阪の町の戦時中の様子を描いたドラマとしては、以前の『ごちそうさん』を思い出す。このドラマでは、空襲、疎開ということが、かなり綿密に描かれていた。そのせいもあってのことだろうか、今回の『わろてんか』では、そんなにくどく戦時中のことを描くということではなく、次週には、もう戦争は終わるかと思われる。

次週で最終週になるのだが、戦争中のままで終わるということはないだろう。玉音放送があって、戦後の再起をめざすまでは描くことになるかと思っている。

ところで、戦時中、芸人たちは、どんなふうに生活していたのだろうか。寄席は、どのようにして営業していたのだろうか。このあたりの描写が、もうすこし欲しかったように思えてならない。

芸人という職業ならではの、戦時中の喜怒哀楽、悲喜こもごもがあったにちがいない。そこを描くのに、キース・アサリ、リリコ・四郎だけでは物足りないようにも思える。

また、空襲が始まれば、夜の寄席の営業はできなかっただろう。昼間の営業だけだとしても、そこに笑いをもとめて集まるお客さんは、どんなだったのだろうか。寄席ならではの視点からの、戦争の描写がもっとあってもよかったと思う。

大阪の北村の家が留守になって、しかも空襲にあうということになると……これから、藤吉の幽霊はで来る場所がないのではなかろうか。予告を見ると、伊能栞は無事に帰ってくるようだが。

いよいよこのドラマも最終である。北村笑店の再起と、隼也の帰還(するはずだと思うのだが)、最後を楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-04-01
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月1日
『わろてんか』あれこれ「みんなでわろてんか」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/01/8816183

『やちまた』足立巻一(その五)2018-03-26

2018-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 『やちまた』足立巻一(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810196

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

『やちまた』(足立巻一)を読んで、今ひとつよくわからないことがある。それは、『詞八衢』(本居春庭)という書物が、いったいどんな書物で、何が書いてあるのか、よくわからないことである。

たぶん、著者(足立巻一)は、意図的に、『詞八衢』という書物の内容には言及していないのである。もし、『詞八衢』について解説しだしたりすると、それだけで、さらに一冊の本を書かなければならないかもしれない。

『詞八衢』は、大部な書物というわけではないが、決してわかりやすい本ではない。それは、ここに掲載した画像を見ればわかる。無論、変体仮名で書いてあるので、読むのはちょっと難しいかもしれない。だが、難しさは、変体仮名で書いてあることではない、この書物の眼目とでもいうべき、用言の活用表についてである。

一般に、現在の国語教育、古典教育で教えられる文法……いわゆる学校文法、古典文法……は、演繹的である。四段活用なら、基本だけを示して、あとは、五十音図によって演繹的に考えるようになっている。

だが、江戸時代、五十音図というのが、一般に流布する前のことである。一部の国学者ならば分かったかもしれないが、一般の読者まで視野を広げて考えるならば、五十音図による演繹的な説明は無理である。あくまでも、実例に即しながら、帰納的実証的に説明するしかない。

その結果、活用を図にしてしめすと次のようになる。表紙(上巻)、本文のはじまり、活用図の画像、刊記(下巻)を示す。

詞八衢(表紙)

詞八衢(本文)

詞八衢(活用図)

詞八衢(刊記)

これでは、今の読者……学校文法をならっているような……には、すぐには何のことか分からなくてもしかたがない。『やちまた』を書いたとき、著者(足立巻一)は、このような江戸時代の国学者の書いた活用の表を、読者に提示することをしていない。だが、著者(足立巻一)は、この表をきちんと理解している。だからこそ、先行研究とのつきあわせということもできる。このことは、わかった上で、『やちまた』は、今日において読まれるべきであろう。

これ以上のことは、専門的な国語学史、あるいは、学校文法の教育史ということになるので、ここまでにしておきたい。

ここで使用した画像は、国立国会図書館デジタルコレクションにある。PDFでダウンロードして、画像(JPEG)に変換したものである。著作権保護期間満了となっている。

蛇足ながら……この画像の題簽(本の表紙の紙に書いてあるタイトル)には「言葉のやちまた」とある。しかし、内題(本の本文の最初に書いてあるタイトル)「詞八衢」とある。この場合、内題を優先する。

上巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562833
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562833

下巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562834
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562834

『西郷どん』あれこれ「運の強き姫君」2018-03-27

2018-03-27 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年3月25日、第12回「運の強き姫君」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/12/

前回は、
やまもも書斎記 2018年3月20日
『西郷どん』あれこれ「斉彬暗殺」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/20/8807103

前回は、斉彬がメインだったが、今回は篤姫の一件。

幾島の奔走と策略(といっていいだろうか)によって、篤姫はどうにか無事に、大奥にはいることになった。それにいたる、西郷のはたらき、また、篤姫の覚悟が、この回の見どころといったところか。

幾島(南野陽子)は、ちょっと目立ちすぎという演出であったが、これぐらいでないと、篤姫の大奥入りはかなわなかったということなのであろう。

そして、安政の大地震。西郷は、かろうじて篤姫をたすけることができた。そのとき、篤姫の本心……本当ならば、大奥になどとつぎたくはない、薩摩の姫であることもやめにしてしまいたい……が、こぼれる。だが、その後、気丈にも篤姫はたちなおって、薩摩の姫として大奥にはいる決心を示す。

たぶん、篤姫と西郷とのかかわりはドラマとしてのフィクションということなのであろうが、これはこれで面白い展開になってたと思う。

それにしても、篤姫の婚儀をめぐっての、西郷と幾島の動きは、滑稽でもあった。あんなことで、よく姫の婚儀がきまったかと思うのだが、まあ、これはこれで、楽しんで見ていればいいのだろう。それにしても、西郷は、不器用である。どうも、裏方での接待や情報収集ということこには向いていないと感じさせる。これが、幕末の動乱のなかで権謀術数うずまく時代の激変を生き抜くことになる、はて、そのあたりをどのようにこれから描くことになるのだろうか。

この回、特に篤姫のつかっていたことばについては、興味深い点があったが、このことは改めて考えることにしたい。

追記 2018-04-10
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月10日
『西郷どん』あれこれ「変わらない友」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/10/8822850

木瓜の花が咲いた2018-03-28

2018-03-28 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は花の写真。今日は木瓜である。

前回は、
やまもも書斎記 2018年3月21日
梅の花が咲いた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/21/8807678

「木瓜」と書いて「ぼけ」と読む。ジャパンナレッジで、「木瓜」を検索してみた。この漢字については、「ぼけ」の他にも「もけ」の読みもあるようだ。

「ぼけ」の用例としては、

雑談集(1305)、文明本節用集(室町中)、俳諧・はなひ草(寛永二〇年本)(1643)

に用例がある。

「もけ」の方を見ると、

本草和名(918頃)、十巻本和名類聚抄(934頃)、観智院本類聚名義抄(1241)

とある。どうやら「もけ」の語形の方が古いようだ。

ところで、観智院本類聚名義抄は、こんどカラーの複製が出る。これは買っておかないといけないかなと思っている。ちょっと高い本であるが、いたしかたない。学生の時に買った風間書房の複製(これは、多くの人が使っているだろう)、それから、天理善本叢書の三巻の複製(モノクロ)も持っている。朱点のはいっている古辞書であるから、カラー複製が必要になる。

我が家の木瓜であるが、赤い花を咲かせる。例年、三月の下旬頃に花をつける。ちょうど梅の花の時期と重なる。桜の花もそろそろ咲き始めた。沈丁花の花も咲いている。これから、しばらくは花の写真を掲載できるかと思う。

木瓜

木瓜

木瓜

木瓜

木瓜

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追記 2018-04-04
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月4日
桜の花が咲いた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/04/8818544

『西郷どん』における方言(四)2018-03-29

2018-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月8日
『西郷どん』における方言(三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799659

2018年3月25日放送の第12回で、篤姫は大奥にはいることになった。その経緯と、篤姫のことばが興味深い。

以前、鹿児島にいたとき、於一(篤姫)は、薩摩ことばであった。また、江戸の薩摩藩邸に来てからも、そのことばのままであった。それが、幾島の登場によって、無理に矯正させられることになった。薩摩ことばのままでは、公方様の御台所にはふさわしくないということなのである。

その幾島のことばは、上級の武家ことばに、すこし京都風のところがまじっていることばとして設定してあった。

だが、その篤姫も、本格的に将軍家との婚儀が決まり、大奥にはいる決意をかためたところで、薩摩ことばがすっかり消えていた。標準的といっていいだろうか、上級武家の女性ことばになっていた。これは、ドラマの設定としては、幾島の教育の効果ということになるのだろう。

大奥にはいる決意をした篤姫を安政の大地震がおそう。そこを、からくも西郷が助ける、というシーン。ここで、篤姫は、ついホンネのもらしてしまう。このまま西郷につれられてどこかに逃げてしまいたい、と。この時、篤姫は、薩摩ことばをつかっていた。

島津の姫、大奥にとつぐ身としては、タテマエでは武家ことばをつかっていながら、その本心を語るところでは、薩摩ことばになる。このあたり、ドラマのことばの演出としてはうまいと思う。

このドラマ、薩摩という地域のパトリオティズム(愛郷心)、あるいは、リージョナリズム(郷土主義)の物語でもあると思って見ている。この意味では、江戸に来て何年かたつであろう西郷が、いまだに薩摩ことばなのは、それを意図しての演出であるのであろう。あくまでも、薩摩の地とともにある西郷という設定になっていると思ってみている。(たぶん、最後は、西南戦争の後、城山でおわることになるのだろうが。)

また、大久保も薩摩ことばであった。その書簡の場面。書き言葉としては、書簡用の文書語であったはずだが、それを語る大久保の声は、薩摩ことばであった。大久保もまだ、この時点では、薩摩という地にある人間という設定になるのだろう。大久保もまた、明治維新を経て中央の政治で活躍することになる。その時になっても、まだ、大久保は薩摩ことばを話すことになるのだろうか。この大久保のことばが、これからどのように描かれることになるのかも、気になるとこころである。

薩摩、鹿児島という地域に対する、パトリオティズム、リージョナリズムを表現するものとしての薩摩ことばであろう。今後、幕末から明治維新の動乱、新政府の樹立というなかで、登場人物がどのようなことばを話すことになるのか、見ていきたいと思う。

追記 2018-05-24
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月24日
『西郷どん』における方言(五)

『国語学史』時枝誠記2018-03-30

2018-03-30 當山日出夫(とうやまひでお)

時枝誠記.『国語学史』(岩波文庫).岩波書店.2017 (岩波書店.1940)
https://www.iwanami.co.jp/book/b313869.html

国語学史

『やちまた』(足立巻一)を読んで、買って積んであったこの本を読んでおきたくなった。

やまもも書斎記 2018年3月19日
『やちまた』足立巻一
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/19/8806507

時代を考えてみると、『やちまた』で著者(足立巻一)が、神宮皇學館の学生生活をおくっているころ、それは、時枝誠記が、言語過程説にいたる一連の仕事にかかわっていたときになる。ちなみに、『国語学原論』は、1941年(昭和16)である。ほぼ、『やちまた』の学生時代と重なる。

かつて、私が学生だったころ、国語学という研究において、国語学史という分野は、文法とか音韻などとならんで、国語学という学問を形成する一つのおおきな分野であった。それが、現在、日本語学ということになって、では、日本語学史というのが重要な領域を占めているかというと、どうもそうともいえないようである。

とはいっても、ここは時代の流れがある。この『国語学史』(時枝誠記)では、ほとんど言及されることのない資料である、中世のキリシタン資料についての研究は、近年では、かなりさかんになってきているという印象がある。たぶん、これは、国語学史・日本語学史というのを考える基盤となるものが大きく変わってきたということがあるのだろう。

時枝誠記の時代……その主な著作は戦前の刊行になり、近年の国語学批判でまっさきに批判される立場にあったことになる。「外地」において「日本語」が「国語」として存在した時代である。それが、現在ではどうだろうか。「日本語」は、ほぼ日本という国の中だけの言語になった。が、一方で、それにとどまらないで、いわゆる外国人に対する日本語教育(日本の国内外において)が、重要な言語政策課題、研究課題となってきている。世界の中における日本語というものを考える時代になってきているといえるだろう。

言語過程説にいたる時枝誠記の立場からするならば、言語(日本語)を、客観的に外在する対象として分析したことになる……それは、主にラテン語文法にもとづいてということになるのだろうが……キリシタン資料の日本語研究は、参照するに価しないものであったと考えられる。あくまでも、日本語を使う人間が、そのことばをどのように自覚していくかというところに、『国語学史』の本筋がある。

『国語学史』(時枝誠記)であるが……これは、やはり、その言語過程説を理解するうえで、重要な意味をしめることになる。ざっくりというならば、「てにをは」を「辞」としてとらえる、日本語の文法の自覚の歴史と言っていいだろう。

また、この『国語学史』を読んでみて、「外地」において「日本語」を「国語」とした時代を背景に、「国語学」という学問が自明のものではなくなってしまっているということへの、自覚がはっきりと見てとれる。「国語学」が「日本語」の研究であることを、改めて考え直していると言ってよいであろうか。時枝誠記は、「日本語」ということにきわめて自覚的であったと読み取れる。

戦前の本であり、ちょっと専門的な内容の本ではあるが、岩波文庫の一冊である。ことさら専門家だけのものということもないであろう。私も、もう国語学、日本語学というところからは隠居しようと思っている……いくつか学会には出ることにしているが……そのような境遇に身をおくことして、純然たる読書の楽しみとして読む、ちょっと専門的な本、とでもいえばいいだろうか。新規な学説をおいもとめるのではなく、今では古いかもしれないが、かつての先達たちが考えた跡を味わいながらたどって本を読んでいきたいと思うようになった。