『國語元年』(3)2025-05-22

2025年5月22日 當山日出夫

『國語元年』(3)

この回は、方言の違いとして、語彙のことをあつかったことになる。前回は、音韻、音声、ということがあつかわれていた。

1985年(昭和60年)のNHKのドラマである。この時代に作ったということ、また、井上ひさしの書いたドラマであるということを、感じるところがある。

もし、今からこのような内容のドラマを作るとすると、琉球・沖縄のことを、視野にいれたものになるだろう。明治のいつごろに時代を設定するか、ということをふくめて、琉球・沖縄のことを、あつかう/あつかわない、という判断になるだろうか。(このドラマが作られた時代の感覚としては、強いて琉球・沖縄のことをとあげる必要は感じなかった時代、私が個人的な回想として思っていることとしては、そうなのだが。)

それから、現代の視点では、方言の他に、いわゆるジェンダー差、階級差、ということも必要になる。男性の使うことばと、女性の使うことば、身分が上の人が使うことばと、下の人の使うことば、さらには、老人のことば、官員のことば、というような視点が、どうしても必要になるだろう。現代の日本語学でいえば、役割語という概念でとらえることになる。

この回で、女中頭の加津が言っていたように、江戸時代であっても、参勤交代などで江戸に多くの人がやってきていたはずで、そのような人たちが、どんなことばでコミュニケーションしていたのか、これは、興味あるところである。これをふくめて、明治になってからの、標準的な日本語、これが「国語」ということになるのだが、この近代的な日本語の成立過程……はなしことば、かきことばにおいて……の総合的な研究は、まだまだこれからということになる。

これからの若い人の研究に期待することになる。(大学で教えているときだったら、大学院生に、今の日本語学の視点からこのドラマを見て、何を考えることになるか、話しをしてみるところだが、もう、そういうこともなくった。)

2025年5月17日記

ブラタモリ「宮古島・絶景バスツアー▽サンゴと断層の謎!奇跡の岬!宮古馬!」2025-05-22

2025年5月22日 當山日出夫

ブラタモリ 宮古島・絶景バスツアー▽サンゴと断層の謎!奇跡の岬!宮古馬!

宮古島には行ったことがない。いや、その前に沖縄県に行ったことがない。

日本語学の知識として、宮古島が、沖縄のことば、琉球諸語、のなかで、独立した特性を持った一つの言語としてあつかわれるというぐらいのことは知っているのだが、具体的にどういう違いがあるのか知識がない。

珊瑚礁の島であり、琉球石灰岩と断層の島であることは、いろいろと面白かった。珊瑚礁の島だから、平らかという印象があったが、断層でかなりでこぼこしている。しかし、そう高い山があるということではないようだ。

見ていて思ったこととして、バスが走っている道路の脇のサトウキビ畑が、非常にきれいに区画されていた。これは、最初からこういうふうに畑を作ったのか、後から整理してこうなったのか、このあたりがちょっと気になる。

宮古馬が出てきていたが、農耕用に馬を使うか、牛を使うか、ということは、日本列島のなかで、かなりの地域差があることかとも思っているのだが、宮古島では牛はいないのだろうか。また、宮古馬は、日本の他の地域の在来の馬とどういう関係があるのか、今なら、DNAの解析で分かっていることだろうと思う。

2025年5月18日記

英雄たちの選択「信長が震えた日〜血戦!長島一向一揆〜」2025-05-22

2025年5月22日 當山日出夫

英雄たちの選択 信長が震えた日〜血戦!長島一向一揆〜

権門ということばが、今の歴史学でどのように使われているのか、いないのか、よく知らないのだが……これも、ざっくりと言いかえるならば、価値観や立場のことなる勢力があって、その連立、連合で、国家や社会を構成していこう、という考え方と見ることもできるかもしれない。このような視点から考えてみるならば、信長という人物は、複数の価値の共存ということが、許せなかった人間ということになるだろうか。強いていえば、自分自身が今生きているこの世界で、見て感じている範囲のことしか信じないし、さらに、それとはちがう別の価値観(宗教的な価値観)を持っている人たちとは、共存する気はない。こういうことまで考えるとなると、番組の中でも言っていたように、歴史学の範囲を超えたところを考えることになる。

このように考えてさらに思うこととしては、信長の対キリシタン政策ということも、どうかんがえるべきか、ということになるだろうか。

信長がどのような価値観で生きていたか、というようなことは、かつての唯物史観ではとても考えることはできない。そもそも、このようなことは考慮の対象外である。せいぜい、上部構造の特異例ということになるだろうか。しかし、実際に歴史上の出来事を理解するためには、そこの当事者が、何を思っていたか、ということを無視することもできない。(明治維新のとき、徳川慶喜が何を考えていたか、昭和の終戦のとき昭和天皇が何を考えていたか、というようなことが、考えてみるに価することである、というぐらいのことは言ってもいいだろう。)

結果的に、長島一向一揆を転換点として、日本における宗教勢力が、政権に対して本格的に武力で対抗するということは、なくなった。これは、後の、秀吉や家康の時代にもうけつがれることになる。これは、大筋でこのとおりかと思う。

この中世から近世にいたる過程での、日本の宗教勢力(主に仏教のいろんな宗派ということになるが)が、どのように変質していったか……これは、政治の制度的な面、人びとの信仰のあり方、それから、それをささえる経済的な基盤がどうであるか、というようなことから、総合的に考えられるべきことである。さらには、それが、近代から現代にいたるまでどうであるか、まさにこれからの研究課題だろう。

近代の宗教史というのは、私の知る限りであるが、これからの研究領域である。(はっきり言ってしまえば、昭和天皇の崩御ということがあってから、重しがとれたということがある。昭和の時代までは、近代の宗教史を論じることは、何かしらの制約を感じるところがあった。無論、研究、学問の自由はあるのだが、それをとりまく社会全体の雰囲気というようなことの問題としてである。)

長島一向一揆については、地政学的、軍事的に、いろいろと面白いことはあるのだろうが、長い目で見て、世俗の武家権力と、宗教との関係、武士はいったい何のために戦う存在であるのか、というようなことについて、考えることがあると思う。

2025年5月18日記