映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ 核の80年(1)核拡散 恐怖と不信の連鎖」 ― 2025-06-03
2025年6月3日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ 核の80年(1)核拡散 恐怖と不信の連鎖」
アメリカ
ソ連
イギリス
フランス
中国
インド
パキスタン
北朝鮮
番組のなかで、現在、核兵器を所有している国は、9か国である言っていた。しかし、具体的に名前が出てきたのは、上記の国であり、8か国になる。常識的に考えると、持っている可能性があるが、それと表明していない国として、イスラエルをふくめることになるはずである。
こういう番組をつくる以上、しかたのないことだろうと思うが、どうしてもアメリカのことに内容がかたよりがちである。無論、アメリカの核開発の歴史ということは重要なのだが、核の拡散という視点としては、それ以外の国々が、どういう経緯で核開発にいたったのか、その国家の意思決定、それから、その技術をどのように手に入れたのかということ、これらを総合的に見ることが必要だろう。
ロシアがウクライナ侵攻を始めたとき、ウクライナが核兵器を手放したことの是非について語られたことがあったが、このごろは、あまり言われないようである。
アメリカの核実験に参加した、アトミック・ソルジャーの兵士たちの記録は、その後の追跡調査をふくめて、詳しく調べられているのかもしれない。だが、これも、非常に重要な軍事情報である。一般にオープンになっているものとしては、広島と長崎の被爆者についての資料になるはずである。もし、実戦で使うことを考えるとするならば、かつての実験のときのデータ、兵士たちの、その後の状況(精神的、肉体的)がどうであったか、調べることになるにちがいない。(たぶん、その資料はあるのだろうが、機密扱いにされていると思うのは、かんぐりすぎだろうか。)
敵が持っているから、自分たちも持つことにする……基本的には、この論理で、核兵器の拡散がすすんでいったことになる。
将来的には、そして、(決して理想的ではないことかもしれないが)現実的な路線としては、核兵器使用のためのハードルを少しでも高くするように、国際的な世論をもっていく、という方向しかないのかもしれないとは思う。
軍産学の複合体の問題がある。これは、これからの時代は、AIなどのコンピュータ技術がメインになっていくのだろうが、ただ、国家の枠組みで統制できる範囲を超えたところで、開発競争が進む時代になっていくだろう。技術開発を国家が統制できる時代は、もはや終わったと考えるべきかと思う。
2025年5月30日記
映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ 核の80年(1)核拡散 恐怖と不信の連鎖」
アメリカ
ソ連
イギリス
フランス
中国
インド
パキスタン
北朝鮮
番組のなかで、現在、核兵器を所有している国は、9か国である言っていた。しかし、具体的に名前が出てきたのは、上記の国であり、8か国になる。常識的に考えると、持っている可能性があるが、それと表明していない国として、イスラエルをふくめることになるはずである。
こういう番組をつくる以上、しかたのないことだろうと思うが、どうしてもアメリカのことに内容がかたよりがちである。無論、アメリカの核開発の歴史ということは重要なのだが、核の拡散という視点としては、それ以外の国々が、どういう経緯で核開発にいたったのか、その国家の意思決定、それから、その技術をどのように手に入れたのかということ、これらを総合的に見ることが必要だろう。
ロシアがウクライナ侵攻を始めたとき、ウクライナが核兵器を手放したことの是非について語られたことがあったが、このごろは、あまり言われないようである。
アメリカの核実験に参加した、アトミック・ソルジャーの兵士たちの記録は、その後の追跡調査をふくめて、詳しく調べられているのかもしれない。だが、これも、非常に重要な軍事情報である。一般にオープンになっているものとしては、広島と長崎の被爆者についての資料になるはずである。もし、実戦で使うことを考えるとするならば、かつての実験のときのデータ、兵士たちの、その後の状況(精神的、肉体的)がどうであったか、調べることになるにちがいない。(たぶん、その資料はあるのだろうが、機密扱いにされていると思うのは、かんぐりすぎだろうか。)
敵が持っているから、自分たちも持つことにする……基本的には、この論理で、核兵器の拡散がすすんでいったことになる。
将来的には、そして、(決して理想的ではないことかもしれないが)現実的な路線としては、核兵器使用のためのハードルを少しでも高くするように、国際的な世論をもっていく、という方向しかないのかもしれないとは思う。
軍産学の複合体の問題がある。これは、これからの時代は、AIなどのコンピュータ技術がメインになっていくのだろうが、ただ、国家の枠組みで統制できる範囲を超えたところで、開発競争が進む時代になっていくだろう。技術開発を国家が統制できる時代は、もはや終わったと考えるべきかと思う。
2025年5月30日記
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