『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子2023-07-27

2023年7月27日 當山日出夫

木挽町のあだ討ち

永井紗耶子.『木挽町のあだ討ち』.新潮社.2023

直木賞の作品ということで読んだ。これは直木賞に値する。

時代小説。連作短篇集である。江戸の木挽町の芝居小屋の近くで起こったあだ討ち。その関係者の語りが、いくつかの短篇として語られ、最後にそれがまとまって、ことの真相があきらかになる。小説の作り方としては、普通の構成である。

ただ、この作品の場合、最後の真相の部分はだいたい予想がつく。それに向けて、どのように話しをはこんでいくかが、作者の腕の見せどころということになる。そして、この作品の場合、成功している。

場所の設定が魅力的である。芝居小屋である。江戸時代においては、悪所である。日常とは異なる価値のある別世界でもある。また、出てくる登場人物も、悪所である芝居に引き寄せられるようにして集まってきた、いわくありげな過去を持つ人びと。

普通の世間の価値観とは別のところにある芝居小屋という、いわば次元の異なる状況設定が、この作品おおきな魅力になっている。

ちょっと気になることとしては、あるいは、現代の価値観からすると差別的ともとられかねない人物設定がある。が、これも、特に気にすることはないのかもしれない。もう今では、死語というべきなのかもしれない。

2023年7月26日記

ドキュメント20min.「超現代公園学入門」2023-07-27

2023年7月27日 當山日出夫

ドキュメント20min. 超現代公園学入門

都市部の公園は、いったい誰のために、何のためにあるのか。今は、曲がり角なのかもしれない。

一部の近隣住民からクレームがあれば禁止する。あるいは、場合によっては、公園そのものを廃止にしてしまう。これが、今の時流だろう。なぜ、その行為を禁止にしなければならないのか、合理的で説得力のある説明があり、合意形成がなされてというわけではない。

姫路の事例は、興味深いとは思うが、そのための地域住民のコストは決して小さいものではないだろうと思う。

サッカーもキャッチボールも出来ないような公園というのは、ちょっとおかしいと思う。

とはいえ、これからの時代の公園は、黒澤明が『生きる』で描いたような公園のイメージからほど遠いものになってしまっていることは確かだろう。

2023年7月25日記