ブラタモリ「佐野」 ― 2023-07-10
2023年7月10日 當山日出夫
ブラタモリ 佐野
佐野と言われて……ほとんど馴染みがない。はっきり言ってかろうじて名前を知っているぐらいである。せいぜい、佐野ラーメンぐらいは知っているといえるだろうか。これも名前を知っているだけで、食べたことはない。
面白かったのはセメント関係。セメントに関連する鉱業、工業の街であるらしい。これはまったく知らなかった。
鋳物を作る工程も興味深かった。そんなに大規模な工場というわけではないのだが、その地の特産品として、このような鋳物工場が生きのこっている。それにしても、鋳物を作る過程というのは、溶けた鉄を流し込んであんなにはやく固まるものなのだろうかと思ってしまった。それから、作業をするのに工員が手袋をしていなかったが、大丈夫なのだろうかとも思った。
2023年7月9日記
ブラタモリ 佐野
佐野と言われて……ほとんど馴染みがない。はっきり言ってかろうじて名前を知っているぐらいである。せいぜい、佐野ラーメンぐらいは知っているといえるだろうか。これも名前を知っているだけで、食べたことはない。
面白かったのはセメント関係。セメントに関連する鉱業、工業の街であるらしい。これはまったく知らなかった。
鋳物を作る工程も興味深かった。そんなに大規模な工場というわけではないのだが、その地の特産品として、このような鋳物工場が生きのこっている。それにしても、鋳物を作る過程というのは、溶けた鉄を流し込んであんなにはやく固まるものなのだろうかと思ってしまった。それから、作業をするのに工員が手袋をしていなかったが、大丈夫なのだろうかとも思った。
2023年7月9日記
『どうする家康』あれこれ「ぶらり富士遊覧」 ― 2023-07-10
2023年7月10日 當山日出夫
『どうする家康』第26回「ぶらり富士遊覧」
このごろは、BS4Kで昼の放送を見るようにしているので、見て思ったことなどは、翌日(月曜日)にアップロードにした。これまでは、夕方のBSの放送を見て、翌日の昼間に文章を書いて、火曜日にアップロードしていた。
ここにきて、このドラマ、突如面白くなった。本能寺の変が近づいてきている。さて、本能寺の変、家康黒幕説……ということになるのだろうか。
秀吉も、異変のありそうは気配を嗅ぎ取っているようである。とりあえず、本能寺の変の後で、天下を治めることになるのは秀吉である。
この回、明智光秀がさほど登場していなかったが、どうなのだろうか。光秀は、いつ、どのようにして謀反を考えることになったのか。このあたりの経緯も、どう描くのか興味のあるところである。
服部半蔵のもとに集められた伊賀ものたち、これは今後の伏線としてどのように生きてくることになるのか、このあたりも気にかかる。
次回、本能寺の変の前夜がどのようになるのか、楽しみに見ることにしよう。
2023年7月9日記
『どうする家康』第26回「ぶらり富士遊覧」
このごろは、BS4Kで昼の放送を見るようにしているので、見て思ったことなどは、翌日(月曜日)にアップロードにした。これまでは、夕方のBSの放送を見て、翌日の昼間に文章を書いて、火曜日にアップロードしていた。
ここにきて、このドラマ、突如面白くなった。本能寺の変が近づいてきている。さて、本能寺の変、家康黒幕説……ということになるのだろうか。
秀吉も、異変のありそうは気配を嗅ぎ取っているようである。とりあえず、本能寺の変の後で、天下を治めることになるのは秀吉である。
この回、明智光秀がさほど登場していなかったが、どうなのだろうか。光秀は、いつ、どのようにして謀反を考えることになったのか。このあたりの経緯も、どう描くのか興味のあるところである。
服部半蔵のもとに集められた伊賀ものたち、これは今後の伏線としてどのように生きてくることになるのか、このあたりも気にかかる。
次回、本能寺の変の前夜がどのようになるのか、楽しみに見ることにしよう。
2023年7月9日記
『街道をゆく 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち』司馬遼太郎/朝日文庫 ― 2023-07-10
2023年7月10日 當山日出夫

司馬遼太郎.『街道をゆく 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち』(朝日文庫).朝日新聞出版.2009
https://publications.asahi.com/kaidou/34/index.shtml
もとは、一九八九年に「週刊朝日」連載。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは、基本的に褒める文章でつづっている。まれに批判的な文言が出てきても、その多くは昭和の軍隊であったりである。この本の「大徳寺散歩」を読んで感じることは、大徳寺とその塔頭を禅寺として褒めて書いていることである。私の目で読んで、ちょっと褒めすぎではないかという感じがしないでもない。
だが、大徳寺を評価する視点の背後にあるのは、当時の世相、今でいうバブル景気への批判的眼差しと言っていいだろう。浮かれた世のなかにあって、観光地化することを拒否し続けている、大徳寺がたっとく思える。
「中津・宇佐のみち」で言及されるのは、宇佐八幡、黒田官兵衛、それから、福澤諭吉である。司馬遼太郎が、福澤諭吉を書くとこんなふうに評価することになるのかと、これは興味深いところがある。その合理的精神のゆえんを、「自伝」に読み解いている。
2023年7月2日記
https://publications.asahi.com/kaidou/34/index.shtml
もとは、一九八九年に「週刊朝日」連載。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは、基本的に褒める文章でつづっている。まれに批判的な文言が出てきても、その多くは昭和の軍隊であったりである。この本の「大徳寺散歩」を読んで感じることは、大徳寺とその塔頭を禅寺として褒めて書いていることである。私の目で読んで、ちょっと褒めすぎではないかという感じがしないでもない。
だが、大徳寺を評価する視点の背後にあるのは、当時の世相、今でいうバブル景気への批判的眼差しと言っていいだろう。浮かれた世のなかにあって、観光地化することを拒否し続けている、大徳寺がたっとく思える。
「中津・宇佐のみち」で言及されるのは、宇佐八幡、黒田官兵衛、それから、福澤諭吉である。司馬遼太郎が、福澤諭吉を書くとこんなふうに評価することになるのかと、これは興味深いところがある。その合理的精神のゆえんを、「自伝」に読み解いている。
2023年7月2日記
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