本文とは何か(書記言語のこと)2008-02-13

2008/02/13 當山日出夫

もろさんのブログで、「ふり仮名」「ふり漢字」のことが話題になっている。当該のブログにコメントとして書いてもいいのだが、長くなるので、私の方に書いて、トラックバックを送っておくことにする。

もろ式:読書日記 ふり漢字/ふり英字/ふり〓

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080212/1202826410

私の記憶をさかのぼれば、この話題は、JIS漢字論、あるいは、デジタルテキスト論の当初からあった。特に、近世文学を専門にしている研究者の場合、ルビ(ふりがな)の方が、本文である、というテキストをあつかうことになる。(この当時は、テキスト・データベースという呼称が普通であったように思うが。)

「ふりがな」の方が本文であり、「本行」の漢字の方が、補助的な役割であるというテキストについて、どのような、タグづけが有効であるのか。(むかしは、XMLやHTMLではなく、TEIの利用であったが。)

ルビ(ふりがな)とは、単に、難しい漢字のよみかたを示すものではない。書記言語は、音声言語を文字化したのものではない。このあたり、日本語における漢字と仮名(ひらがな・カタカナ)をふくめた、総合的な議論になる。ルビだけの問題ではない。

ただ、個人的な印象として、「ふり漢字」という現象が、現代日本語においても観察されるということは、その背景として、日本おける漢文訓読・訓点という視点からも、考えてみる必要があるように思う。

現時点で、論点を整理すると、大きく二つの方向で考えることができようか。

本文が唯一、直線的(シーケンシャル)なものとして存在しており、それに部分的に、付属として、「ふり仮名」「ふり漢字」がある。言語については、音声言語を優先的に考える考え方。

書記言語は、2次元空間(巻子本では、紙背をふくめると3次元になる)における、その物理的配置や、文字の書体・字体・大きさ、などをふくめて、総合的になりたつ。書記言語コミュニケーション論、である。「視覚」という視点から見た書記言語を考えるべきであろう。

ただし、私の場合、書記言語のなかに、点字をふくめておきたい。点字も日本語の文字である、という立場をとっているので。

當山日出夫(とうやまひでお)

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