人間文化研究機構フォーラム ― 2008-03-23
2008/03/23 當山日出夫
時間はさかのぼるが、ようやく、
人間文化研究機構/研究資源共有化一般記念公開フォーラム(2008-3-10)
の話しをしておく。これは、ある意味で記念のイベントでもあるので、通常の研究会・学会とは趣がことなる。だが、今後における、人文学でのコンピュータ利用(デジタル・ヒューマニティーズ)を考えるためには、出ておかないといけない。
まず、人間文化研究機構、というものの位置づけが、一般にはわかりにくいかもしれない。(実は、私もよくわからない)。とりあえず整理すれば、
大学共同利用機関、というものが存在する。例えば、国立天文台とか国利情報学究所とか・・・である。これらが、「人間文化研究機構」「自然科学研究機構」「高エネルギー加速器研究機構」「情報・システム研究機構」などにわかれえている。
そのうち「人間文化研究機構」は、国立歴史民俗博物館・国文学研究資料館・国際日本文化研究センター・総合地球環境学研究所・国立民族学博物館、から構成される。
これらの研究機関が、こままでは、独自に持っていた各種のデータベースを、統合的に運用しようというこころみである。いわゆる、横断検索の、実現である。
と同時に、nihuoneというデータベースシステムを公開して、一般の研究者が、自分の作ったデータベースを、登録・公開できるようにもする。これは、最低限、エクセルのワークシートで記述できる程度のものであれば、それを分析・変換して受け入れる。
また、GT-Map、GT-Time、という、時空間情報を処理できるシステムも同時に公開される。おそらくこれは、旧来の、GISや時空間情報処理についての、一般の人文学研究者にとって、格段に利用のしやすいシステムである。
人間文化研究機構
さて、では、ここから私見をいささか述べることとしよう。
資源の共有化は、確かに価値がある。現時点は、人間文化研究機構の研究機関のみに限定されているが、これが、史料編纂所や、国立博物館・文化財研究所などに拡張されて行ったとき、さらにその価値は増大する。
nihuone、GT-Time、GT-Map、といった、データベースやGISのツール類は、きわめて大きな可能性を持っている。これまでは、情報工学の人たちに協力を求めるか、あるいは、自分で頑張って勉強して実現するしかできなかったことは、非常に容易にできるようになる。
(偏見を持って独断的にいえば)、情報工学系の研究者であれば、あるシステムのプロトタイプを作るだけで、十分に「業績」になる。しかし、人文学研究者は、そのシステム(例えば、データベース)を使って何かを言うことができてこそ「業績」になる。このとき、使ったコンピュータのシステムは、背後にかくれてしまう。
おそらく、このようなことが、これまでの、情報工学と人文学の交わりの「不幸」というべき点であったと思われる。
コンピュータの利用は、人文学研究にとって何であるのか。その一つは、あくまでも、コンピュータは「ツール」であると見る立場。それに対峙するものとして、コンピュータの利用によって、人文学研究の方法や考え方自体が変わる可能性を考える、という立場がある。
デジタル・ヒューマニティーズは、いったいどちらの方向をめざすのか、いま、これから、まさに注目していかなければならない課題である。
この意味において、このフォーラムで、「デジタル・ヒューマニティーズ」は人文学の方法や発想を変える可能性、このことに言及したのが、八村広三郎さん(立命館グローバルCOE:日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点)であったことは、将来への希望を抱かせるものであった。八村さんの話しとして、資源共有化、あるいは、デジタル・ヒューマニティーズが、コンピュータの利用によって人文学の研究も便利になる、という旧来の常識的な発想を超える可能性を指摘したものであったことは、特筆に値すると考える。
當山日出夫(とうやまひでお)
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