「ペリーならぬペリュー襲来!?長崎・フェートン号事件」2024-11-27

2024年11月27日 當山日出夫

英雄たちの選択 ペリーならぬペリュー襲来!?長崎・フェートン号事件

NHKの作る歴史番組のなかでは、この番組はよく見る。特に共感するということではないが、なるほどなあ、と思って見ていることが多い。それは、人間の判断(選択)ということに視点をおいて、歴史上の事件を描いているからである。私の若いころ、学生のとき、まだ唯物史観が強かったといっていいだろう。それが、科学的で正しい歴史学である、と喧伝するむきもあった。特に、大学で講じられるような歴史には、そのような傾向があったというべきだろうか。(そうではない研究もあったことは確かではあるが。)このような歴史には、人間の判断で動くものという考え方が、あまり入りこむ余地がない。

フェートン号事件であるが、江戸時代にイギリスとの間であった事件ということ以上の知識をもちあわせていない。

江戸時代の日本は「鎖国」をしていた、ということは、一般的に今でもいわれていることであり、一方では、見直しもなされていることである、ぐらいの知識である。まあ、ざっと考えても、「鎖国」とはいっても、オランダ以外にも清、朝鮮とは交易があった。また、ロシアともつながりがあったこともいわれるようになっている。「鎖国」というのは、国を閉ざすというよりも、幕府による外交の管理……相手国を極めて制限するもの……といった方が適切かもしれないぐらいに思っている。

江戸時代の幕府のインテリジェンスは、いったいどうであったのか、ということが、今回の番組の一つのテーマということになるだろう。番組のなかでは、インテリジェンスということばはつかっていなかったが。

これも、江戸幕府は、海外の事情をそれなりに収集してして知っていた、ということもあるかもしれないし、今回の番組でいわれたように、それは不十分なものであった、ということになるかもしれない。少なくとも、フランス革命以後のヨーロッパ諸国の動きが、ロシアをふくめて、日本にどういう影響があったのか、という大きな視点から歴史を見る必要はあるにちがいない。

ロシアの脅威、その東方政策、南下政策、そして、最近では北極海の覇権……このようなことについては、近年のロシアのウクライナ侵略(と書いておくが)から、大きく議論されるようになってきたと感じる。今のロシアのあり方は、さかのぼれば帝政ロシアの時代から、日本に大きな影響があたえてきた、ということになる。

近世の外交史、対外交易史、という分野は、とても興味深い研究テーマで、これからどんどん新たな知見が生み出されていくことだろうと思う。また、オランダという国の歴史から見た対日交易史というのは、東インド会社がつぶれたことなど、ほとんど一般に知られていないことであろう。

フェートン号事件のことについては、まずイギリスの船が、オランダの国旗をかかげている時点で、国際法違反だと思うのだが、ここのところはどうなのだろうか。それから、イギリスは、最終的にどのような目的で、この事件をおこしたのだろうか。日本におけるオランダの権益を奪いにきた、ということなのだろうか。それにしては、あっさりと引き下がってしまったように思える。

長崎奉行の松平康英は、運が悪かったというべきかもしれない。公家出身で旗本の養子になったという経歴だから、より武士であろうとした、という解釈はなるほどそういうものかなと思うところがある。

江戸時代、いや、それ以前においてもであるが、中央の江戸幕府とそう簡単に通信ができる時代ではない。つまり、現地の責任者が、現場の判断でことにあたらなければならない、という時代であった。こういう時代の責任者の判断についての感覚というのは、現代のように、いつでも中央省庁や本国と通信可能(これは傍受される危険性もあるのだが)である状況からは、かなり想像しにくいものになっているかもしれない。このあたりに、歴史のなかにおける人間というものについての想像力の必要ということになるのかと思う。これは、長崎奉行の松平康英にとっても、イギリスのペリューにとっても同じだったはずである。(だからといって、現場の独断専行が許されるということにはならないけれど。)

フェートン号事件のあと、いろいろとあって、最終的にはアメリカのペリーがやってきて、日本の開国になった。結果的に、日本は植民地になることなく、明治の時代をむかえたことになるが、そこにいたるまでの過程をみると、歴史の運不運、偶然というようなことを感じずにはいられない。

この番組の面白いところの一つには、ゲストに、鈴木康子が出てくるのは当然として(近世外交史の専門家として)、島田久仁彦が登場していることである。国際的な事件において、公式、非公式に、さまざまな交渉を経験している、その道のプロということになる。情報収集の重要さ、それから、どうやって相手の要求を理解するのか、どうコミュニケーションすることが可能か、そのテクニックというべきものは、なるほど今も昔も人間というものは変わらないものだな、という気になる。ただ、相手の政治的歴史的文化的背景ということも、重要なファクターであるにちがいないが。その時々のおかれた状況の見極めこそが重要なポイントかと思う。

捨足軽という存在は、もっと知られていていいことだと思う。状況にもよるが、人間の考えることは、そう変わらないということになるのかとも思ってしまう。

たまたま、『坂の上の雲』を見ていると、ちょうど日英同盟のところにさしかかっている。江戸時代から日本の世界のなかでのあり方として、アングロサクソン……つまりは米英ということになるが……とどうつきあうかという歴史であったとも見ることができようか。

日本が列強の植民地にならずにすんだことの歴史というのは、さまざまに面白いものである。

日本語学の立場からすると興味深いのは、フェートン号事件をきっかけにして、オランダ語以外に英語など他の外国語を学習するようになったことがある。このあたりは、日本語学のなかでも、かなり特殊な研究分野になる。私の若いころに勉強した範囲では、ほとんど言及されることのなかったことになる。日本における外国語の学習史というのは、これから重要な研究テーマになっていくかと思う。キリシタン文献、それから、漢文についての訓読については、非常に精緻な研究があるのだが、これは、他の言語や文献にもひろがっていくべきだろう。

2024年11月23日記

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