『ARG』390号の感想:図書館のコスト2009-08-31

2009-08-31 當山日出夫

『ARG』390
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090831/1251699927

羅針盤「学術情報のバリアフリー化-同情するならカネをくれ」(三輪佳子)

これを読んで思ったことを、率直に書くと、意図的に「ユニバーサルデザイン」ということばを使っていないな、ということ。私の理解の範囲では、「バリアフリー」ということばは障害があることを前提にする。「ユニバーサルデザイン」は障害の有無に関係ない。(誤解であるかもしれないが。)

ともあれ、いずれの立場にたつにせよ、実現にはコストがかかる。

では、そのコストを誰がどのように負担するのか。

一般的に、アカデミズムの世界におけるコスト意識は、二極分化しているといえるかもしれない。

第一には、学術研究というのは金儲けのためにやっているのではない。学術研究の成果は、無償で社会に提供されるべきである。という、ある意味での理想論。カネのことはくちにしない。

第二には、であるにもかかわらず、実際には、予算削減、研究資金の獲得で、論文を書いているよりも、予算のための書類を書いている、という状態。カネのことしか考えることがない。

極端にのべた。また、文系・理工系でも、各分野によって事情は異なる。

この世の中にタダのものはない、一見してタダに見えるようであっても、それは、誰かがどこかで、そのコストを負担している。図書館における本の閲覧について、三輪さんは言及している。このとき、私は、まず、そもそも、なぜ公共図書館の本は、無償で閲覧できるのですか、ということから考えたい。大学図書館であっても、その本は、どのような予算で購入し、図書館として維持しているのであろうか。

まさか、出版社がタダで寄付したわけではあるまい。

もし、図書館というものが、本を読む権利を市民に保証するものとして存在するとするならば、それは、あらゆるひとびとにひらかれたものでなければならない。障害の有無にかかわらず、ユニバーサルデザインに作られていなければならない。

そして、このとき、忘れてはならないのは「障害」として、身体的な障害のみならず、精神的障害、知的障害、をもふくめて考えなければならないということ。

とりあえず、思ったことである。

補足(1):この文章では、「障害」の表記を採用した。「障碍」と書く方針もあるが、三輪さんの表記にしたがった。

補足(2):豊田徳治郎さんのブログから教えられたことが多い。このことも明記しておきたい。
tokujirouの日記
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20090609/1244503117

補足(3):障害者権利条約(外務省) 日本は批准していない
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_32.html

當山日出夫(とうやまひでお)

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