斎藤美奈子『文章読本さん江』 ― 2016-09-01
2016-09-01 當山日出夫
斎藤美奈子.『文章読本さん江』(ちくま文庫).筑摩書房.2007(原著、筑摩書房.2002)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424037/
大学生を相手に文章の書き方を教えるようになってから、10年ぐらいたっている。そのころには、すでにこの本は出ていて、単行本で出たときに買って、それから、文庫本になってまた買ってもっている。今回、この本を本棚から探してきて読んだ理由は、谷崎潤一郎の『文章読本』が、新潮文庫で出て読んだからである。このことについては、すでに書いた。
やまもも書斎記 2016年8月23日
谷崎潤一郎『文章読本』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/23/8160014
このときにも書いたように、私の立場ははっきりしている。文学的情操教育としての文学教育、作文教育と、言語コミュニケーション技術とは別のものとして考えるべきである、この立場にたっている。
この本『文章読本さん江』が出たのが、2002年。Windows95が出て、インターネットが、一般に利用されるようになって、数年後のころのことである。2007年の文庫本になった時の「追記」には、
「とはいえブログが新時代の「劇場型の文章」であることに変わりはない。」(p.149)
とある。それが、今では、ブログは、見方によっては旧式のメディアになってしまって、SNSが中心になってきている。現時点でのSNSの主流は、TwitterとFacebook、それからLINEだろう。いま、この文章を書いているようなブログは、ちょっと時代遅れという感じがしないでもない。ましてや、それを、毎日、なにがしかの文章を掲載しているような人間(私のような人間であるが)は、もはや化石的な存在かもしれないと、なかば自嘲的に思っている。(それでも、やっているのは、ブログに書くことになにがしか意味を感じているからなのであるが。)
ところで、学生に文章の書き方……レポートや論文の書き方……を教えていて、思っていることを書いておくならば、それは、次の一言につきる。
〈一読してわかる。〉
そして、さらにいえば、
〈一読しかされない。〉
ということである。学生が書いたレポート、それから、試験の答案用紙の文章(論述試験の場合)、これらの文章が、何度も熟読玩味されることは、絶対にないと言っておく。一読して意味がとおれば、OK。意味がとおらなければ、不可。
そして、〈一読してわかる〉ためのテクニックとして、
・事実と意見を分けて書くこと
・パラグラフで書くこと
・結論から先に書くこと
を教えている。もちろん、これらの事項は、木下是雄の本から借りてきている。それから、大事なこととして、
・参考文献リストをきちんと書くこと
・脚注をつけること
を言っておく。
ところで、この本『文章読本さん江』によると、文章読本の隆盛期は、戦前戦後を通じて三度あったとある。1930年代、50年代後半、70年代後半、である。ある意味、2010年代の今の時期も、ひょっとすると、ひとつの文章読本の隆盛期の一つになるのかもしれない。それは、文章一般を対象とした文章読本ではなく、大学生を相手としたレポートや論文の書き方のマニュアル本の類の隆盛である。
いわゆる大学全入時代のせいか、レポートや論文、それ以前に、文章の書けない大学生が多く生まれている。そのような学生を対象として、参考文献の探し方からはじまって、テーマの設定、全体の構成の仕方、参考文献リストの書き方、もちろん、パラグラフで書くことをふくめて、懇切丁寧に教えるマニュアル本が、たくさん出ている。私も、以前は、書店で目にするごとに買っていたりしたが、最近では、もうとても買い切れるものではないとわりきって、買わなくなってしまっている。
レポートや論文の書けない大学生を対象としたマニュアル本をふくめて考えるならば、今後、ますますこの種の文章読本の隆盛期を迎えるのではないかと思えてならない。
このような問題を考えるうえで、この『文章読本さん江』は、いろいろ参考になるところがある。特に、初等中等教育における作文のあり方について、この本の指摘する問題点は貴重である。戦前からのながれをひく学校での作文教育は、すっかり伝統芸能化してしまっているとしたうえで、つぎのようにある。
「ところが、学校を卒業したその日から、過酷な現実が待ち受けている。「作文」「感想文」は、一般の文章界では差別語である。「子どもの作文じゃあるまいし」「これでは子どもの感想文だ」は、ダメな文章をけなすときの常套句である。学校のなかでは「子どもらしい」という理由で賞賛された作文が、学校の一歩外に出たとたん、こんどは「幼稚である」という理由で嘲笑の対象にされるのである。子どもらしい「表現の意欲」を重んずる学校作文と、大人っぽい「伝達の技術」が求められる非学校作文は完全に乖離している。なんという理不尽!」(p.303)
大学生を相手に、読書感想文を求めるわけにはいかない。論文を読む技術(読解力とそれを要約する文章技能)が求められる。これは、社会に出て、伝達の文章を書くときにも通ずるものである。だが、これが、初等中等国語教育の分野に浸透するのは、いつのことになるだろうか。
たぶん、問題の根は深い。子供に子供らしさをもとめる、これは自明のことなのだろうか。こどもの作文は子供らしい文章であるべきか。それを認めるとしても、教育において、何をどう教えるべきことなのだろうか。このあたりの議論から問題はあるように思う。
だが、しかし、である……『文章読本さん江』には、「文は人なり」が批判的に解説されている。ナルホドである。いま、まさにここに書いたように、文章教育を論じるのに、教育の問題、子供とはなんであるか、を考えてしまわざるをえない。ことほどさように、問題は奥深い、また、ややこしいものなのである。
斎藤美奈子.『文章読本さん江』(ちくま文庫).筑摩書房.2007(原著、筑摩書房.2002)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424037/
大学生を相手に文章の書き方を教えるようになってから、10年ぐらいたっている。そのころには、すでにこの本は出ていて、単行本で出たときに買って、それから、文庫本になってまた買ってもっている。今回、この本を本棚から探してきて読んだ理由は、谷崎潤一郎の『文章読本』が、新潮文庫で出て読んだからである。このことについては、すでに書いた。
やまもも書斎記 2016年8月23日
谷崎潤一郎『文章読本』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/23/8160014
このときにも書いたように、私の立場ははっきりしている。文学的情操教育としての文学教育、作文教育と、言語コミュニケーション技術とは別のものとして考えるべきである、この立場にたっている。
この本『文章読本さん江』が出たのが、2002年。Windows95が出て、インターネットが、一般に利用されるようになって、数年後のころのことである。2007年の文庫本になった時の「追記」には、
「とはいえブログが新時代の「劇場型の文章」であることに変わりはない。」(p.149)
とある。それが、今では、ブログは、見方によっては旧式のメディアになってしまって、SNSが中心になってきている。現時点でのSNSの主流は、TwitterとFacebook、それからLINEだろう。いま、この文章を書いているようなブログは、ちょっと時代遅れという感じがしないでもない。ましてや、それを、毎日、なにがしかの文章を掲載しているような人間(私のような人間であるが)は、もはや化石的な存在かもしれないと、なかば自嘲的に思っている。(それでも、やっているのは、ブログに書くことになにがしか意味を感じているからなのであるが。)
ところで、学生に文章の書き方……レポートや論文の書き方……を教えていて、思っていることを書いておくならば、それは、次の一言につきる。
〈一読してわかる。〉
そして、さらにいえば、
〈一読しかされない。〉
ということである。学生が書いたレポート、それから、試験の答案用紙の文章(論述試験の場合)、これらの文章が、何度も熟読玩味されることは、絶対にないと言っておく。一読して意味がとおれば、OK。意味がとおらなければ、不可。
そして、〈一読してわかる〉ためのテクニックとして、
・事実と意見を分けて書くこと
・パラグラフで書くこと
・結論から先に書くこと
を教えている。もちろん、これらの事項は、木下是雄の本から借りてきている。それから、大事なこととして、
・参考文献リストをきちんと書くこと
・脚注をつけること
を言っておく。
ところで、この本『文章読本さん江』によると、文章読本の隆盛期は、戦前戦後を通じて三度あったとある。1930年代、50年代後半、70年代後半、である。ある意味、2010年代の今の時期も、ひょっとすると、ひとつの文章読本の隆盛期の一つになるのかもしれない。それは、文章一般を対象とした文章読本ではなく、大学生を相手としたレポートや論文の書き方のマニュアル本の類の隆盛である。
いわゆる大学全入時代のせいか、レポートや論文、それ以前に、文章の書けない大学生が多く生まれている。そのような学生を対象として、参考文献の探し方からはじまって、テーマの設定、全体の構成の仕方、参考文献リストの書き方、もちろん、パラグラフで書くことをふくめて、懇切丁寧に教えるマニュアル本が、たくさん出ている。私も、以前は、書店で目にするごとに買っていたりしたが、最近では、もうとても買い切れるものではないとわりきって、買わなくなってしまっている。
レポートや論文の書けない大学生を対象としたマニュアル本をふくめて考えるならば、今後、ますますこの種の文章読本の隆盛期を迎えるのではないかと思えてならない。
このような問題を考えるうえで、この『文章読本さん江』は、いろいろ参考になるところがある。特に、初等中等教育における作文のあり方について、この本の指摘する問題点は貴重である。戦前からのながれをひく学校での作文教育は、すっかり伝統芸能化してしまっているとしたうえで、つぎのようにある。
「ところが、学校を卒業したその日から、過酷な現実が待ち受けている。「作文」「感想文」は、一般の文章界では差別語である。「子どもの作文じゃあるまいし」「これでは子どもの感想文だ」は、ダメな文章をけなすときの常套句である。学校のなかでは「子どもらしい」という理由で賞賛された作文が、学校の一歩外に出たとたん、こんどは「幼稚である」という理由で嘲笑の対象にされるのである。子どもらしい「表現の意欲」を重んずる学校作文と、大人っぽい「伝達の技術」が求められる非学校作文は完全に乖離している。なんという理不尽!」(p.303)
大学生を相手に、読書感想文を求めるわけにはいかない。論文を読む技術(読解力とそれを要約する文章技能)が求められる。これは、社会に出て、伝達の文章を書くときにも通ずるものである。だが、これが、初等中等国語教育の分野に浸透するのは、いつのことになるだろうか。
たぶん、問題の根は深い。子供に子供らしさをもとめる、これは自明のことなのだろうか。こどもの作文は子供らしい文章であるべきか。それを認めるとしても、教育において、何をどう教えるべきことなのだろうか。このあたりの議論から問題はあるように思う。
だが、しかし、である……『文章読本さん江』には、「文は人なり」が批判的に解説されている。ナルホドである。いま、まさにここに書いたように、文章教育を論じるのに、教育の問題、子供とはなんであるか、を考えてしまわざるをえない。ことほどさように、問題は奥深い、また、ややこしいものなのである。
網野善彦『歴史を考えるヒント』常民 ― 2016-09-02
2016-09-02 當山日出夫
やまもも書斎記 2016年8月28日
網野善彦『歴史を考えるヒント』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/28/8164364
網野善彦.『歴史を考えるヒント』(新潮文庫).新潮社.2012 (原著は、新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/135661/
この本から「常民」のところを見ておきたい。第Ⅳ章「普通の人々」の呼称、である。
ここでは、二つの「常民」の概念について言及してある。柳田国男と渋沢敬三である。ともに、日本民俗学を考えるとき、かならず出てくる。というよりも、日本民俗学という学問は、柳田・渋沢たちによって作られたと言ってよい。
柳田学と渋沢学の箇所(p.61)で、まず、「常民」の語を冠した組織として「日本常民文化研究所」をあげる。これを創設したのは、渋沢敬三である。だが、「常民」の語を使い始めたのは、柳田国男が先であるとしてある。そして、柳田と渋沢の「常民」の定義の違いについて、次のように記す。
「柳田さんは、歴史学が世の中の変化を追求する学問なのに対して、たとえ政治の変動などによって時代が変わろうとも、簡単には変化しない普通の人々の生活の問題を追及することを、民俗学の使命と考えておられました。」(p.62)
「しかし、その中には職人や漁民、さらには定住せずに各地を遍歴する人々などは含まれていなかったと考えてよいと思います。」(p.62)
つまり、柳田国男にとっては、常民=農民、であったのである。一方、渋沢はそうではない。
「これに対して渋沢さんは、はっきりと「常民」は「コモンピープル」の訳であると言っておられます。まさしく「普通の人々」の意味であり、その中には職人や商人が含まれており、後ほどふれる被差別民も、渋沢さんははっきりとは言っておられませんが、含めておられたと思います。」(p.62)
「常民」の語は、日本民俗学の基本の用語として定着している語であると言ってよいであろう。だが、その定義には上記のような違いがある。どの立場に依拠して「常民」の語をつかうのかは、自覚的である必要がある。
それから、次のことはこの本には書いていないことなのだが、重要なことだと思うので……ただ、いずれの立場にたつにせよ、「常民」ではない人びとのことを同時に考えておかねばならないだろう。時代の変化によって大きく変わっていく立場の人びと。言い換えるならば、(歴史観にもよることになるが)「支配者層」と言ってもよい。武士とか貴族とかである。これらの人びとは「常民」の中に含まれない。
しかし、ここで注意しなければならないことは、一般的にいわゆる「日本の伝統」というようなことを考えるとき、昔からの日本の伝統的生活のスタイル、と言ったとき、そのモデルになるのは、この支配者層(武士・貴族)のものであるということである。あるいは、農民・町民ということばをつかっていうならば、その中でも上層に位置する人びとの生活である。
四季のうつろいについての感性とか、日常生活の風物にかんする感覚とか、いわゆる「伝統」とされるものは、日本民俗学でいう「常民」とはちょっと違うとこで伝承されてきたものである。
たとえば、四季の季節の移ろいと風物についていえば、『古今和歌集』『和漢朗詠集』などに代表される文学作品がある。これは、決して「常民」のものではない。支配者層(平安王朝貴族)の社会の中で、形成され、伝承されてきたものにほかならない。それが、現代では、ごく普通に、日本の伝統的な季節感として、一般の人びとに受け入れられている。
整理するならば、以下の二点になる。
第一には、「常民」を、定住農耕民に限定するか、非農業民もふくめて考えるか。
第二には、現代において「伝統的」と考えられていると生活様式・生活感覚は、「常民」のものではなく、支配者層のものである。
この二点について、「常民」ということばについては、考えておく必要がある。「常民」ということばをめぐって、柳田国男、渋沢敬三の著作をさらに読み解く必要がある。
柳田国男は、新しい全集が、筑摩書房がから刊行されている。渋沢敬三については、その著作集が、デジタルで読めるようになっている。
渋沢栄一記念財団
http://www.shibusawa.or.jp/
渋沢敬三アーカイブ
http://shibusawakeizo.jp/writing/
「常民」をめぐる議論は、これから考えるべき問題としてある。
やまもも書斎記 2016年8月28日
網野善彦『歴史を考えるヒント』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/28/8164364
網野善彦.『歴史を考えるヒント』(新潮文庫).新潮社.2012 (原著は、新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/135661/
この本から「常民」のところを見ておきたい。第Ⅳ章「普通の人々」の呼称、である。
ここでは、二つの「常民」の概念について言及してある。柳田国男と渋沢敬三である。ともに、日本民俗学を考えるとき、かならず出てくる。というよりも、日本民俗学という学問は、柳田・渋沢たちによって作られたと言ってよい。
柳田学と渋沢学の箇所(p.61)で、まず、「常民」の語を冠した組織として「日本常民文化研究所」をあげる。これを創設したのは、渋沢敬三である。だが、「常民」の語を使い始めたのは、柳田国男が先であるとしてある。そして、柳田と渋沢の「常民」の定義の違いについて、次のように記す。
「柳田さんは、歴史学が世の中の変化を追求する学問なのに対して、たとえ政治の変動などによって時代が変わろうとも、簡単には変化しない普通の人々の生活の問題を追及することを、民俗学の使命と考えておられました。」(p.62)
「しかし、その中には職人や漁民、さらには定住せずに各地を遍歴する人々などは含まれていなかったと考えてよいと思います。」(p.62)
つまり、柳田国男にとっては、常民=農民、であったのである。一方、渋沢はそうではない。
「これに対して渋沢さんは、はっきりと「常民」は「コモンピープル」の訳であると言っておられます。まさしく「普通の人々」の意味であり、その中には職人や商人が含まれており、後ほどふれる被差別民も、渋沢さんははっきりとは言っておられませんが、含めておられたと思います。」(p.62)
「常民」の語は、日本民俗学の基本の用語として定着している語であると言ってよいであろう。だが、その定義には上記のような違いがある。どの立場に依拠して「常民」の語をつかうのかは、自覚的である必要がある。
それから、次のことはこの本には書いていないことなのだが、重要なことだと思うので……ただ、いずれの立場にたつにせよ、「常民」ではない人びとのことを同時に考えておかねばならないだろう。時代の変化によって大きく変わっていく立場の人びと。言い換えるならば、(歴史観にもよることになるが)「支配者層」と言ってもよい。武士とか貴族とかである。これらの人びとは「常民」の中に含まれない。
しかし、ここで注意しなければならないことは、一般的にいわゆる「日本の伝統」というようなことを考えるとき、昔からの日本の伝統的生活のスタイル、と言ったとき、そのモデルになるのは、この支配者層(武士・貴族)のものであるということである。あるいは、農民・町民ということばをつかっていうならば、その中でも上層に位置する人びとの生活である。
四季のうつろいについての感性とか、日常生活の風物にかんする感覚とか、いわゆる「伝統」とされるものは、日本民俗学でいう「常民」とはちょっと違うとこで伝承されてきたものである。
たとえば、四季の季節の移ろいと風物についていえば、『古今和歌集』『和漢朗詠集』などに代表される文学作品がある。これは、決して「常民」のものではない。支配者層(平安王朝貴族)の社会の中で、形成され、伝承されてきたものにほかならない。それが、現代では、ごく普通に、日本の伝統的な季節感として、一般の人びとに受け入れられている。
整理するならば、以下の二点になる。
第一には、「常民」を、定住農耕民に限定するか、非農業民もふくめて考えるか。
第二には、現代において「伝統的」と考えられていると生活様式・生活感覚は、「常民」のものではなく、支配者層のものである。
この二点について、「常民」ということばについては、考えておく必要がある。「常民」ということばをめぐって、柳田国男、渋沢敬三の著作をさらに読み解く必要がある。
柳田国男は、新しい全集が、筑摩書房がから刊行されている。渋沢敬三については、その著作集が、デジタルで読めるようになっている。
渋沢栄一記念財団
http://www.shibusawa.or.jp/
渋沢敬三アーカイブ
http://shibusawakeizo.jp/writing/
「常民」をめぐる議論は、これから考えるべき問題としてある。
斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』 ― 2016-09-03
2016-09-03 當山日出夫
斎藤美奈子.『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書).筑摩書房.2016
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480689665/
選挙権の年齢が18歳に引き下げられたのをうけて、斎藤美奈子の書いた、政治の入門書、とでもいっておけばいいだろうか。さっそく買って読んでみたのだが、はっきり言ってがっかりした、というのが正直なところ。もうちょっと深みのある議論ができないものか。
しかし、まあ、せいぜいほめてみることにする。
内容としては、そんなに目新しいことが書いてあるわけではない。いわゆる五五年体制の成立と崩壊から現代にいたるまでの政治のおおきな流れと、現代における政治的諸問題についての解説、と思ってよめばいいかな、というところである。
この本は、基本的に二分法の発想で書いてある。目次をざっとみれば、
第1章 二つの立場:体制派と反体制派
第2章 二つの階級:資本家と労働者
第3章 二つの思想:右翼と左翼
第4章 二つの主体:国家と個人
第5章 二つの陣営:保守とリベラル
このようにきれいに二分法で整理してある。あまりにきれいに整理してあるので、読んでいて、途中、ちょっと強引すぎやしないか、あるいは、はしょりすぎてはいないか、と感じるところが時々ある。とはいえ、現実の政治的判断において、保留ということを認めない以上は、いずれかの立場に立たざるをえない。どちらかの立場に立つしかない。では、読者(あなた)は、どっちにしますか……と、問いかけるものになっている。
高校生あるいは大学教養レベルの知識があれば、充分に読める文章である。だが、それを超えたところで、では、「保守思想とは何か」「立憲主義とはどういう考え方か」というようなことを考えるところまでは及んでいない。それはこの本の守備範囲を超えることになる。「ほんとう」はここのところまで踏み込んで議論しないといけないと思うのだが。
全体を通じておおむね両論併記の立場で記述してあるが、最終的に著者(斎藤美奈子)の立場としては、リベラル・個人・反体制を、自分は選ぶとしてある。このあたり、いつのまにか誘導してあるというよりも、一定のケジメをつけたうえで、自分の立場はこうだと言っているあたりは潔い。
ここで欲をいえば、なぜ反体制でなければならないのか、のあたりの説明に説得力が欠ける気がする。そして、現状の分析(国会でいわゆる改憲発議に必要な三分の二を与党系でしめている状態)が、強引、あるいは、悲観的にすぎはしないか、という気もする。確かに三分の二はとったかもしれないが、同じ方向をむいて三分の二というわけではない。改憲といっても、その中身を議論するのはこれからになる。一つの改憲案にしぼって三分の二の賛成を得るには、非常にハードルが高いと思っているのが、私の判断ではあるのだが。
上記のように、この本は基本的に二分法でものごとを整理してある。しかし、二分法では、どこかで思考停止ということになりかねない。また、二分法では整理できな状況というものもある。このあたりの議論を整理したものとしては、
佐藤健志.『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』.徳間書店.2016
http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198640637
がいいかなと思ったりする。私としては、現在の日本の状況についての分析としては、斎藤美奈子より佐藤健志の方をおしておきたい。本書でしめされているように二分法で対立しているように見える敵対陣営が、実はその水面下で通じるものがある。そして、単なる二分法では整理できない、実際の政治の状況というものがある。このような冷めた分析も必要かと思う次第である。
斎藤美奈子.『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書).筑摩書房.2016
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480689665/
選挙権の年齢が18歳に引き下げられたのをうけて、斎藤美奈子の書いた、政治の入門書、とでもいっておけばいいだろうか。さっそく買って読んでみたのだが、はっきり言ってがっかりした、というのが正直なところ。もうちょっと深みのある議論ができないものか。
しかし、まあ、せいぜいほめてみることにする。
内容としては、そんなに目新しいことが書いてあるわけではない。いわゆる五五年体制の成立と崩壊から現代にいたるまでの政治のおおきな流れと、現代における政治的諸問題についての解説、と思ってよめばいいかな、というところである。
この本は、基本的に二分法の発想で書いてある。目次をざっとみれば、
第1章 二つの立場:体制派と反体制派
第2章 二つの階級:資本家と労働者
第3章 二つの思想:右翼と左翼
第4章 二つの主体:国家と個人
第5章 二つの陣営:保守とリベラル
このようにきれいに二分法で整理してある。あまりにきれいに整理してあるので、読んでいて、途中、ちょっと強引すぎやしないか、あるいは、はしょりすぎてはいないか、と感じるところが時々ある。とはいえ、現実の政治的判断において、保留ということを認めない以上は、いずれかの立場に立たざるをえない。どちらかの立場に立つしかない。では、読者(あなた)は、どっちにしますか……と、問いかけるものになっている。
高校生あるいは大学教養レベルの知識があれば、充分に読める文章である。だが、それを超えたところで、では、「保守思想とは何か」「立憲主義とはどういう考え方か」というようなことを考えるところまでは及んでいない。それはこの本の守備範囲を超えることになる。「ほんとう」はここのところまで踏み込んで議論しないといけないと思うのだが。
全体を通じておおむね両論併記の立場で記述してあるが、最終的に著者(斎藤美奈子)の立場としては、リベラル・個人・反体制を、自分は選ぶとしてある。このあたり、いつのまにか誘導してあるというよりも、一定のケジメをつけたうえで、自分の立場はこうだと言っているあたりは潔い。
ここで欲をいえば、なぜ反体制でなければならないのか、のあたりの説明に説得力が欠ける気がする。そして、現状の分析(国会でいわゆる改憲発議に必要な三分の二を与党系でしめている状態)が、強引、あるいは、悲観的にすぎはしないか、という気もする。確かに三分の二はとったかもしれないが、同じ方向をむいて三分の二というわけではない。改憲といっても、その中身を議論するのはこれからになる。一つの改憲案にしぼって三分の二の賛成を得るには、非常にハードルが高いと思っているのが、私の判断ではあるのだが。
上記のように、この本は基本的に二分法でものごとを整理してある。しかし、二分法では、どこかで思考停止ということになりかねない。また、二分法では整理できな状況というものもある。このあたりの議論を整理したものとしては、
佐藤健志.『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』.徳間書店.2016
http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198640637
がいいかなと思ったりする。私としては、現在の日本の状況についての分析としては、斎藤美奈子より佐藤健志の方をおしておきたい。本書でしめされているように二分法で対立しているように見える敵対陣営が、実はその水面下で通じるものがある。そして、単なる二分法では整理できない、実際の政治の状況というものがある。このような冷めた分析も必要かと思う次第である。
家入一真『さよならインターネット』 ― 2016-09-04
2016-09-04 當山日出夫
家入一真.『さよならインターネット-まもなく消えるその「輪郭」について-』(中公新書ラクレ).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/laclef/2016/08/150560.html
インターネット批判の本というよりも、インターネットがあまりにも生活の中に浸透してしまった状況のなかで、次のステップをどう考えるか、という向きの本といえばいいだろうか。結論は、意外と、というべきか、普通である……いわく「書店に行こう」。
ただ、現状の分析の着眼点は面白い。「はじめに」は、会社でインターンシップで働いていた学生との会話からはじまる。その若者にとっては、インターネットが魅力的とはもはやうつらないようだ。で、こういう、インターネットはハサミのようなものである、と。
スマホが普及し、さらには、「IoT」と言われている現在、インターネットは、わざわざ接続するものではなく、すでにあるもの、その中にいて当たり前のものなってきている。
そのような状況になってきた時代背景の移り変わりの本としては、この本の前半は興味深く読んだ。もちろん、この本の著者より年長である私としては、インターネット以前のパソコン通信の時代から、なにがしか、インターネットには興味関心をいだいて、そして、使って、今日まで来ている。
この意味では、なるほどそういう時代があったな、と共感しながら読む面があった。だが、後半になって、現代から近未来を展望して、ではどうなるのか、となったとき、とたんに魅力が薄れてしまう。何かしら凡庸な一般論を延々と聞かされる感じになってくる。で、とどのつまりは、(先に書いたように)「書店に行こう」である。そんなこと、いまさら言われなくても分かっている。
その書店が、インターネットのせいで減少しているのが、現実の姿なのではないのか。で、どうすればいいのか。結局は、どこかで「リアル」に軸足の片方をおいておくことの重要性というところに帰着する。あるいは、あえてインターネットから距離をおいてみることの必要性とでもなるか。
この本の読後感の物足りなさは、
東浩紀.『弱いつながり-検索ワードを探す旅-』.幻冬舎.2014
http://www.gentosha.co.jp/book/b7968.html
に通じるものがあると感じた。ちなみに、この本のことにも、ちょっと言及してある。
これとは反対に、インターネットの仮想的な世界のなかに、なにがしかの「リアル」を見出していこうという考え方もある。その一つになるだろう、以前にとりあげた、
佐々木俊尚.『21世紀の自由論-「優しいリアリズム」の時代へ-』(NHK出版新書).NHK出版.2015
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000884592015.html
が位置するのかとも思う。
私の立場はというと……今のところ、スマホを持たなくても生活できる生き方を選んでいる。これは、これで、非常にめぐまれた環境にいると思っている。ノートパソコンも使っていない。自分の家の机から離れたときぐらいは、そのようなものから解放されたい。そして、それが可能であり、また、その状況に満足している。
この本のことばにしたがって言うならば、まだ、その「輪郭」をつかめる立場にいるということになる。ならば、しいてその先にいくこともないだろう。今はまだこれが個人の生き方として選択できる時代なのであるから。
家入一真.『さよならインターネット-まもなく消えるその「輪郭」について-』(中公新書ラクレ).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/laclef/2016/08/150560.html
インターネット批判の本というよりも、インターネットがあまりにも生活の中に浸透してしまった状況のなかで、次のステップをどう考えるか、という向きの本といえばいいだろうか。結論は、意外と、というべきか、普通である……いわく「書店に行こう」。
ただ、現状の分析の着眼点は面白い。「はじめに」は、会社でインターンシップで働いていた学生との会話からはじまる。その若者にとっては、インターネットが魅力的とはもはやうつらないようだ。で、こういう、インターネットはハサミのようなものである、と。
スマホが普及し、さらには、「IoT」と言われている現在、インターネットは、わざわざ接続するものではなく、すでにあるもの、その中にいて当たり前のものなってきている。
そのような状況になってきた時代背景の移り変わりの本としては、この本の前半は興味深く読んだ。もちろん、この本の著者より年長である私としては、インターネット以前のパソコン通信の時代から、なにがしか、インターネットには興味関心をいだいて、そして、使って、今日まで来ている。
この意味では、なるほどそういう時代があったな、と共感しながら読む面があった。だが、後半になって、現代から近未来を展望して、ではどうなるのか、となったとき、とたんに魅力が薄れてしまう。何かしら凡庸な一般論を延々と聞かされる感じになってくる。で、とどのつまりは、(先に書いたように)「書店に行こう」である。そんなこと、いまさら言われなくても分かっている。
その書店が、インターネットのせいで減少しているのが、現実の姿なのではないのか。で、どうすればいいのか。結局は、どこかで「リアル」に軸足の片方をおいておくことの重要性というところに帰着する。あるいは、あえてインターネットから距離をおいてみることの必要性とでもなるか。
この本の読後感の物足りなさは、
東浩紀.『弱いつながり-検索ワードを探す旅-』.幻冬舎.2014
http://www.gentosha.co.jp/book/b7968.html
に通じるものがあると感じた。ちなみに、この本のことにも、ちょっと言及してある。
これとは反対に、インターネットの仮想的な世界のなかに、なにがしかの「リアル」を見出していこうという考え方もある。その一つになるだろう、以前にとりあげた、
佐々木俊尚.『21世紀の自由論-「優しいリアリズム」の時代へ-』(NHK出版新書).NHK出版.2015
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000884592015.html
が位置するのかとも思う。
私の立場はというと……今のところ、スマホを持たなくても生活できる生き方を選んでいる。これは、これで、非常にめぐまれた環境にいると思っている。ノートパソコンも使っていない。自分の家の机から離れたときぐらいは、そのようなものから解放されたい。そして、それが可能であり、また、その状況に満足している。
この本のことばにしたがって言うならば、まだ、その「輪郭」をつかめる立場にいるということになる。ならば、しいてその先にいくこともないだろう。今はまだこれが個人の生き方として選択できる時代なのであるから。
『真田丸』あれこれ「犬伏」 ― 2016-09-05
2016-09-05 當山日出夫
『真田丸』(第35回、2016年9月4日)、「犬伏」。
真田丸における、イエ意識については、これまで書いてきた。
やまもも書斎記 2016年8月30日
『真田丸』あれこれ「挙兵」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/30/8165847
やまもも書斎記 2016年8月2日
「真田丸」におけるイエ意識
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/02/8144450
今回、いよいよ「犬伏」で親子・兄弟がわかれるというシーン。そこにあったのは、真田の一族であるというイエ意識であった。決して、徳川にも、豊臣にも臣下としてしたがうという忠誠心ではなかった。
だが、結果はわかっている。関ヶ原の合戦の後、三成は処刑される。そして、信繁は豊臣の方につく。ここでも、信繁は、真田のイエのために戦うことになるのだろうか。それとも、ここで、再び、豊臣の臣下としての忠誠心が登場することになるのだろうか。
そういえば、冒頭に近いところでの大阪城のシーン。豊臣秀吉とであったときことを回想する場面があった。これは、将来、信繁が豊臣の臣下として働くことになる伏線かと思ってみていたのだが、どうだろうか。
その他の登場人物、例えば、兄(信幸の妻)稲、父(徳川)のためではなく、嫁ぎ先である真田のイエのために行動する。そういえば、細川ガラシャの最後も、ある意味では、細川というイエのために死んでいったようなものだったかもしれない。
面白かったのは、父(信幸)と、信繁の行動のエトスの違い。父は、再度の戦乱の世の到来を期待する。しかし、その子(信繁)は、もう戦乱の世はもどってこないと、逆に、父の見方をいさめる。このあたりの世代のギャップ、感覚の違いも面白い。
真田のイエを守るといっても、昔の領地をとりもどす、信濃の国を治めることを目的とするのではない。戦国の世のような、領土ナショナリズムはもう通用しない。
では、信繁は何のために戦うことになるのか。真田のイエとしての存続のためか。豊臣への忠誠心のためか。関ヶ原から、大阪の陣にいたる、信繁のエトスをどのように描くか、興味深い。
『真田丸』(第35回、2016年9月4日)、「犬伏」。
真田丸における、イエ意識については、これまで書いてきた。
やまもも書斎記 2016年8月30日
『真田丸』あれこれ「挙兵」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/30/8165847
やまもも書斎記 2016年8月2日
「真田丸」におけるイエ意識
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/02/8144450
今回、いよいよ「犬伏」で親子・兄弟がわかれるというシーン。そこにあったのは、真田の一族であるというイエ意識であった。決して、徳川にも、豊臣にも臣下としてしたがうという忠誠心ではなかった。
だが、結果はわかっている。関ヶ原の合戦の後、三成は処刑される。そして、信繁は豊臣の方につく。ここでも、信繁は、真田のイエのために戦うことになるのだろうか。それとも、ここで、再び、豊臣の臣下としての忠誠心が登場することになるのだろうか。
そういえば、冒頭に近いところでの大阪城のシーン。豊臣秀吉とであったときことを回想する場面があった。これは、将来、信繁が豊臣の臣下として働くことになる伏線かと思ってみていたのだが、どうだろうか。
その他の登場人物、例えば、兄(信幸の妻)稲、父(徳川)のためではなく、嫁ぎ先である真田のイエのために行動する。そういえば、細川ガラシャの最後も、ある意味では、細川というイエのために死んでいったようなものだったかもしれない。
面白かったのは、父(信幸)と、信繁の行動のエトスの違い。父は、再度の戦乱の世の到来を期待する。しかし、その子(信繁)は、もう戦乱の世はもどってこないと、逆に、父の見方をいさめる。このあたりの世代のギャップ、感覚の違いも面白い。
真田のイエを守るといっても、昔の領地をとりもどす、信濃の国を治めることを目的とするのではない。戦国の世のような、領土ナショナリズムはもう通用しない。
では、信繁は何のために戦うことになるのか。真田のイエとしての存続のためか。豊臣への忠誠心のためか。関ヶ原から、大阪の陣にいたる、信繁のエトスをどのように描くか、興味深い。
半藤一利『日露戦争史 3』 ― 2016-09-06
2016-09-06 當山日出夫
半藤一利.『日露戦争史 3』(平凡社ライブラリー).平凡社.2016 (原著、平凡社.2014)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b226827.html
やっと三巻、読み終わった。全巻を通じての感想などは別にまとめて書くことにとして、この第三巻で気になったところをちょっと述べておきたい。
この第三巻は、まず奉天会戦。それから、日本海海戦が中心になる。
奉天会戦の勝利の後、筆者はこのようにしるしている。奉天会戦は、重砲火力と機関銃火力による戦いであったことをうけて、
「ところがこれまでは、奉天会戦もそれまでの戦いと同じように、劣勢ながら不屈の精神をもって、すなわち大和魂をもって勝利をおさめることができた戦いであった、とする説がなぜかかまりとおっている。これまた、のちの「無敵皇軍」神話をつくるためのフィクションであったように思われる。」(p.116)
そして、日本海海戦がメインである。そして、それは、司馬遼太郎『坂の上の雲』でもそうであったし、NHKドラマ版の『坂の上の雲』も同様。特に、このNHK版ドラマで、印象的なシーン……バルチック艦隊を目の前にしての、敵前での取舵回頭である……あまりにも有名な、丁字戦法、これを、東郷平八郎が命令を下すシーン……高々と上げた右手を左方向に振り下ろすシーン……その真偽をめぐっての考証が興味深い。
ここで結論を書いてしまうわけにもいかないし、事実がどうであったかは、さらに歴史の奥深くねむっていることなのであろうが、ただ、特にNHKが映像化したシーンは、かなりの疑問があるらしい、とはいえそうである。
この本『日露戦争史』は、「歴史探偵」の視点からの本であるから、あまり、史料にさかのぼって考証をするということはしていない。だが、この日本海海戦のめぐってのいくつかの「神話」とでもいうべきいくつかの場面については、するどく論評している。それは、日本海海戦の大勝利が後々の日本の道を誤らせた原因の一つである、という認識に基づくと理解して読んだ。
日本海海戦の勝利を再現しようとして、日本海軍は太平洋戦争を戦った。だが、その日露戦争の当時にあっては、その当事者たち……戦争を遂行する軍人のみならず、それをコントロールする政治家の役割が、リアリズムに徹していた。現実の国際情勢、日本の国力、ロシアの国力、これらを冷静に総合的に判断することができた。
これができなかったのは、当時にあっては「民草」と、後の時代にあっては、太平洋戦争につきすすんでいった軍部ということになる。あとは、それに追随して、いや、あおりたてた新聞などマスコミ世論の、そして政治の責任でもある。
なお、この第三巻に関連しては、次の本がある。
吉村昭.『海の史劇』(新潮文庫).新潮社.1981
http://www.shinchosha.co.jp/book/111710/
吉村昭.『ポーツマスの旗』(新潮文庫).新潮社.1983
http://www.shinchosha.co.jp/book/111714/
もちろん、小説として書かれているのであり、歴史書ではない。しかし、半藤一利『日露戦争史』や、司馬遼太郎『坂の上の雲』を読むだけではなく、こちらも読んでおくといいかなと思っている。歴史を見るとき、いろんな視点がある。もちろん、歴史書をひもとくことも大事であるが。
半藤一利.『日露戦争史 3』(平凡社ライブラリー).平凡社.2016 (原著、平凡社.2014)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b226827.html
やっと三巻、読み終わった。全巻を通じての感想などは別にまとめて書くことにとして、この第三巻で気になったところをちょっと述べておきたい。
この第三巻は、まず奉天会戦。それから、日本海海戦が中心になる。
奉天会戦の勝利の後、筆者はこのようにしるしている。奉天会戦は、重砲火力と機関銃火力による戦いであったことをうけて、
「ところがこれまでは、奉天会戦もそれまでの戦いと同じように、劣勢ながら不屈の精神をもって、すなわち大和魂をもって勝利をおさめることができた戦いであった、とする説がなぜかかまりとおっている。これまた、のちの「無敵皇軍」神話をつくるためのフィクションであったように思われる。」(p.116)
そして、日本海海戦がメインである。そして、それは、司馬遼太郎『坂の上の雲』でもそうであったし、NHKドラマ版の『坂の上の雲』も同様。特に、このNHK版ドラマで、印象的なシーン……バルチック艦隊を目の前にしての、敵前での取舵回頭である……あまりにも有名な、丁字戦法、これを、東郷平八郎が命令を下すシーン……高々と上げた右手を左方向に振り下ろすシーン……その真偽をめぐっての考証が興味深い。
ここで結論を書いてしまうわけにもいかないし、事実がどうであったかは、さらに歴史の奥深くねむっていることなのであろうが、ただ、特にNHKが映像化したシーンは、かなりの疑問があるらしい、とはいえそうである。
この本『日露戦争史』は、「歴史探偵」の視点からの本であるから、あまり、史料にさかのぼって考証をするということはしていない。だが、この日本海海戦のめぐってのいくつかの「神話」とでもいうべきいくつかの場面については、するどく論評している。それは、日本海海戦の大勝利が後々の日本の道を誤らせた原因の一つである、という認識に基づくと理解して読んだ。
日本海海戦の勝利を再現しようとして、日本海軍は太平洋戦争を戦った。だが、その日露戦争の当時にあっては、その当事者たち……戦争を遂行する軍人のみならず、それをコントロールする政治家の役割が、リアリズムに徹していた。現実の国際情勢、日本の国力、ロシアの国力、これらを冷静に総合的に判断することができた。
これができなかったのは、当時にあっては「民草」と、後の時代にあっては、太平洋戦争につきすすんでいった軍部ということになる。あとは、それに追随して、いや、あおりたてた新聞などマスコミ世論の、そして政治の責任でもある。
なお、この第三巻に関連しては、次の本がある。
吉村昭.『海の史劇』(新潮文庫).新潮社.1981
http://www.shinchosha.co.jp/book/111710/
吉村昭.『ポーツマスの旗』(新潮文庫).新潮社.1983
http://www.shinchosha.co.jp/book/111714/
もちろん、小説として書かれているのであり、歴史書ではない。しかし、半藤一利『日露戦争史』や、司馬遼太郎『坂の上の雲』を読むだけではなく、こちらも読んでおくといいかなと思っている。歴史を見るとき、いろんな視点がある。もちろん、歴史書をひもとくことも大事であるが。
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』絶対平和主義 ― 2016-09-07
2016-09-07 當山日出夫
長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/
やまもも書斎記 2016年8月31日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』穏和な平和主義
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/31/8166492
現在の日本国憲法は平和主義であるという。たしかにそのとおりなのであろうが、では、平和主義であれば、それは憲法にかなったことになるのであろうか。この論点について、著者(長谷部恭男)は、否であると言っている。そのとろろを見ておきたい。
ここで第四の選択肢として、絶対平和主義をとりあげることになる。一般にいう現在の憲法についての護憲論は、これに近い立場かもしれない。たとえ攻撃されることがあっても、反撃のための武力行使を認めない。個別的自衛権も認めない。現在の憲法を、文字どおり解釈するならば、絶対平和主義ということになるだろう。とにかく、形式的な文言のうえでは戦力の保持を認めていないのであるから。
まず、立憲主義を確認しておくならば、
「善き生に関する観念は多様であり、相互に比較不能であるというのが、立憲主義の基本的前提である。」(p.167)
そして、絶対平和主義については、次のように述べる、
「これが個人レベルの倫理として語られるのであればともかく、それを国の政策として執行することは、国を守るために前線におもむくよう個人を強制する措置と同様に立憲主義の根本原則と正面から衝突するのではないかという疑念にいかに答えるかである。」(p.167)
そのためには、
「絶対平和主義に帰依しない個人は外国に「逃げる」というものであろう。」(p.167)
「ある特定の「善き生」に帰依できないのであれば、そういう人間は「日本から出ていけ」といっていることになり、立憲主義との整合性が本当にはかられているといえるか否かについては疑念が残る。」(p.168)
この論理は興味深い。憲法と平和主義という議論になると、必ず出てくるのが、頑迷な護憲的平和論、非武装論、である。その実現はともかくとして、それが、立憲主義にかなった論なのかどうか、という点では、長谷部恭男の立場においては、否であると言っている。絶対平和主義というと憲法にのっとっているように見えるが、実は、立憲主義には反していることになる。この論点は、今後の、憲法論、改憲論でおおいに配慮すべきことではないだろうか。
長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/
やまもも書斎記 2016年8月31日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』穏和な平和主義
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/31/8166492
現在の日本国憲法は平和主義であるという。たしかにそのとおりなのであろうが、では、平和主義であれば、それは憲法にかなったことになるのであろうか。この論点について、著者(長谷部恭男)は、否であると言っている。そのとろろを見ておきたい。
ここで第四の選択肢として、絶対平和主義をとりあげることになる。一般にいう現在の憲法についての護憲論は、これに近い立場かもしれない。たとえ攻撃されることがあっても、反撃のための武力行使を認めない。個別的自衛権も認めない。現在の憲法を、文字どおり解釈するならば、絶対平和主義ということになるだろう。とにかく、形式的な文言のうえでは戦力の保持を認めていないのであるから。
まず、立憲主義を確認しておくならば、
「善き生に関する観念は多様であり、相互に比較不能であるというのが、立憲主義の基本的前提である。」(p.167)
そして、絶対平和主義については、次のように述べる、
「これが個人レベルの倫理として語られるのであればともかく、それを国の政策として執行することは、国を守るために前線におもむくよう個人を強制する措置と同様に立憲主義の根本原則と正面から衝突するのではないかという疑念にいかに答えるかである。」(p.167)
そのためには、
「絶対平和主義に帰依しない個人は外国に「逃げる」というものであろう。」(p.167)
「ある特定の「善き生」に帰依できないのであれば、そういう人間は「日本から出ていけ」といっていることになり、立憲主義との整合性が本当にはかられているといえるか否かについては疑念が残る。」(p.168)
この論理は興味深い。憲法と平和主義という議論になると、必ず出てくるのが、頑迷な護憲的平和論、非武装論、である。その実現はともかくとして、それが、立憲主義にかなった論なのかどうか、という点では、長谷部恭男の立場においては、否であると言っている。絶対平和主義というと憲法にのっとっているように見えるが、実は、立憲主義には反していることになる。この論点は、今後の、憲法論、改憲論でおおいに配慮すべきことではないだろうか。
半藤一利『日露戦争史』全三巻 ― 2016-09-08
2016-09-08 當山日出夫
これまで、半藤一利『日露戦争史』(三巻)について書いてきたので、ここでまとめての感想など、いささか。
やまもも書斎記
半藤一利『日露戦争史 1』 2016年8月21日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/21/8157105
半藤一利『日露戦争史 2』 2016年8月26日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163037
半藤一利『日露戦争史 3』 2016年9月6日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/06/8171280
三巻目も、例によってあとがきの方から読んだ。
「そしていま、とにもかくにも、エピローグまでたどりついたとき、自分では意識していなかったが、わたくしは心身ともにへとへとであったようである。終わった喜びどころか、困憊というのか、〈終〉とかいて鉛筆を原稿用紙の上において、窓の外にひろがる冬の抜けるような蒼空をながめながら、しばしポカーンとしていた。そのあとも二、三日は字を一字もかく気が起こらず、檻のなかの熊のようにうろうろとその辺を歩きまわっていた。」(pp.411-412)
これは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を評した後に、書かれていることばである。筆者(半藤一利)は、司馬遼太郎にある対談でこう語ったという。
「ならば司馬さん、『坂の上の雲』をもう一章か二章、”日露戦争後の日本”をかかなければいけなかった。でないと、あの小説は完結したことにならないないんじゃないですか」と、わたくしはせまった。これに司馬さんは苦笑を返すばかりで、一言も答えようとしなかったことを覚えている。」(pp.410-411)
日露戦争の歴史を語った後に、その後の日本のあり方を語る、これは、誰しもが思うことであろう。だが、司馬遼太郎はそれをしなかった。そして、半藤一利もそれをしなかった。いや、できなかった。それほど、日露戦争を語ることの重みとでもいうべきものがあるのだろう。たぶん、これは、実際には、それをなした(日露戦争の歴史を語った)人間にしか分からない感覚なのかもしれない。
読者としては、司馬遼太郎『坂の上の雲』もこの『日露戦争史』(三巻)も、なんだか終わりがあっけないような印象がある。で、その後の日本はどうなったのか、こう思ってしまう。だが、司馬遼太郎も半藤一利も、それをしていない。いや、できなかった。
そういえば、NHKドラマ『坂の上の雲』も、日本海海戦の後は、せいぜい講和条約をめぐっての日比谷焼き討ち騒動を描いたぐらいで、おわりは意外とあっけなく、「え、これで終わりか」というような終わり方だった。まあ、秋山好古の最晩年の一コマを描いてはいたのだが。
たぶん、これ(日露戦争をふくめた近代史全般)は、歴史家の仕事であって、文学、あるいは、歴史探偵の仕事の領域を超えたことになる、と理解していいだろうか。そして、その歴史家としては、加藤陽子などが、まず思い浮かぶところなのであるが。
加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/
たぶん、歴史学の立場から史料に即して歴史を叙述するのと、物語として歴史を語ることの差異なのかもしれない、と思ったりする。どちらがすぐれているかという議論ではなく、発想の違い、立場の違い、歴史を見る観点の違い、語り方の違い、という総合的なものとして、それはあるのだろう。
そのなかで著者が選んだのが「歴史探偵」という立場で語るということ。これは、基本的に既存の歴史書・史料をふまえたうえで、それを整理して、自分なりに咀嚼したうえで、語っていると理解する。狭義の歴史学研究書ではない。しかし、歴史小説でもない。基本的にフィクションはない。また、史料が確かでなくわからなくて想像で述べるしかない場面は、それと断ったうえで記述してある。
その歴史探偵の視点の置き方は、基本的に次の二つ。
第一に、「民草」の視点からを忘れないこと。庶民でも、国民でもない、市民でもない、「民草」の語を著者はつかっている。おそらくは、この語に込められた意味を感じ取ってこそ、この本を読んだことになるのだろうと思う。
第二に、昭和戦前、太平洋戦争の時点から振り返って、かつての日露戦争を見るという視点である。なぜ、日本は太平洋戦争、あるいは、大東亜戦争に、つきすすんでいったのか、それを批判的に考える視点を常にもっていることである。
この二点による「歴史探偵」の物語が、この『日露戦争史』三巻ということになる。
ともあれ、日露戦争を語るという大きな仕事の一つとして半藤一利『日露戦争』三巻は、今後も読まれていくべき本であると思う。すくなくとも、『坂の上の雲』(司馬遼太郎)だけにまかせるのではなく、また、別の視点から日論戦争を描いたものとして、貴重な仕事になるにちがいない。
これまで、半藤一利『日露戦争史』(三巻)について書いてきたので、ここでまとめての感想など、いささか。
やまもも書斎記
半藤一利『日露戦争史 1』 2016年8月21日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/21/8157105
半藤一利『日露戦争史 2』 2016年8月26日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163037
半藤一利『日露戦争史 3』 2016年9月6日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/06/8171280
三巻目も、例によってあとがきの方から読んだ。
「そしていま、とにもかくにも、エピローグまでたどりついたとき、自分では意識していなかったが、わたくしは心身ともにへとへとであったようである。終わった喜びどころか、困憊というのか、〈終〉とかいて鉛筆を原稿用紙の上において、窓の外にひろがる冬の抜けるような蒼空をながめながら、しばしポカーンとしていた。そのあとも二、三日は字を一字もかく気が起こらず、檻のなかの熊のようにうろうろとその辺を歩きまわっていた。」(pp.411-412)
これは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を評した後に、書かれていることばである。筆者(半藤一利)は、司馬遼太郎にある対談でこう語ったという。
「ならば司馬さん、『坂の上の雲』をもう一章か二章、”日露戦争後の日本”をかかなければいけなかった。でないと、あの小説は完結したことにならないないんじゃないですか」と、わたくしはせまった。これに司馬さんは苦笑を返すばかりで、一言も答えようとしなかったことを覚えている。」(pp.410-411)
日露戦争の歴史を語った後に、その後の日本のあり方を語る、これは、誰しもが思うことであろう。だが、司馬遼太郎はそれをしなかった。そして、半藤一利もそれをしなかった。いや、できなかった。それほど、日露戦争を語ることの重みとでもいうべきものがあるのだろう。たぶん、これは、実際には、それをなした(日露戦争の歴史を語った)人間にしか分からない感覚なのかもしれない。
読者としては、司馬遼太郎『坂の上の雲』もこの『日露戦争史』(三巻)も、なんだか終わりがあっけないような印象がある。で、その後の日本はどうなったのか、こう思ってしまう。だが、司馬遼太郎も半藤一利も、それをしていない。いや、できなかった。
そういえば、NHKドラマ『坂の上の雲』も、日本海海戦の後は、せいぜい講和条約をめぐっての日比谷焼き討ち騒動を描いたぐらいで、おわりは意外とあっけなく、「え、これで終わりか」というような終わり方だった。まあ、秋山好古の最晩年の一コマを描いてはいたのだが。
たぶん、これ(日露戦争をふくめた近代史全般)は、歴史家の仕事であって、文学、あるいは、歴史探偵の仕事の領域を超えたことになる、と理解していいだろうか。そして、その歴史家としては、加藤陽子などが、まず思い浮かぶところなのであるが。
加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/
たぶん、歴史学の立場から史料に即して歴史を叙述するのと、物語として歴史を語ることの差異なのかもしれない、と思ったりする。どちらがすぐれているかという議論ではなく、発想の違い、立場の違い、歴史を見る観点の違い、語り方の違い、という総合的なものとして、それはあるのだろう。
そのなかで著者が選んだのが「歴史探偵」という立場で語るということ。これは、基本的に既存の歴史書・史料をふまえたうえで、それを整理して、自分なりに咀嚼したうえで、語っていると理解する。狭義の歴史学研究書ではない。しかし、歴史小説でもない。基本的にフィクションはない。また、史料が確かでなくわからなくて想像で述べるしかない場面は、それと断ったうえで記述してある。
その歴史探偵の視点の置き方は、基本的に次の二つ。
第一に、「民草」の視点からを忘れないこと。庶民でも、国民でもない、市民でもない、「民草」の語を著者はつかっている。おそらくは、この語に込められた意味を感じ取ってこそ、この本を読んだことになるのだろうと思う。
第二に、昭和戦前、太平洋戦争の時点から振り返って、かつての日露戦争を見るという視点である。なぜ、日本は太平洋戦争、あるいは、大東亜戦争に、つきすすんでいったのか、それを批判的に考える視点を常にもっていることである。
この二点による「歴史探偵」の物語が、この『日露戦争史』三巻ということになる。
ともあれ、日露戦争を語るという大きな仕事の一つとして半藤一利『日露戦争』三巻は、今後も読まれていくべき本であると思う。すくなくとも、『坂の上の雲』(司馬遼太郎)だけにまかせるのではなく、また、別の視点から日論戦争を描いたものとして、貴重な仕事になるにちがいない。
トルストイ『戦争と平和』 ― 2016-09-09
2016-09-09 當山日出夫
トルストイ.工藤精一郎(訳).『戦争と平和』(新潮文庫).1972(2005改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/206013/
全四巻である。
実は、この作品、若いとき(学生のころだったろうか)、一度、読みかけて挫折している。それを、今回、新しく買って(版がきれいになっている、字も大きい)読み直してみた。今度は、意外なほどにすんなりと全部読み切ることができた。
この作品については、いろんな人がいろんなことを書いているはずである。今更、私が何を付け加えるべきほどのこともないだろう。だが、強いていえば、というあたりをいささか。
この作品のメインのテーマは、「歴史」である。歴史とは何か、歴史を動かしているのは何であるのか、作者は問いかけている。そのせいだろうと思う。かつて、若いときの私がこの本を途中で読むのをやめてしまって、逆に、今になって読み切ることができたのは。
私は、昭和30年の生まれである。1955年。いわゆる五五年体制のできあがった年になる。世界史的にみれば、東西冷戦に突入したあたり。そんな私にとって、歴史とは、過去のもの、あるいは、静止したものだったように思う。太平洋戦争(大東亜戦争)が終わって10年。これは、もう過去のことであった。まだその記憶が生々しかったとはいえ、もはや戦後ではない、と言われた時代になっていた。そして、世界の歴史をみれば、東西冷戦で、ここでも時間は止まっていたかのごとくである。キューバ危機やベトナム戦争はたしかにあったが、全体として、世界の歴史は止まっていた感じがする。
国内的には、五五年体制。国際的には、東西冷戦。こんな状況のなかで、若いときをすごしている。ふりかえってみると、このような状況のなかでは「歴史」とは、過去についての知識、あるいは、非常に観念的なものとしてあったように思い出す。私は、歴史は好きな方であった。だが、その歴史は、過去にあったことがらについての知識・解釈であった。
しかし、この歴史が、現実の世界のものになったのが、1989年のベルリンの壁の崩壊、2001年のアメリカでのテロ事件、国内的には、五五年体制の崩壊、2011年の震災、原発事故……このような状況のなかで生活してくると、(たとえ、それがテレビや新聞などによる知識としてであったとしても)まさに「歴史」のなかにいるという感覚になる。
そのせいだろうと思う。『戦争と平和』を読んで、そこに生きている歴史を感じ取ることができた。単なる知識(過去にあったことを知っている)ではなく、今自分が生きている世界、この世の中が、なぜこのようにあるのか、なぜこのようなできごとがおこるのか、生活感覚として実感するようになってきている。だから、この年になって『戦争と平和』を読んで、そこに描かれた「歴史」に何かしら感じるものがあったのであろう。
若いときは、ただ若かったというだけではない。その当時の政治、世界の状況のなかで、生きている歴史というものを、あまり感じることがなかったように思い出すのである。これが、たぶん、『戦争と平和』を今になって面白いと感じる要因であるのだろう。
だからといって、『戦争と平和』に書かれた歴史(ナポレオンのロシア侵攻)に通暁しているわけでもないし、そこで述べられているトルストイの歴史観に、全面的に賛同しているというわけでもない。現在、言語論的転回を経た後の歴史とは、改めて考え直されなければならないものになっていることは、承知しているつもりである。
だが、歴史とは何かを問いかけようという姿勢そのもの、歴史を描き出そうという気概のようなもの、それには、深く共感するところがある。
『戦争と平和』、この夏に一読したでけではもったいない。もうすこし時間がたってから、再度、再再度……何度か読み直してみたいと思っている。まだ、それぐらいの時間の余裕は、自分にも残されていると思う。
トルストイ.工藤精一郎(訳).『戦争と平和』(新潮文庫).1972(2005改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/206013/
全四巻である。
実は、この作品、若いとき(学生のころだったろうか)、一度、読みかけて挫折している。それを、今回、新しく買って(版がきれいになっている、字も大きい)読み直してみた。今度は、意外なほどにすんなりと全部読み切ることができた。
この作品については、いろんな人がいろんなことを書いているはずである。今更、私が何を付け加えるべきほどのこともないだろう。だが、強いていえば、というあたりをいささか。
この作品のメインのテーマは、「歴史」である。歴史とは何か、歴史を動かしているのは何であるのか、作者は問いかけている。そのせいだろうと思う。かつて、若いときの私がこの本を途中で読むのをやめてしまって、逆に、今になって読み切ることができたのは。
私は、昭和30年の生まれである。1955年。いわゆる五五年体制のできあがった年になる。世界史的にみれば、東西冷戦に突入したあたり。そんな私にとって、歴史とは、過去のもの、あるいは、静止したものだったように思う。太平洋戦争(大東亜戦争)が終わって10年。これは、もう過去のことであった。まだその記憶が生々しかったとはいえ、もはや戦後ではない、と言われた時代になっていた。そして、世界の歴史をみれば、東西冷戦で、ここでも時間は止まっていたかのごとくである。キューバ危機やベトナム戦争はたしかにあったが、全体として、世界の歴史は止まっていた感じがする。
国内的には、五五年体制。国際的には、東西冷戦。こんな状況のなかで、若いときをすごしている。ふりかえってみると、このような状況のなかでは「歴史」とは、過去についての知識、あるいは、非常に観念的なものとしてあったように思い出す。私は、歴史は好きな方であった。だが、その歴史は、過去にあったことがらについての知識・解釈であった。
しかし、この歴史が、現実の世界のものになったのが、1989年のベルリンの壁の崩壊、2001年のアメリカでのテロ事件、国内的には、五五年体制の崩壊、2011年の震災、原発事故……このような状況のなかで生活してくると、(たとえ、それがテレビや新聞などによる知識としてであったとしても)まさに「歴史」のなかにいるという感覚になる。
そのせいだろうと思う。『戦争と平和』を読んで、そこに生きている歴史を感じ取ることができた。単なる知識(過去にあったことを知っている)ではなく、今自分が生きている世界、この世の中が、なぜこのようにあるのか、なぜこのようなできごとがおこるのか、生活感覚として実感するようになってきている。だから、この年になって『戦争と平和』を読んで、そこに描かれた「歴史」に何かしら感じるものがあったのであろう。
若いときは、ただ若かったというだけではない。その当時の政治、世界の状況のなかで、生きている歴史というものを、あまり感じることがなかったように思い出すのである。これが、たぶん、『戦争と平和』を今になって面白いと感じる要因であるのだろう。
だからといって、『戦争と平和』に書かれた歴史(ナポレオンのロシア侵攻)に通暁しているわけでもないし、そこで述べられているトルストイの歴史観に、全面的に賛同しているというわけでもない。現在、言語論的転回を経た後の歴史とは、改めて考え直されなければならないものになっていることは、承知しているつもりである。
だが、歴史とは何かを問いかけようという姿勢そのもの、歴史を描き出そうという気概のようなもの、それには、深く共感するところがある。
『戦争と平和』、この夏に一読したでけではもったいない。もうすこし時間がたってから、再度、再再度……何度か読み直してみたいと思っている。まだ、それぐらいの時間の余裕は、自分にも残されていると思う。
大塚ひかり訳『源氏物語』 ― 2016-09-10
2016-09-10 當山日出夫
私は、大学は文学部国文科の出身なので……『源氏物語』ぐらいは原文で読むべきものと思っていた。原文といっても、岩波古典大系などの校注本になる。それでも、変体仮名の原文(写本・版本)であっても、文字を追うことはできる。
だが、ここにきて、現代語訳で読むのも、一つの選択肢かなと思うようになってきた。
源氏物語の現代語訳といえば、古くは、与謝野晶子があり、谷崎潤一郎が有名である。谷崎訳などは、この訳ならむしろ原文で読んだ方がわかりやすいという評価もあったかと記憶している。それから、私が若いときに出たものとしては、円地文子訳がある。さらに、瀬戸内寂聴訳もある。
近年になって、林望が訳している。
『謹訳源氏物語』
http://www.shodensha.co.jp/genji/
それから、最近では、中野幸一訳がある。
『正訳 源氏物語 本文対照』
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=18_61&products_id=100506
ここでとりあげてみたいのは、
大塚ひかり全訳.『源氏物語』(ちくま文庫).筑摩書房.2008
http://www.chikumashobo.co.jp/special/genji/
である。
新潮文庫の近刊で、『本当はひどかった昔の日本』が出た。
大塚ひかり.『本当はひどかった昔の日本-古典文学で知るしたたかな日本人-』(新潮文庫).新潮社.2016 (原著、新潮社.2014)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120516/
これを買って、つらつら眺めてみた。解説を書いているのが、清水義範。その解説にいわく……こんな意味のことが書いてある……自分はこれまで、各種の現代語訳で読んできたが、どれも途中でとまってしまっていた。ところが、大塚ひかり訳で読むと、全部読むことができた、と。
清水義範がそこまで褒めるなら読んでみる価値があるかなと思って買って読んでみることにした。すると、これが面白い。
いろいろ特徴はあるが、時によっては、原文につかってある語句を訳さずに、そのまま ” ” でしめしている。ところどころ注釈的な部分が入れてあったりする。なによりも最大の特徴は、「ひかりナビ」として、数ページおきぐらいに、解説が記してあることである。その物語の読みどころとか、現代のまでの研究の背景とか、時代的な解説とか、書いてある。このところだけ読んでも充分に面白いぐらいである。また、不必要に敬語をつかっていない(あえてはぶいてある)のも、読みやすくなっている一因であろう。
最初に書いたように、文学部国文科というところで『源氏物語』を読んだ経験があると、ストレートに読むということが実はない。すでに、概説書・研究書・注釈で、その箇所の概要を知ったうえで、では原文ではどうなっているのかを確認しながら読む、このような読み方になってしまう。つまり、書物として、『源氏物語』をストレートに読むということがないのである。
そうはいっても、『源氏物語』は、全ページを繰ったことはある。ただ、それが、順番にではない。物語の重要な箇所から読んでいく、その時の授業で取り上げられたような箇所に目をとおす、という具合にして、とにかくページだけはめくったことがある。
まだ、コーパスの無い時代である。『源氏物語大成』の索引を引いて、原文にあたって、それを、さらに現在の校注本で確認して、という作業を何度かやったこともある。このようなこと、私ぐらいの世代で、国文学・国語学を勉強した人間なら経験していることと思う。
ところで、大塚ひかり訳『源氏物語』である。これは面白いので、この本で『源氏物語』を読んでみるかな、という気になっている。まだ、読んだのは「夕顔」までであるが、これなら、「須磨源氏」(=『源氏物語』を読んでいって、「須磨」の巻ぐらいで挫折してしまうこと)にならずに、最後までいけるかなと思っている。
もちろん、原文(校注本)でも読めるのだが、現代語訳の解釈をたのしみながら、原文をイメージしながらの読書というのも、これはこれで一つの読書の楽しみであると思う。いや、そのように思う年になったという方が正解かもしれない。若い頃なら、こんな現代語訳なんかは馬鹿にして読まなかったにちがいない。
まさに、ある程度年をとってからの読書の楽しみとして、現代語訳『源氏物語』があるといってよいだろう。ただ、そうはいっても、『平家物語』とか『今昔物語集』は、原文でと思っているのだが。
余計なことを書いておけば、『源氏物語』の成立論として、三段階論は知っている。古くは、武田宗俊、近年では、大野晋が提唱した考え。あるいは、村上征勝もこの立場にたっている。この意味では、紫上系の物語だけひろい読みしていってもいい。かつて、私は、そのような読み方をしていた。だが、今回は、律儀に、「桐壺」から順番に読んでみることにするつもりでいる。
私は、大学は文学部国文科の出身なので……『源氏物語』ぐらいは原文で読むべきものと思っていた。原文といっても、岩波古典大系などの校注本になる。それでも、変体仮名の原文(写本・版本)であっても、文字を追うことはできる。
だが、ここにきて、現代語訳で読むのも、一つの選択肢かなと思うようになってきた。
源氏物語の現代語訳といえば、古くは、与謝野晶子があり、谷崎潤一郎が有名である。谷崎訳などは、この訳ならむしろ原文で読んだ方がわかりやすいという評価もあったかと記憶している。それから、私が若いときに出たものとしては、円地文子訳がある。さらに、瀬戸内寂聴訳もある。
近年になって、林望が訳している。
『謹訳源氏物語』
http://www.shodensha.co.jp/genji/
それから、最近では、中野幸一訳がある。
『正訳 源氏物語 本文対照』
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=18_61&products_id=100506
ここでとりあげてみたいのは、
大塚ひかり全訳.『源氏物語』(ちくま文庫).筑摩書房.2008
http://www.chikumashobo.co.jp/special/genji/
である。
新潮文庫の近刊で、『本当はひどかった昔の日本』が出た。
大塚ひかり.『本当はひどかった昔の日本-古典文学で知るしたたかな日本人-』(新潮文庫).新潮社.2016 (原著、新潮社.2014)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120516/
これを買って、つらつら眺めてみた。解説を書いているのが、清水義範。その解説にいわく……こんな意味のことが書いてある……自分はこれまで、各種の現代語訳で読んできたが、どれも途中でとまってしまっていた。ところが、大塚ひかり訳で読むと、全部読むことができた、と。
清水義範がそこまで褒めるなら読んでみる価値があるかなと思って買って読んでみることにした。すると、これが面白い。
いろいろ特徴はあるが、時によっては、原文につかってある語句を訳さずに、そのまま ” ” でしめしている。ところどころ注釈的な部分が入れてあったりする。なによりも最大の特徴は、「ひかりナビ」として、数ページおきぐらいに、解説が記してあることである。その物語の読みどころとか、現代のまでの研究の背景とか、時代的な解説とか、書いてある。このところだけ読んでも充分に面白いぐらいである。また、不必要に敬語をつかっていない(あえてはぶいてある)のも、読みやすくなっている一因であろう。
最初に書いたように、文学部国文科というところで『源氏物語』を読んだ経験があると、ストレートに読むということが実はない。すでに、概説書・研究書・注釈で、その箇所の概要を知ったうえで、では原文ではどうなっているのかを確認しながら読む、このような読み方になってしまう。つまり、書物として、『源氏物語』をストレートに読むということがないのである。
そうはいっても、『源氏物語』は、全ページを繰ったことはある。ただ、それが、順番にではない。物語の重要な箇所から読んでいく、その時の授業で取り上げられたような箇所に目をとおす、という具合にして、とにかくページだけはめくったことがある。
まだ、コーパスの無い時代である。『源氏物語大成』の索引を引いて、原文にあたって、それを、さらに現在の校注本で確認して、という作業を何度かやったこともある。このようなこと、私ぐらいの世代で、国文学・国語学を勉強した人間なら経験していることと思う。
ところで、大塚ひかり訳『源氏物語』である。これは面白いので、この本で『源氏物語』を読んでみるかな、という気になっている。まだ、読んだのは「夕顔」までであるが、これなら、「須磨源氏」(=『源氏物語』を読んでいって、「須磨」の巻ぐらいで挫折してしまうこと)にならずに、最後までいけるかなと思っている。
もちろん、原文(校注本)でも読めるのだが、現代語訳の解釈をたのしみながら、原文をイメージしながらの読書というのも、これはこれで一つの読書の楽しみであると思う。いや、そのように思う年になったという方が正解かもしれない。若い頃なら、こんな現代語訳なんかは馬鹿にして読まなかったにちがいない。
まさに、ある程度年をとってからの読書の楽しみとして、現代語訳『源氏物語』があるといってよいだろう。ただ、そうはいっても、『平家物語』とか『今昔物語集』は、原文でと思っているのだが。
余計なことを書いておけば、『源氏物語』の成立論として、三段階論は知っている。古くは、武田宗俊、近年では、大野晋が提唱した考え。あるいは、村上征勝もこの立場にたっている。この意味では、紫上系の物語だけひろい読みしていってもいい。かつて、私は、そのような読み方をしていた。だが、今回は、律儀に、「桐壺」から順番に読んでみることにするつもりでいる。
最近のコメント