スマホを持たない主義2017-01-14

2017-01-14 當山日出夫

昨日は、私の部屋の電話機などのはなし。自分の部屋にいても、電話に携帯電話に、メッセージに、FAX、それから、パソコンの電子メール、など。

だが、そのような環境のなかにあっても、まだ、私は、スマホは持たないことにしている。携帯電話は持っているが、その番号を教えてあるのは、基本的に家族のみ。

家の自分の部屋にいれば、目の前にパソコンがある。24インチのディスプレイがある。キーボードもある(これは、東プレ製にこだわっている。)そして、家を出たときぐらいは、パソコンからも、インターネットからも解放されたいと思う。

家をはなれて外に出たときぐらいは、インターネットからも、電話からも、自由になりたいのである。最近のことばで言うならば、WEBにつながらないでいる権利、といってもいいだろう。現代の社会においては、これは、ある意味で贅沢なことかもしれないが、私の場合、これができる状況にいる。強いて、この「権利」を手放そうとは思っていない。

また、スマホでも音楽は聴ける。しかし、音楽を聴くのであれば、Walkmanの方がいい音が出るにきまっている(と、思っている)。

まあ、ようするにモノグサなのであろう。あるいは、もう年をとってきて、老眼になってきているので、小さい文字が見にくい、ということもある。使わないで済ませることができるものなら、このまま持ちたくはない。

ただ、将来のこと……自動車の自動運転ということが、もし始まるとするならば、道を走っている自動車に、歩行者(自分)のことを認識させるためのなにがしかの機器は、持っていないと危ない、という時代がくるかもしれない。それは、そのときで、考えることにするつもりでいる。