『白痴』(2)光文社古典新訳文庫2018-12-24

2018-12-24 當山日出夫(とうやまひでお)

白痴(2)

ドストエフスキー.亀山郁夫(訳).『白痴』(2)(光文社古典新訳文庫).2017
http://www.kotensinyaku.jp/books/book247.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年12月21日
『白痴』(1)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/21/9015312

第二巻になって感じることは、次の二点。

第一には、キリスト教の信仰。特に、この第二巻の前半部分においては、キリスト教信仰についての言及が多い。これが、はっきり言ってよくわからない。だが、このような箇所を読むと、まさにドストエフスキーが語りたかったのは、ロシア的なキリスト教信仰であるのであろう……そのようなところが、何となくではあるが感じられる。

例えば、次のような箇所。

「つまり、神は生みの父親であるという考えや、父親が自分の生みの子を見るのと同じように、神が人間を見る喜びという考えさ――これってすべて、いちばん重要なキリスト教の思想じゃないのかい!」(p.109)

第二には、別荘地で繰り広げられる人間ドラマ。ここは特に波瀾万丈の活劇があるというのではないが、ムイシキン公爵を中心として、登場する様々な人間たち。そのやりとりのなかに、人間の精神のドラマを見ることができるだろう。

訳者の読書ガイドによると、この『白痴』第二巻は、あまり世評が高くないらしい。それは、そうかなと思うところがないではないが、第一巻から連続して読んでくると、ドストエフスキーの描こうとしている人間ドラマのなかに引きずり込まれるような感じになる。

この巻で、ナスターシヤはほとんど登場しない。前半部で、ロゴージンの台詞の中に間接的に登場する。ナスターシヤは語る。

「だってわたし、自分の運命は自分で決めたいもの。」(p.88)

このように語った女性の最後がどうなるのか、(これは既に知っていることではあるが)これからの物語の展開がどうなるか気になるところである。

次は、第三巻である。

追記 2018-12-25
この続きは、
やまもも書斎記 2018年12月25日
『白痴』(3)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/25/9017010