『濹東綺譚』永井荷風2019-08-26

2019-08-26 當山日出夫(とうやまひでお)

濹東綺譚

永井荷風.『濹東綺譚』(岩波文庫).岩波書店.1947 (1991.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b249146.html

『濹東綺譚』の初出は、昭和一一年である。

この本を再読してみたくなったのは、木村荘八の挿絵を見たことによる。東京国立近代美術館に「高畑勲展」を見に行った。そのとき、通常の展示も見てきたのだが、そのなかに、木村荘八の描いた『濹東綺譚』の挿絵が、展示してあった。

全部で一〇枚ほどの展示であったろうか。見ていくと、見覚えのある絵がある。たしか、岩波文庫に掲載のものではなかったかと思った。それを確認してみたくなって、岩波文庫版を買って読んで見ることにした。

読んで思うことは次の二点。

第一には、お雪のことばである。この作品におけるお雪のことばが、「てよだわ言葉」であることは、川本三郎が指摘していたことである。

やまもも書斎記 2018年7月2日
『老いの荷風』川本三郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/02/8907507

このことも確認してみたいと思って読んだ。読んでみてであるが……やはり、この指摘はあたっている。お雪は、「てよだわ言葉」で話している。

しかし、お雪が「てよだわ言葉」を使っているのは、「わたくし」に対してである。その他の登場人物に対しては、また異なる位相のことばを使用している。作品中におけるこのようなことばの変化を、現代の日本語学では「役割語」という視点で分析することになる。

第二には、やはり挿絵である。昭和の初期の東京の下町、それも玉の井というあたりの風俗となると、現代からでは、はるか想像のかなたである。それを、木村荘八の挿絵は、見事に描き出しているといえるだろう。『濹東綺譚』という作品は、この挿絵なくしてはなりたたない作品であると感じるところがある。

以上の二点が、久しぶりに『濹東綺譚』を読んで見て思ったことなどである。

また、さらに付け加えるならば、永井荷風のことばの観察眼とでもいうべきところがある。

「溝の蚊の唸る声は今日にあっても隅田川を東に渡って行けば、どうやら三十年のむかしと変りなく、場末びわびしさを歌ってうるのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。」(p.75)

このようにある。そう思って読んでみると、「彼女」には「かのおんな」とルビがある。荷風は、「かのじょ」という言い方を避けていると思われる。

さらに、その目で読んでいくならば、近代東京語の資料として、興味深いところを見ることもできるだろう。近代東京語の資料としての荷風の作品があることになる。(ただ、私としては、もうこのような分野に手を出そうとは思わない。楽しみとして読んでおきたいのだが。)

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