『老いの荷風』川本三郎(その二)2018-07-02

2018-07-02 當山日出夫(とうやまひでお)

老いの荷風

続きである。
やまもも書斎記 2018年6月30日
『老いの荷風』川本三郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906347

川本三郎.『老いの荷風』.白水社.2017
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b285611.html

この本を読んで、国語学の観点から興味深い点があったので、別に書きとめておきたい。それは、「てよだわ言葉」についてである。

『濹東綺譚』のお雪である。

「六月のある日、玉の井を歩いていた「わたくし」は雨に降られる。いつもの習慣で傘を持っている。その傘を開くと、「檀那、そこまで入れてってよ」と、女(お雪)が傘のなかに飛び込んでくる。『濹東綺譚』のことの場面は『放蕩』の娼婦との出会いを繰り返している。/さらに面白いことがある。/『放蕩』の娼婦の言葉は、当然、フランス語ではなくて、日本語になっている。それが、明治の女学生のあいだで流行った「てよだわ言葉」。/貞吉はカフェで会った安飯屋に入る。料理は女にまかせる。女は献立書(メニュー)を見ながら言う。「何でもよくって?」/夏目漱石『三四郎』の明治の新しい女、美禰子が使っている「てよだわ言葉」である。昭和になると女学生から一般の女性のあいだにも広がった。」(p.92)

「『放蕩』のパリの娼婦と『濹東綺譚』の娼婦が、同じ場面で同じ「てよだわ言葉」を使っている。両者の類似を感じざるを得ない。」(p.92)

漱石の作品の中の女性たち、なかでも若い女性たちが、女学生ことばを使っていることは、既に知られていることだろう。(さらにいえば、『道草』『明暗』になると、この女学生ことばの様相が変わってくる。ここに漱石の作品の新たな展開を見ることもできよう。)

だが、『濹東綺譚』のお雪のことは、気づかなかった。この本を読んではじめて、そうかと思った次第である。

そして、次の疑問は、何故、荷風は、お雪に、女学生ことばを使わせているのであろうか、ということである。単なる娼婦ではない、そこに何かしら新時代の女性としての側面を描きたかったのだろうか。ここは『濹東綺譚』を読んで、考えて見たいところである。少なくとも、『濹東綺譚』のお雪は、単なる下町の娼婦ではないと、そのことばから言えそうである。

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