『渋江抽斎』森鷗外 ― 2020-05-29
2020-05-29 當山日出夫(とうやまひでお)
森鷗外.『渋江抽斎』(岩波文庫).岩波書店.1940(1999.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b249228.html
『渋江抽斎』を読むのは、何度目になるだろうか。新潮文庫版の森鷗外を読んだ続きで、これも再読してみることにした。
この本、書誌を書いてみて、一九四〇年、昭和一五年から、岩波文庫で刊行され続けてきていることを、改めて認識した。たしかに、他の史伝類にくらべると、『渋江抽斎』は読みやすい。そして、面白い。
『渋江抽斎』の面白さは、どこにあるのだろうか。二点ほど書いてみる。
第一には、ファミリーヒストリーとしての面白さである。
森鷗外は、武鑑の収集から目にした、渋江抽斎という人物の周囲を探索していく。その家族、親戚、知人のあとを追っていく。まさに、ドキュメンタリーであり、NHKの番組でいうならば、「ファミリーヒストリー」である。その探索の緻密さと、そして、いくつかのドラマチックな場面、これが『渋江抽斎』の面白さの眼目であろう。
第二は、考証学。
渋江抽斎は、考証学者であった。その著作として、『経籍訪古志』がある。いや、今では、一般には、鷗外の書いた『渋江抽斎』の主人公として名が残っていると言ってよであろうが、しかし、日本の古典籍について少しでも勉強したことがあるならば、『経籍訪古志』は一度は目にしたことのあるはずの本である。
この考証学という学問は、ある意味では、今日まで細々とではあるが、その命脈がつづいている学問の一つと言ってよいのかもしれない。少なくとも、国語学、日本語学の分野では、狩谷棭斎の『箋註倭名類聚抄』は、必須の文献の一つとして、今まで伝えられてきている。(あるいは、見方によっては、考証学は、すでにその命が尽きているとも言えなくもないかもしれないのだが。)
ともあれ、国語学、日本語学という分野のはしくれにいる人間の一人として、考証学という江戸時代の学問は、その勉強の視野のうちにいれておくべきことの一つとしてある。その考証学を担ったのが、どのような人物であったかの興味、関心というものが、この本の一つの魅力でもある。
以上の二点が、何回目かに『渋江抽斎』を読みなおしてみて、改めて感じるところである。
さて、森鷗外を、新潮文庫版、そして、岩波文庫『渋江抽斎』と読んできてであるが、印象として残るのは、その文章の端正さである。落ち着いている。そうでありながら、ドラマチックな場面や心情を、見事に描き出している。森鷗外が「文豪」と称されている所以を、改めて認識した次第でもある。
森鷗外は、「全集」(岩波版)も持っているのだが、しまいこんだままである。「鷗外歴史文学集」(岩波版)も持っている。これらの本も、これから読んでおきたいと思う。
2020年5月28日記
https://www.iwanami.co.jp/book/b249228.html
『渋江抽斎』を読むのは、何度目になるだろうか。新潮文庫版の森鷗外を読んだ続きで、これも再読してみることにした。
この本、書誌を書いてみて、一九四〇年、昭和一五年から、岩波文庫で刊行され続けてきていることを、改めて認識した。たしかに、他の史伝類にくらべると、『渋江抽斎』は読みやすい。そして、面白い。
『渋江抽斎』の面白さは、どこにあるのだろうか。二点ほど書いてみる。
第一には、ファミリーヒストリーとしての面白さである。
森鷗外は、武鑑の収集から目にした、渋江抽斎という人物の周囲を探索していく。その家族、親戚、知人のあとを追っていく。まさに、ドキュメンタリーであり、NHKの番組でいうならば、「ファミリーヒストリー」である。その探索の緻密さと、そして、いくつかのドラマチックな場面、これが『渋江抽斎』の面白さの眼目であろう。
第二は、考証学。
渋江抽斎は、考証学者であった。その著作として、『経籍訪古志』がある。いや、今では、一般には、鷗外の書いた『渋江抽斎』の主人公として名が残っていると言ってよであろうが、しかし、日本の古典籍について少しでも勉強したことがあるならば、『経籍訪古志』は一度は目にしたことのあるはずの本である。
この考証学という学問は、ある意味では、今日まで細々とではあるが、その命脈がつづいている学問の一つと言ってよいのかもしれない。少なくとも、国語学、日本語学の分野では、狩谷棭斎の『箋註倭名類聚抄』は、必須の文献の一つとして、今まで伝えられてきている。(あるいは、見方によっては、考証学は、すでにその命が尽きているとも言えなくもないかもしれないのだが。)
ともあれ、国語学、日本語学という分野のはしくれにいる人間の一人として、考証学という江戸時代の学問は、その勉強の視野のうちにいれておくべきことの一つとしてある。その考証学を担ったのが、どのような人物であったかの興味、関心というものが、この本の一つの魅力でもある。
以上の二点が、何回目かに『渋江抽斎』を読みなおしてみて、改めて感じるところである。
さて、森鷗外を、新潮文庫版、そして、岩波文庫『渋江抽斎』と読んできてであるが、印象として残るのは、その文章の端正さである。落ち着いている。そうでありながら、ドラマチックな場面や心情を、見事に描き出している。森鷗外が「文豪」と称されている所以を、改めて認識した次第でもある。
森鷗外は、「全集」(岩波版)も持っているのだが、しまいこんだままである。「鷗外歴史文学集」(岩波版)も持っている。これらの本も、これから読んでおきたいと思う。
2020年5月28日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/29/9251733/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。