『ヴェネツィアに死す』トーマス・マン/岸美光(訳)2020-10-02

2020-10-02 當山日出夫(とうやまひでお)

ヴェネツィアに死す

トーマス・マン.岸美光(訳).『ヴェネツィアに死す』(光文社古典新訳文庫).光文社.2007
https://www.kotensinyaku.jp/books/book25/

『文学こそ最高の教養である』の本を読んでいる。

この作品、若いときに手にとっているかと思うのだが、今となっては忘れてしまっていた。久しぶりに読んでみた。昔読んだときのタイトルは『ベニスに死す』であったかと思う。

近年になって、トーマス・マンの作品のいくつかを読んだり、読みかえしたりしている。

『ブッデンブローク家の人びと』『魔の山』『ある詐欺師の告白』『トニオ・クレーゲル』などは読んでいる。この作品を読んでおきたいと思ったのは、『文学こそ最高の教養である』で紹介されていたからである。再度、この作品も読んでおきたいと思って、光文社古典新訳文庫版で読んでみることにした。

この作品に描かれていることで、印象に残るのは次の二点ぐらいだろうか。

第一には、エロス。

ヴェネツィアをおとずれた作家、アッシェンバッハは、ふとしたこととから一人の少年を目にする。そして、その少年のもつ「美」に魂をうばわれてしまう。ここは、きわめて耽美的な感情が描かれる。

といって、アッシェンバッハは、その少年となんらかの交渉をもつということはない。ただ、見つめているだけである。そして、自分自身の耽美的な感情のなかに埋もれていく。

ここには、究極的な「美」と「エロス」の世界があると感じる。

第二は、老い。

主人公である、作家のアッシェンバッハは、もう老人といってよいだろう。少なくとももう若くはない。その老いの心境、でありながら、美しい少年にこころひかれていくこころのうちを描いている。

ここに描かれているのは、まさしく、年をとった人間の姿である。もう若くはないという年齢になった人間のありさまを、見事に描きだしていると感じる。このような老いを描いた部分とでもいうべきところに、若いときに、この作品を読んでさほど気持ちが向かなかったのは、無理もないことかもしれない。

若いときに読んでも、また、年をとってから読んでも、この作品は魅力的である。

以上の二点が、『ヴェネツィアに死す』を読んで思うことなどである。

ところで、この作品は、『ベニスに死す』という映画、ヴィスコンティ監督の作品で有名かもしれない。私は、この映画は見てはいないが、著名な映画であることは知っている。そして、そこで使われたのが、マーラーの交響曲五番であることは、よく知られていることだろう。

この作品を読みながら、時として、マーラーの曲が、頭のなかをよぎるような印象があった。

続けて、『だまされた女/すげかえられた首』を読むことにしたい。

2020年9月17日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/02/9301273/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。