映像の世紀(11)「JAPAN」2021-06-11

2021-06-11 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀 第11集 「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和~」

前回は、
やまもも書斎記 2021年6月4日
映像の世紀(10)「民族の悲劇果てしなく」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/04/9384367

この回で、「映像の世紀」の最初のシリーズの放送の最後ということになる。日本ということの特集になっていた。

見ていて思うことは、次の二点ぐらいだろうか。

第一に、非常に面白いと思ったこと。

近代以降、明治になってからの日本のことを映した映像の特集である。なかには、日常的な風景が記録されている。特に印象に残っているのは、野球をする少年たち。今から、一〇〇年近く前になるだろうか、日本において、このように野球に興ずる少年たちの姿があったということが、なんとも新鮮に思える。

それから、明治のころの映像を見ると、ふと、『逝きし世の面影』(渡辺京二)を思い出してしまった。明治になってしばらくの間は、まだ江戸時代のなごりをとどめていた時代といっていいだろう。近現代になって失われてしまったかつての日本の姿がそこには見いだせる。

第二に、つまらなかったこと。

たしかに、NHKとしては良心的に日本の近代の歩を映像でつづったということは分かる。だが、見ていて、なんとなく歴史の教科書を見ているような気分になる。それがどのような立場であれ……いわゆる右よりであれ、左よりであれ……概説的に日本の近代を語ろうとすると、どうも似たり寄ったりになってしまう。これは、いたしかたのないことかもしれない。

以上の二点が、見ていて思ったことなどである。

番組は、テレビの登場で終わっていた。これは一つの方針なのだろうと思う。フィルムに記録される時代を発掘して作った番組としては、テレビの登場がひとつの時代の節目になることは理解できる。それが、次の時代としては、デジタル機器……スマホに代表される……による映像記録の時代になる。二一世紀は、新しい映像の時代を迎えていることになる。

それから、どうでもいいことだが、チャップリンが天ぷらを食べているシーンを見て、チャップリンは左利きだったのかと、ふと思ったりもした。このようなことは、映像資料が残っていて分かることかもしれない。だからどうということにないかもしれないが。

さて、「映像の世紀」が終わって、次週から「新・映像の世紀」の再放送となるようだ。これも、見ることにしようと思っている。

2021年6月9日記

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