映像の世紀バタフライエフェクト「太平洋戦争 “言葉”で戦った男たち」2022-07-14

2022年7月14日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「太平洋戦争 “言葉”で戦った男たち」

7月11日の月曜日の放送。録画しておいて、翌日の朝にゆっくりと見た。

日本文学、日本語学の立場からして、戦後の日本文学の研究、英訳などの領域で、太平洋戦争中の、アメリカ軍の日本語教育が大きく影響しているということは、常識的に知られていることではあると思っている。サイデンステッカーやキーンのような人びとが、もとは米軍の日本語士官であったことはよく知られていることだろう。だが、彼らについて、その実態や、具体的にどのような活動があったかということについては、まだまだ研究は未開拓であると言っていいかもしれない。

この意味では、この回の特集は、私の専門とする日本語学の領域にも、いくぶんはかかわってくることになる。そのこともあって、興味深く思って見た。

印象に残っているのは、やはりテニアンの学校のことである。この学校のことについては、以前の「映像の世紀」シリーズのなかのどこかで取り上げていたと記憶する。

占領した日本統治下にあったテニアンにおいて、日本語の学校を作ったこと、そこで、日本語での教育のみならず、民主的な教育が行われていたことは、記憶されていいことだと思う。

ともあれ、これからの日本語学という研究の領域において、(日本語を母語としない人びとにたいする)日本語学習ということは、重要な意味を持ってくることになる。(その反面、国語教育という分野が徐々に手薄になってきているうらみはあるのだが。)このような観点から見ても、太平洋戦争中の米軍による日本語教育の実態の研究ということは、重要な意味がある。ここは、これからの研究に期待したところである。

ところで、この回の特集とはあまり関係の無いことなのだが……太平洋戦争中の記録映像として、米軍の残したものにカラー撮影のものがある。まさに戦場を写し取っている。その先に無辜の市民がいることがわかっていながら、火炎放射器で炎を吹きかけるシーンなど、記録として見るからこそなんとか見てはいられるが、かなり残酷なシーンである。戦争というものの悲惨さを実感する場面がいくつかあった。

川端康成の「美しい日本の私」は、若いときに読んだ文章である。最近になってからも手にして読んでみた。ノーベル文学賞の受賞講演であることは知っていたが、そのスピーチを、実際には英訳でサイデンステッカーが読んだということは、この番組で知った。

2022年7月12日記

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