英雄たちの選択「竹久夢二の関東大震災 〜100年前の震災スケッチ〜」2023-09-09

2023年9月9日 當山日出夫

竹久夢二については、通り一遍のことしか知らない。その美人画については、このような絵を描いた画家であり、流行したということぐらいのことしか知らない。

その竹久夢二が、明治の時代にあって反体制的、社会に対する批判的な考えの持ち主であったことは、知らなかった。だが、いわれてみれば、画家、芸術家というのは、本質的に社会に対して批判的なまなざしをもっているものだろうと思う。

関東大震災をめぐっては今年は多くのテレビ番組などが放送されている。(そのいくつかは録画してある。まだ見ていないものも多いが。)

関東大震災については、いろいろと言うことができるだろう。現在の観点からするならば、昭和になってから帝都復興プロジェクトの成果を考えるのが一般的かもしれない。関東大震災で壊滅した東京の街の復興が、あるいはその後の日本の行く末に少なからず影響を与えていると見ることもできよう。

震災があったときに、それを記録しよう、あるいは、画家、芸術家として表現しようという気持ちは、自然とあったものだろう。この意味では、同時代の他の芸術家や文学者たちが、どのような反応を示していたか……このあたりのことが、事例をあげて説明してあるとよかったかと思う。あるいは、ここのところに踏み込むと際限がないので、あえて触れずに竹久夢二のことだけにテーマを絞って番組を構成したのかとも感じるところがある。

また、竹久夢二はヒトラーに批判的であった。これはいいとして、ヒトラーもまたその時代にあっては、人びとのこころをつかんだ人物である。大衆のこころをつかんだという意味では、夢二とつながるところがある。このあたりのことを、もうちょっと考えてみることもあっていいかと思う。ヒトラーの人心掌握術と、竹久夢二の大衆のこころをつかむセンスは、どう違っていたのだろうか。

2023年9月8日記

『らんまん』あれこれ「ヤマモモ」2023-09-10

2023年9月10日 當山日出夫

『らんまん』第23週「ヤマモモ」

渋谷の街は若いころ、東京に住んでいたころはよく行った。慶應の学生が、どこか繁華街に出るとなると、まあ渋谷あたりが選ばれるという時代だった。今か、半世紀ほど昔のことになる。

私が個人的に師事することになった山田忠雄先生の研究室が、井の頭線の駅の裏の方にあった。ここには何年通ったことになるだろうか。(その他、吉祥寺のご自宅に行くこともあった。)慶應での恩師である太田次男先生は原宿に住んでおられたこともあって、渋谷で一緒に喫茶店に行くこともあった。たしか、東急文化会館にあったユーハイム。もうこれも今では無い。

私の知っている渋谷もさらに今では大きく変わってしまった。もう行っても迷子になるだけのことである。

その渋谷も、明治の中頃までは東京の街中の人びとから見れば、郊外どころか、もう田舎と認識されていた。せいぜい湯屋があるぐらいで、後は田畑が広がっていた。

私が学生のころ下宿してた目黒の方が、まだ目黒不動があったから、まだ市中の人びとからは、郊外の土地として認識されていたかもしれない。

人が住んでいる家があるのは、宮益坂と道玄坂ぐらい、そのような時代がかつての渋谷であったことになる。

ところで、寿恵子の出す「待合茶屋」というのは、どのような店になるのかは興味あるところである。牧野富太郎の「自叙伝」を読むと、奥さんが待合を経営していたとは出てくるのだが、具体的にどんな営業内容であったかは書いてなかった。

この当時、待合というと、かなりいかがわしい店もあったろうと想像するのだが、ドラマでは、きちんとした料理を出す、小ぶりな料理屋という雰囲気になっていた。

待合茶屋の名前は「やまもも」。万太郎は、その名前にちなんでヤマモモの木を土佐からとりよせて店に植える。ヤマモモの木には、雄と雌がある。雌の木にしか実はならない。その実のなるのは、我が家の場合だと、六月から七月のころである。しかも、これは毎年は実をつけない。隔年である。一年おきに、実をつける年とそうでない年とになる。

次週以降、寿恵子の待合茶屋を舞台に物語は展開することになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2023年9月9日記

「世界の選挙から 中米 グアテマラ」2023-09-10

2023年9月10日 當山日出夫

レギュラー番組への道 世界の選挙から 中米 グアテマラ

これは面白かった。

グアテマラの小さな村の選挙に密着の取材である。民主主義の根幹は、公正な選挙にあるというは一般的な理解である。その選挙が、世界の国で実際にどのように行われているのか、これは興味深いところがある。

法の支配、自由、人権、民主主義……よく目にすることばである。世界のなかで、曲がりなりにも選挙による民主的な政権運営、あるいは、地方自治が行われている国というのは、いったいどれほどあるだろうかと思う。グアテマラで、この番組で描いていたような選挙が行われるようになったのは、長い内線の末のことである。その結果として手に入れた民主主義を、村の人びとは、手放そうとはしていない。

その選挙の実態が、かなりの不正があったり、行政にいたらないところがあるにせよ、民主的な選挙が行われて、人びとがそれを受け入れている。

日本の選挙では違法となるような行為が堂々とおこなわれいたりする。また、投票の日には酒が販売禁止になるというのも面白い。ところが変われば選挙も変わる。

今の世界では、民主主義よりも専制政治の方が効率的であるという流れがあるようにも感じるところがある。この観点からは、世界のどこかで行われている選挙の有様を伝えてくれる、このような内容の番組は、我が国における民主主義を考えるうえでも、いろいろと考えるところがある。

取材にはいろいろと困難がともなうとは思うが、このような企画は続けていってほしいと強く思う。

2023年8月29日記

ドキュメント72時間「フジロック 待ち望んだ夏の日に」2023-09-11

2023年9月11日 當山日出夫

ドキュメント72時間 フジロック 待ち望んだ夏の日に

フェスの舞台ではなく、そこに集まる人びとのこと。

最近、音楽を聴くにもタイムパフォーマンスということが言われる時代である。このような時代の流れのなかにあって、異次元の時空間と言っていいのだろうか。ここに集まる人びとは、通常の日常の生活や仕事の時間的制約から解放されている。

このような場所が、この社会のなかにあっていいと思う。

それにしてもみんな行儀がいい。ロックというと反体制というイメージがどうしてもあるのだが、こんなことを思うのは、私がもう古い人間のせいかもしれない。(まあ、ここで風紀を乱すような行為があれば、このような催しが長年にわたって開催されるということもないのであるが。)

COVID-19のとき、不要不急ということがさかんに言われた。いったい不要不急とはなんだろうか。ロックのフェスなど、不要不急の最たるものかもしれないが、しかし、時代を経てみるならば、これを必要としている人びとがいることに気づく。このフェスは、これからも続いていくことだろうと思う。

2023年9月9日記

ブラタモリ「燕三条」2023-09-12

2023年9月12日 當山日出夫

ブラタモリ 燕三条

どうして、こんなややこしいところに新幹線の駅をつくり、また高速道路のインターチェンジをつくったのかと思う。

ノーベル賞の晩餐会で使われる食器のことについては、以前、探検ファクトリーで扱っていた。高品質の洋食器を作る職人の街である。

燕三条の話題からは脱線したように思えるが、弥彦線のことは歴史的に重要かもしれない。鉄道の敷設と、神社仏閣への参詣は、関係のあることは、近年になってから言われていることだろうと認識している。その弥彦神社に、競輪場があるというのも興味深い。人びとの神社への信仰と、娯楽、エンターテイメントは、かかわりのあることになる。(ただ番組で映っていた範囲では、この競輪場はそんなに繁盛しているようには見えなかったが、どうなのだろうか。)

ところで、番組では触れていなかったのが、江戸時代のこと。ここを統治したのはどの藩だったのだろうか。その藩政によって信濃川の治水も行われたことになる。

それにしても、新潟といっても昔の米作りは大変だったことになる。日本の人びとを、そこまで米作に向かわせるものはいったい何なのだろうか。どうしても米を作りたいという心性のあり方は、これはこれでいろいろと考えることが必要だろうと思う。

2023年9月10日記

100カメ「ラグビー日本代表」2023-09-13

2023年9月13日 當山日出夫

100カメ ラグビー日本代表

ラグビーにはほとんど関心がない。ちなみに、バスケットボールにもまったく興味がなかった。なんか派手にテレビでやっているなというぐらいの感じでいる。ラグビーのフランス大会は、NHKも力を入れている。なにせ、大河ドラマを休止して試合を中継するぐらいである。ただ、私は、この中継は見ていない。翌朝のニュースで結果を知った。

しかし、番組としての「100カメ」は面白かった。選手の動きをGPSで追跡する、また、ドローンで上から映像を撮る。一昔まえでは、考えられなかったことかもしれない。使える技術はなんでもつかってみるというようだ。

選手たちのトレーニングの様子も興味深い。過酷なトレーニングである。これも、最新のスポーツ科学に沿って考えてあるのだろう。また、メンタル面でのサポートのシーンなど、なるほど日本代表を選ぶということは、いろいろなことがあるものだと感じた。

番組としては、これまでで最多のカメラを使っての取材ということであった。が、それでも、映っていないところがあった。あるいは、カメラを設置することを断ったところも、いくつかあるのかもしれない。

試合の中継だけではなく、その練習の舞台裏など、このようなかたちで見られるということは、ラグビーにより多くの人びとが興味を持つきっかけになるだろう。

とはいえ、私としては、たぶんラグビーの試合中継を見ることはないだろうと思っているのだが。あまりに人が熱狂的になっていると、むしろ逆に見たくなくなる。まあ、天邪鬼ということなのかもしれないが。このような天邪鬼が世の中にいてもいいと思う。

2023年9月11日記

映像の世紀バタフライエフェクト「9.11が変えた世界 運命の3人」2023-09-14

2023年9月14日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 9.11が変えた世界 運命の3人

これは見応えがあった。特に新出の映像資料があったというわけではないが、9.11以降の主にアメリカ社会の動きをダイナミックに描いていたと感じる。

印象的だったのは、パウエル国務長官の話し。軍人は何ができて何ができないのか率直に語らなければならない。これは、重要なことであると思う。私は軍事力ですべてが決するとは思わない。また、その一方で外交交渉には軍事的な裏付けが必要であるとも思う。そこには、軍事力についてのリアリズムと同時に最大限の自制が求められる。

9.11後のアメリカ議会で、反対票を投じることは意味のあることである。国や社会が熱狂しているとき、どこかでそれにブレーキをかけることが必要になる。いわゆる愛国心の発露は人によって様々であろうが、ある一定の方向に熱狂的に高まるときには、危険性がともなうことを考えておく必要がある。愛国心には、常に自省が必要と思う。

世界の分断が、9.11から始まったとするのは、ちょっと強引であるようにも思える。が、その流れを決定的に加速したとは言えるかもしれない。二一世紀がこれからどのようになっていくのか、老後の生活のなかで見ていくことになるのだろう。

2023年9月12日記

神田伯山のこれがわが社の黒歴史「(10)コーセー・百貨店サバイバルの混沌」2023-09-15

2023年9月15日 當山日出夫

神田伯山のこれがわが社の黒歴史 (10)コーセー・百貨店サバイバルの混沌

化粧品にはまったく関心がない。だが、番組としては面白かった。化粧品のブランドをどう創出するか、それをどう守っていくか、なるほどと思うことが多かった。

化粧品にとって、百貨店が重要であることは理解できる。だが、その百貨店も、日本全国では減少の傾向にある。地方の老舗百貨店の閉店のニュースなど、もう珍しいものではなくっている。

さて、この時代にあって、化粧品はどうやって売っているのだろうか。まあ、テレビのコマーシャルなど見ても、化粧品はコマーシャル頼りの商売だなと感じる。そういえば、私のわかいころ、その当時のヒット曲とかアイドルとか、化粧品のコマーシャルやポスターで起用されていたのを思い出す。

もう出不精になってひさしい。街中の百貨店にこの前行ったのはいつになるだろうか。百貨店の一階の化粧品売り場の独特のにおいと雰囲気が、私にとって今となっては遠い過去の記憶である。

2023年9月14日記

ザ・バックヤード「日本モンキーセンター」2023-09-16

2023年9月16日 當山日出夫

これは面白かった。

日本モンキーセンターは、名前は知っていたが、行く機会がないままにすごしてきてしまっている。ここは是非とも行ってみたい。

日本モンキーセンターは、サルの動物園であると同時に、サルの研究施設でもある。そのことが強く印象に残った。

なるべく自然に近い状態で飼育する。エサも自然で食べているものに近いものを与える。

興味深かったのは、ここで飼育していて死んだサルたちの骨格や内臓の標本を、原則すべて残してあることである。研究機関ならではのとりくみである。このような取り組みがあって、サルの研究の基礎に役だっている。

また、密輸されてきたスローロリスを引き取って飼育している。これは意味のある仕事だと感じる。

2023年9月15日記

英雄たちの選択「地の果てまで! 〜ザビエル 日本布教の真実〜」2023-09-16

2023年9月16日 當山日出夫

英雄たちの選択 地の果てまで! 〜ザビエル 日本布教の真実〜

今、日本語史の研究分野のなかで、もっとも精緻に研究が進んでいる分野の一つが、キリシタン文献である。すぐれた研究者が、着実に研究を進めていっている。(もう、日本語学の研究からリタイアしようと思っている人間としては、ただその成果を眺めているだけである。)

キリシタン資料とは、中世に日本にやってきたキリシタン宣教師たちが残した日本語についての資料である。代表的なものとしては、『日葡辞書』がある。この研究のおかげで、中世のおわりごろの日本語の音については、かなりのことが分かるようになった。また印刷史の面からも、日本における活字印刷の歴史として重要である。

日本語の歴史を勉強するうえで、キリシタンの歴史、イエズス会の歴史、また、大航海時代の歴史について知らなければならない。

同時に、私がキリシタンについて知っていることは、学生のとき、高瀬弘一郎先生の授業に出て学んだことが多い。火曜日の一時間目だったのを憶えている。時間に正確な先生で、九時にチャイムが鳴ると、三〇秒と遅れずに教室に入ってきて、講義がはじまった。ひたすらノートを取っていた。その時の講義のノートは、今でも処分せずに持っている。学生のときの思い出であると同時に、学問とはどういうものかを学ぶことのできた授業であると思うからである。

そのせいかもしれないが、宗教をささえる経済的基盤は何であるか、ということには、いまだに関心を持ち続けている。宗教や教団を考えるときに、それを支えている経済的な基盤は何であるか、考えることは重要である。強いていえば、経済的基盤を失ったとき、教団としては存続は難しくなる。

無論、日本とキリスト教というようなテーマで論じることも重要である。が、ただそれだけにとどまらないで考えるようになったのは、学生のときのキリシタン史の授業によってであると、今になってふり返って思うところがある。

2023年9月15日記